FORM_Story of design(... Kato Takashi weblog)

ゆく年くる年


今年もご覧になっていただきましてどうもありがとうございました。2005年に始めたこのblogも来年で5年目になります。今年はTwitterブームもあり、blogのあり方に変化があった年のような気がします。ハードとしてのiPhoneの浸透もあり、携帯、PCを問わず手軽に140ワードで更新できるTwitterは、情報交換のツールとして便利だし、なによりTwitterが生み出し繋ぐ、有名、無名のコミュニケーションはある種の祭りのような高揚感を生み出しました。
でも僕はblogで紡ぐ言葉とかりそめの思考の蓄積は、Twitterとは違う価値と情報伝達の力を今でももっていると信じています。
けれどTwitterを経験してしまった身としては必然、blogとの関わり方も変化してしまうのはしようがないことです。だからあえて僕は翌2010年を僕のblog元年と名付けて、書くことの原点に立ち返りたいと思っています。
あと数時間で迎える2010年、そして2010年代の幕開けに僕はそんなことを意識しています。
2010年にやるべきことの多くをすでに予定しています。それを僕は考え粛々と実現しながら、自分や、自分の親しい人たちのため、まだ出会っていない多くの誰かのために「言葉」とそれにともなう「行動」で何かしていきたいと思っています。
2010年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。
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manufactures


大掃除の季節。部屋の模様替えをした。すると読みたくなる、みたくなる本があるから不思議だ。そんなときの僕の定番の本がこれ。スタイリストの岡尾美代子さんの「マニュファクチャーズ」。

manufactures=製品・製作物といった意味だろうか?
一般的にかわいい・おしゃれと言われている岡尾さんにしては素っ気ないタイトルである。
岡尾さん御本人が実際に自宅で使用している様々な愛用品が52点。
僕がもしこの様な本を出版出来るような機会があったのなら、自分の身の回りの品のなかから52点もの愛用品を実際に目の前に並べる事は可能か?
もしかしたらその数はそれ以上かもしれないし、それ以下かもしれない。
この様な場合、数が問題なのではなく質が重要なのは充分承知しているがそれでも、である。もしかしたら岡尾さんのファンの方にはこの本で選ばれた品々はさして珍しいものたちではないのかもしれない。それでも男の僕の目から見ても岡尾さんが普段の生活で使用されているものたちは充分に美しいストーリーにみちているように思える。だがそれはなぜか?

岡尾さんはものをかわいいとかおしゃれという自己の価値判断では選ばないと言う、もののもつ背景(それはどうにも変わりようのない絶対的なものだ)やそのものの持つストーリーに導かれるようにそのもの自体に強く惹かれるのだと言う。
それはかわいいやおしゃれという言葉の持つ主観的な価値判断とはまったく異なるものだ。僕がいいと思うからこれはいいのだ、という価値基準は一見するとその判断をする個人にとっては揺るぎようのない絶対的な事実にみえる。しかし人の心はうつろいやすい。それは誰もが冷静になって自らの心に問うてみれば分かることだ。
だがそのもの本来のすがたに着眼しその揺るぎようのないもの本来と向き合うことは決してたやすい事ではないし、それに気づかずにいることの方が多い。何故ならそこには容易く主観というものが頭をもたげて来るのだから。もの本来とは言い換えれば一個人の主観や判断や選択を許さない絶対的な<物自体>のことである。<物自体>と向き合うことはそのものが語るところのものに耳を澄まし耳を傾け静聴することである。

ものを選ぶ、ということは<物自体>と掛値なしに正面から向き合うことだ。
だからこそ僕はこの本にかわいいやおしゃれではなく<哲学>を垣間見るのだ。


僕は数年前にこの文章を書いたが、その頃から僕や僕自身をとりまく環境はだいぶ、変わった。そして僕のモノとの付き合い方も変わってきた。この数年で僕は、僕自身にとっての一生もの、一生よりそっていくモノとの関係は成立しづらい、とても難しいものだということが、なんとなく分かってきた。
それは今の僕が実感していることだ。時が流れれば、モノとの付き合い方も変わる。同じ物に対する僕の目線も変わる。しかし、それと同時に変化しないものもある。そんなことを大掃除をしながら考えている。

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祭り


浅草の早田カメラにて。この光景は今の僕にとって「祭り」以外の何ものでもありません。
先日ここで一台フィルムのカメラを買いました。
ライカは昔から憧れのカメラでしたが、いずれもっと歳をとったら、と思っていたのですが、一度手にしたら終わりですね。
翌週にはお店に買いに走っていました。
その昔、よくebayでバルナック型のライカをよく物色したのですが、いまの気分はM型ライカ。そしてM型ライカといえば、フランスのエルスケンにカルティ=エブレッソン。そしてロバート・フランクにゲイリー・ウィノグランド、リー・フリードランナー。最近では若木信吾さんがライカMで内田裕也さんを撮影しています。
ライカもドイツデザインと考えれば今の僕がライカにハマっている理由もその文脈で考えることができる。デザイン好きはライカ、これって意外に真理です。
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Linkの追加


