FORM_Story of design(... Kato Takashi weblog)

BOEK DECK LECTURE 01
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代官山で営業中の書店、BOEK DECKプロジェクトのレクチャーシリーズ「BOEK DECK LECTURE 」はじめます。
第一回目は11月3日、ギャラリストの青山秀樹氏をお迎えして、パブリッシャー、アートブックディストリビューターの視点を交えながら、アートの現状を多角的に検証します。
BOEK DECK LECTUREは、2010年11月23日までのLLOVE会期中、不定期連続的に開催されます。ご期待ください。


|BOEK DECK LECTURE 01|

2010年11月03日 15:00 - 16:30 @LLOVE
 
テーマ:現代アートのディストリビューションと変容
〜ギャラリー、アソシエーション、アートフェア、アートブックフェア、パブリシャーの視点から〜

話者:青山秀樹(青山|目黒)× 江口宏志(Utrecht/ NOW IDeA) × 古賀稔章 (Whatever Press)

モデレータ:木戸昌史 (Whatever Press)、加藤孝司 (Whatever Press)
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会場 :
LLOVE( 代官山 i スタジオ )2F LLOVETHEATER
東京都渋谷区恵比寿西1-36-10
東急東横線代官山駅から徒歩1分
03-3461-8813(月〜金、10時〜17時)
 
LLOVETHEATER :
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予約不要
入場料:無料
定員:20名程度
言語:日本語
問い合わせ:info@whateverpress.com 

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Whatever Press 

Utrecht / NOW IDeA
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みなぞこにかき消されていく音

いよいよ本日からスタートするデザインタイドトーキョー 2010。
今年の会場デザインは建築家の中村竜治氏。6月のHODCにも参加の建築家だ。レッドカーペットの敷かれたエントランスを抜けると、巨大な生き物のような物体がホール天井ギリギリまでの高さをもって、空間全体をどこまでも埋めつくしている。
デザインタイドトーキョーは、そこで発表される今を感じさせる世界中から集まった最新のプロダクトへの期待もさることながら、毎回注目を集めるのは会場構成デザインだ。今回、昨年一昨年と好評を博した谷尻誠氏のあとを継ぐとあって、相当のプレッシャーがあったと聞く。

中村竜治氏は今年だけでも、「建築家の色とかたち」展における「カラフル」、そして、記憶に新しい今年春に東京国立近代美術館で行なわれた「建築はどこにあるの?7つのインスタレーション」展での圧倒的なスケール感を持った作品「とうもろこし畑」を発表。独自の建築的思考で、建築ともアートともいえないの多彩な作品を次々と発表してきた。

天井高い7メートル近い空間を埋め尽くすのは、白く着色された膨大な数の鉄板たち。それが等間隔で並び、人と人が支え合っているかのような見る角度によって多様な表情をみせる。波板状に加工された鉄の板は、二枚が対にになり、先端と足元をボルトで固定されながら支えあって自立している。奥行き40メートル、高さ7メートルのホールにひたすらそれが均質に続いている風景。

均質さはモダンの概念だが、巨大な構造が反復することで中村氏のこの作品は、そのモダンがなしえなかった独自の空間の質を獲得しているようにみえる。そこにあるのはフロアから7メートル上の天井を水面にみたて、みなぞこにかき消されていくいくつもの会話や音。
建築とインテリアの間をつくることを余儀なくされる、トレードショウの会場構成という建築家にとって難題ともいえる制約に向き合いながら、新しい形と空間の質を生み出すこと。
たわみの幅と強度を担保するために、鉄板を折り曲げ加工している。鉄板の厚みや大きさも、最適な「たわみ」を現象化させるために設計段階から幾通りかをスタディ。マテリアルとしてコンクリートも考えたというが、リサイクルが難しいという点で断念した。会場構成につかわれた膨大の数の鉄板は、会期終了後回収し、リサイクルされることまで考えてデザインしたという。
会場に流れるワルツのリズムは、会場を歩く数多くの人の足音と歓声にかき消され、そこに残る音は薄い高さ7メートルの鉄板のゆらめきに回収されていく。

