FORM_Story of design(... Kato Takashi weblog)

満員御礼


「TOKYO BEYOND HIROSHIMA」。おかげさまで満員御礼、予想以上に多くの皆さまにご来場いただきました。どうもありがとうございました。席数の関係もあり立ったままで2時間近く聴いていただいた方も多く、感謝とともに申し訳ない気持ちでいます。

-都市の再考、そして地域性を越えて-
東京と広島に生まれた3人がそれぞれのルーツを語りながら、なぜ東京なのか?なぜ広島なのか?自分たちの生まれた街、そしてそこにある風景、自分たちの生業、短い時間でしたが今僕らが考えていることの一端を皆さんにお話できたのではないかと思っています。

「 地域性」という、それぞれの地域に固有の問題であり、普遍的な事柄を主題にしながら、何度も個人性と普遍性のあいだをいったりきたりしつつも、真剣にいろいろなことを考えることが出来た僕ら三人にとっても有意義な時間になりました。
主題である「地域性」の問題を、どれだけ浮きぼりにすることが出来たのかは聴いていただいていた皆さんの判断に委ねさせていただくとして、個人的には、東京から広島を考えるときの重要な主題である原爆について、「ほかならぬ広島の人だからこそ語りうる、固有の言葉があるのではないか?」という会場の皆さんへの問いかけに対し、シンポジウム中、あるいはアフターパーティーの際に若い皆さんの率直な考えを聞くことができ、原爆という普遍的な問題でありながら言葉にしづらい事柄について、同じ方向を向きながら考えることができたことが、個人的には大きな収穫になりました。

このシンポジウムが自分たちが暮らす「愛しい場所」について、いまふたたび考えるきっかけになればと願ってやみません。




シンポジウム後のアフターパーティではほとんどの参加者の方々に最後まで残っていただき、予定時間をオーバーする23時半までおいしいフードとドリンクで盛り上がりました。 広島の皆さん、島根や山口から来ていただいた方、会場となった並木Lougeの土井さん、そして東京からわざわざシンポジウムを聴きにきてくれたSABさん、どうもありがとうございました。
次回は来春を予定しています。今後ともみなさんどうぞよろしくお願いいたします。


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シンポジウム


早速、blogでご紹介いただきました。

NEW PEACE

モテログ

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ゼロ年代から考えること


自分が大好きだった下町の風景が、つぎつぎと高層マンションにとって変わっていくなか、憤りのようなものを感じ始めていた20年ほどまえ。そんな憤りのようなものを言葉にしてくれたのが、ホンマタカシの「TOKYO SUBERBIA」だった。SUBERB=郊外という言葉を意識したのはこの時がはじめてだと思う。
東京の下町といわれる地域で生まれて、いわゆる郊外的な風景には無縁に育ってきた。コンビもなかったし、ましてやファミレスなんてなかった。あるのは自宅の土間を改装したようなちいさな町工場と、友だちの家のあるのどかな商店街。浅草の繁華街にくり出せばへび使いの見世物小屋や、半端物の市がたっていた。
そんな風景が少しずつ消えていき、いかにも清潔を売りにしたような目新しくもありきたりなマンションになったり、自分たちが通う学校の校舎さえも、どの学校もまったく同じかたちで、校舎の姿では学校名を区別することさえ不可能になっていくような均一さが、そのころ流行っていたTVゲームの侵略者のようにせまってきた。
子供の狭い行動範囲のなかでも、もう自分が浅草にいるのか橋場にいるのか、三ノ輪にいるのか判らなくなってきた。街の記憶はもはや誰もが世代を越えて共有できるようなものではなく、そこに生きていた人間の記憶の中だけの目には見えないものとして封印された。そんな工学的な確かさで作られた安全安心でキレイな街の風景で東京は21世紀を迎えた。

