FORM_Story of design(... Kato Takashi weblog)

Science Nonfiction ananas press exhibition


製本作家の都筑絵さんと、ブックデザイナーの山元伸子さんによるリトルプレスのレーベルananas pressのエキシビションが、茅場町にある古書店兼ギャラリー森岡書店で開催中。
ananas pressは先日こちらでも紹介したリトルプレス(=Zine)のトレードショーZine's Mateにも参加されてい御二人だ。
実は今回の森岡書店の展示で初めて御二人の活動を知ったのだが、ミニマルな森岡書店の空間とあいまって彼女たち二人の印刷を媒介にした世界観が言葉を越えて、すーっと僕の中に入って来た。
森岡書店に出かけると、ついつい店主の森岡さんにことわって写真撮影をしてしまうのだが、今回はいつも以上に、何枚も何回もシャッターを切ってしまった。

訪れた日は製本を担当されている都筑絵さんが在廊されており、創作の背景を伺うことが出来た。
Science Nonfictionと名付けられた展示のコンセプトは、今回のエキシビションの為に用意されたリトルプレスをみれば分かるのだが、ニュートン、ダーウィン、エジソン、アインシュタインといった偉大な科学者発明家たちがノートに残した、その発明のアイデアソースとなったという小さなスケッチと、彼らの言葉をananas pressによって丹念に選ばれた紙に印刷すること。

リトルプレスといってもそのコンセプトは作り手によってさまざまだが、彼女たちが手がける作品はアートブックのような佇まいをみせる、それ自体がアートオブジェのようにひとつの見事な作品になっているところが素晴らしい。
二人が選んだ偉大なる科学者たちの言葉は、創作を生業とするもの自ら選んだ言葉だけに、ひとたび物を作ること、言葉を紡ごうとする者の目に触れると、何かの化学反応を起こしたようにクリエーションの萌芽を芽吹かそうとするそんな刺激、そしてそんな矜持に満ちている。
その言葉に添えられる一見素朴なイラストのようにも見える先人たちのスケッチは、それが単純な点と線だけで構成されているだけに、それがどんなアイデアに基づき、いかなる発明に結びついたのか、それを見ているだけでこちらのイマジネーションが広がり、科学への興味がふくらんでいくように思えてくる。

今回の森岡書店での展示は、これまでこの空間で開催されてきたどの展示よりもこの空間に馴染んでいると僕には思えた。
作品とそれが展示される空間との幸福な出合いは、作品を作る作家、そしてその空間の主の幸せ以上に、何かの偶然でそこに居合わせた者に代え難い幸福な時間を提供する。今回の展示はそこに展示される作品の性質とあいまってとても静かなものだが、その静けさがもたらす幸福は、大仕掛けなギミックでももって人の心を揺さぶろうとするそんな試みよりも、もっと強く僕らの心に馴染んでくる。森岡書店の空間とともにぜひ体験していただきたいエキシビションだ。





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カプセルホテルの新しいかたち


8月19日から21日までの3日間六本木のAXIS GALLERYで開催の「ナインアワーズ展ー都市における新しい宿泊のカタチ」のオープニングパーティーに出かけてきた。
9h ナインアワーズプロジェクトとはカプセルホテルのプロジェクトであるが読んで字のごとく、一日のうちの9時間をいかに快適に、クリエイティヴに過ごすかのデザインによるプロジェクトである。その9時間とはホテルにチェックインしてからチェックアウトするまでの時間を差しており、都市における一日の生活を眠るということを締めくくりにいかにリセット・リフレッシュするかが主眼におかれている。

そのコンセプトによるとナインアワーズとは、チェックインしてから「汗を洗い流す」ことに1時間、「眠る」ことに7時間、そして朝目覚めてからチェックアウトするまでの「身支度」に1時間の計9時間のことである。
一日の疲れを汗とともに洗い流し、眠り、そして目覚め、新しい一日への活力としてリスタートすることを、都市における宿泊の、そしてホテルの在り方として特化させること。
その媒介となっているのがいわゆるわれわれが見聞き知っているカプセル型ホテルという形態であるという訳だ。

今回のプロジェクトにはまずカプセルホテルという在り方がコンセプトにあったという。
それもそのはず運営の母体は、都内でカプセルホテルなどを経営する企業となっている。カプセルホテルといえばかの黒川紀章氏のデザインで生まれたもので、その登場が高度経済成長期が一段落した'70年代後半、その歴史は宿泊の施設としてはさほど新しいものではない。当初、都市における宿泊の新しい形態として話題になりメディアにも登場することも多く、費用対効果の高い簡便な宿泊のカタチとして、あるいは眠らない都市を象徴するものとして注目されたが、どちらかというとその在り方は海外にも類をみないあくまで特異な存在、というのが一般的な位置づけであったように思う。

