FORM_Story of design(... Kato Takashi weblog)

DESIGNEAST 01によせて。
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今年も昨年に引き続き大阪発のデザインイベント「DESIGNEAST」に参加します。昨年は01に向けたプレイベントということで、タイトルのあとに00がついていた。今年はついに第一回目の開催ということで「●DESIGNEAST 01」となった。
DESIGNEASTは、専門家による議論とプレゼンテーションの場に特化したあたらしいタイプのデザインイベント。世の中では、ものを紹介するデザインイベントが中心のなか、そこでおこるコトと、場所を意識したデザインイベントになっている点が特徴的だ。東京から見て、「ウエスト」に位置しながら、世界の中の極東=イーストとしているところなど、世界標準でのデザインイベントを標榜していることがうかがえる。昨年はイギリスからプロダクトデザイナーのサム・ヘクト氏を招き、国内外からのゲストが3日間、今日のデザインについて議論をした。
今年もデザインや建築がそれが置かれている状況に対し、同時代的な問題意識をもって活動するゲストが世界中から大阪に集まる。今年はイタリアからデザイン界の御大、エンツオ・マリ氏がデザインイベント参加のために来日とあって、昨年以上に各方面からの注目が集まっている。

00に引き続き僕もこのイベントに参加します。昨年は建築家の谷尻誠さんと共同で1時間弱のプレゼンテーションと、大阪から発信するこの街の現在と未来のデザインを考える「大阪デザインミーティング」のモデレーターをさせていただいた。今年は、個人名義での30分間のプレゼンテーション、続いてデザイナーの二俣公一さんとお話をする予定でいます。

●DESIGNEAST 01は、「ソーシャル・サスティナビリティ」をテーマに、デザイナー、建築家、思想家、アーティストを招き、それぞれの活動をプレゼンテーション形式で発表する。00となった昨年にはなかった新しい試みとして、同じ会場でデザイナーや建築家によるワークショップも開催される。社会的な持続可能性とは、わかりきったことではあるが都市だけを舞台にした問題ではない。高度に情報化した社会では、こと情報に限れば、都市と郊外はいうに及ばず、都市、非都市の区別は希薄になり、そこを舞台に展開される、さまざまな欲望実現のための行動の度合いは加速しているともいえる。欲望と所有の「加速」と「持続」は相反するものではないが、「ソーシャル・サスティナビリティ」な社会では仲良く共存するものでもないことは自明なことだ。

今年の会場となる名村造船所跡地は、大阪港フェリーターミナルにも近い大阪市中心部から南に位置する湾岸エリアにある。1988年に造船所としての役目を終えた今は、「クリエイティブセンター大阪」として、この街から発信されるさまざまなクリエイティヴの共有と発表の場として、それらの活動を「場」としてサポートしている。広大な敷地のなかには、小劇場、工房、ホール、ギャラリーなどがあり、アーティストの作品制作のためのアトリエも併設しているという。
大阪の造船産業を長年支えてきた場所だけに、写真で見ただけでもこの場所が、これまでモノづくりの現場として、大阪の街に息づいてきたことが分かる威厳に満ちている。
またこの場所は近年、クリエイティブの新しい拠点となってから、経済産業省の近代化産業遺産に認定されたという。
それだけに、近代の産業を支えたもうひとつのものである「デザイン」を考える場所としては、今回のDESIGNEAST 01の舞台としてうってつけの場所のように僕は思った。

●DESIGNEAST 01の宣言文の中にあったように、我々の意識の中での大阪は、「くいだおれ」「お笑い」の街としてインプットされているように思う。そして、この街がこの街のクリエイティブの現場からは、ある種のもの足りなさを抱えながら、人と情報が出合う場(ハード)をつくりだすことよりも、「コンテンツ」(ソフト)の開発の街となっていることがうかがえる。

企業や自治体が市井のクリエイティブ活動をサポートすることはよくあることだ。だが、そのサポートのもと執り行われる活動が、本当の意味で街を活性化し覚醒させるほどに機能していることは極めてまれだ。その背景に、誰が、どのように、デザインやもの作りを現代の生活のなかで必要としているのか、そのことに当事者自身が迷い、無自覚的であることが背景にあるように思う。かくいう僕も東京に生まれ育ち、自分の生業をいかしながら、この街で何をするべきか、模索している段階にすぎない。
ただ、迷いながらもはっきりとしているのは、そこにある問題を自分が好きな「デザイン」というものに結びつけ、自分が暮らしている街について具体的にイメージすることの力を信じていることだ。自分たちがいかに楽しくこの街で暮らすことが出来るのか、それはそのためのアイデアを考えることであったり、デザインという言葉を使ったからといって、それは何も特別なことではない。
デザインは、そのなりたちから産業や経済と深く結びつき、むしろそこからの要請から生まれたものなのかもしれないのだが、モノがもつ道具としての最低限の機能を担保しながら、単なる工業製品としてだけではなく、人間が根源的にもつ美意識と深く結びつきから生まれ、時代とともにさまざまにカタチやスタイルを変え発展してきたのも事実だろう。

