「郊外やニュータウンの特徴は、人間でいうと匿名性にあたります。いわば、名前のない街ですね。だから、写真を見せられたって、どこの街なのか特定できない。あるいは、どの写真を見ても「これは自分の街なのではないか」と思ってしまう」(宮台真司・ホンマタカシ写真集「東京郊外」テキスト「意味なき強度を生きる」より。)
郊外には匿名性をもったさまざまな物語やショッピングモール、建築が集まっているといわれている。でも果たして本当にそうなのだろうか?郊外やニュータウンでの暮らしが、地域性や地理的特徴がありそうな下町や、名だたるブランドショップが軒を連ねる都市のなかの繁華街と、どのような違いがあるのだろか?郊外やニュータウンに暮らしたことのない僕には、その違いはあまり分からない。
写真家のホンマタカシ氏はその作品集「東京郊外」(1998年)において、千葉県浦安市や神奈川県相模大野市や都筑区、お台場や幕張などの風景やそこで暮らす人たちを、大判のカメラであたかもポストカードをつくるように、対象物から一歩ひいた目線から撮影した。それを大きな物語りが描いてありそうな大判の絵本のような一冊の写真集にまとめあげた。
そして今日僕は「東京郊外の家」と名付けられた若手建築家が設計したできたばかりの小さな建築をみる機会を得た。場所は東京と神奈川を区切る多摩川にほど近い住宅街。建築家は藤村龍至氏で、個人的にもHODC(Hiroshima 2020 Design Charrette)の活動やトークイベントなどでご一緒いただいたこともある方だ。
藤村氏にはこれに先立つもうひとつの「東京郊外の家」と名付けられた建築がある。藤村氏はご承知のように自身も東京郊外で生まれ、再開発などによって歴史性や地域性が希薄になってしまった郊外という場所に、建築の力で生活の場にみなぎる「濃密さ」を取り戻すことをひとつのモチベーションとして建築する建築家だ。
以前のインタヴューでも自身が生まれ育った郊外について、「私はまさに80年代のニュータウン開発とともに育った世代です。それでも街の中心部に行くと蔵造りの町並みなどが残っていて、多少歴史と繋がっているような感覚があったのですが、私が高校生くらいの頃から別の開発が始まって、今ではもうタワーマンションが並ぶ郊外的で希薄な街になってしまいました」( Web Magazine OPENERS 「都市へ、そして風景を超えてー」より。)と語ってくれた。
今回ご案内いただいた新しい「東京郊外の家」は、東京近郊の街らしい、小さな家々が連なり人の暮らしが感じられる路地の一角に建つ。外観は都市的なジェネリックさをもったキューブ型の建物。その意味で郊外に固有な「匿名性」をもった建築なのだが、路地に面して大きく開けられた駐車場と玄関を兼ねた開口部や、大きくせり出した庇など、街に開かれた印象をもった、人懐っこさも備えた建築作品となっているのが印象的だ。内部は匿名的なアノニマスな外観の印象とは裏腹に、階段室を中心に、そのまわりに段違いに床が幾層にも多層的に積み上げられた表情の豊かさをもっている。
地階を備えた2階建ての住宅ながら、それぞれ中1階や中2階をもたせたことで内部空間には複雑さが生まれた。リビングや居室は、天井高をもたせたことで開放感を感じられる空間になっている。それが内部空間の豊かさに繋がっているように思った。また、照明や機具の選択や、窓のうがちかたなどに、バウハウスゆかりの機能主義の表現なども見え隠れして、藤村氏の内部空間への意識の高さもイメージさせた。
だがこの街も、他の東京近郊の住宅街の例に漏れることなく、近接した街にはタワーマンションが建ちはじめ、郊外に独特な匿名的な風景が浸食しつつある。
「郊外住宅」という建築とホンマ氏の「東京郊外」の写真には、同じくその解説文に藤村龍至氏とも関わりの深い建築家の貝島桃代氏が「否定も肯定もなく、ただ明るく、ニュートラルな光のもとで、全てにピントを合わせている」と言葉を寄せたように、それが郊外の住宅街であるがゆえに、住宅街のなかであまり高低差のない住宅建築群に真上からふりそそぐ太陽の光の存在のように、あくまでもフラットな形状と視点をしているのである。
究極のドリームランドであるディズニーランドも、先の自然災害で埋め立て地であるがゆえに危惧されていた、地盤の脆弱さを露呈し液状化した。われわれが描いた幻想の大きな夢物語りは、自然の前にもろくもその足もとをすくわれた形だ。平成の大震災以後には、「都市」というものの存在や価値の変容は余儀なくされるだろう。都市はこれまでわれわれが思っていたほど「万能」でも「優れて機能的」でもなかったのだ。それと同時にこれまで「郊外」を形成していた、郊外であるがゆえに、なすがままに得体のしれない曖昧なままにおかれていた何ものかも、いずれその本来的な現状の受容とともに変容することも余儀なくされるだろう。最後に先の「東京郊外」に収められた貝島氏のテキストから部分を恣意に抜きとり、そこに書かれた「写真」という文字を「建築」に置き換え引用して、「東京郊外の家」からインスパイアされて書かれた本稿を締めくくりたい。
「どちらにしても東京郊外の建築というのは常に一つの仮説であり、この仮説と絶えず変化する現実との関係のスタディが様々な建て方を試した一つ一つの建築であり、そのフィードバック・ループの軌跡がこの建築なのだ。」