FORM_Story of design(... Kato Takashi weblog)

広島市の橋梁デザインコンペ


現在広島市役所本庁舎1階市民ロビーで公開中の平和大橋歩道橋コンペ応募作品のパネルですが、展示の様子をこちらの動画ニュースで見ることができます→RCC NEWS(1月29日のHADELINE)

広島市による橋の国際コンペ、盛り上がっています。平成18年に施行された「広島市景観条例」に基づき、来年度そうそうには広島市による橋梁の国際コンペの第2回目、広島南道路太田川放水路橋梁デザインコンペが開催されることがつい先日発表されたばかり。そのコンペの審査員長には政策研究大学院大学教授であり、僕の愛読書『橋の景観デザインを考える』の著者でもある美しい橋のエキスパート篠原修氏がつとめる。

この広島南道路太田川放水路橋梁コンペは、広島市内を流れる六つの川のうちのひとつである太田川の広島湾にほど近い河口付近に架橋する、自動車専用道路(片側2車線)および自転車歩行者道を対象とする。ロケーション的には、広島の建築家三分一氏設計のお好み焼き館 WoodEggがある井口を西に、広島西飛行場の真横にあたる場所だ。

こちらの応募登録の受付は来月の5日までの模様。応募資格には土木コンサルの資格を有するものを配置できるもの、とあるので平和大橋歩道橋コンペ同様、ハードルの高いものになりそうだが、河口付近に位置する大橋とあって、ダイナミックな国際的なすばらしいデザインの橋を見てみたいと思っている。

広島市内の河口付近に架かる大橋としては京橋川河口にかかる宇品橋(200年3月開通のローゼ桁橋)があるが、宇品方面へのツーリングから市内に帰る途中に、このダイナミックな橋を自転車で渡ったときの感動は今も忘れることができない。ぜひ、今回の新しい橋でも同じような体験をしてみたいものだと期待している。


詳細は広島市のホームページ、以下を参照ください。
広島市広島南道路太田川放水路橋梁デザインの募集
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平和大橋歩道橋デザイン提案競技作品公開展示


先日からお伝えしている、現在広島市で行われている「平和大橋歩道橋デザイン提案競技」だが、本日より広島市役所本庁舎1階市民ロビーにて、応募29作品全てのパネルボードの公開展示が行われている。
公開期間は本日より2月3日(火)までの平日、8時30分から午後5時15分まで。
わずか4日間だが、現地ではさっそくテレビ局や新聞社も取材に訪れているようで、我が国では初となる橋梁の国際コンペに対する注目度の高さがうかがえる。
広島にお住まいの方、期間中に広島市を訪れる予定のある方は是非、訪れて観ていただきたい。
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建築のスキル  デザインの実践 PACO展


この地球上どこにでも設置が可能な小住宅が、このスモール・セカンドハウスPACOだ。白い3メートルのこのキューブには、3メートルというサイズが活かされた機能と、この形でなければならなかった意味が十分に具現化されている。
まず収容人員を1.5人に設定したという一人の隠れ家としてはコンパクトさが心地よい室内のサイズ。セカンドハウスであることによる、非日常感を味わうこともできる白で統一された内装。とくに中村塗装工業によるエポキシを流し込んだという白の陰影がある透明度の高い床は、それじたいがファインアートのようで、白一色のこの建物の外観と内観との境目のない、まるでギャラリーのホワイトキューブのようでもある。 白く塗りこめられたエポキシによる塗装は中村塗装工業のなかむらしゅうへいさんとスキーマの長坂常さんによる、凹凸をフラットにしていく「フラットプロジェクト」の延長上にある作品だ。

スイッチパネルに触れずに、手をかざすだけで室内のLEDダウンライトが点滅する仕掛けや、昨年のデザインタイドメイン会場の布の建築も記憶にあたらしいファッションデザイナーの森美穂子さんのテキスタイルによる、室内で傘を差すようにバラソルで天井から吊り下げられたオーガンジーのシャワーカーテンをもったシースルーのシャワー室、新素材三次元立体編み物によるハンモックなど、住居でありながら遊び心満載なのは、この住宅としてはいささかちいさく、はなれとしては大きいこのセカンドハウスならではの新しいスケールなのだろう。 ちなみにクオリティの高いインテリアデザインは、今回のプロジェクトにコラボレーターとして名を連ねているワールドワイドなファニチャーレーベルE&Yが手がけている。

