FORM_Story of design(... Kato Takashi weblog)

写真とは何か?ホンマタカシ氏をめぐる考察. 四
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「Seeing Itself」は見せ物小屋のような凝った仕掛けで写真をみるための特別な装置。写真を見る行為はこの世の実像を虚像にして間接的にこの世界をみることに他ならない。
写真創世記における写真をめぐる記録として残されているオブジェクトにはかの有名な「カメラ・オブスキュラ」と名付けられた光学装置がある。この現在のわれわれのカメラという概念がからは程遠い小さなな穴が開けられた家型をした現実の世界の複写機=写真機は、画家のスケッチの補助的な役割をになうものとして開発されたものである。


暗闇のなかに星屑のように光るスクリーンに、双眼鏡のピントを合わせると、マッターホルンやアイガー、モンテ・ローザ、メンヒ、モンブランといったアルプス山脈の山々がみえてくる。雪をいただいた複数の峰々は、ときに雲に隠れており、よく見るとムービーも一部含まれ、耳を澄ますとアルプホルンによると思われるスイスの民族音楽も静かに流れている。
写真を肉眼ではなく、あらためて双眼鏡という道具を使ってみることは、写真を鑑賞する姿勢としては新しい体験をもたらす。普通に写真を観るという行為より見る者はいっそうアクティブになる必要があるのだ。ある一定の倍率の固定された双眼鏡を使って、ブラックボックス内の小さな写真をみることは思いのほか集中力を必要とする行為。
それはあたかも写真創世記の「カメラ・オブスキュラ」や、「ダゲレオタイプ」を追体験することに似ている。その露光時間の長大な写真機での撮影には、被写体となる人々は特別な装置で首や頭を固定され、不自由を強いられたという。
「Seeing Itself」における揺らぐ視点の先に目の前に見えるものをなかなか捉えることのできないもどかしい体験は、写真では容易にみることができても、容易には到達することのできない険しい山々でのリアルな体験に接続させているかのようだ。

続いての展示は、展示室と展示室を結ぶ通路に仮設されたブースのなかに展示された「re-construction」。タイトルの通り、これまでのホンマ氏のマガジンワークを一冊のZINEのような形式で再構成した作品だ。ホンマ氏は出版社と広告制作会社での仕事を経て、'90年代初頭イギリスに渡り、英カルチャー紙「i-D」で写真家として活動した。帰国後、数多くの雑誌や広告でのファッション・フォトや、ミュージシャンやアーティストとのコラボレーション作品などを手がける。そこでの仕事はバブル以降の経済的にも気分的にも閉塞感ある日本のカルチャーシーンのなかで、単なる当時の風俗を反映したものばかりでなく、ドライにクールに淡々と時代を写し取りながら、カラー写真で鮮やかに同世代の深層に迫っていた。
本展示室の作品の見せ方は、20年近くにわたる雑誌や広告の分野での活動をすべて等価にみせるためか、一冊の雑誌のようなかたちでまとめられている。運搬用のパレットの上に積まれたダンボール、そしてその上にまさに今、書店に雑誌が到着したかのように、梱包から解かれたばかりの「雑誌」が無造作に積まれる。作品集のページを能動的にめくるという行為は、雑誌などを見る行為としては当たり前なことだが、美術館でとなるとなかなかに珍しい。
くわえて話題なのがこれらが展示されている空間だ。内側が白く塗装された繭のような仮設のブースは、金沢21世紀美術館を手がけ、ホンマ氏とは建築写真を通じて長年の親交がある建築家SANAAの手によるもの。SANAAが手がけたミュージアムでの展示ということもあり、今回のコラボレーションが実現した。


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「Tokyo and My Daughter」はここ10年間ほどホンマ氏が撮影し続け、同名の作品集にも纏められた一人の少女の成長の記録写真。そこには少女の写真とともに、東京、首都高速、空撮、六本木ヒルズなどとともに、ホンマ氏本人やホンマ氏本人の母と思われる人の姿も写し出されている。「子供」とともに「東京」も、ホンマ氏が継続的に作品の主題として撮り続けているモチーフのひとつだ。だが、ここでもホンマ氏は写真を見るわれわれに対して写真がもつ「真を、写す」ということの意味に対して問題提議をしてみせる。
実はここに映し出されている少女は、ホンマ氏の愛娘ではない。「Tokyo and My Daughter」というタイトル、そしてホンマ氏と少女のツーショット写真。それを見せられた途端、見る者はこの二人が父子の関係であるとなんの疑いもなく信じ込んでしまう。
コンピュータ技術の発達にともない、CGや合成は当たり前になった。映画や写真においてもそこに写された映像がリアルや真実だけではないことはいまや誰もが知っている。それでもわれわれは写真に記録されたことを容易く真実と思い込んでしまう。
だが、東京の都市としての姿や、写真家自身もそのフィクションの物語りのなかに登場させながら、ファミリーアルバムの形式をつかって綴られる「ある家族」の肖像が確かにここにはある。「子供」と「東京」が交互に展示される本コーナーは、ホンマ氏のパブリックイメージにもっとも近いものといえるだろう。やがて日々変わりゆく都市の景色と、成長していく少女の姿は「東京」を舞台にした立体像に見えてくる。

