FORM_Story of design(... Kato Takashi weblog)

Sori Yanagi
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僕の柳宗理さんの製品との出会いは、2000年頃にイギリスのハビタから発売されていた、エレファント・スツールだった。それを僕は当時住んでいた祐天寺に近い、代官山の洋服屋で黒を一つ、その後、同じ代官山にあった家具屋さんで白いものをひとつ買い足した。それは奥さんと一緒に暮らしはじめて、初めて買った家具で、値段は1万円くらい、当時イームズのビンテージのサイドシェルチェアが最低でも3万円くらいしていたから、エレファント・スツールの良いデザインでかつ買いやすい値段に驚いた。
見た目が薄く軽やかな三本脚のスツールは、良く目のつまったファイバーグラス製でできていて、自転車の前カゴに積んで坂道をのぼって家に帰る道すがら、思いのほか重かった、その重みを今でもはっきりおぼえている。

今思えば、最先端のデザインが、家具を扱う専門のお店ではなく、トレンドを扱うファッションのお店で買うことができたという点が興味深い。確かにあの頃は、イデーのような家具屋さんには脚繁く通ったものだが、ビームスのインテリアコーナーや、百貨店のデザイン売場、美術館のミュージアムショップが、デザイン好きにとっても聖地でもあったのだ。

柳宗理さん自身については、2001年のデザイン誌『Casa』2月号の特集記事で詳しく知って興味をもったはずだけど、その号にエレファント・スツール復刻の記事が掲載されていて、当時ハビタのディレクターをしていたイギリスのデザイナー、トム・ディクソンがリチャード・ハッテンとロス・メネスを従えての熱い柳事務所探訪記がなんともユーモラスで面白かった。そのときの柳さん特集号は、海外の家具のバイヤーさんや、ジャスパー・モリソン氏も熱く柳さんについて語っていて、同じ日本人として今みてもなんだか胸熱だ。

エレファント・スツールについては、'50年代のコトブキ製のものが、銭湯やどこそこに大量にあるだとか、いろいろな話を聞いた。それだけ柳さんのデザインは、デザインが付加価値となった現在よりも、工業デザイン黎明期の'50~'60年代に広く一般にも流通していたということだろうか。

その後、お金を貯めては天童木工製の名作『バタフライ・スツール』を手に入れ、ステンレスのカトラリーも手にいれた。
それら柳さんのデザインは、生まれ育った浅草に戻った今でも家にあり、現役で働いてくれている。

商店街の店先にあった寺岡のハカリ、波止場のボラード、亀の子たわし、野球のボールなど、なんとなく当たり前に目にしていて普通につかっているものがもつ(それが"アノニマス"というものの一端であることも含め)、もの本来の美しさへの気づきは柳さんから教わったものだし、ル・コルビュジエの「輝く都市」も、民藝も、ポワン・デ・ススパンションも、パリのコレットも(当時柳のバタフライスツールを販売していた)、全部当時、柳宗理さんに教わったことだ。
柳宗理さんどうもありがとうございました。
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