「Seeing Itself」は見せ物小屋のような凝った仕掛けで写真をみるための特別な装置。写真を見る行為はこの世の実像を虚像にして間接的にこの世界をみることに他ならない。
写真創世記における写真をめぐる記録として残されているオブジェクトにはかの有名な「カメラ・オブスキュラ」と名付けられた光学装置がある。この現在のわれわれのカメラという概念がからは程遠い小さなな穴が開けられた家型をした現実の世界の複写機=写真機は、画家のスケッチの補助的な役割をになうものとして開発されたものである。
暗闇のなかに星屑のように光るスクリーンに、双眼鏡のピントを合わせると、マッターホルンやアイガー、モンテ・ローザ、メンヒ、モンブランといったアルプス山脈の山々がみえてくる。雪をいただいた複数の峰々は、ときに雲に隠れており、よく見るとムービーも一部含まれ、耳を澄ますとアルプホルンによると思われるスイスの民族音楽も静かに流れている。
写真を肉眼ではなく、あらためて双眼鏡という道具を使ってみることは、写真を鑑賞する姿勢としては新しい体験をもたらす。普通に写真を観るという行為より見る者はいっそうアクティブになる必要があるのだ。ある一定の倍率の固定された双眼鏡を使って、ブラックボックス内の小さな写真をみることは思いのほか集中力を必要とする行為。
写真を肉眼ではなく、あらためて双眼鏡という道具を使ってみることは、写真を鑑賞する姿勢としては新しい体験をもたらす。普通に写真を観るという行為より見る者はいっそうアクティブになる必要があるのだ。ある一定の倍率の固定された双眼鏡を使って、ブラックボックス内の小さな写真をみることは思いのほか集中力を必要とする行為。
それはあたかも写真創世記の「カメラ・オブスキュラ」や、「ダゲレオタイプ」を追体験することに似ている。その露光時間の長大な写真機での撮影には、被写体となる人々は特別な装置で首や頭を固定され、不自由を強いられたという。
「Seeing Itself」における揺らぐ視点の先に目の前に見えるものをなかなか捉えることのできないもどかしい体験は、写真では容易にみることができても、容易には到達することのできない険しい山々でのリアルな体験に接続させているかのようだ。
続いての展示は、展示室と展示室を結ぶ通路に仮設されたブースのなかに展示された「re-construction」。タイトルの通り、これまでのホンマ氏のマガジンワークを一冊のZINEのような形式で再構成した作品だ。ホンマ氏は出版社と広告制作会社での仕事を経て、'90年代初頭イギリスに渡り、英カルチャー紙「i-D」で写真家として活動した。帰国後、数多くの雑誌や広告でのファッション・フォトや、ミュージシャンやアーティストとのコラボレーション作品などを手がける。そこでの仕事はバブル以降の経済的にも気分的にも閉塞感ある日本のカルチャーシーンのなかで、単なる当時の風俗を反映したものばかりでなく、ドライにクールに淡々と時代を写し取りながら、カラー写真で鮮やかに同世代の深層に迫っていた。
本展示室の作品の見せ方は、20年近くにわたる雑誌や広告の分野での活動をすべて等価にみせるためか、一冊の雑誌のようなかたちでまとめられている。運搬用のパレットの上に積まれたダンボール、そしてその上にまさに今、書店に雑誌が到着したかのように、梱包から解かれたばかりの「雑誌」が無造作に積まれる。作品集のページを能動的にめくるという行為は、雑誌などを見る行為としては当たり前なことだが、美術館でとなるとなかなかに珍しい。
くわえて話題なのがこれらが展示されている空間だ。内側が白く塗装された繭のような仮設のブースは、金沢21世紀美術館を手がけ、ホンマ氏とは建築写真を通じて長年の親交がある建築家SANAAの手によるもの。SANAAが手がけたミュージアムでの展示ということもあり、今回のコラボレーションが実現した。
続いての展示は、展示室と展示室を結ぶ通路に仮設されたブースのなかに展示された「re-construction」。タイトルの通り、これまでのホンマ氏のマガジンワークを一冊のZINEのような形式で再構成した作品だ。ホンマ氏は出版社と広告制作会社での仕事を経て、'90年代初頭イギリスに渡り、英カルチャー紙「i-D」で写真家として活動した。帰国後、数多くの雑誌や広告でのファッション・フォトや、ミュージシャンやアーティストとのコラボレーション作品などを手がける。そこでの仕事はバブル以降の経済的にも気分的にも閉塞感ある日本のカルチャーシーンのなかで、単なる当時の風俗を反映したものばかりでなく、ドライにクールに淡々と時代を写し取りながら、カラー写真で鮮やかに同世代の深層に迫っていた。
本展示室の作品の見せ方は、20年近くにわたる雑誌や広告の分野での活動をすべて等価にみせるためか、一冊の雑誌のようなかたちでまとめられている。運搬用のパレットの上に積まれたダンボール、そしてその上にまさに今、書店に雑誌が到着したかのように、梱包から解かれたばかりの「雑誌」が無造作に積まれる。作品集のページを能動的にめくるという行為は、雑誌などを見る行為としては当たり前なことだが、美術館でとなるとなかなかに珍しい。
くわえて話題なのがこれらが展示されている空間だ。内側が白く塗装された繭のような仮設のブースは、金沢21世紀美術館を手がけ、ホンマ氏とは建築写真を通じて長年の親交がある建築家SANAAの手によるもの。SANAAが手がけたミュージアムでの展示ということもあり、今回のコラボレーションが実現した。
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「Tokyo and My Daughter」はここ10年間ほどホンマ氏が撮影し続け、同名の作品集にも纏められた一人の少女の成長の記録写真。そこには少女の写真とともに、東京、首都高速、空撮、六本木ヒルズなどとともに、ホンマ氏本人やホンマ氏本人の母と思われる人の姿も写し出されている。「子供」とともに「東京」も、ホンマ氏が継続的に作品の主題として撮り続けているモチーフのひとつだ。だが、ここでもホンマ氏は写真を見るわれわれに対して写真がもつ「真を、写す」ということの意味に対して問題提議をしてみせる。
実はここに映し出されている少女は、ホンマ氏の愛娘ではない。「Tokyo and My Daughter」というタイトル、そしてホンマ氏と少女のツーショット写真。それを見せられた途端、見る者はこの二人が父子の関係であるとなんの疑いもなく信じ込んでしまう。
コンピュータ技術の発達にともない、CGや合成は当たり前になった。映画や写真においてもそこに写された映像がリアルや真実だけではないことはいまや誰もが知っている。それでもわれわれは写真に記録されたことを容易く真実と思い込んでしまう。
だが、東京の都市としての姿や、写真家自身もそのフィクションの物語りのなかに登場させながら、ファミリーアルバムの形式をつかって綴られる「ある家族」の肖像が確かにここにはある。「子供」と「東京」が交互に展示される本コーナーは、ホンマ氏のパブリックイメージにもっとも近いものといえるだろう。やがて日々変わりゆく都市の景色と、成長していく少女の姿は「東京」を舞台にした立体像に見えてくる。
だが、東京の都市としての姿や、写真家自身もそのフィクションの物語りのなかに登場させながら、ファミリーアルバムの形式をつかって綴られる「ある家族」の肖像が確かにここにはある。「子供」と「東京」が交互に展示される本コーナーは、ホンマ氏のパブリックイメージにもっとも近いものといえるだろう。やがて日々変わりゆく都市の景色と、成長していく少女の姿は「東京」を舞台にした立体像に見えてくる。