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TOMORROW
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TOKYO at PM.13:09, 18 March 2011. 
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3.11
東北地方太平洋沖地震の被害にあわれた皆様に心よりお見舞い申し上げます。

先週末,東北関東地方を中心に突如襲った大地震は、現在も多くの町に大きな被害をもたらし、太平洋沿岸のもともとのどかな日本らしい風景と、そこで暮らす人々の心とからだに、今も大きな傷跡を残し続けている。
僕はその時、自分の町である東京に居て、都心部を走る地下鉄の車内にいた。突然の急停車、そして大きな揺れ。大勢の偶然乗り合わせた多くの人々とともに、真っ暗なトンネルの中で不安な時間を数十分すごした。
線路の安全確認ののち、時速5キロのスピードでやっとの思いで電車は、無人の駅のホームにたどり着いた。
赤坂見附の駅で地上に出たとき、そこかしこに、付近の建物から避難をしてきた、大勢の人々が群れをなして、上のほうを見上げながらただ佇んでいた。大地震の余震は、僕らが行き先に迷っているそのときにもたびたび起こり、ビルの谷間の街は大きな揺れんお
たびにどよめき、ビルの窓はきしむような音をたて、悲鳴を上げた。
赤坂見附付近からは西は付近のターミナル駅である渋谷方面と、皇居の広場のある東の方へと、二手に分かれるように人々は歩を進めていた。皆、肉親が待つ家をめざして、家路を急いでいた。
僕も自分の町を目指して東の方へとりあえず皇居をめざして歩いた。
目の前の道にはとてもたくさんの人々の歩む姿と、その人々の背中が整然の列をなしていた。
僕もその列にくわわりながら、この事態をもたらした事の重大さを知らぬまま、ただ歩いた。 肉親への電話連絡はいっこうに接続せず、かろうじて繋がったTwiiterによって、すこしづつ事態があかるみになるにつれ、ことの重大さにすこし身が震えた。それでも僕らは何か手がかりを見つけるために家路にむかって歩いていた。大通りには人の流れと重なるように、徐々に
車も群れをなしはじめ、いくつか方角から道が交差する交差点では、渋滞が激しくなっていた。そしていつもの見慣れた景色が不穏な空気をはらみはじめているように思えてきた。
だけど、そこには不思議と恐れや惑いはなかった。皆がそれぞれのルールと秩序をもち、同じ状況を共有する者同士分別をもって行動していたからだ。うなりをあげてそばを走る車の群れにも、人工的なものがもつ冷たさをともなった既視感はなかった。
国会議事堂のあたり、皇居の周辺で、銀座の交差点で。
そこでは、車も人々も、町さえもが、ある同じルールを共有しているように思えた。

震災から3日経ち大地震の残した大きな爪痕が白日の下になり、それとともに無意識裡に恐れていたことの多くが明るみに現実になりはじめている。と同時に世界中の国々からよせられた数多くの善意。そして激励の言葉。国内からは共にこの苦境を乗り越えるためのさまざまな方策や施策が議論されている。専門家や素人、その誰もが初めて体験するこの不測の事態に、もしかしたら誰もがそれに立ち向かい乗り越える術、その答えなど誰もがもたないのかもしれない。だが、しかし、この事態に僕らは立ち向かい、勇敢に、そう勇敢にそれぞれに人々が、それぞれの方法でならなければならない。あっけらかんと、そして明るく、つねに前向きに、空を、前を見据えながら。



