FORM_Story of design(... Kato Takashi weblog)

夜フリマ at クラスカ


10月31日の土曜日に行われるクラスカの夜フリマにTFC(台東フォーククラフト協会)として参加します。前回同様、谷中の旅ベーグル、古道具negla、蔵前のsyuro、銀座のcraft_one、などなど、下町の友人たちと参加します。もしかしたら茅場町の森岡書店さんも参加してくれるかもしれません。
今回の夜フリマはクラスカが参加する秋のデザインイベント DESIGNTIDE 2009 TOKYOのクラスカ版オープニングパーティーも兼ねているようです。館内では注目のプロダクトデザイナーによるDEISGNTIDE展示コンテンツも時間を延長して展示しています。
館内はフリードリンクということで、呑みながら楽しくお買い物をしにいらしてください!


追記※ 東神田の東欧系のかわいい雑貨屋さんとしておなじみのマルクト&friendsも参加!


DESIGN TIDE, CLASKA 2009




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Studio Wieki Somers 'Chinese Stools'


東京は今、デザインでいっぱいです。
まずは、広尾のギャラリー ル・ベインのオランダのデザイナー6組による展覧会
「トレージャー・ハント:心を捉えるものは何?」より、Studio Wieki Somers 'Chinese Stools'。
中国の路上で実際に使われていたというカスタマイズした椅子を、ソマーズがアレンジ。
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ベテランの少年
forever 

10月31日(土)に天童木工PLYのギャラリーにて、プロダクトデザイナーの秋田道夫さんとトークをさせていただくことになりました。秋田さんとは今年の2月以来2度目のトーク、場所は前回と同じ深沢にある天童木工PLYです。今回のトークは10月30日より天童木工PLYでの始まる「この10年」展 プロダクトデザイナー秋田道夫の場合、と題された秋田さんの展示会のオープニングイベントとして行われるものです。天童木工PLYは今年もDESIGNTIDE TOKYO に参加、六本木ミッドタウン東京のメイン会場での展示と同時に、今回の秋田さんの展示もその一環として行われるものです。

秋のデザインイベントといえばDESIGNTIDE TOKYO 2009が開催間近です。今年は10月30日(金)から11月3日(火)まで開催されます。六本木ミッドタウンのメイン会場の空間デザインを担当している広島出身の建築家谷尻誠さんとは、先月に大阪名古屋と3回の連続トークをさせていただいたばかりです。
DESIGNTIDEは昨年からイメージを一新し、あらたな船出をきったのはデザイン好きであれば周知の事実です。一昨年の国立競技場場外で行われた手作り感たっぷりの「デザインイベント」から、場所もハイソでなんとなくニッチなイメージのある六本木、そしておしゃれな商業施設でもあるTOKYOミッドタウンに移したことで、そのターゲットをメーカーやコアなヘビーユーザーへぐぐっと絞り、世界規模のデザインのトレードショーとしての側面を強化したように感じられる。
それは家具の見本市としては世界最大でかつ歴史をもつミラノサローネで言えば、「サテリテ」会場から「見本市」会場へ、そんなデザインイベントとしての「転身」のストーリーともいえなくもなさそうだ。今回のDESIGNTIDE TOKYO 2009では谷尻誠さんの空間デザインも気になるが、一昨年のデザインタイドで日本のファニチャーレーベルE&yとともに4FBと名付けられたコートハンガーを発表した知人のデザイナー二俣公一さんの同じ駒場のE&yショールームでの展示も気になる。E&yといえば、現E&yの若き代表取締役である松澤さんの、日本のデザイン、世界のデザイン、そして未来のデザイン界への展望視点も気になるところだ。改変して2年目を迎えるDESIGNTIDE TOKYOでも、一デザイン関係者としての松澤さんの発言などが、広く一般の人が聴く事のできるそんなコンテンツがミッドタウン内であっても興味深いのではないか、と個人的には思っています。そこら辺、どうなんですかね?僕なら絶対聴きにいきますが。

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昨夜TVで観たのだが、映画監督の大林宣彦さんが自分のことを「ベテランの少年」と評していたが、それはつねに、未知に出合う新しいことや、この世の謎について、なぜ?と問い続ける本当の少年、そんな人間像に繋がって、社会の中でデザインを考える秋田道夫さんを表するときにもしっくりくる言葉だな、と思ってふんふんと一人でうなずいてしまった。

ベテランの少年とは秋田道夫さんに限らず、デザインの世界で一線で活躍する人、そしてデザインに限らず、社会に向き合う前にこの世界の在り方に疑問をもち向き合い、そこで何らかの答えにならない答えを何か具体的なカタチで表現しつづける気持ちをもった、「大人」全てに与えてもいい、そんな称号なのではないか?と僕は思います。