このPACOには名称の由来にもなったと思われるユニークな仕掛けがある。それは箱の蓋を開けるように、屋根がパコッと口をあけるような、まるでおもちゃのような仕掛けだ。パコッ、パカッと開閉する屋根は、油圧シリンダーを動力とすることでかなりの重量を支えることができ、天井に吊るされたハンモックに人が寝そべったまま開閉ができるという。屋根全体が開閉するといっても、見た目には車のサンルーフが開くように軽やかにしなやかだ。

「paco展スモール・セカンドハウス」は文字通り、室内にしつらえられたスモールハウスを現代アートのように展示するちいさな展示会、あるいはこれからセカンドハウスを持ちたい、と考えている人にむけたちいさな住宅展示場でもある。 このユニークな小住宅のデザインを手がけたのはこの空間のあるじでもある長坂常+スキーマ建築計画。事業主およひ施工は株式会社ルーヴィス。
展示会が開催されているスペースhappaは、今回のPACOのデザイナーでもあるスキーマ建築計画、エポキシによる塗装を手がけた中村塗装工業、ギャラリー青山|目黒がシェアするクリエイティヴスペースのことをいう。駒沢通りに面したガラスとサッシュによる外観が他とは一線を画し、いつもなにかが起こり行われているような刺激的な空間である。

掘りこたつの床を利用したような寝室兼床下収納スペース、床下に隠すこともも可能なトイレ、ちいさいながらも美しいキッチンも備え付けられ、全体的にタイトながら、起伏の感じられる楽しい居住空間。 生活するための給排水と電気は既存のインフラを使用、将来的にはソーラーパネルの設置や、雨水などの利用により、無人島にも置けるようなインフラフリーのPACOを考えているという。

正直、このスモール・セカンドハウスを見て、住宅デザインはプロダクトデザインと同様に今や消費の対象であり、交換可能性を秘めたフレキシブルなものであることを実感した。それは否定的な意味ではなく、住宅デザインの新しい可能性を秘めたものとして肯定的にそう思う。なぜなら住宅デザインと同様にディテールのよく練られたデザインや、プロダクトのように遊びとゆとりを感じさせるデザインの可能性は、このスケールの住宅ならではのスキルだろう。
ちいさなスイッチひとつで大きなジョークのようにゆっくり開閉する屋根を見たとき、その家の裂け目から見えたものは、建築やプロダクトデザインの未来ではなく、まぎれもなく私たちが暮らすこの地球の未来であり、窓の裂け目の先に遠くまで見える、自立するPACOの連なる風景だった。


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PACO


PACO展
happa
2009年1月17日(土)〜2月9日(月)
目黒区上目黒2-30-6
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色と形のコンポジション


1888年西ドイツ生まれのジョセフ・アルバースは、32歳の歳にワイマールのバウハウスに入学、当時神秘主義者でもあったヨハネス・イッテンに師事する。イッテンの色彩と構成の美学にひかれながらも独自の美学を貫いたアルバースは、イッテン退官ののち、モホリ・ナジとともにバウハウスの予備教育で教鞭をとるようになる。
アルバースの教育方針は材料そのものがもつ機能や理論からではなく、材料そのものの研究からはじめるというものだ。たとえば、紙の扱い方の研究においては、紙をただ平面に置いて使用したりのり付けして加工するのではなく、折り曲げて立ててみたり、さまざまに折ることで強度を増すような試みであったりする。最終的には学生の自主判断にまかされるが、最初から既成の方法を採用することはしないというのがアルバースの教育スタイルであった。
材料の研究はときに回り道にもなるが、その根源にあるのは材料の経済性の優位のうえに、浪費をなくし、最上の効果を生むというものであった。そのような予備教育における、さまざまな材料との既成概念にとらわれることのない関わりのうちに、学生はいずれかの工場を選び従弟として実際のものづくりの現場で学ぶことになる。