追記;TVやラジオ、ネットを通じて伝えられるニュースは、事実を知ることが求められている今だからこそ、目をそらすことが出来ないことだらけなのだが、そればかりに触れているとともすると後ろ向きになりそうになる。真実はまさに今このとき数多くの人々が言葉にしていいようのないほどの想像もしがたい苦難に直面しそれに立ち向かっていること。その現場からは少し遠くにはなれている僕がすることができることは、事実を直視し今すべきことを考えることくらいしかない。どのように今をこのときを共有し、これから続く未来のことを前向きに考えそれを伝えていけるのか?それをみなさんと一緒に考えていきたいと思います。


FORM_Story of design    加藤孝司
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縮退時代の新しい都市像
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現在、新宿のリビングデザインギャラリーで開催中の卒業制作展「縮退時代の新しい都市生活 ー建築系卒業制作にみる思考ー」。その開催にあわせて先ごろ行なわれた講評会を聴講してきたので、出展者のコメントと講評者のコメントを織り交ぜながらレポートしたい。
本展は建築家の門脇耕三氏キュレーションのもと、A+Sa佐々木高之氏、untenor名義で浜松市で活動するメディアプロジェクト辻琢磨氏と吉岡優一氏のユニットの協力のもとおこなれたと聞いた。出展は本年度の大学卒業制作、修士設計15案が選抜。
この日の講評者には、僕も実行委員として参加したHiroshima 2020 Design Charretteにも参加いただいたスキーマ建築計画の長坂常氏、メジロスタジオの馬場兼伸氏、HODCの主宰者である佐々木高之氏が参加。出展者所属校は、ICSカレッジオブアーツ、静岡文化芸術大学、首都大学東京、東京大学、東京工業大学、東洋大学の6校。

ICSカレッジオブアーツの小林さんは新築による民宿のプロジェクトを提案。会津を舞台に、インテリアなどにこの地方伝統の素材や伝統工芸品を随所に用いた。通りの賑わいがもつ町の魅力を活かしつつ、町にひらかれて建つこの地方伝統の木造土蔵造り建築が意匠上の特徴となっている。宿泊者以外もこの場所を楽しむ仕掛けとして、ギャラリーなどのパプリックスペースを併設。展示が館全体ににじみ出ていくような、ギャラリーに宿泊できるような感覚。連続的な町並みを意識し、新築にも関わらず時の流れをつくることを意識した。

首都大東京岡崎さんの作品タイトルは「その学校の名は‥」。舞台は富山市に設定。普通の町中であればどこにでもあるような既存の商店街再編のための計画。商店街のなかに小学校を挿入する。商店街を中心とした地域と学校の関係性をつくりながら、小売りを中心とした商業圏における学校の存在が、その地域に賑わいをもたらし、それがしいては活性していくためのプログラムを考えた。経済的なものだけではなく、一人の人間存在としてコドモの視点で街をみてみる、というところが新しく可能性を感じると長坂氏。またコドモではなくもう少し年齢の高い高校生を設定してもいいのでは、という講評者の意見もあった。

東京工業大学清水さんが提案したのは、地方農村の再開発。農業用の倉庫を、農業従事者だけでなく、地域の人々が集う場所にする計画。農作物を一時保管する場所である農業用倉庫の機能に一般の人が立寄り使用できるような、銭湯、カフェ、直売所、体育館、アトリエ、劇場などが共存した集会場のよううな施設を併設する。生産力の低下、農業従事者の高齢化とともに衰退していく傾向にある日本の農業。外周部分のファサードに収穫物を納める倉庫、収穫期には収穫物が外周のファサードを飾る。祝祭性のある建築は日本ではあまりない、その提案になっているのでは?と馬場さんと門脇さん。西洋都市のおける広場のような存在としての、農村におけるパブリックなものとしての集会場。新しい地方農村のあり方を提案していたように思う。

首都大学東京長井さんは自らの地元である筑波に住む友人のためのワイナリーの計画。ブドウの畝(うね)、南北方向に方向性をつくる。地域性を建築の方法論で解く。その根拠となっているのは、自分が住んでみたいと、思える建築という。田園における職住近接による地域密着型の牧歌的な風景を描いていた。

東洋大学森田さんは、増殖しつづける郊外のニュータウンに20年後の「見守り都市」を計画。築30年以上のニュータウンにおける戸建て住宅街に隣接して、戸建てが積み重なっていくような一般的な片廊下型の建物ではない高層集合住宅を設計。周辺の既存の戸建ての住宅街には若い世帯を誘致。高齢者住宅である高層棟と、戸建て住宅街が一体となった見守りのための集合住宅街=ニュータウン。人口減少とともに衰退していくであろう郊外を更新していくためのプログラム。見守り都市はともすると高齢者密集地域になってしまうのではないか、そこに楽しさがあるのか?と門脇氏。通常の老人ホームよりも確実に規模が大きくなるなかで、そこに都市的な拡がりを示す必要があるのでは、と辻氏。今はなんでもミックスだが、実は都市はゾーニングである。都市の中にそれをつくることには可能性があると門脇氏。