PHOTO(c) Takashi Kato

DESIGNTIDE TOKYO 2010
デザインタイドトーキョー 2010
会期:2010年10月30日(土)〜11月3日(水・祝)
メイン会場:東京ミッドタウン・ホール
エクステンション会場:東京都内各所
コンテンツ:TIDE Exhibiton/TIDE Market/TIDE Extension
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CHARLOTTE FOR EVER
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このテキストをいま僕は、セルジュ・ゲンズブールが1971年にリリースしたコンセプチャルなロックアルバム「histoire de melody nelson」を聴きながら書いている。今夜目撃したシャルロット・ゲンズブールはやはりアーティストだった。名作「CHARLOTTE FOR EVER 」(1986年)から24年、遂にシャルロット・ゲンズブールがミュージシャンとして来日した。母ジェーン・バーキンゆずりのスレンダーなルックス、父セルジュゆずりのハスキーな声と、しなやかな身のこなし。女優としての彼女は良く知られた存在だが、実は俳優活動とほぼ同時にシンガーしての活動も始めている。父のアルバムでの「レモン・インセスト」でのデュエットのあと発表された初のフルアルバム「CHARLOTTE FOR EVER 」はセルジュ全面バックアップのなか、セルジュのアルバムでも共演してていたニューヨークの腕利きのスタジオミュージシャンたちがサウンド面をしっかりと支える。本作でも父とのデュエット曲2曲収録されている。シャルロットはその神懸かり的な出自のせいもあってか、世界中のギークなロックフリークにフォロワーが多いことで知られる存在。フランス本国はもちろん、ソニックユースやソフィア・コッポラらアメリカL.Aのカルチャーシーンを牽引するカリスマたちもシャルロットフォロワーを公言している。今回のライブの曲間のMCでも、父の存在があってAIRやBECKといったミュージシャンンと恊働することが出来たと語り、父セルジュへの敬意も忘れない。

しばらく音楽活動から遠ざかっていたシャルロットだが、2006年、同じフランスのミュージシャンAIRの2人のバックアップのもとフルアルバム「5:55」をリリース。以降は、昨年発表されたアルバム「IRM」では、アメリカ南部の泥臭いサウンドを得意とする鬼才BECKとコラボレーション。アコースティックとエレクトリックのミックスしたサウンドでアーティストとしてのシャルロットの新境地を開いた。

今回突然の来日初コンサートではAIRとBECKとのそれぞれ共作アルバムからの曲を中心にセレクト。そこにボブ・ディラン、セルジュ・ゲンズブールの曲を散りばめるなど。バックバンドの演奏もタイトで、母ジェーンと父セルジュゆずりのシャルロットのしなやからライブパフォーマンスは見応えがあった。

やはりライブで一番盛り上がったシーンは、「父の歌をうたいます」といって始まったセルジュのスウィンギングロンド時代の名曲「L'hotel Particulier」。この歌はシャルロットが生まれた年、'71年にリリースされたセルジュが妄想のなかのミューズとして仕立て上げたメロディという少女との恋愛話を赤裸々に綴る「histoire de melody nelson  メロディーネルソンの歴史」5曲目に収録された曲。ディストーションの利いたギターのエッジーなカッティングが印象的で、デカダンな'70年代ブリティッシュテイスト満載な曲だ。ライブのラストはセルジュの'60年代のラテンなダンスチューン「Couleur Cafe」というサプライズなおまけ付き。この曲は今夏パリのLa Cigaleで行なわれたシャルロットのライブでもラストにセットされたセルジュのキラーチューンだ。