久しぶりにブログのリンクコーナーの整理を行いました。おもに新しいリンクの追加です。
すべて僕の大切な友人である広島の若手建築家によるサイトです。
もうすでに全国区でご活躍されている方、そしてこれから活躍が期待される方、それぞれに個性溢れる皆さんですので要注目です。
(掲載画像をクリックしていただけるとそれぞれのブログにJumpします)



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1st-dialogue 始めます。

 広島の友人たちが来春、広島発のライフスタイル情報サイトを立ち上げます。その準備期間としてブログを始めています。
僕も全力をあげて協力することにしました。

「日常でつい見失いがちな「人、モノ、コト」のリアリティーを綴っていけたら・・・」

僕はdialogue編集部 東京支部長の名前で記事を綴っていきます。

1st-dialogue

どうぞよろしく。
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山口誠さんのテーブル

代官山に出来たばかりの建築家・山口誠のリノベーションによるヘアサロンのために作られたテーブル。
基礎、柱、梁による合理的なデザイン。
今回のヘアサロンには山口誠デザインにとって初めて、空間に木が使われているところに注目するべきだろう。まえまえから木材の可能性に挑戦したいといっていた山口だけに、今回のヘアサロンのデザインをステップに今後どのような方向に行くのか気になるところだ。
ともかく、今、山口誠はあらたなるデザインにむかってノリに乗っているという印象をもった。
ヘアサロン自体についてはまたどちらかで詳しく。





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ドイツの光


どこかのウェブサイトで「グルチッチインスピレーションズ」と名づけられた写真を発見した。
グルチッチとは、ドイツ出身のインダストリアルデザイナー、コンスタンティン・グルチッチのこと。自身のデザインスタジオKGIDを主宰する世界的なデザイナーだ。
デイビッド・ボウイのアルバムジャケットや、マッチ棒の束、片方だけの黒い革靴や'80sのものと思われるキッチュなイラストなどなど。イラストは'70年代を象徴するカルチャーのひとつで、雑誌などのメディアを中心にこの時代の文化を創ったといっても過言ではない。
グルチッチは1965年生まれで、実際に僕と同じ年齢。まさしく'70〜'80年代にもろに影響を受けてきたタイプであることは容易に察しがつく。

音楽でいえば、トーキング・へッズやトンプソンツインズなどのニューウエイヴ、そしておどろおどろしいイラストのジャケが目をひく重いサウンドのヘビーメタル。'70年代は憧れで、レッド・ツェッペリンやボウイにクイーンなどブリティッシュムーブメントまっさかりだった。'60年代になるともう夢のまた夢。
へんなパーマのヘアスタイルや、肩パットの入ったジャケット、今では時代遅れの変速機付きのサイクリング車が憧れで。メガネはいわゆるアラレちゃんタイプの大きな黒縁めがね。
それを今でも変らず引きずるっているのがグルチッチだと思う。

グルチッチのアトリエには朝グルチッチが出勤すると同時にCDプレーヤーにinされる'80sミュージックが流れ、所員たちは否応もなくそれを聞きながら仕事をすることになるという。
さまざまな自身の試作品といったプロトタイプのデザイン。そしてリスペクトするカスティリオーニやイームズやデュシャンらの日常的なオブジェ。それらは共通して日常というものの活動に根ざしたレディ・メイドのオブジェたちだ。

グルチッチのプロダクトもよくよく見ると、思春期の頃に流行ったプラモデルや超合金の玩具のように見えなくもない。それらがイメージの中で反芻され、咀嚼され、新しい時代のシンプリシティーを作り出している。

イタリアデザインの象徴でもあったアキッレ・カスティリオーニの自転車のシートを使用したスツール「メッサ」や、トラクターのシートを利用した「メッツアードロ」など、一見してシュールなオブジェは、実は日常何げに気にもかけないような、極めて当たり前の座るという「機能」に着目して作り出した優秀なインダストリアルデザインだった。
奇しくもカスティリオーニは晩年、ドイツ生まれのグルチッチを自身の精神的な後継者に名指ししていたという。

グルチッチのまったく機能を果たすことのないソファ、「カオス」や「オブロン」も実は座るという事の根源に触れる、新しい時代の新しい機能をもった優れたインダストリアルデザインに違いない。
イタリアとドイツ、敗戦から立ち上がってきたデザインの大国はいずれもが素晴らしいデザインやデザイナーを生んだ。さて、こちら日本は?
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