FORM_Story of design(... Kato Takashi weblog)

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編集者の木戸さんの誘いで遅ればせながらTwitterを始めた。以前からarchitecturephotoの後藤くんや、建築家の藤村さんが始められたのを見て少しは興味があったので、いいきっかけになったと思う。
始めてみるとこれがなかなか面白い。誰が見て読んでいるのかは分からないが、つぶやき、というか独り言を誰かに向けてしている感じ。これは極めてパーソナルで、目の前の誰かとしている会話とは違うけど、閉ざされた部屋のパーソナルコンピューター、あるいは街なかの携帯電話から、誰かと繋がり、世界のすみずみまで自分のつぶやきがひろがっていく感覚が興味深い。


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正統なるデザイン


開催中のグループ展「MILE x books x Mikiya Kobayashi- Japan Design in Milano Salone 2009-」を観に、五反田にある東京デザインセンターに出かけてきた。
訪れた日は、この展覧会に出展しているデザイナーも参加のオープニングパーティー当日ということもあり、華やいだ雰囲気のなかで、作品をデザインしたデザイナーご本人に創作の裏話や、作品解説を伺いながらじっくり見てまわることができた。
参の皆さんとは2年前の目黒のショップ「燕子花」での漆展以来の、booksの橋本潤さんとは昨年のプロトタイプ展以来からのお付き合い。会場には参の作品写真も撮影している建築写真家としておなじみの太田拓美さんや、編集者の木戸さん、グリフの柳本さんの姿も。

タイトルにもあるように、今回の展示では今年のミラノサローネで発表され話題になった、参加デザイナーたちの椅子を中心にしたプロダクトが展示された。参が3名、booksが2名、それぞれがユニットでの構成になるが、チームのなかでそれぞれがそれぞれの役割をもっているようで、ユニットでデザインをするということが彼らにとっては代えがたいメリットになっているようだ。
今回の展示のなかで個人的に印象に残ったのは、参のフロアランプ「dusk」と、booksのワイヤーチェア「Web Chair」。

「dusk」はガラスシリンダーのスタンド部分と、鏡面仕上げが施されたセード部分が円筒形の注射器のシリンジとプランジャに似た別体構造になっており、セード頭部に付いたハンドルでプランジャ部分を引き上げると、シリンジにあたる筒の中に生じる空気圧によってストンとすぐに落下せずに、静かにゆっくりと下降するというもの。

陽の差し込み具合により人は日中室内にいても、時間の流れを物理的にも感覚的にも感じ取り知る事ができるが、陽が沈み暗闇になると室内に居る限りにおいては、時計をみなければ闇のなかで時が経過することを感じる事はできない。
夜帰宅したときにランプを灯し、セードを頂点まで引き上げると、夜が更けて行くにしたがいセードはその時を刻印するようにゆっくりと闇に沈んでいく。このランプはセードが沈下するという構造上のギミックにより、まさにそんな闇の中で時と呼応するオブジェになっている。
そこには光源が移動するというただそれだけのことで、人間のメンタルな繊細な部分をデザインのアイデアにより巧みにコントロールしようとする試みが感じられた。
セードの高さを調整することで、室内における光そのものの質を変化させるというこのランプのコンセプトは、まさに実際に使用することで体験できる絶対的な経験になるだろう。

booksのワイヤーチェア「Web Chair」はまさに最小のもので最大の効果をあげているプロダクトだと思う。
極細のワイヤーを椅子の形態に曲げ接点を溶接するだけというシンプルな構造だが、溶接に熟練した職人による技を必要とするというただ一点で、このまったく新感覚のプロダクトが、クラフトを感じさせるプロダクトになっているから不思議だ。
極細のワイヤーを曲げて溶接しただけだから女性が人差し指だけで軽々と持ち上げることができるほどの超軽量、トラス構造による脚部はまるで鋼鉄製のエッフェル塔のようなエレガントさをも醸し出している。そのすがたはまるでスカートを履いた貴婦人の佇まいだ。
それとワイヤーの組み合わせだけで構成しているこの椅子は、いやがうえでも建築の構造体を思いおこさせる。力強く、しなやかな建築や土木の鉄骨や梁のむき出しの美しさ。橋本さんにそのことを聞いてみたところ、構造的な面白さはあまり追求していないとのお返事。この椅子は構造云々ではなく、あくまで造形の美しさなのだ。さすがデザイナーだな、と思った。

