FORM_Story of design(... Kato Takashi weblog)

本年もお世話になりました


本年もご愛読いただきましてどうもありがとうございました。
来年も引き続きどうぞよろしくお願いいたします。

2009年が皆さまににとって素敵な一年になりますように。



浅草より、加藤孝司 (FORM_Story of design)
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HIROSHIMA 1958


銀座のニコンサロンで開催中のエマニュエル・リヴァ写真展「HIROSHIMA 1958」を見てきた。これは先月末から今月上旬にかけて広島で開催された同名の写真展の東京巡回展だ。
タイトルを見ても分かるように、この写真展で発表された写真には1958年当時の広島の風景が写し出されている。
真新しいイサム・ノグチの西平和大橋、整備されたばかりの平和記念公園、いわゆる原爆スラムのある川辺の景色、市内に流れる六つの川のひとつ本川の河口に近い江波の町の人々。
エマニュエル・リヴァとは当時パリで舞台中心に活動していたフランス人女優で、世間的にはフランスヌーベルバーグの傑作映画、マルグリッド・デュラス脚本アラン・レネ演出の1959年公開「二十四時間の情事」の主演女優としてよく知られた存在だ。
ブリジッド・バルドーのように肉感的な女優、そしてジャンヌ・モローに代表される知性派と、一口にフランス人女優といっても当然のことながらそのイメージはさまざまだ。
リヴァはモローの系譜の知性派女優といったところか。ともに同じマルグリッド・デュラスの原作それぞれ異なる映画にも主演しているところにも共通項を見出すことができる。



そんな写真家でもない彼女が、50年前に映画撮影のために滞在中の広島で、膨大な数の写真を撮影していたことは以前の記事で紹介した。その写真展が映画撮影から50年の時を経てついにこの冬、広島と東京で実現した。
1958年当時の広島の風景を白黒のフィルムに焼き付けた彼女の写真には、それまで当たり前でありながら、原爆という過去の記憶に覆い隠されていた、広島の人々の日常の、生き生きとした暮らしが写し出されている。
原爆投下前と後と同じように今もそこにある人々の暮らしは、とりたてて特別なもののない、なんの変哲もないものだ。それでも広島を訪れた異邦人が見た50年前の広島は、モノクロームの風景の中にありながら、青い空は青く、絣の着物の朱は朱に、カラフルな色を想像させるものであった。
時間の経過、今はもう失われてしまった風景、というノスタルジーの色眼鏡を外してみてもこれらの写真は響く人には響く、写真としての普遍的な価値をもっているだろう。

広島、ヒロシマ、ひろしま、HIROSHIMAと人は広島をさまざまに呼ぶが、もしこの映画と関連付けて広島を語るシネマフリークなら、一度は広島をちいさな声で「イホシマ」と言ったことがあるだろう。このロマンスとも反戦映画ともとる事が可能な映画の最後の最後で、日本人を総称して「HIROSHIMA」とエマニュエル・リヴァに言わしめたマルグリッド・デュラスの脚本で広島は、「H」を発音しないフランス語独特の発音によってイホシマになったのだから。
僕がこの写真展の開催にあわせて50年ぶりに来日した彼女の口から聴きたいと思っていた言葉とは、ほかでもない劇中で音楽のように印象的に響くこの言葉であった。

昭和初期に建てられたRC造の建築が多く残る銀座の裏道はどこか、この映画のなかに映し出される、百貨店「福屋」のある風景に似ている。
50年前の映画の中に映し出される風景のように、今も昭和なネオンが夜が明けるまで灯る、けばけばしい広島の夜の繁華街を、僕も何度も何度もさまよったりした。この映画への特別な思いも、あの夜の広島の風景が土地の記憶のなかに残る今の広島の街の風景も人も、これからもずっと僕にはあこがれの対象であり、いつも変わらない日常であることには今も変わりがない。

HIROSHIMA 1958



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Merry Christmas
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見せたい本棚の作り方


発売中のエスクァイア日本版の最新号の巻頭特集「見せたい本棚の作り方」が面白かった。
近頃、機会あって訪ねることのある友人の家やお店、そして事務所などには、個性ある本棚が必ずといっていいくらいにある。それは個人的な蔵書や売り物、もしくは仕事のための資料など、その用途や目的もさまざまだが、そんな本棚をみていると、その本の持ち主の頭の中を覗いているようなというのは言い過ぎだが、それぞれがもつ指向性や、持ち主のたたずまいや雰囲気、暮らしぶりやその背景などが、くっきりと浮かび上がってきて興味深い。だからついつい恐縮しながらもそんな本棚に並べられた背表紙を失礼と思いながらもちらちらと見てしまう。