東洋大学大山さんは「移民都市ー武蔵野田園都市ー」を構想。大山さんは埼玉生まれ。つくばエクスプレスの誕生で急速に郊外化が進んだと指摘。東京にもっとも近い埼玉のこれからの郊外を構成する要素として、「リゾート」「移民」「郊外」「コンテナ」というパズルのピースを用意した。また
郊外化していく街に積極的に海外からの移民を誘致。移民を受け入れるためのポジティブな要素として埼玉をリゾート化するためのプログラムを考えた。リゾートというキーワードをもとに熱海的直線的、モナコ的曲線的という既存のリゾート地をリサーチ、その地形的な特徴をそれぞれのプランに当てはめて想定してみせた。都市のスラムとしての側面をもつ郊外には、都市の発展とともに移民が集まり増大するという先進諸国の例をみるまでもなく、近い将来日本も同様問題に直面する。
移民とリゾートの関係性がまだまだ不明瞭、と指摘しながらも、スラム化する前に、移民の人々のためのリゾート観光都市開発を提案するころに可能性があると長坂氏。リゾート観光都市とすることで「だサイタマ」を払拭する。住居は安価で大量にゆにすることのできるコンテナでつくる。現状移民者の存在に問題があるとすれば、文化的なコンフリクトに理由があると、門脇氏は指摘する。リゾートがそれをどう解決する手段になるのか、プランには課題はまだまだ多いが郊外におけるひとつの提案としてユニークなものであった。

東洋大学荒井さんは「社会復帰都市」として受刑者の社会復帰のプログラム施設としての刑務所を建築的な側面からアプローチ、
犯罪者が社会復帰をしていくプロセスを建築で表現した。場所は、ホームセンターなどが立ち並ぶ典型的な、さいたま市のロードサイドを設定。刑務所は犯罪者を収容するためだけの場所から、労働の場所、そして、これからは社会復帰の場所となることを見据えた提案。段階をおきながら環境や他者と触れ合う密度を空間でつくっていくことで受刑者が厚生していくためのプログラムを考えた。
自由な振る舞いを誘発すると思われている空間で、人間を管理する、そこに面白みがあると辻氏。
それを街中に開かれたかたちでおくことで、都市における建築の役割をも考えるためのプログラムになっている。社会から隔絶するための刑務所ではなく、社会復帰させる施設としての刑務所を量販店が立ち並ぶ郊外の象徴的な場所である「ロードサイド」につくってしまうあたりに案としての面白みを感じた。

首都大学東京井辺さんは「運営事業者介在型シェア賃貸住宅に関する研究及び設計提案」。
高度経済成長期の過程で量産され、現在では老朽化して解体される一方の団地と長屋の改修をシェアハウスという現代的な問題意識で解決するプログラム。
井辺さんが注目したのはシェアハウスで問題になってくる、ブライバシー重視か、コミュニケーションを重視するかといったふたつの視点。そこでブライバシーとコミュニケーションの二つに比重をおいた、二つの異なるプログラムを提案。若い人にしかシェアハウスのニーズはないのか?と佐々木氏。今回は若年世代に絞ってリサーチをしたといシェアハウスに対して、空間を共有することで得られる快適性に着目。まさに縮退時代に向けたリアリティのある問題意識であると思う。

ICSカレッジオブアーツの花宮さんは、ストリートスピリッツ「ミチノココロ」と題して、西新宿五丁目の今はゴーストタウンと化したけやき通りエリアの再開発のためのプログラムを提案。
住宅が密集して、防災上危険な地域といわれている場所だが、逆にいえばそこには、狭さを楽しむ工夫が建物の内外にあった、をコンセプトとして、そこに安価に利用することができる宿泊施設をつくる。再開発エリアをオフィス、バー、アパートメント、コインランドリー、レストランといった要素によって構成。この場所を商業エリアにしたいという区の要請を考慮しながら、人があつまり活性化することを想定し防災上危険地域という問題点をクリアしながら、「かたちを残すのではなく、プログラムを残すことに留意」したという。
新宿の繁華街にも近く商業性の高い地域で、商業エリアにするという計画に打ち勝というということはなかなかに難しい。そこにホテルを密集させることは面白みがある、と門脇氏。