話を自分に置き換えても、生きるということの道すがらいろんな問題や謎に出合いながらそれと向き合い、なんらかの答えを出そうと必至にもがいていた少年時代から青年と呼ばれる時代をへて、社会的には大人と呼ばれる年齢の今に至るわけだが、僕自身、そんな少年の頃からあまり変わらない(といっては語弊があるが)、つねに自分の生き様を一貫してあまり代わり映えのない似たような「スピリット」を心に持ちながら、目の前のモノやコトに偏在する普遍的な何かを考え続けているような気がする。

プロダクトデザイナーという仕事もまさにそれと同じような、少年時代にはその経験の浅さから言葉やカタチにはしえなかった、歴然とそんな世界や、社会の中にある謎や問題に対して、一個人の立場から答えを導こうとする、そんなたゆまぬ思考の道程なのかもしれない。
だから語弊を恐れずに言えば、誰か一人のプロダクトデザイナーの仕事をもってして全をなすこととは、はなから不可能なことで、しかし、それをたった一人の人間が為す世界に対する真摯な行いとみなせば、そこには難しく考えなくてもおのずと見えてくるものがあるような気がする。
一人のプロダクトデザイナーを「ベテランの少年」ということに置き換えて考えるとき、僕としてはそんな抽象的すぎることを考えたりもする。

ともかく、秋田道夫という一人のプロダクトデザイナーが歩んできた「この10年」を観る、一人の観客としてこのデザインイベントは楽しみだし、そんなひとつの花道に僭越ながら少しでも関わらせていただくことが出来るのは少なからず僕にとっての喜びでもある。僕が昭和40年生まれ、秋田さんが昭和28年生まれ、そんな干支がひとまわり離れたベテランの少年同士の立ち話をぜひ、気軽な気持ちで聴きにいらしてください。皆さまのご来場を心よりお待ちしております。



プロダクトデザイナー 秋田道夫さんのサイト→ Information

「この10年」展 〜プロダクトデザイナー 秋田道夫の場合 〜
天童木工PLY併設展示室
10月30日から11月8日まで。

オープン記念トークイベント「秋田道夫x加藤孝司」
10月31日(土) 14:00~15:00(予定)
天童木工PLY併設展示室にて立ち話
入場無料


※今回はTVでの大林宣彦さんの言葉「ベテランの少年」という言葉にひっぱられるように書いてきましたが、秋田さんご自身もベテランの少年という言い回しには異論があるかもしれませんが、僕は影響を受けやすいタイプなので発言はまたいつ変わるかしれません(笑)。でも秋田さんも相当に影響を受けやすいタイプですよね。それは"ミメーシス"の概念をだすまでもなくデザイナーの大切なひとつの素養だと思います。
秋田さんとは11月中旬にも青山のNOW Ideaでトークを予定しています。そちらのほうもぜひ。
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MADI JU


中国人写真家のマディ・ジュウ MADI JUの写真をみて、僕は少なからず衝撃を受けた。中国と日本はとても近いが、思いのほか遠く離れている。そんなありきたりな気づきなのだが。マディ・ジュウがインターネットを通じて写真家として活動し、一方でそのネットの世界の中でよく知られていた写真のサイト、「MLDD」(マイ・リトル・デッド・ディック・ダイアリー)を恋人のアメリカ人であるパトリック・ツァイとともに披露しており、そのことを彼ら二人の関係が解消されたほぼ一年後の今日、僕は知ることになったのだ。

マディ・ジュウの恋人でパトリック・ツァイ Patrick TsaiのHPによれば、二人の関係は2006年の夏に始まり、2008年の夏、ちょうど西中国の大地震があった日に終わったことだ記されている。
MLDDの写真日記をみると、そこにはデジタルカメラでなくフィルムカメラで撮られた中国を舞台にした二人の日常が静かに綴られている。
写真である以上、現代的な記録装置であるヴィデオとは異なり音声が記録されていない分、そこにはそこに写っている現実とは裏腹に、全てが均等にフラットな状態で定着しているようにみえるから不思議だ。
くだんのサイトには二人が蜜月をすごした当時使用していた写真機もうつりこんでいるのだが、マディ・ジュウが使用していたカメラはコンタックスG2、パトリック・ツァイのカメラはライカM6、そこには中国の海岸の茶色い海水がかすかな飛沫となって映っているのだった。