ウエブのホームページやブログなどのデジタルメディア全盛の今、活字離れが言われて久しい。けれど僕らにはmacの中にある無限にみえる情報量と同じくらい、本という印刷物から得る知識や情報も大切に思える。だから今でも狭い部屋の中に、雑誌や本、ちらしなどの印刷物がたまっていくのだろう。
さて、僕の本棚だが、実に人生40年という時間が蓄積された変てこな本の集積だと思う。映画雑誌やファッション雑誌、20代の頃にかぶれたフランスの思想書、本宮ひろしの「男一匹ガキ大将」全巻、大正や昭和時代の文学、サブカル本、インテリア関係資料や建築関係の資料。それらを納めている本棚は、実家が新築の際に大工さんに手作りしてもらったものだ。

このエスクァイアの本棚特集にも、建築家としてアトリエワンの塚本由晴さんとともに登場している谷尻誠さんの事務所にも素敵な本棚があった。誌面でも紹介されていた約30センチ角の正方形が、きれいに並んだだけの白く塗装されたメタル製の本棚だが、谷尻さんの建築と同じような、そのもののはじまり、本や本棚のはじまり、を想像させる生まれたての無垢な感じがある。
本はその背表紙のランダムな並列によって、そこに書かれていることの即物的な事実を越えて、本来のジャンルや関係性とは無関係にあらたな物語や関係性を作り上げていく。それがたとえそこに同じ本が並んでいても、その持ち主が異なることによってまったく違った物語をもつように見えてくる所以だろう。

雨上がりの今朝の空はやわらかなブルーがとてもきれいだった。高層ビルの窓も、洗い立ての御影石のように光をうけてきらきらと輝いていた。
そんな心情風景に近い美しい景色や、あからさまなまでに具体的なもの、あまり見たくはないような美しくないものまでありのままに映し出してしまうから、やっぱり本は偉い。
僕の本棚にも結構面白い本が並んでいると思うので、ぜひ見にきてください。

Esquire 2009年 2月号



Tokyo office M.T

追記:谷尻さんのページにも紹介されていた松山巌さんの「建築はほほえむ」は活版印刷による本当に素敵な本で、おすすめです。それと谷尻誠さんデザインの収納性の高いかっこいいメタル製の本棚は、友人のSABさんと一緒に発注しようと画策中です。楽しみです。
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いま、世界が注目するニッポンの若手建築家たち


web magazine OPENERS 「いま、世界が注目するニッポンの若手建築家たち」を担当させていただきました。
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イサムノグチの橋


イサムノグチの橋の写真を、僕もポラロイド加工してみました。いい感じですね。
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Thinking of Process


DP1
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STONEがおしえてくれたもの


久しぶりに見た、彫刻家・古賀充さんの2007年の「STONE」展のカタログ。白の厚手の紙に墨のようなインクがのった活版での印刷物。これやっぱりいいと思います。
印刷は今をときめくPAPIER LABOによるもの。たしかこのカタログはパピエの初めての恩札物だったと記憶しています。デザインと呼べるのでしょうか、なにもしていないようにみえるレイアウトも秀逸で、紙の白とインクの黒が引き立つデザインになっていると思います。
出版はこの展覧会の主催者でもあるLANDSCAPE PRODUCTS。たまたま代表の中原さんに声をかけていただき、展覧会のための文章と、web用のインタヴュー記事、そしてカタログのためのテキストを書かせていただきました。

活版による印刷の自分の文章を見たとき、普段みなれたモニター上の文章とは違って、文字自体がなにかを語りだすようないききとした感覚を感じたことをいまでもはっきりと覚えています。
文字は、目印になったり、何か他のものをさし示すための単なるサインになったりもしますが、思いや考えといったそれ自体かたちのないものを表現する手段にもなったりもします。その面白みを実感したのが自分自身もかかわることができたこの「STONE」でした。


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先日シンポジウム開催のため訪れた広島の街中で見た虹です。
はじまりからおわりまでの180°とまではいきませんが、旧広島大学のキャンパス跡地の大木の上から、ビルのてっぺんまで。
いままでこんな大きなはっきりとした虹を見たことがあったでしょうか?もしかしたらちいさな頃に見たことがあるのかもしれませんが、大空に描く虹を見たのは本当に久しぶりでした。
しばらくぼーっと虹のかかる空を眺めていたのですが、通りを行き交う人びとは虹にはあまり目もくれません。そのうち、青空に溶けるように、虹は輪郭がぼやけ、薄くなって消えていきました。
この地方では雨上がりの虹はあまりめずらしくないのかな?そんなことを家内に話したら、東京は空気がきたないから見えないだけだよ、とあっさり言われてしまいました。
自転車でダッシュで並木ラウンジに向かう途中に見た虹に、イベントの成功を願いました。
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アフター


「TOKYO BEYOND HIROSHIMA」
blogでご紹介いただきました。

La forgerone


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