FORM_Story of design(... Kato Takashi weblog)

OUR MOUNTAIN


ホンマタカシ氏の「ニュー・ドキュメンタリー」展に合わせ、都内各所で開催されるサテライト展「Satellite 9」。
千駄ヶ谷の紙と紙にまつわるプロダクトを扱うPAPIER LABO.は「OUR MOUNTAIN」と題し、蒼い空と雪をいだいた峰峰の写真をモチーフにした活版印刷による印刷物を発表した。

染料の濃淡で台紙の上に刻印される峰峰の風景が、自然環境のなかで刻々と移り変わる山の風景のように、余白から染料の濃密さに変化していく様を活版印刷の技法を通じ表現している。

和紙のような手触りの台紙に活版印刷による山の写真をプリンティングしたカード。活版印刷作品を元にしたオフセット印刷によりリリースされた見応えたっぷりのZINEなど、PAPIER LABO.らしい活版印刷を手法として写真印刷の実験を行なったといえるだろう。


OUR MOUNTAIN

TAKASHI HOMMA × PAPIER LABO
PRINTED PHOTO EXHIBITION 

〜2011.5.15(Sun)

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社会生活とクラフトのあいだで。
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ストーリー・ベースはスウェーデンのデザイングループFRONT(フロント)と、南アフリカ・クワズル・ナタール州の農村で伝統的なビーズ細工を手がけるズール族の女性たちシアザマ・プロジェクトとの共同作品のユニークベースだ(一点物作品の意)。
ガラスの花器の表面に編み込まれたようにみえるビーズで描かれた文字には、彼女たちの日常や夢が綴られている。それはあたかも言葉という輪郭も時間をももたいないものに対し、形を与え時を定着させる、3次元のかたちをした書物のようにもみえてくる。花器制作のそのプロセスはこちらのサイトで紹介されている。→ http://blog.madamefigaro.jp/ikko_yokoyama/ 

ストーリー・ベースは、昨年秋エディションス・イン・クラフトがフロントのメンバーたちと南アフリカでおこなったワークショップの成果として、今年のミラノサローネで発表された。
エディションス・イン・クラフトはストックホルム在住のアートのキュレーターである横山いくこさんと、オランダ人キュレーターのRenee Padt レネー・パッド氏の二人が主宰するクラフト・アート・デザインのリサーチ&プロダクション。横山さんとは5年ほど前に、「デザインアディクト」誌にてフロントの取材をコーディネートしていただいたときに初めてお会いした。当日はフロントの4人と江東区の開催臨海公園にある水族館と、夢の島の植物園に行き、フォトシューティングののちインタヴューをさせていただいた。当時フロントはモーションキャプチャーシステムを用いたラピットプロトタイピングによる椅子「スケッチ・ファニチャー」や、等身大の馬や豚などの照明などで世界デザイン界の話題をされっていた4人組みのデザイナー。
今朝、Twitter上での長坂常氏と柳本さんのツイートを読んでから、あらためてエディションス・イン・クラフトのサイトを覗いてみたところ、フロントがてがけた「ストーリー・ベース」が素晴らしいことに気づいた。世界の埋もれているデザインを人知れず紹介するサイトを標榜してはじめたこのweblogだが、いつしか主題は建築寄りになっていき、いわゆるデザインを紹介することが少なくなってきていた。そもそも僕は生活や、それをとりまく社会の仕組みに興味があり、デザインを社会のかたちも浮き彫りにし、その一翼を担うものと考えてきた。だから広くデザインや、あるいは政治、思想さえも含む建築への興味はその延長線上にあり、アートの延長線として建築を意識していたふしがある。