バウハウスの廃校とともにナチスに追われるように妻でテキスタイルのデザイナーでもあったアーティストのアニとともにアルバースは1933年アメリカへ移住、ノースカロライナの田舎町に設立されたばかりの、第二のバウハウスと呼ばれる前衛芸術の共同体=大学ブラック・マウンテン・カレッジに参加、バウハウスの理念をアメリカで実践するようになる。
のちにジョン・ケージやマース・カニングハム、バックミンスター・フラーらが関わったたことで知られるこのスクールで、アルバース夫妻は戦前戦中と重要な役割を担っている。
戦後ブラック・マウンテン・カレッジを退職後、写真にも写っている4つの正方形の連なり「Homage to square 正方形へのオマージュ」の連作作品の制作を開始する。

この作品を見ても分かるように、アルバースは色と色の崇高な相互作用を認めながらも、その色彩同士が予定調和的に調和するものとは思っていなかった。
アルバースの作品において、隣り合う色彩同士は見る者のイマジネーションのなかで混じり合うことはあっても、根源的な問いを残したままただそこにおかれ、実際には決して混じり合うことがなく、色彩同士の差異を露呈しながら、さながらジョン・ケージの音楽のように脱構築しつつ反復する。だからこそアルバースは前衛音楽を奏でるように反復と変奏を繰り返しながら、同様の主題でいくつもの作品の習作を手がけたのだろう。

またアルバースはさまざまな色彩の組み合わせの調和とは、色相互の作用によって先天的に完全なる調和をもったものではなく、そこにいたる経験や、見ることの体験によって生み出され、創造されるものだとする。
「情報を与えられるものではなく、ゼロから始め、実験、体験をとおして想像力を養う」とは、ブラック・マウンテン・カレッジの教育方針のひとつだが、それはアルバースのバウハウス、そしてブラック・マウンテン・カレッジでの教育と自身の創作の実践において貫かれていた考えだということがわかる。
ポストモダンの契機にもなったブラック・マウンテン・カレッジでの前衛芸術運動の蜂起をみると、バウハウスの理念とポストモダン思想は意外にもどこかで繋がっているのかもしれない、アルバースの戦前と戦後の仕事をたどっていくとそんなふうにも思えてくる。

写真はプロダクトデザイナー秋田道夫さんの事務所にて。
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固定概念と現代建築、セミナーはしご


今夜は意外に暖かかった。銀座と京橋、気になるふたつのセミナーがあったので、どちらも途中からになってしまうが聴講させていただいた。
まず銀座のアップルストアでは友人のmetabolismさんのセミナーが開催。近著「DESIGN=SOCIAL」の発刊記念トークイベントということで、テキストと豊富なヴィジュアルでデザインの社会との関係をあらわしたその著書を下敷きに、そのベースになった考えを語るというもの。「デザイン」と「社会」の関わりは、彼がこれまで一貫して考え続けてきたもので、巷でコレクターと評されているその一連の趣味的で広範な収集も、デザインが社会の成り立ちのプロセスにどのように関係しているのかを考察する手段であって、それ自体が目的となっていないところが普通と違うところだと思う。
肝心のセミナーは後半10分しか聞くことができなかったが、ところどこれで彼らしい言い回し(たとえば、おばちゃん、など)があり、それが言葉の抑揚に面白いアクセントになって聞いていて楽しかった。トーク後の質疑応答では、通り一遍なコレクションについての質問が集中するなか、最後のかたのデザインと人との感性的な繋がりについて考えたりしますか、という問いとそれに対する応答を聞く限り、1時間という短い時間の講演会ではあったが、デザインから社会、そして人へと繋がるそんな内容であったのかな、と想像した。スライドは最後の市場の場面を映し出したものしか見ることができなかったが、自分で作ったものを自分の手で売るということをしている彼の、ものを作ること、売ること、しいては社会と関わることのリアルがそこにあると読んだ。