マイ・リトル・デッド・ディック・ダイアリーの関係を解消してから1年、マディ・ジュウのHPに掲載されたポートフォリオにならぶ写真には、何ものにもかえがたい人生の青春の時間がみずみずしいまでに鮮烈に記されていて、見ている方がそこに感情移入することをはばかるほどに、いたたまれないような感傷的な気分にさせられる写真が並ぶ。

それを見る者が写真を言葉で表現することは、自分の内面をさらけ出すことに他ならない。
だから優れた写真をおのおのが見て、そしてそれをそれぞれがそれぞれの言葉にし、その言葉を交換することから、小さなコミニュケーションが始まるのではないだろうか。
写真とは今、情報や記憶やあるシーンを記録する装置から、お互いの内面を眼にみえるかたちで情報を開示し交換するフォーマットになった。
二人のちかしい隣人の写真を見ることで、僕はおぼろげながら、そんな写真がもつ別の可能性に気づいたのだ。

マディ・ジュウのblog 「STILL LIFE
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ヘラ・ヨンゲリウスのフラワーベース


昨夜いただいたお花をヘラ・ヨンゲリウスのフラワーベース「soft urn」(1994)に活けてみました。
初の実戦投入でしたが、いただいたお花のボリュームとぴったりでとてもキレイです。どうもありがとうございました。

Jongeriuslab.のHPを見ると、今もヘラはアバンギャルドにデザインの実験を繰り返しています。Design for a  living world 2009のために集まった世界中の10名のデザイナーの一人として披露したと思われる作品は、写真のsoft urnを含め、これまでのヘラの作品をチューインガムのような粘着質の素材でつなげたもの。
これはグアテマラやニカラグアに自生する、熱帯アメリカ原産のサポジラの樹皮傷つけて得られるチクルという乳状樹液。ヘラはこのプロジェクトのために実際にユカタン半島に飛んだ。チクルは軟化点が人の体温に近いそうでチューインガムのベースにも使われている。マヤ人は古代マヤ文明の昔から数千年にわたってこのチクルを嗜好品として噛んできたという。
しかし、軟化点が人の体温に近いということは、加工し易いというメリットはあるものの、人が触るだけで容易に溶けて柔らかくなってしまうことも意味する。
ものを接着するという点において決して優れているとはいえないこの素材を使って、ヘラはどんな作品を作ってくれているのか?興味はつきない。
僕もヘラのような入念で緻密なリサーチを背景にして、デザインについて語ることのできる存在になるために一層努力をしなければならない。そんな思いをあらたにした夜でした。

以下は2006年1月26日の記事「ヘラ・ヨンゲリウス覚書」よりの掲載です。
コメント欄をみるとGlyph.さんやafter tさんもいらしていて、なんとも華やかです。
あの頃はオランダデザインを肴にこんな議論があったんですね。懐かしい。今はこの頃とはお互い立場が微妙に変化しましたが、この同じメンバーで今も仲良く呑めるなんてとても幸せなことだとしみじみ思います。どうもありがとうございます。そしてこれからも宜しくお願いしますね。


” 彼女はまず自分をデザイナーである、と定義付けする。そしてクラフトであることがテーマであると。そして彼女にとってのクラフトとはハイ・テクとロー・テクをミックスすることである。
最先端技術と先端素材を使って原初の名残りのあるかたちを創り出す事。
そしてそれがユニークでインダストリアルであること、未来と過去(それは古代アフリカの古典的なかたちの花瓶をハイテク素材であるポリウレタンに置き換えてつくる事であったりする)。
彼女にとって他の時代・異なるカルチャーはその創作においては理解しがたい相容れないものではなく、しばしば彼女の大切なモチーフになったりする。

彼女がデザインしたなんともクラフトの香りがする折りたたみ式の椅子(シープ・チェア)は遠くアフリカはウガンダの古い椅子からインスパイアされたものだ。

そしてこれはポスト・モダンの特徴でもあるのだが歴史的なモチーフやディテールからの引用、もしくは骨董的な要素のある中古家具にほんの少し手を加えることによってコンテンポラリー・アートに変えてしまう事。

ここ数年彼女の大きなプロジェクトはドイツのVitraやニンフェンブルグ、そしてIKEAやMaharamなど海外のクライアントとの仕事がメインであるが、自ら立ち上げたJongeriusLABでのあくまで個人的な生産のプロセスを経たアヴァンギャルドな仕事と海外のクライアントとの制約の伴った仕事の間にはある種のジレンマが生じたりはしないのだろうか?
しかし彼女にとってはそれは彼女を奮い立たせる材料にはなっても彼女のクラフトには微塵の影響も与えない様である。
しかも彼女のデザインがある伝統的な体制に対して緩やかにだが確実に良い刺激を与えていることは間違いがないようである。

