浅草寺境内にて現代美術家の小沢剛さんと東京芸大の美術学部の卒業生をふくむ学生たちによる「油絵茶屋再現」がはじまった。
明治7年、西暦にすれば1874年、見世物と茶屋の形式を借りて、客に油絵をみせる油絵茶屋なるものが登場した。浅草や銀座などの盛り場に集まる大衆目当てに、油絵を肴に、当時まだ珍しかったコーヒーをのませたという。今回の再現油絵茶屋でも、小屋の前で無料のお茶がふるまわれている。
実際に油絵茶屋が当場したのは、江戸から明治に時代が変わり、急激な近代化とともに西洋化がはじまり、絵画や彫刻において近代美術の受容がはじまったころ。
ヨーロッパやロシアの美術が国力の誇示として美術表現があったように、日本も近代の受容において、日本の伝統を表現する必要があった、そんな時代に浅草にあったという、油絵茶屋。
そして今回浅草寺境内に再現された「油絵茶屋再現」ですが、これがすごいんです。仮設的な存在である茶屋ということで一見チープなつくりなのですが、小屋のなかに展示されている一点一点の油絵のクオリティが非常に高い。
民衆を相手にした見世物の形態をしていたため、その資料はほとんど残っていない。今回再現された油絵茶屋は唯一残っている第一回目の引札(チラシ)をもとに作成されているという。その第一回目は当時の西洋画家五姓田芳柳と義松親子が中心になり行われた。
時代は、美術を展示するための美術館もギャラリーもない時代。美術という言葉自体もその前年に生まれたという。展示は見世物らしく、たんに画布に描かれた絵画を展示したのはなく、その絵が本物らしく見えるようにさまざまな工夫がこらされていたことが、当時の新聞などの記述に残されている。
計3回浅草を舞台に行われたという油絵茶屋だが、明治9年に行われた油絵茶屋には司馬江漢、かの有名な国宝級の絵画「乾魚」(作者・高橋由一)も、この油絵茶屋に展示されていたらしい、ということまでわかっている。
油絵茶屋において、それまで見世物にはつきものであった、観客を高揚させるものの中心でもあった、講釈師による口上は廃止され、作品を静かに鑑賞するという現代の美術鑑賞に近いかたちが生まれた。だからこそ、油絵茶屋は見世物と美術のあいだ、その登場はまた、絵画の見世物からの明確な脱却への志向でもあったともいえるのかもしれない。
それと浮世絵がそうであったように、この当時の絵画はいまの週刊誌やゴシップ誌のような役割を担っていたとも思われる。
再現された油絵茶屋にも肌をチラリとさらした遊女の姿と、それを下から覗きみる若旦那の姿や、大石内蔵助の討ち入りの図、暴れ牛を取り押さえる猛者の姿などが描かれたものがある。これからも分かるように見世物小屋は当時の画家にとっとも、絵画をみせる手段としてまっとうなものであったのだ。
当時の油絵の技法をつかって再現されたという12点の絵画のなかには、見世物風情をあおる、景色の描かれた幕を背景に立つ、人がたにくりぬかれたジオラマ風の油絵もある。いまみるとチープ片付けるわけにはいかない表現もあって興味はつきない。なにより今回浅草に「美術」が戻ってきたことは大きな事件だろう。無料のお茶目当てに興味本位で笑いながら油絵をみている来場者に、ついつい僕は自然と明治初期の庶民の姿を重ねてしまった。この油絵茶屋については東京大学の木下直之氏の「美術という見世物」に詳しい。小屋で配られているざらついた紙にべったりとしたインクで再現された引札も必見です。
「油絵茶屋再現」(11月15日まで。午前9時〜午後4時30分。入場無料)