アップルをあとに歩いて京橋まで移動し、INAX銀座での定例建築家フォーラム講演会にこれも途中からお邪魔する。こちらは建築家西沢大良さんの講演会。お題も以前から気にしていた西沢さんの建築論、「現代建築」について。その現代建築については僕なりの理解で話すと、現在の日本の建築は従来の近代建築では語ることはできないし、作ることもできないというものだったと思う。近代建築とは言うまでもなくモダニズム建築のことで、西沢さんはそのモダニズム建築の代表としてグロピウスらのバウハウスを例にしばしば語る。
現代、とくに'80年代以降、世の中には建物の内、外の区別なく物が溢れている。例えばパーキングにはさまざまな種類のいろとりどりのマイカーが並び、渋谷の街にはさまざまな意匠に凝らしたファッションで身を飾る若いギャルが溢れている。その種類も目的も異なる多様な物が溢れている風景を、西沢さんは美しくないものと一蹴する。そして美しくない理由も、立体としての物が溢れていること、それも個別の種類の物ではなく、物の種類が増えたことを理由に語るところが西沢さんの気づきであると思う。

西沢さんは単に世の中に物が増えることを問題視しているわけではない。単一の種類の物が大量にならぶ風景、たとえばバウハウスのデッサウ校舎の教室にパイプ椅子が並べられる風景のように、同じ物が大量に集まることによって成立する整然とした美しい風景はモダニズムによる方法論で得意としたところだ。では、現代の日本の住宅に見られるような、用途もデザインも異なる大量の製品が、ただ利便性と贅沢という目的のために並べられる風景が顕著な日本のドメスティックな風景に対して、建築はいかに向き合うのか?
いわゆる近代建築の手法でのその不可能性をときながら、西沢さんはそれに現代建築という手法で立ち向かう。
こちらも残念ながら実際の講義はまったく聴くことができなかったので、今回の講演会の内容に照らし合わせて考えることはできないが、帰りの電車の中で講演会に参加されていた浅石さんにうかがった話によれば、その現状に対し西沢さんによる現代建築が乗り越えるべき方法はまだ未解決のままであるという。

建築デザインと(プロダクト)デザインとの違いは、プロダクトがそれ単体のちいさな規模で世界中にうすく広く広がっていく可能性をもつものであるのに対し、建築デザインは街や風景にあたえる影響はいうに及ばず、土地に固着した思想的な存在として、地域性や個別のエリアを限定せずに、おおきな世界に対し、ちいさな影響を与えうる可能性をもったものであるということか。その広い可能性もちいさな可能性も社会に与える影響は大きい。
西沢さんが言う「ドメスティックランドスケープ」にしても、日本の風景に固執していながら、それが日本人の営みという局所的な意味あいをもった途端、昨今の経済状況とおなじように普遍的にひろがっていく可能性を持っているように思えてくる。それはmetabolismさんが言っていた、デザインが感性に、そしてより原初的なプリミティヴな方法に向かっている、という考えに繋がるのかなとも思った。
期せずしてデザインと建築を結びつけ、私たちがいまいる同じ社会について考えるきっかけになった一夜。お二人の活動にこころより感謝したい。
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浅草観光センターコンペ パネル展示


今夜遅く、浅草観光センターへ先日のコンペの二次審査に残った7作品のパネル展示を見に行ってきた。
閉館時間10分前に着いたので、あまり時間がなかったが今回は最優秀作品と優秀作品のパネルを中心に見てみた。最優秀作品の隈事務所の作品はパネルとちいさな模型の展示、優秀作品の乾事務所のパネルはテクストが目立つカラフルなパネルであった。乾案には構造家として佐藤淳さんが名を連ねており、そう思ってみれば乾案は「アパートメントI」のガラスで囲われた外観と、佐藤さんが構造を手がけた石上純也さんの「四角い風船」を足して2で割ったようにも見えてくる。テーマは「かこう」となっており、そのテーマは浅草寺の境内をイメージさせるねらいがあるようだ。
乾案の四角いガラスの塔は掲出されたパネルの説明によれば、「出来うる限り高く」となっており、仲見世をあいだにはさんで浅草寺境内に建つ五重塔との対の関係性がイメージされているという。
それぞれ一次と二次のパネルが掲出されており、それぞれの建築家のこのコンペにかける思いが伝わってくる見応えのある熱いプレゼンテーションになっていると思った。