街は価格の安さや均一さを売りにする、そんな安売りのお店のようになってしまったのか?ゼロ年代をやりすごして、続く2010年代に僕らがやらなければならないこととは?
もはや用なしになってしまったかのように見える街の記憶のなかから、それさえものり越えながら見えてくるものを、今度は人の心のなかから見つけ出していけたら、とおもう。



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そもそも広島を語ることのルーツを語る


都市住宅「7306 不法占拠」、「7308 特集| 高層団地(後編)」

数ある僕の都市住宅のコレクションのなかでも、これらの号は僕にとってもっとも密度の濃いものだ。都市住宅といえば磯崎新氏による年毎にシリーズ化された表紙もよく知られるところだが、この年の表紙連作「マニエリスムの相の下に」も素晴らしい。
7306不法占拠の号における、基町相生通り=<原爆スラム>の詳細な調査は、現在は高層団地とトウフのような低層団地が連なり、今はもうあとかたもない、川辺に自生した雑草のような生のたくましさをたたえていた、基町相生通りにおける素朴なコミュニティに生き生きとした輪郭を与えてる。
印象的なその内容は、スラムにおける「戸別アンケート」、スラム内の路地の定点観測「時間別行動調査図」、家族構成と生活の現状「<いえ>の構成と生活実体」、等々。

7308高層団地特集は、表題の高層団地の設計を手がけた大高建築設計事務所による基町・長寿園高層団地計画報告書である。さきの不法に占拠された基町相生通りの再開発であるこの計画は、原子爆弾の被爆によるひとつの都市の決定的なダメージという、切実な事情の中で生まれたコミュニティの「解体」と「再生」という難問に取り組んでいながら、今の再開発にはないすがすがしささえ感じることができるもの。
それは現在までつづく基町高層団地の住まわれ方をみればわかることだ。
「基町今昔」という原爆スラムと再開発後の写真による対比は、「ピロティー」、「コアホール」、「プライバシー」などをキーワードに、'70年代初頭のまだまだ低層住宅が居並ぶ日本的な風景のなかに生まれた高層住宅という異物が、地域にどのように形づくられてきたのかを、この地域にあった暮らし歴史という社会性とともに映し出していて興味深い。


※そんな傍観者に近い視点から広島の建築を眺める僕と、そこに住まい、日々そんな風景を共有している広島に暮らす人々、そして街づくりを手がける建築家の人々。そんな多くの皆さんと意見交換ができれば嬉しいです。
上の写真は都市住宅2冊。右の空撮の風景は、建設中の基町団地と原爆スラムが共存するめずらしい風景です。写真左側中央には広島城とそのお堀、下流で天満川と本川のふた手にわかれ、大きく蛇行するように流れるのは大田川です。
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語ることの意味を探す
BEYOND HIROSHIMA

BEYOND HIROSHIMA

広島でのイベントにおける個人的な資料を数回にわけて掲載します。それを受け取るのは個人的な感性によるが、それが提示するものの意味は普遍的なものがあると、自負しています。
初回は僕が広島を知るきっかけにもなったいくつかの書籍。20数年まえに買った一冊のロマンから、最近買った戦後に関する資料集まで。

右より、「ヒロシマをさがそう」、アサヒグラフ別冊版土田ヒロミ「ヒロシマ」、マルグリッド・デュラス「シナリオディアローグ 広島私の恋人 」、フランス・ガリマール版「Hiroshima Mon Amour」。
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TALK WITH YOU


「TOKYO BEYOND HIROSHIMA」が開催される広島の並木loungeの写真です。並木loungeには「コルビュジェ・ラウンジルーム」、そして「ノルディックラウンジスペース」という二つの空間があります。
今回僕たちのイベント会場となるのは「コルビュジェ・ラウンジルーム」です。
なにやらここでしか聴くことの出来な旬な話題もあったりして、期待していてください。