展示会場となった東京デザインサンターには多くの来場者が訪れ、今年のサローネでも発表された日本の若手デザイナーたちの作品への感心の高さを感じた。そして会場で来場者たちの質問や激励にこたえ、引く手数多の心優しき若きデザイナーたちを見ていたら、僕たちの国ではプロダクトデザインが人と人を結びつけるコミュニケーションの手段になっているのだなと思った。



MILE x books x Mikiya Kobayashi
- Japan Design in Milano Salone 2009-

7月23日-~7月28日
東京デザインセンター 8F TDCスペース
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MILE x books x Mikiya Kobayashi

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TOTAL Exhibition Book


※ ELMO LEWIS x JARDINS des FLEURS x TARO NASU


4月にELMO LEWIS GALLERY で開催された『TOTAL』展の作品集が届いた。
ミッドセンチュリーのインテリアでたびたび目にする鉢植え、Architectural Pottery をJARDINS des FLEURSの東信氏が植物で飾り、佐々木憲介氏のペインティングが壁面を彩る、という展示会。

僕は未見だったが、改めて作品集という形で見てみると、そのストイックな空間とクールな鉢植え、そしてミッドセンチュリーをファニチャーの競演は、今の時代にこそあり得ていて、純粋に美しいと思えた。

時間の中でこそ創られる展示という限られた空間と、そこにだけ生まれる空気のようなその場所にだけ固有のものは、逆説的に時を経てこそ確かな存在感を増す。

展示会が終わり、こうやって写真家の目線と、スタイリストの感性、そしてデザイナーのセンスで一冊の本になったものを見てみると、当然ながら、一連のクリエイティヴはただ一人の思いだけで完結するものではなく、こうして数々の才能によって成立するものなのだと改めて思う。



Phtographer  Yasuyuki Takaki
Styling          Akiko Saito
Design          Naoto Kishi
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JARDINS des FLEURS

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Journal [FORM_Story of design ]


写真と短い言葉によるサイト、Journal [FORM_Story of design ] を始めました。


言葉では伝えきれないものがあるとしたら。いますぐには言葉に置き換えたくないことがあるとしたら。
みなさんはそれをどのように表現するでしょうか?

古くて新しい写真とカメラというメディアをつかって、言葉に近い視覚による表現を、
僕なりのやりかたで模索したいと思います。



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ZINE'S MATEと、秋田道夫写真展のこと


ZINE(おもに自費出版のリトルプレス本)の見本市ZINE'S MATEが開催中です。
ZINEといっても単なる自費出版のリトルプレスではなく、今アートフェアの為に集められたZINEは、本展の開催概要にもあるように、「日本初の大規模なアーティストブックフェア」の名にふさわしい品揃え、国内外の170を超える出版社、ギャラリーやジンの制作者が参加しています。

今日はメイン会場になっている表参道GYREの3階にある「EYE OF GYRE」でプレヴューが行われ、そちらに出かけてみました。
もともとがあまり広くはないスペースに、それはもう入りきれないほどのお客さんが通路まで溢れていました。

僕がざっと見てまわっただけでも、日本屈指のギャラリーや、出版社の名もうかがえ、アーティスト自身がこのアートフェアの為だけに制作したスペシャルエディションを直接販売している姿を目にする事が出来ました。

今日はプレヴューにお邪魔したもうひとつの理由は、このZINE'S MATE展のプレスも担当されているS市さんに、今回のイベントのディレクターの一人である江口さんのお店「NOW IDeA by UTRECHT」で11月17日から開催が決まっている、プロダクトデザイナーの秋田道夫さんの写真展の件でご挨拶をすることでした。
秋田道夫さんの写真展では、会期初日に秋田さんとオープニングパーティーをかねてトークをさせていただきます。トークでは秋田さんと、写真について、秋田さんがデザインを手がけている信号電材社製のLED歩行者用信号機について、そして僕が思うデザインについて、デザインジャーナリズムについて、年齢がひと回り違いで干支が同じの秋田道夫さんと二人でちょっと濃い話ができればいいなあ、と思っています。

ZINE'S MATEの会期は今週末、7月12日(日)まで。
会場は表参道にあるGYRE3階「EYE OF GYRE」、そして神宮前にある「VACANT」(かってDEP'Tがあった場所です)の2会場。それ以外にも界隈のギャラリーではアーティストによるサイン会なども開催されます。