DESIGNEASTの活動に共感し、その場所を訪れるのは、「デザインを発表する意義が少ない」この街で、「デザインする状況をデザインする」彼らの活動に、デザインに関わる人間の一人として共感を示すことに他ならない。僕たちの暮らしにとって、デザインや建築が出来ることはまだまだありそうだ。DESIGNEAST 01の舞台が、そこを訪れるすべての人にとって、いつもは一人で考えているそんなことを、みんなで考えるための3日間になればいいと思っている。


10月1日(金)〜10月3日(日)
名村造船所跡地
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memo. ローカルとグローバル
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・情報化が高度に進み世界は細分化され、価値観が多様化したことで、現代ではかってオリンピックや万博などで人々が思い描いたような、皆がひとつの目的にむかって熱狂するような、「大きな物語」が描きにくくなったといわれる。

・だが、18世紀の産業革命の時代にもグローバリゼーションの大波は起こり、世界は一気に均質化の方向へむかうと危惧された。

・そこでそれに対するひとつの抵抗運動、芸術家からの返答として興ったのがウイリアム・モリスによるアーツ&クラフツ運動であり、それがそれぞれの地域性を残しながら世界中に広がっていったのが、アールヌヴォーであり、ウィーン分離派、デ・スティル、バウハウス、民藝運動などであった。

・そこではからずも浮かび上がったのが、産業革命という均質化を端緒に、ローカリティが強調されたこと。

・そのように現代においても、情報化によって逆に個々の違いがはっきりと見えてくるようになったおかで、それまで個別なものとしてしか存在していなかった、ローカリティ溢れる文化を知るきっかけが前より増えたともいえる。

・昨今のライフスタイル重視、あるいは民芸やみやげものブームには、このようなグローバルな内容をもった、ローカリティあるものが、新しい価値として浮上してきたという背景があるように思う。
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paper products exhibition
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青山のスパイラルマーケットで始まった、「paper products exhibition」。
紙にまつわるプロダクトを展示。
下町仲間のアーティスト、 Bob Foundationも出展しています。
このエキシビションの目玉は、間違いなく、スパイラルガーデンの吹き抜け空間いっぱいに展示した、トラフ建築設計事務所による「空気の器」のインスタレーション。
白、ボーダー、ドットのカラフルな空気の器を、フラワーベース、器、空中にふわふわ浮かぶモビールのように展示しています。

空気の器

〜2010.9.23
at SPIRAL MARKET ,TOKYO.
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子どもがいるリビング
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誰がための都市か
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Photo(C) SHIMIZU KEN

Hiroshima 2020 Design Charrette 東京シンポジウム、「建築家は如何に都市をデザインするか?」無事開催することができました。ご来場いただいた皆様、そしてTwitterなどでコメントをいただいた皆様、本当にどうもありがとうございました。

シンポジウムでは、むずかしい問題に向き合いながら、都市のさまざまな可能性がそこで暮らす一人の人間の視点から多角的に議論されました。

現状の都市における、「都市」への「建築家」の介入の不可能性、現代日本における都市開発、メガ開発の不可能性(東京、地方にかかわらず)。
それらを踏まえながら、いかに現代都市に建築家がその職能をもって介入していくのか。
今の僕はそこで交わされた議論の、まだその余韻にひたりつつも、あまに壮大な議論のテーマに、当日の議論を振り返り咀嚼しながら、今もそれらの問題について考えている最中です。

建築家の「都市から撤退」からはじまって、現代都市におけるアトリエ建築家のふるまい、HODCにおけるオリンピックと、そこで提案された都市像、そして日本においてメガ開発が可能か、など。
建築家抜きで語ることのできない、建築家による21世紀の「都市論」は、今議論され始めたばかりのような気がしています。

答えはやすやすとみつかるものではない。だが、答えの前に問題設定をすることを僕らはこれまでおこたってきたのではないか?この日の議論では、僕にはまだそれをうまく言葉にすることが出来ないのだが、いま僕らの目の前にある問題に意識的になることができたのではないだろうか。
HODCはオリンピックをテーマにしている以上、都市のさまざまな可能性に真正面から向き合っている。僕はHODCの活動が、そこで暮らす誰もが自分たちのこととして「都市」を語るためのモチベーションになればいいと考えています。
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