台東区長によるコメントも寄せられており、それによると、近年団塊世代が定年を迎え、あわせて少子高齢化の時代に本格的に突入し、地域住民の高齢者割合増大と比例しそれらの人々の余暇の時間が増えるにつれ、高齢者を中心に地元住民によるコミュニティセンターとしての観光センターの利用が増えているという。実際にウチの父からも、観光センターにはしばしば散歩がてらふらりと立ち寄るというような話を聞いた。
あわせて2012年春には隅田川の向こうがわ、浅草にもほど近い墨田区押上業平地区に新東京タワー、通称「東京スカイツリー」が竣工。多くの観光客が見込まれ、そのシャワー効果により浅草にも観光客が今以上に多く訪れることが予想される。そんなタイミングでもあり、築56年が経過して老朽化する施設を立て替え、整備するというようなことが書かれてあった。

実際、閉館10分前という短い滞在の間にも、Hレスらしき男性2名がすでにベンチに腰かけており、僕が展示を眺めているあいだにも、大きな荷物をもったおばちゃんが、ちょっと休ませてね、といいながら入ってきたり、ヨーロッパからと思わしき老夫婦の観光客が、なにやら観光資料を探しにきていたりと、施設としては結構な需要がありそうだ。

閉館1分まえにセンターをあとに、浅草の雑踏のなかにでると、雷門の前にはまだまだ観光客らしき人の群れがあった。不景気な世の中だが、この町はまだまだ元気だ。詳細は次回ゆっくり観覧しにいき、補足のレポートとさせていただきたい。


浅草文化観光センター1階ホール
台東区雷門2-18-9
日時: 〜1月28日(水)

追記:前回問題提議した現在観光センターの正面に設置されている「からくり時計」ですが、コンペ概要には取り外されることが明記されていたようです。最近、東京新聞の記事で読みました。からくり時計の撤去には地域住民の反対もあったようですが、既存の観光センターとともにその役目を終え、今後は資料館などに移設されることになるようです。
ちなみに、からくりは上の写真の時計の部分がぱっくりと開き、そこからお囃子にのって浅草の四季の賑やかないくつかの風景が繰り広げられます(笑)。扉がスライドして閉じながらからくりが時計のうしろに隠れていくときの切なさがいいんだな。
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浅草文化観光センター設計案コンペ結果によせて


実施されれば地元浅草の観光の新しいランドマークとなるのではないかと注目していた、浅草観光文化センターのコンペだが、昨年末に台東区役所にて二次審査が行われ、公開プレゼンテーションと審査会の結果、隈研吾建築都市設計事務所案が最優秀作品に決まった。
浅草観光センターといえば、浅草詣の最大の目的であり、東京観光のシンボルのひとつである雷門の面前の角地に立地し、隣にはマンガ喫茶などの看板が雑然と列なる雑居ビルが立つなど、下町らしさと繁華街らしさが渾然一体となったユニークなエリアに建つ町の情報施設だ。
また地域住民や観光客にとっては、その建物のファサードに設置された祭囃子が時を告げるド派手なからくり時計で親しまれてきた建物でもある。
観光センターという役割から、僕のような地元の人間はからくり時計の設置された外観は当たり前に知っていても、中に入ったことはない、なんて住民も多いと思われるこの施設だが、恥ずかしながらこのコンペの実施が発表されてからはじめて、興味津々に建物のなかに入ってみた。

建物内部は取りたてて特徴のない、観光のためのインフォメーションセンターといった感じだが、意外だったのは思いのほか賑わっていることだ。普段用がないので気にはしていなかったのだが、外観のからくり時計ばかりでなく、当然ながら情報施設としての機能も十分にはたしていた。
海外からの観光客の多い浅草らしく、バイリンガルで書かれた近隣情報の掲示板や道案内図、パンフレットが目立ち、天井には祭りを連想させるような大凧が展示されている。江戸の賑わいを残す浅草らしく、なんでもありな雰囲気が意外に面白い場所だ。

今回最優秀作品に選ばれ、この場所に実施されることになった建築家隈研吾さんといえば、'80s日本のポストモダン建築の代表的な建築家のひとりとして知られ、近年では竹や石など、建築する場所に固有のマテリアルを自身の建築の材として用い、風土に根ざした新しいの日本の建築様式を構築しつつある、世界的評価の高い建築家だ。