忘れもしないシャルロットの父、セルジュの今思い返せば奇跡の人見記念講堂での2dayLIVEを体験したのは'88年。今日、目の前にいるシャルロットに、24年まえのスクリーンの中の彼女の姿と、22年前の東京でのセルジュのイメージを重ねた。そして、シャルロットのミュージシャンとしてのパフォーマンスは母ジェーンよりも、今は亡きセルジュに確実に似ていると思った、そんな夜だった。
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「都市構造の転換を考える」
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昨日まで田町の建築博物館ギャラリーで開催されていた展覧会「都市構造の転換を考える」(日本建築学会建築文化事業委員会、担当委員=藤村龍至氏、田中元子氏)をやっとみにいくことが出来た。
本展は、人口減少社会を迎えた日本における、都市構造の転換という問題意識をもった展覧会だ。それは、大都会である東京よりも、むしろ地方都市においてより顕著で切迫した問題にふれるテーマでもある。
そんな時代性を反映してか、 6つの展示のうち、5つがなんらかのかたちで地方都市をテーマに問題提議をしている。

ドットアーキテクツの大東翼氏、403architects辻琢磨氏、architecturephoto.net後藤連平氏、静岡文化芸術大学中村紀章氏、YOUSUKE TAKATSUKA高塚陽介氏の五人が実行委員をつとめる「浜松建築会議」は、浜松という街の現状をつぶさに観察することで、建築家の職能をいかしながら、この街の新しいあり方を模索する。浜松に建築の議論がないことに問題意識を感じたという彼らは、具体的には、浜松建築会議と題した若い建築家たちによる、地方における議論のロールモデルをつくる場を創出することから始めた。浜松も他の地方都市の例にもれることなく、中心市街地は軒並みシャッター街となっており、空き店舗や空き区画の目立つエリアがあるという。パネルにあった浜松駅前の様子は、エリア全体が更なる再開発を待っているような風情があり、その様子は僕にとって馴染みの深い広島駅前に似ていた。浜松建築会議では、活動の一環として空室を利用して建築家、静岡文化芸術大学の学生有志らによるワークショップなどを行うスペース「みんなのにわ」を開設。既存の場所の再発見とともに、場所の魅力を実感ともないながら考えることを同時に行っているようにみえた。後藤連平さんとは名古屋のNのミーティングでご一緒させていただいたこともあり、パネル展示をみながらこの親近感のある街、浜松の現状について僕も一緒に考えてみたいと思った。

「ショッピングモータリゼーション年表」と題した速水健朗氏のパネルは、1900年から現在までの都市の出来事を中心とした年表を展示。110年間の世界の歴史を都心計画と消費を軸に俯瞰してみせた。時系列にそって関連する出来事として、映画やテレビのタイトルが並ぶ。20世紀という激動の時代を振り返りながらも、あたかも週刊誌をみているような面持ちだ。年表に時折差し挟まれる都市や建築の写真により、時代とともに建築家の都市への関与が、都市自体のスケールから、施設自体のスケールへ、建築家が携わる「巨大さ」というものの概念が変化していったのがよくわかる。

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「長岡市のスタディ」(大野秀敏+東京大学大野研究室)は、現状の日本の都市が拡大ではなく縮小していくというシナリオを辿ると、都市インフラの住民一人当たりの維持費負担はそれに比例して増えることに着眼。住民あたりの負担を現状通り維持するためには、これまで通り都市が無秩序に拡大するのではなく、適正にスリム化する必要がある。そのための施策として、都心を一箇所に集中、あるいは、拡大していく中心部のなかでも、経済活動が活発ないくつかのエリアを選びだす。そしてそれらの市街地をつなぐ交通システムを、高齢者には負担の大きい自家用車ではなく、乗り換え可能なバスによる新交通システムで結ぶ提案。