ZINEと一言でいっても二つの会場を見渡すと、ZINEの成り立ちの衝動的な部分のインディペンデントなイメージを大切にしたものから、論理的で、コンセプトの明確な作家が作るアーティストブックまで、さまざまなものが混沌と並列されているような印象をもちました。会場も表参道の高級ブティックが入居する華やかなテナントビルということもあって、パブリッッシャーの皆さんも高額な出展料を支払っての参加であったこともなんとなく想像ができます。
これは確かに日本の出版の現状を考える契機になるのではないか。だからこそ有名無名、ヘタウマの区別なく楽しめるZINEの世界を、日本人の感性で新しく新鮮に世界に伝えてくれることを僕はこのイベントに期待します。
ZINE'S MATE、ジンズメイトという名称も、日本人の僕らにはくすりと微笑んでしまうユニークなものですね。この週末、本好きは表参道周辺に集結しましょう!江口さん、大成功ですね!
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京都にて…


architecturephotoにて連載の「BEYOND ARCHITECTURE」の記事が更新されています。
以下は、その序文になります。
タイトルは「構造家、満田衛資インタヴュー、構造の力と倫理」です。

二年前の建築基準法の一部改正以来、建築設計の現場ではいまだ混乱が続いていると聞く。法改正のきっかけにもなった一連の耐震建築偽装問題発覚以降、誰もが当たり前に約束されていると思っていた、建物の安全性が足元から揺らぎ、暮らしのなかで漠然とした不安を感じることも少なくない。

そのような現状の中、昨今建築専門誌あるいは一般誌など一部メディアにおいて、構造家の存在がクローズアップされているように思う。そこにはそれらの問題を具体的に解決する存在としての構造家への、社会からの期待があるのではないだろうか。

一方、それを報道するメディアに目を転じてみると、建築基準法改正と、その発端になった耐震建築偽装事件発覚当時の、芸能人のスキャンダルを報じるかのごとく過熱した報道とは裏腹に、建築基準法実施以降から現在まで続く、実際の建築設計の現場における混乱の現状は、ほとんど報道してこなかった。それは分からないことにはだんまりを決め込むという、僕も含め一部メディアのあり方の悪習に依るところが大きいのではないだろうか。

建築の裏方としての構造家の存在のクローズアップという現状が意味するものは、おおまかに分けて、意匠デザイナー、構造デザイナー、という建築設計における二者の存在の背後に潜む、大文字の「建築」というものの「設計者とは誰か」という、究極的な問いかけにも繋がるだろう。

僕が初めて構造家、満田衛資さんに出会ったのは昨年の晩夏の広島だった。夜風の心地よい平和記念公園にほど近い川辺のカフェで行われた「若手建築家のアジェンダ」というイベントにコメンテーターとして参加されていた満田衛資さんは、過熱しながら情熱のままにいささか拡散していく若い建築家たちの議論に対し、構造家の立場から骨格を与えていくような、短く丁寧に言葉を選びながら話す、その冷静な語り口が印象に残っている。あれから半年後、春間近い穏やかな日和のなか、満田衛資さんの設計事務所がある京都に出かけ、ゆっくりとお話を伺うことができた。


BEYOND ARCHITECTURE

満田さん、岡田さんどうもありがとうございました。



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彼女のスカート


北村範史 個展「スカート」を見に早稲田まで出かけてきた。
きっかけは下町仲間である旅ベーグルと、グラフィックデザイナーの関さんのブログで、今回の展示が強烈に推薦されていたこと。この二人のおすすめならば、僕の好みに間違いないと思い、小雨の降る中、迷わず地下鉄に乗り込んでしまった。

会場となっているのは昨年オープンしたばかりのクリエイティヴスペース「LIFT」。こちらは学生時代からの友人であるという3人の仲間たちが運営する、ちいさいが繊細な感性が感じられる空間だ。

今回のエキシヴィションで初めてみる北村さんの絵は、友人たちのコメントにもあったように、初めて見たのにどこか懐かしいような感じで、僕もすっかりその絵のとりこになってしまった。

印象的なのは女のコのシルエットだけの色のない絵。それはしばしば例えられるように日本の水墨画のような慎ましさをもっていながら、強烈なエモーショナルを同時に感じさせる絵だった。
あるいはスカートからはみ出した素足のシルエットや、そこに描かれていない、女のコのピュアなハートを描いたような、植物のようにも見えるハートのシルエット。

それらはその絵を描く筆先に、そっと置かれた黒色のインクのわずかの陰影で、女のコの存在感を全身全霊で絵にする作家の、洗っても洗ってもその身から剥がれ落ちる事のない、生まれついたままの「しみ」のようにも見えてくるから不思議だ。
北村さんの描く絵は、それを見る人びとの心の中に、期せずしてハートのなかに出来てしまったちいさなしみのように、長い時間をかけて作用していくような、そんな絵だと思った。



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行動主義

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