デザインもアートも、狭義の意味では人々の生活自体にルーツをもつものだろう。ストーリー・ベースのビーズ細工を手がけたシアザマの女性たちにとってビーズ細工は、かつて書き言葉をもたなかった時代におけるズール族の人々が思いを記録する重要な手段であったという。
制作はまず、フロントたちが用意した花器の木型に、シアズマの5名のビーズ職人の女性たちのパーソナルなストーリーに由来する物語りをビージングするところから始まった。ビーズをひとつひとつワイヤーですくい、それで物語りを編んでいく様は、手作業の細やかさという以上に、南アフリカという場所性とアパルトヘイトという時代性が否応にも交錯し、見る者に物が持つ以上の意味をもって、意味を問いかけてくる。網状に編まれた文字でつくれたビーズ編みたちは、ストックホルムに空輸され、ガラス職人レイノ・ビヨルク氏の吹きガラスの技術によって花器に仕上げれた。
アパルトヘイトとは1994年まで南アフリカ共和国に存在していた人種隔離政策のこと。20世紀初頭のイギリス自治領南アフリカ連邦成立を背景に1948年に法制化された。その時代にはズール族をはじめとした非白人の人たちは、人権上いわれのない差別のもと不自由な生活を強いられた。ストーリー・ベースの表面にビーズ細工によってしるされた言葉は、ズールの人々がこれまでこうむってきたそんな歴史的背景に由来する、日常のなかで語られた言葉なのだろう。彼女たちズール族の言語であるズール語はアパルトヘイト終了後には南アフリカ共和国の11の公用語のひとつとなった。

途上国を舞台した先進国による援助的デザインプロジェクトの是非はたびたび議論されることがある。中国や南米の人々の手工芸をもちいたヘラ・ヨンゲリウスをはじめとしたオランダのデザイナーらによるデザインプロジェクトなどはその先見としてみることもできるだろうか。
また自国の埋もれた手工業の技術をもちいたデザインプロジェクトには、ブラジルのカンパナブラザースの仕事や、我が国でも頻繁に行なわれている。その背景には、産業の極度な工業化による日常品の非日常化を背景にした、産業革命期におこったアーツ&クラフツ運動におけるような、デザインとアートにおける日常の復権などの日常に根ざした小さな視点もあろうかと思うが、先のツイートで柳本さんが言っていた昔の贖罪というグローバルな歴史的視点も視野にいれなければならないのかもしれない。
これらの活動は社会生活における職人といわれる人たちと、クラフトやデザイン、アートをつなぐものとして機能するだろうが、同時にそれらの活動が一切のイデオロギーと無縁ではないことを示してはいないか?これまで僕たちは生活を第一義に考えるあまり、政治やそれに輪郭を与えるはずのイデオロギーに注力してこなかったばかりか、目をそむけてきた節がある。
話をシアズマの人々に戻そう。高級ビーズを使用したシアズマのビーズ製品だが、近年では南アフリカのマーケットのグローバル化にともない、おもに土産物の人形などを手がけているという。このことにより他の国の地場産業の例にもれず、地場の伝統技術がグローバルなニーズに対応する必要性から土産物に集約されることで、もともとの産地がもっていた固有性の高い技術を駆使した自由なモチーフ性は薄れ気味で、創造力自体が均質化しチープ化していきつつあるという。
クラフトは産業の発展とともに社会のなかでたびたび危機的状況に甘んじてきたが、クラフトは工業と相反するものではなく、同時代的なイデオロギーとともにあるのだといった認識にいま一度たち、僕たちの社会生活のなかのクラフトの立ち位置について考えてみたい。


Story Vase FRONT
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House in Tokyo Suburbia

郊外やニュータウンの特徴は、人間でいうと匿名性にあたります。いわば、名前のない街ですね。だから、写真を見せられたって、どこの街なのか特定できない。あるいは、どの写真を見ても「これは自分の街なのではないか」と思ってしまう」(宮台真司・ホンマタカシ写真集「東京郊外」テキスト「意味なき強度を生きる」より。)