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「マルヤガーデンス」(竹内昌義氏+山崎亮氏)は鹿児島の中心市街地にある商業施設の新たなあり方を模索するプロジェクト。通りに面した建物の壁面の緑化といったハードの提案はもちろん、目的を持たずに訪れた人々が留まりたまることのできる、ガーデンといったスペースを施設内に設け、交流の場と共に、観光客に対してこの地域の魅力を伝えるための場をつくった。飲食や物販が埋め尽くす従来型のショッピングセンターではなく、地域の活動や情報が行き交う交流の場所として商業施設が機能する、これまでにないあたらしい考え方だ。そこには建築家やデザイナーといった誰かがイニシアチブをとるのではなく、街に暮らす人びとの愛や歴史への憧憬を含めた、知ることを端緒にした人々の自発的な行動を促す提案となっていることに感心した。そのモデルとなっているのは、スペインバルセロナの旧市街地、ラバル地区の再生戦略。そこでは人が自発的に回遊できるシステムをつくることで、街が活性化したという。街も森や身体と同じように、新鮮な空気が循環する隙間をつくることで、物事の風通しがよくなる事は変わりがない。

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芝浦工業大学八束研究室+今村創平氏+菊地誠氏は「東京計画2010 TOKYO METABOLISM」を8つのパネルと、膨大なページ数のブックとムービーで展示した。人口減少の時代にむけて、国内における生産性維持のために世界各地から移民を迎えいれるという仮説を提案。移民の迎えいれ先の舞台として、東京湾上にメガシティを出現される提案。垂直水平にのびるエレベーター&エスカレーターシティ、床と梁によるミルフィーユ状のスラブシティ、都市の上に縦横にのびるフリーウェアシティなど、さまざまな形での近未来の超高密度シティ東京が描かれる。そのための東京の緻密なリサーチからみえてくるのは、地図にしてみると異形ともいえる東京湾という特殊な地形をもった「東京」という都市に、戦後いかに建築家たちが取り憑かれ、かように都市をデザインしょうとしてきたかという歴史がみえてくる。それは丹下健三による伝説的な海上都市「東京計画1960」へのオマージュを思わせる展示でもある。

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書籍化され広く認知されている「地域社会圏モデル」の展示は、長谷川豪氏の都心モデル、山のような集合住宅と、まるで都市の田畑のような世田谷大地。郊外モデルとして藤村龍至氏のスタジアム型の地方都市のモデル。中村拓志氏の山の斜面に巨大な祠のような建築がそびえる農村モデルの3つを展示。
長谷川案の新宿山と世田谷大地という、対比的な二つの提案は、東京という街に暮らすためのイマジネーションを刺激する。
藤村氏による「ローマ2.0モデル」は、街区中央を走る街路に向かって両側から聳えるスタジアム型の建築の中に、人びとが肩を寄せ合って暮らす高密度シティを提案。
街のインフラとなるコンビニを街の中に等間隔に配置したり、街の規模の設定に祭りのスケールを取り入れるなど、新しい時代のヒューマンスケールの創出に意欲的に取り組んだ案だ。
中村案の広島の山間部に敷地を想定した農村開発案も面白い。高齢化した農村の働き手に変わり、農業の担い手として、専門的知識をもった若者が移住する。農業のできる平地は作農にゆずり、交換可能なパーツによって山肌に寄り添うように一極集中型の巨大建築をつくる。
農業に携わることにいかにモチベーションを持たせるかが鍵にになる提案だが、食料の自給率が問題視されている昨今、可能性を感じる提案だ。
人はそもそも大都市においても、過疎化した村落においても、集まって住んでいることには変わりがない。その集まって住む、そこに地域社会圏をつくる、そんなかつて当たり前にあったものに対し、失われたものを取り戻すノスタルジーではなく、アクティヴな創造力によって向き合ったプロジェクトだ。

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HODCは2020年広島で夏季オリンピックが開催されるという仮説のもと、15組の建築家らが10年後の広島の姿と未来のオリンピック像を描いた。今回の展示では15組の提案のなかから、都市への提案として、A+Sa、藤村龍至、ユニティデザイン、フューチャースタジオ、メジロスタジオの5つの案を展示。A+Saの障害者と健常者が区別されることなく暮らすことのできるノーマライズドシティは極めて現代的なテーマだし、市民一人一人がオリンピックに意味をつける、グローバルをローカルで繋ぐようなユニティデザインの案や、高度に発達した情報化社会を逆手にとったメジロスタジオの案など、バリエーション豊かな地方都市の未来像を生き生きと描いていた。今回HODCはパネルのみの展示だったが、当日の様子や議論の模様をムービーで展示したら、HODCとしての建築やデザインの価値の伝え方がより明確になり効果的だったのではないかと思った。