しかし現在ではその経済性や簡便なところが都市における宿泊施設とし、当初からのビジネスマンや、最近では物珍しさ経済性の面から海外からの旅行者を中心に見直されてきているのも事実だ。
ではなぜこのカプセルホテルのプロジェクトのお披露目がデザインギャラリーであるアクシスでなされたのか。
それはこの簡易宿泊施設の在り方が、デザインを基軸にしながら計画されているからに他ならない。このカプセル型簡易宿泊施設であるナインアワーズの総合的なクリエイティブディレクターを務めるのはプロダクトデザイナーである柴田文江さん。そして館内におけるサインやグラフィックスはグラフィックデザイナーで空間デザイナーでもある廣村正彰さん、そしてインテリアデザイナーの中村隆秋さんがプロジェクトメンバーに名を連ねる。

写真にもあるように施設内ではカプセル型のユニットに宿泊することになるのだが、カプセルといえども、実際にその中にはいってみると四角ではない球面の、ゆるやかな曲面を描くなめらかな壁面のデザインも手伝ってか意外にも広々として感じられる。室内は枕の上のあたりにある黒い帯状の部分にカプセル内における照明などのスイッチ類が機能的に集約され、いびきの発生を抑える効果があるという枕や、マットレスやシーツなども当然ながら清潔感があって寝心地がいい。
館内着やアメニティ類も短い滞在時間を快適に過ごすための工夫が洗練されたデザインでなされているので、今回の展示をみる限りでは利用してみるのもいいかな、と正直に思えた。

またナインアワーズでは宿泊することにおける宿泊者おのおのの、宿泊施設内におけるコミュニケーションの在り方にも着目していることも新しいと思った。ひとつひとつのブースが薄いスクリーンでのみ仕切られるだけというカプセルホテルの仕組みは、ともすると安全面やプライバシーの面での不安要素にも繋がる。それらのマナーが守られていなければ9時間のうちの7時間という大半の時間を占める安眠を確保することすら難しいだろう。
それらの問題をナインアワーズでは、館内におけるサインやグラフィックなどのデザインの力でスマートに解決させようという、そんな試みが感じられた。

個人的にはこれまでもカプセルホテルを利用したことはないのだが、実際に利用したことのある友人の話では意外にも快適であったという。だが簡易、チープ、狭いというあまりよろしくない先入観も手伝ってか、出来るならばあまり宿泊したくはないというものだった。実際にはそんな否定的な要素がカプセルホテルにつきまとうのはどうにも否めないことだろう。
それらの問題をいかに解決していくかも文字通り「デザイン」の問題解決の方法としての在り方として試されている。そんなふうに今回のナインアワーズプロジェクトの仕事を見て僕は思った。
気になる宿泊のお値段は一泊4千900円ほどになるという。年末に第一号店となる京都店の開業を皮切りに、全国展開も視野に入れていると言う。


9h nine hours


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谷尻誠 Nature Factory

 
青山DIESEL DENIM GARELLYで開催中の建築家谷尻誠によるインストア・インスタレーション「Nature Factory」。
工場の外壁を這うように覆い、むき出しになって伝う配管と、一方自然の秩序に従い、その人間の目には見えない秩序の配列で満たされたマングローブの森に対比して見られる「機能」と「自由」と、自然ならではの秩序が生み出す多様さ無秩序をアートの感性で見立てた今回のインスタレーションは、秩序があるようでなく、或いはモードを都市の中にある記号のひとつとしてみたときに僕らが感じる、節操のなさ、カオス的な非秩序を表現しているように思わせる。
 
ディーゼルはこれまでもアート、ファッション、音楽の区別なく、エキサイティングなムーブメントの活動を支援、サポートするという側面から積極的に関わってきた。
2004年から世界中の都市の壁をキャンバスにしたアートプロジェクト、DIESEL WALLを創設、インターネットを通じて作品を募集するなど、世界中の才能に作品発表のための門戸を開いている。また2001年からは若手ミュージシャンを支援することを目的に、DIESEL:U:MUSICを、ITSといった国際的はファッションデザインスクールの学生を支援するデザインコンテストでは、DIESEL賞を設けるなど、問題意識を持ちながらビッグカンパニーとして単にビジネスだけにとどまることのない活動を展開している。
 
昨今建築のキーワードに、それが建てられる都市や自然に対し抗うのではなく、外部に対して開きながら建築をする、そんなデザインにおける問題解決の方法がある。
いつの時代においても語りうることだが、都市や自然に対し暴力的なまでに圧倒的な力を持ってたちあらわれるのがこれまでの建築であるとすれば、自然や周辺環境に対し開かれていくような建築のイメージは、それが自然に対しマッシブなものであればあるほどある種の虚しさを感じさせるのも一方に事実としてある。
かたや近代以降、都市においては建築こそが、人が造りし崇高なる自然であるともいうことができる。
 
森に見立てたか細い柱の林立や、建物のなかに日陰日向を生み出す窓や庇のレイアウト、庭のような外のようなリビングなど。
冬は温かく夏は涼しく、人間は建築というモデルで圧倒的なまでに空間を自然と差別化しながら同時に、人間は建築において人の棲みかを、自然に模すことで理想化さえしてきた。
 