郊外には匿名性をもったさまざまな物語やショッピングモール、建築が集まっているといわれている。でも果たして本当にそうなのだろうか?郊外やニュータウンでの暮らしが、地域性や地理的特徴がありそうな下町や、名だたるブランドショップが軒を連ねる都市のなかの繁華街と、どのような違いがあるのだろか?郊外やニュータウンに暮らしたことのない僕には、その違いはあまり分からない。
写真家のホンマタカシ氏はその作品集「東京郊外」(1998年)において、千葉県浦安市や神奈川県相模大野市や都筑区、お台場や幕張などの風景やそこで暮らす人たちを、大判のカメラであたかもポストカードをつくるように、対象物から一歩ひいた目線から撮影した。それを大きな物語りが描いてありそうな大判の絵本のような一冊の写真集にまとめあげた。
そして今日僕は「東京郊外の家」と名付けられた若手建築家が設計したできたばかりの小さな建築をみる機会を得た。場所は東京と神奈川を区切る多摩川にほど近い住宅街。建築家は藤村龍至氏で、個人的にもHODC(Hiroshima 2020 Design Charrette)の活動やトークイベントなどでご一緒いただいたこともある方だ。
藤村氏にはこれに先立つもうひとつの「東京郊外の家」と名付けられた建築がある。藤村氏はご承知のように自身も東京郊外で生まれ、再開発などによって歴史性や地域性が希薄になってしまった郊外という場所に、建築の力で生活の場にみなぎる「濃密さ」を取り戻すことをひとつのモチベーションとして建築する建築家だ。
以前のインタヴューでも自身が生まれ育った郊外について、「私はまさに80年代のニュータウン開発とともに育った世代です。それでも街の中心部に行くと蔵造りの町並みなどが残っていて、多少歴史と繋がっているような感覚があったのですが、私が高校生くらいの頃から別の開発が始まって、今ではもうタワーマンションが並ぶ郊外的で希薄な街になってしまいました」( Web Magazine OPENERS 「都市へ、そして風景を超えてーより。)と語ってくれた。

今回ご案内いただいた新しい「東京郊外の家」は、東京近郊の街らしい、小さな家々が連なり人の暮らしが感じられる路地の一角に建つ。外観は都市的なジェネリックさをもったキューブ型の建物。その意味で郊外に固有な「匿名性」をもった建築なのだが、路地に面して大きく開けられた駐車場と玄関を兼ねた開口部や、大きくせり出した庇など、街に開かれた印象をもった、人懐っこさも備えた建築作品となっているのが印象的だ。内部は匿名的なアノニマスな外観の印象とは裏腹に、階段室を中心に、そのまわりに段違いに床が幾層にも多層的に積み上げられた表情の豊かさをもっている。
地階を備えた2階建ての住宅ながら、それぞれ中1階や中2階をもたせたことで内部空間には複雑さが生まれた。リビングや居室は、天井高をもたせたことで開放感を感じられる空間になっている。それが内部空間の豊かさに繋がっているように思った。また、照明や機具の選択や、窓のうがちかたなどに、バウハウスゆかりの機能主義の表現なども見え隠れして、藤村氏の内部空間への意識の高さもイメージさせた。

だがこの街も、他の東京近郊の住宅街の例に漏れることなく、近接した街にはタワーマンションが建ちはじめ、郊外に独特な匿名的な風景が浸食しつつある。
「郊外住宅」という建築とホンマ氏の「東京郊外」の写真には、同じくその解説文に藤村龍至氏とも関わりの深い建築家の貝島桃代氏が「否定も肯定もなく、ただ明るく、ニュートラルな光のもとで、全てにピントを合わせている」と言葉を寄せたように、それが郊外の住宅街であるがゆえに、住宅街のなかであまり高低差のない住宅建築群に真上からふりそそぐ太陽の光の存在のように、あくまでもフラットな形状と視点をしているのである。

究極のドリームランドであるディズニーランドも、先の自然災害で埋め立て地であるがゆえに危惧されていた、地盤の脆弱さを露呈し液状化した。われわれが描いた幻想の大きな夢物語りは、自然の前にもろくもその足もとをすくわれた形だ。
平成の大震災以後には、「都市」というものの存在や価値の変容は余儀なくされるだろう。都市はこれまでわれわれが思っていたほど「万能」でも「優れて機能的」でもなかったのだ。それと同時にこれまで「郊外」を形成していた、郊外であるがゆえに、なすがままに得体のしれない曖昧なままにおかれていた何ものかも、いずれその本来的な現状の受容とともに変容することも余儀なくされるだろう。
最後に先の「東京郊外」に収められた貝島氏のテキストから部分を恣意に抜きとり、そこに書かれた「写真」という文字を「建築」に置き換え引用して、「東京郊外の家」からインスパイアされて書かれた本稿を締めくくりたい。

どちらにしても東京郊外の建築というのは常に一つの仮説であり、この仮説と絶えず変化する現実との関係のスタディが様々な建て方を試した一つ一つの建築であり、そのフィードバック・ループの軌跡がこの建築なのだ。