「都市構造の転換を考える」と題された今回の展覧会は、現状の都市における問題点を浮き彫りにすると同時に、都市における建築そのもののあり方を再考するための展示であった。そして、建築における「都市」を考える上で、他にはない重要な展示になっていたと思う。いかなる開発もその土地がもつ歴史と、そこでの人のふるまいに意識的でなければならない。それこそが、持続と継続を支える根幹となるものに違いない。
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Hiroshima 2020 Design Charretteブログ
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Hiroshima 2020 Design Charrette
こちらのブログでもときどきテキスト更新しています。

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ローテクパフォーマンスと、テアトルパフォーマンス、あるいはポップアート

NOW IDeAではじまったアーティストHIMAAのエキシビション初日は、コピーショウというインスタレーションではじまった。内容はみてからのお楽しみということ詳細記述は控えますが、「コピー機」というハイテクと、「手描き」というローテクをミックスした明確なコンセプト感のある展示というより、インスタレーションだった。
HIMAAさんの作品「ART BOOK」もそうだが、コピーや量産が可能なポップアートに対し、現代的な「ハイテク」で応えるのではなく、手描きとDIYという「ローテク」で応答しているところが面白い。創作にいたるそのミックス感は、HIMMAさん独自のローテク、クラフト感のあるアーティスティックな側面と対応しているような気がする。

今回の展覧会のタイトルにインスタレーション、そして説明文にコピーという文字をみたときに、自身の作品を複製することは想像できたが、その方法はもっとハイテク感のあるもの、あるいは、ストレートな手描きによる創作をみせるものなのかと思った。
だが会場に足を踏み入れると、そこにはヤレた風船がところどころにつり下げられ、そして隅にあるの、化粧板で組み立てられたコンビニにあるようなコピー機の精巧な実寸の模型だった。コピー機の用紙差し込み口と排出口にはA4用紙がセットされている。そして、空洞になったコピー機の中には作家本人が入っている。作家がコピー機から這い出したあとに、中を覗いてみると、そこには作家がドローイングするためのテーブルならぬサインペンのインクの痕のある「壁」があり、作家本人が普段使っていると思われるマーカー数本とトンボの鉛筆が、綺麗に整理されて収納されている。

手描きだから一度にたくさんはつくれない。今回のコピーショウも、かなりロースピードで作品が制作される。だが、そこにはテクニカルな意味での紙詰まりも、インク交換の手間も、付属品の消耗もないから、もの作りの上でのハイテクの不具合からくるストレスが少ない。そこには、ローテク=手描きゆえの生産性の高さがある。
アートは作家本人の主観的な創造心のあらわれともいえるが、孤独な作家という存在が多数決で主導権を握る社会というものとの接点でもある。個人的なアートといえども社会性を無視しては存在しえないことはいうまでもない。
今年のアートブックフェアでも発表され、今回ニューバージョンが発表されたHIMAAの「ART BOOK」は、作家が普段使用している「プリンター」の故障を逆手にとったzineのかたちをしたノートブックで、表紙が手描きの一点もの作品だった。コピーショウは会期中の10日、11日も再演されるという。アートの展示をみた感想なのに、「再演」とかなんか演劇的な表現をしているのは、多分デザインイーストでのマーリのテアトル的なレクチャーのせい。それを抜きにしても、今回のHIMAAの新作のタイトルが「インスタレーション」であるのも、なにか無縁ではないような気がするのだが。


2010  10 / 5 ( Tue )  -  10 / 11 ( Mon )
 NOW   IDeA
12 : 00 - 20 : 00

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