彼女はあえて自分の作品の中に本来完璧なものの中にはありえないはずの作り手の痕跡を残すことに長けているようである。そしてそれが彼女の作品にあっては欠点にはならず時にウイットに富んだチャーム・ポイントになる。

彼女とマッカム社にとってB-setは一つのチャレンジであった。何故なら通常メーカーにとっては欠点を持った商品を製品化する事には大きなリスクが伴うものであるのだから。しかしB-setを正規の生産ラインにのせることは彼女にとっては欠点を楽しむ為のプロセスにすぎない。
そしてこれは現代オランダの優秀なデザイナー達に共通する特徴でもあるのだが、製品の中に未完成さや欠点を潜在的に内包させているよう見えることがある。そしてそれを我々を取り巻く自然環境がくだんに内包しているありのままの姿になぞらえ、それらこそが我々の生活を起伏にとんだ豊かなものにしていないかと問い、物が持つ欠点が愛嬌になりはしないか?もしくは愛しいものになりはしないか?と問う。

彼らの前で我々の価値観が試されているかのようである。 "



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今日の本棚


いろいろあるけど、司馬遼太郎「街道をゆき三十五 オランダ紀行」朝日新聞社。1989年より週間朝日に連載。この本の中の一編「パーンアッカー博士」が好き。
中平卓馬「なぜ、植物図鑑か」晶文社。写真家中平卓馬が'77年に記憶喪失になる以前、'60年代から'70年代にかけて発表した映像論集。写真論ではなく映像論となっているところが肝。写真で時代に切り込みながら、言葉でも饒舌に同時代を批評した一人の"詩人"による言葉の洪水。「写真を撮るということ、それは事物(もの)の思考、事物の視線を組織化することである」、「そのためには世界、事物の擬人化、世界への人間の投影を徹底的に排除してゆかなければならいであろう」。う〜ん、むずかしい。
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母の友


「母の友」
先日のBBQでお友達になった方から本が届きました。初めて目にする本だけどどこか懐かしい。それは表紙に描かれた酒井駒子さんのイラストのせいだろうか?

その表紙をめくると、冒頭からしていきなり近ごろ活躍がめざましい写真家の梅 佳代さんによる子供をテーマにしたストリートスナップがどーんとあらわれる。
送っていただいた2009年10月号の特集は、表紙にも記されているように「どうして写真を撮るんだろう」。子どもをテーマにした雑誌と聞いていたのだが、近ごろ僕のなかで再燃してきている写真が特集されているとは、偶然にしてもなんともタイムリーである。
写真をテーマにした特集記事の内容は書店で実際に手にして読んでいただくとして、その特集の中で3ページにわたってインタヴュー記事が掲載されているのが、今注目の写真家・若木信吾さんであることも僕にとっては嬉しいかぎりである。しかも若木さんは僕も大好きな写真機であるライカ使いの名手と呼ばれ、僕の手元にある写真誌「PHOTOGARAHICA」の若木さん特集号には、砂浜でライカM3ブラックを手にした若木さんのポートレートが掲載されている。


連載記事をみても、「わたしの好きな絵本」(今号は料理研究家でエッセイストの堀井和子さんが登場)、スタイリストの岡尾美代子さん写真・文による「雑貨の友」、「マグナムが撮った 世界の親子」、コンドルズ主宰近藤良平さんの「体操の友」といったページまで見所が満載。
その他にも絵本作家の神沢利子さんの暮らしぶりをつづったルポルタージュ、文筆家・大竹昭子さんのお母さんの写真をテーマにしたエッセイも、掲載されたセピア色の写真の雰囲気とあいまって、懐かしくも優しく心にしみいるようで読みごたえがある。この内容の濃さ、あつかうコンテンツの幅の広さ、執筆陣の充実度で定価五三〇円というのも実にお財布にやさしい。

表紙タイトル下には「幼い子を持つおかあさん、子どもにかかわるすべての人に。」と書かれているが、当たり前な暮らしの中にある優しさや、気づかい、思いやりの心に気づくためにもぜひいろんな方に手にして見て、読んでいただきたい本だと思った。
僕は「母の友」のページをパラパラとめくりながら、こんな優しさの感じられる本にこそ、自分が思う「デザイン」、「愛」、そして「記憶」をテーマにした読みものを書いてみたいのだなあ、となんとなく思った。


福音館書店

P.S.  Iさま、やさしい本のご紹介どうもありがとうございました。次回はCONTAXとLEICA M3で撮り比べをしましょう!
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