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New Documentary

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ニュードキュメンタリーをめぐる考察のはじまり
 

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「Widows」はイタリアはラパッロ現代写真フェスティバルへの招待をきっかけに制作された作品。ホンマ氏は当初、クライアントから地中海に面した風光明媚なリゾート地であるこの地の風景を撮影することを依頼されたというが、それに変わるテーマとしてWidows=未亡人を作品の主題の中心にしたという。
ジェノヴァの東側、東リビエラといわれる高級リゾート地であるラパッロの11軒の未亡人の家を訪ね、キラキラときらめく柔らかな光のなかで、優しい視点で女性たちの姿を写真におさめた。そして未亡人の家に大切に保管されていたファミリーアルバムに納められていた写真を、ファウンド・フォト(蒐集した写真)の手法をつかってフィルムカメラで複写。それを自身の作品のなかに紛れ込ませた。
ホンマ氏は著書「たのしい写真ーよい子のための写真教室」で、写真史のなかで「決定的瞬間」、「ニューカラー」のふたつのトピックスをあげ、それをモダン時代の写真、それを支えているものを大きな物語と言及。それに対し、私的な物語をテーマとし、アートか写真か、写真家かアーティストかといったさまざまな境界がなくなってしまった状態を、写真のポストモダンと位置づけた。とすると、ファウンド・フォトやドキュメンタリー、雑誌や広告など、スタイルも思想も横断的にさまざまな写真の要素が混在するホンマ氏の仕事は、ポストモダン的であるといえるのではないだろうか?
ファウンド・フォトはときに写真家の作家性とはほど遠いところにある創作の手法かもしれない。だが、ファミリーアルバムの中から恣意的に「選ぶ」という行為は、まぎれもなくそれを選ぶ者の作家性を根拠としている。そのふたつを並列的に展示することで、現在の写真と過去の写真は、今を生きる一人の女性の人生と交錯しながら、新しい生命を生きるようになる。優れた直感的な編集的視点と、写真家としての対象を客観視するホンマ氏独自の視点が交ざり合った作品だ。

写真はつねに絵画と対で語られてきたが、写真黎明期においてカメラはよりリアルな現実を描く「絵画」のための道具として進化してきた。先のカメラ・オブスクラの技術は、やがてそこに穿たれたピンホールを通して、リアルば遠近法をともなって逆さの像を結ぶこの不思議な現象を、そこに投影される神秘的な像をただ絵筆でなぞるだけではなく、よりリアルに像そのものとしてカンバスのうえに定着させることを実現する。カメラ・オブスクラの光学装置としての進化の助けを経て、化学的にある種の銀がその像を定着することが確かめられたという。

今回はWebマガジンの取材で展示開始2日前よりホンマ氏の展示設営に帯同させていただく機会を得た。その間、二人きりで面と向ってホンマ氏のポートレートを撮影させていただくチャンスは一回。シャッターを押したのは2回。一度目は自然な表情を撮ることができた。だが、露出が少しアンダー気味だ。もう一度ことわりを入れてシャッターを押す。ホンマ氏の表情がすこし硬くなってしまった。カメラの液晶を確認するかしないかのうちに、ホンマ氏は無言で踵を返し設営に戻ってしまった。
メディアの多様化とともに、写真がもつ意味も多様化してきた。デジタルカメラの登場により、画像の加工は容易になり、現実をもとに、現実とは異なる色やイメージを生み出すことも容易になった。写真に写し出されたものが、本当なのか、嘘なのか、一見しただけでは、見分けがつきにくくなっているのも事実としてある。
だが、現実の世界と同じように、1枚の写真もすみずみまで見ていくと最初には見えていなかった、思ってもいなかったような発見がときにある。
写真が写し出す現実が真実であるがどうかはさておき、現実の世界を写しとった写真には、その現実と同じぶんだけのリアリティの奥行きと発見があるものだ。
写真は写すことも、それをみることも、かつてないくらいに身近なものとなった今日。写真をみて楽しむことと同時に、写真がもつ既成概念を問い直し、これまでとは違った写真の見方があることを「ホンマタカシ ニュー・ドキュメンタリー」をみて考えてみたい。
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