東京大学中川さんの提案は「都市の農(ヴォイド)」。舞台は東京都狛江市。その中心となるのは「都市のなかに残された農地」。
農地を都市のヴォイドとみたて、生活と仕事が一体化していく、これからの都市の古くて新しいコミュニティのあり方にも触れていく提案。長坂氏、馬場氏が賞賛した計画であった。東京のところどころにある農地のあり方を考える提案であり、風、熱、光などの環境をコントロールすることで、周辺環境とどう一体化していくのか。それが細部にわたって検討されており、今すぐにでも提案可能、といわれた案だった。東京のヴォイドに対する計画だが、地方都市にも応用が可能な計画とアンテナの吉岡氏。農地の外周にガラス、鉄、コンクールでスタイリッシュなフレームで囲い、そこを倉庫にしたり休憩所にすることで、周辺とゆるやかに繋がりながら境界をつくる、良質なデザインも好評価につながった。

東京工業大学東さんは、町工場の多い大田区羽田周辺を敷地にした、町工場再編によるものづくりの学校をつくった。古くから産業と結びつき発展してきた町工場を、これからの都心開発においての基盤とする。その提案にはものづくりがこの国の経済発展や、経済成長を支えてきた牙城だけに、説得力があった。専用工場の大空間をライブラリー、アトリエ、ミュージアム、など文化的なものに結びつける案にもリアリティがあり、国際空港にも近い立地をかんがみて、エリア内にゲストハウスなど人がそこにとどまる工夫をすることで、観光の拠点としての立場も明確に示した。これまであまり文化的なものとは結びつきにくかった製造業に、それらを接続することで、新しいコミュニティや、地域の産業の後継者育成プログラムとして側面をもち、都市をライブラリーとしているような提案だと思った。


静岡文化芸術大学寺田さんは自邸の改修計画案をプレゼンテーション。高度経済成長時代やバブルの時代とはことなり、経済が不調なこれからの時代には新築は建てにくくなったと言われて久しい。それは個別の住宅も同様で、リノベーション住宅が人気が高いのもうなづける。新しい住まいとして、既存の集合住宅や戸建て住宅のリノベーションは、現代的な住まいの舞台として人気も高い。
寺田さんは住む人の具体性をよりリアルに体現するために自邸をテーマとしたいうが、卒業設計のテーマとして自邸のリノベーションをテーマにした背景にも、そんな現代性とあいまって、とても興味深い。建築家にとって自作による自邸のプロジェクトは珍しくないが、そこにより身近な者ならではの具体的に家族と話しあうことで、より具体的な設計が可能という視点は、建築家におけるスタートとしてはよりリアリティがあって好ましい。
講評者からの感想も、新築ではなく改修の計画でありながら、純粋に建築のデザインが面白い、と長坂氏、馬場氏による、法則があるようでないような、これから先どうなっていくのか、その先のさらなる改変までみすえているようにらみえるところがいい、など好意的な評価が目立ったこともうなずける。

東京大学一万田さんは「街に浴する」と題した故郷別府の温泉街の再開発計画。温泉街が衰退していくなかで、これまでのように観光客だけに頼るのではなく、住民と観光客が共有できる場所の創出が必要と提言。そのための新しい温泉施設と道をつくる。山奥の温泉街と違い、住宅街が混在する場所である。観光客目当ての歓楽街が住宅街のなかにあるような状況の改善策の提案でもある。源泉が豊富なこの場所の「お湯」というこの場所の資源を若い視点から描いた提案である。

ICSカレッジオブアーツの呉さんはT-APARTMENTと題した宿泊施設を提案。敷地は呉さんの母国台湾の台北の住宅密集地。それも整備されたエリアではく、都市化から取り残されたような下町エリアとのこと。通常、パブリック、プライベートなど水平方向のゾーニングをとる宿泊施設を、垂直方向のゾーニングで提案。道路に面したゾーンを垂直にパブリック、その内側をプライベートに分けるなど、快適さに配慮した細やかな感性を感じさせる提案であった。