台東区のホームページでは現在、最優秀作品を獲得した隈事務所の案がPDFにて公開されており、外観内観の計2枚のCG画像を見ることができる。
CGでみる外観には、近年の隈さんらしい和をおもわせる木の格子と透明のスクリーンをもった町家風の平屋が、フロアを不規則に仕切りながら上層にのびていく、7階からなる建物が描かれている。

ふとあることを思いながらCG画像を眺めていたのだが、その外観には現在住民や観光客に親しまれ名物にもなっている、祭囃子が鳴り響くからくり時計が見当たらない。
観光センタ−名物であるこのからくり時計は1990年、時の竹下内閣によるふるさと創生資金の一億円を投入して設置した、文字通りの浅草観光名物である。
格子がつらぬく様式的な隈建築の外観に、いかにも広告的で祝祭的なからくり時計は似つかわしくないかもしれないが、通りをへだて、人々がその時間になると立ち止まり、老若男女が鈴なりとなって憩い楽しむからくり時計を、もし通りに面したファサードに設置しないのであれば、ものすごく淋しい気がするのは僕だけだろうか。
浅草といえば自他ともに認める、祭と花火に代表される、賑わいが本分となっている町だ。見世物小屋や芝居小屋、いかがわしい闇市こそ近年姿を消したが、浅草寺や浅草神社といった聖なる祈りの場所と、相反するいかがわしさが町の賑わいとなり魅力となっていたのが浅草という町だと思っている。
隈研吾さんの建築が、そんな浅草にしかない魅力を建築によって引き出してくれることを期待したい。

優秀賞には、めきめき頭角をあらわしつつある若手女性建築家の実力派、乾久美子事務所の案が選出されている。浅草に乾さんの建築、これもとても興味がある。
今月28日まで、当の観光センターにて、一等の隈事務所案とともに二次審査に残り、しのぎを削った6つの設計案がパネルで展示されているというから、近いうちに見に行ってみようと思う。

この建物の背景になり隣接するコンビニ、ファミレス、まんが喫茶の看板が列なる雑居ビルと、通りをはさんでたつ浅草のランドマークである雷門。
建物の立地条件やその土地の風土をたくみに読み取りつつ、自身の建築の形態に反映し表象化することに長けた隈氏だけに、浅草に建つ初の隈建築、大いに楽しみだ。


写真は現在の浅草観光センターの周辺風景と内観です。
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浅草文化観光センター設計案コンペ




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庵地焼 旗野窯


庵地焼という焼きものに駒沢の天童木工PLYで出合った。庵地焼は新潟を産地とする焼きものだが、地元のうつわとしては知られているものの、県外にほとんどでることのない土地ものだという。この日見た黒々とした独特の色をしたうつわは、いかにも男性的な力強さをもったものだが、このうつわを焼いているのは意外にも旗野窯の三人の女性だという。

量産品である庵地焼の陶器は、地元ではうどん屋の湯呑みに使われるくらいボピュラーなものらしいが、民芸や工芸の資料にでることはほとんどない。手間をかけた面取り手法でつくれた面取茶器で知られる130年の歴史をもつ旗野窯。ガス窯で量産向けに焼かれた庵地焼には、写真の漆黒のものとは異なる独特の茶色い柄が入るという。

伝統的な庵地焼は、実は35年前まで登り窯で焼かれていたことを知る人は今ではほとんどいない。先ごろ旗野窯の跡取の三人の女性たちは、35年ぶりに登り窯に火を入れ、写真の漆黒の焼きものを焼いた。

陶器の材料となる土は地元の裏山で、釉薬には窯場の灰が使われる。足で蹴る轆轤の使い方や工房内にある道具類は往時のままに、登り窯で焼かれる庵地焼はみごとなまでの漆黒の色をしている。
まだまだ数も多く焼くことはできず、気にいるものも少ないというが、時を越えて漆黒の焼きものはよみがえった。人がつくる焼もののあたたかさにはそれをつくる人の魂が宿るのだと思った。


天童木工PLY
旗野窯
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