さて今回の谷尻誠のNature Factoryと名付けられたインスタレーションは、そんな原初から続く人間と建築とのあいだにある自然を破壊し棲まうことに伴う葛藤を、抽象的に目に見える形で具現化してみせているようにもみえる。
配管そのものに住まうことの機能はないが、その無機質な機能性という側面に光を当てることで、一見無機質な配管が建築の根元的なものを示すことに違いはない。
 
ショップという、いままさにモードが生まれる現場の、壁という壁、天井の隅から隅までを覆い伝うように這う白く塗られた配管は、自ら有機的に生成する植物のようでもあるし、或いは工業的な放蕩の末に自滅する人類の未来像を示している不気味もののようにも見える。
しかし、アートのインスタレーションとして、それが美しくも儚く見えるというその一点のみにおいて、この試みはディーゼルというモードの楽園が啓示する、他でもないこの我々が暮らす地上に結びついている。
 
このインスタレーションを完成までに導いた建築家のモチベーションの高さ、そして持続力にはものすごいものがある。見るべき価値のある展示だと思う。
Architecture | permalink | comments(0) | -
山口誠さんの本棚 


architecturephoto.netに連載の「BEYOND ARCHITECTURE」で山口誠さんの記事がUPされています。
山口さんは9月4日から東京六本木で開催される国内初の大規模な写真によるアートフェア、
「東京フォト」のデザインディレクターを担当されています。
PHOTO AMERICAも同時開催とのことで、写真好きにはたまらないイベントになりそうです。こちらも楽しみです。


BEYOND ARCHITECTURE | permalink | comments(2) | -
Leica M3


写真blog、Journal[Form_story of design]でも紹介しましたが、デジタルMに続いて50年以上も前に製造された銀塩のライカM3を入手しました。レンズも50年以上前に作られたライツのエルマー50mmをセット。スタンダードなフィルム写真の魅力にハマりそうです。

一眼レフカメラとはことなるレンジファインダーのカメラ、ライカMシリーズを手にした人が口を揃えて言うのがファインダーの宙に浮いたかのようなクリアさ、明るさだ。
昨今の一眼レフカメラでは、ファインダー内に見えるもの全てが写る「視野率100%」のファインダーや、ペンタプリズムなどの光学系を持たず液晶画面でピント確認などを行う、LVFライヴビューファインダー、EVF電ビュー子ファインダーなど、見やすさ撮り易さに技巧を凝らしたファインダーを持った新機種も少なくない。
しかし、レンジファインダー(距離計)付きカメラは今から約一世紀近く前に初めて登場したにも関わらず、カメラのファインダーとして当初から完成されていたということが驚きに値する。しかもライカ通の間では1954年のフォトキナで発表と同時に発売された、M型ライカの初号機であるM3型のファインダーこそが、その見えのクリアさ、ペンタプリズムのクォリティとも最高峰であるというのは衆目一致の事実なのである。
ライカについてはいずれまた詳しく書きます。
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64年目の広島
 
広島は今日、64回目の原爆の日を迎えた。
毎年蝉のなくこの時期になると広島、そして長崎への思いは深くなる。今年はアメリカのバラク・オバマ大統領が大統領の立場から「核なき世界」を標榜し、核廃絶にむけた声明を世界に向けて発信。日本でもファッションデザイナーの三宅一生氏が広島での自らの被爆体験を、7月14日付けの米紙ニューヨーク・タイムズ紙に寄稿、戦後64年目にして初めてその原爆体験を告白した。

三宅氏が広島市出身であることは、氏と彫刻家イサムノグチとの関わりについて書かれた書物で読んで知っていた。その本には戦後7年目に竣工した、イサムノグチのデザインによる原爆により亡くなった人々を慰霊する目的で平和公園の入り口に建造された二つの橋、その平和大橋と西平和大橋という彫刻的な美しさを持った橋に、氏が未来への希望を抱いたことが語られていた。

被爆当時三宅氏は7歳。一人の人間が被爆という体験を、自らの内面に抱えながら64年という長い年月を過ごす苦労苦難は、それを体験したことのない人間にはわかるはずもない。
しかし、僕らもほんの少しのイマジネーションを働かせることができれば、被爆した人々のつらい体験のほんのわずかでも追体験できるのではないだろうか?人間であれば誰もの心の中にも刻まれているであろうその深い傷は、今に生きる僕らが背負っていかなければならない共通の十字架でもある。

これら二つの発言だけをみても2009年は、広島長崎にかって投下された原爆、そして現在の核の保有が拡散していく現状にある世界における、核廃絶にむけた重要な発言のあった年として記憶されることになるだろう。

大国が互いに核兵器を持つことで保たれていた核による世界平和という幻想は、テロリストが当の核を保有するという脅威によってもろくも崩れ去った。
今の時代に生きる僕ら、そして僕らの子供たちの未来に向けて、今何が出来るのか。そのことを若い僕らが今こそ真剣に考えなければならないのだろう。核のない世界をイメージすることがデザインの力で出来れば世界はきっと変わる。僕はそんな力をデザインが持ち合わせていることを信じている。
hiroshima | permalink | comments(1) | -