他には当日は欠席であったが、ICSカレッジオブアーツ河原さんの「路地に集う」も出展されていた。

コンパクト、プラス、拡大。「縮退」という言葉の背景には両義的なふたつのそんな意味合いがこめられていると僕はつねづね思っている。縮小時代の社会では、都市に人口が集中し過密化はまぬがれ得ないが、国のレベルでみれば、都市も人口も縮退していくと同時に、場所は拡張していくことは物理的にも間違いはない。
その豊かになっていく可能性を秘めた「場所」を、どうデザインによってより豊かなものにしていくのかというところに、これからのデザインや建築の可能性があるのではないか?本展は学生による案を中心にしながら、その社会情勢と同時代性に敏感な彼らのピュアな目線にたちながら、今そこにある問題を考えるところから始める建築に、建築やデザインがもつ、社会の枠組みをひろげる可能性に満ちた試みだと思った。


〜2011年3月15日
リビングデザインギャラリー
東京都新宿区西新宿3-7-1 新宿パークタワー7F
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KIGENZEN
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そもそもフェルトとは、織物ではなく、羊毛の縮絨(しゅくじゅう)する性質を利用して水に濡らして圧縮、または摩擦によって組織を緻密にしたものである。それは遊牧の民が寒さをしのぐ為に靴底に毛足の長い羊の毛を敷き詰めたものが、摩擦によって羊毛同士が絡まり、シート状に硬く圧着した偶然の出来事がその起源だと言われている。

現在、青山のギャラリーNOW IDeAで開催中のフェルトユニット「KIGENZEN」の展示は、これら原初的な織物以前のテキスタイルであるフェルトを使用した作品を展示、その場で制作するというインスタレーションとなっている。
KIGENZENとは多摩美術大学時代の同級生であるテキスタイルアーティストのかとうゆうこと、くまじゃわによるアートユニット。かとうゆうこはmina perhonenでアーティスティックなフェルトのアクセサリーを手がけ、その作品は手のひらのなかで自由にイメージをかたちにすることのできるフェルトならではの手工芸的なアプローチで制作している。くまじゃわはフェルトがもつプリミティヴで伝統的な技法にこだわりながら、マテリアルに羊毛以外に髪の毛を混在させるなど、静と動の相反するものを自身の作品に織り交ぜ、色と形の鮮やかな自由なフォルムをもった作品を制作する。

ユニークなユニット名は、この原初的なテキスタイルであるフェルトが、紀元前6000年までさかのぼり人々によって親しまれ、さまざまなかたちで生活の中で使用されてきたその歴史的背景に由来する。
先にも引用したオランダのクラウディ・ヨンゲストラもそうだが、KIGENZENの二人によるフェルト作品は、既存のフェルト製品がもつぼんやりとしたイメージとは異なり、軽やかでインスピレーションにあふれ、しかも、それぞれこの二人のアーティストならではの個性があふれた作品になっているのが特徴だ。かとうゆうこのフェルトならではのあたたかみがあるコケティッシュな作品、くまじゃわの繊細でときにダイナミックな作品という、ユニットでありながらまったく異なる作品世界がその魅力となっている。

エキシビション会期中には実際にフェルトをつかったワークショップも開催し、KIGENZENの二人と一緒に自分だけの作品を制作することもできるという。ワークショップでは先日のD♥Yでも披露されたメッセージカードを内包した「タイムカプセル」と、今回の展示で初となる「ニードルフェルトで世界遺産」の二つを用意。それぞれ参加者がテーマにそって自由にフェルトで一点モノの作品を制作する。
最後にもう一度アーカイブからテキストを引用して締めくくりたい。

織物以前のもっとも素朴なテキスタイルであるフェルトは、もっとも自然に近い不織布であり、織物やニットの技術が発達して様々なバリエーションが生み出されていく現代にあって、一人取り残されるようにして孤立していて素朴で、原理的に確立された伝統的な素材でもある。
その生産の為のプロセスがいささかでも人の手を煩わせることなく、速やかに儀式的に執り行われることを前提とせず示したとしても、人が自然の営みと恵みを借りて、身体を働かせて作り出すものに畏敬の念を払う事を失わず、その上で手工芸の素晴らしさに自覚的にいる事を忘れない。

人の歴史の紀元前にまでさかのぼるフェルトというマテリアルには、いにしえの人々が人知れず築いてきた神秘的な魅力がひそんでいるのだ。

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KIGENZEN展
開催中〜2011.3.6(Sun)
ワークショップスケジュール
2011.3.3(thu)17:00〜世界遺産
3.4(Fri)14:00〜タイムカプセル
3.5(Sat)14:00〜タイムカプセル  17:00〜世界遺産
3.6(Sun)14:00〜タイムカプセル  17:00〜世界遺産
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