「東京生まれの僕が何故ひろしまで?ということは置いておいて
ゆるいトークになりそうですが、よろしかったらぜひ遊びにいらしてください。

20年ほどまえから自分が生まれ育った東京の変化のあり方にいきどおりのようなものを感じていて、その理由は何なのか?と考え続けてきました。

都市のあり方=かたちはつねに建築とむすびついている。

いまはすでに失われてしまった大好きな町並みは、人の思いと建築によって成り立っており、醜く成り代わってしまった町の風景も建築の連なりによって成り立っている。

都市のあり方が建築というものとわかちがたくむすびついている以上、
デザインの視点からも建築から何かを考えていかなければなにも変わっていかないな、と思っています。

それは庶民レベルの草の根にすぎないことわかっているのですが、
自分たちの風景のために何かをしなければならないといつも思っています」
加藤孝司
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絵の展覧会


下町つながりの知人でもある小野さんが、今週末開催の絵の展覧会のお手伝いをしています。
送っていただいた封筒には、すてきな絵が印刷されたちいさな案内が入っていました。

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ファンシーちゃん、もしくはハードコア
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友人のブログに、先ごろ行われた日本史展会場での井伊直弼(大)の鏡の中に写る僕の姿がたまたま掲載されていた。はじめ、自分の姿は髷の黒と鏡のなかに映るギャラリーの白い壁に同化していて、その鏡のなかに自分がいることにまるで気づかなかった。

彼がこの画像をブログに使用したことは、批評のようなものがその背景にあるのではないかと深読みしてみる。
鏡に映る自分の姿を客観的に見てみること。空虚という虚に不必要な意味を与えてはいないか?そんな言葉が、写真に写った鏡の中から、そら耳のように聴こえてくる。
髷を結った井伊直弼(大)を以って、日本史のなかでぼんやりとした輪郭があっても、その実中身が掴めない、井伊直弼という存在のそんな謎めいた人物像にリアルな自分を結びつけてみたり。

「日本史」を謎のままその神秘のセカイに置き去りにすることは容易いことだし、その姿勢もわからないでもない。
けれどもしそこに本当に意味がないとしても、僕はその謎を引き出す対象に「意味」を結びつけて、なんとかその意味をリアルな世界のなかで見つけ出したいと思う。
意味を見いだすことを一時保留してしまう前に、いま現実に目の前にあるものに対し、とるべき姿勢は他にもあるのではないか?と僕は思うからだ。
たから今思うのは、議論を引き起こすためだけのデザインなんてある訳がないということだ。デザインはリアルな日常の普遍的な問題に深く関わっていると思うし、それがアートだとしたらなおさら、議論や物議のまえに私性という集団的無意識に深く結びついている。
まして「日本史」の二つの作品はファンシーなミニチュアオブジェにはなりうるが、そのデザインのあり方はファンシーじゃないし、むしろハードコア(ヘビメタ?)だと僕は思っている。ファンシーが80年代中盤以降に日本において顕著な潮流ならば、ハードコアは80年代以前の日本でありヨーロッパだ。だから世代の問題でもありより個人的に身近に共感するのだ。

この写真を見ていたら鏡のなかに映った僕の方がなにやらフィクションのなかのファンシーなキャラクターで、井伊直弼の鏡自体がハードコア(もしくはファンキー{モンキー})なリアルなキャラクターに見えてきた。この髷ってもしかして、幕末版リーゼントか?キャロル、横浜銀蝿=Johnny・・・。
話は変わるが、ファンシーは文化だって言っている人がいた。別にファンシーを擁護するつもりはないが、僕は結構好きですよ。
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LANDSCAPE


画家のnakabanさんの個展がCHIGOで開催中。
迷いのない鉛筆での一筆書きのようなドローイング集「LANDSCAPE」というちいさな絵本を迷わず購入。2冊。



空と雲、太陽と虹、月とほし、砂と、そして灼熱。



地平なのか水平線なのか。そっとそこになにかをおいてみることで見えてくる、ここ以外のほかの場所。

ここから先は皆が見たことがない世界。各自、会場にあしを運んでみていただきたい。

nakaban
夢の中のいつもの街角

期間:11/14(金)〜11/24(月)12:00~20:00
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うりことば




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