FORM_Story of design(... Kato Takashi weblog)

デザインとして井伊直弼


DEROLL Commissions Series 2 日本史を見た。昨年のDEROLL Commissions Series 1 boxが、その秋に行われた展示の中でもひときわ鮮烈な印象を残し、一部のデザインジャーナリズムのなかで、この年の最高の作品と評されたことも記憶に新しい。僕は今回もこのDEROLL Commissionsを、デザインタイドメイン会場の空間デザインとあわせて本年度の一番に推す。

井伊直弼の2つの髷を題材にした清水久和氏のプロダクトは、それぞれ鏡と貯金箱という機能というか使用目的をもっている。物の姿を映し出し、時にその時々の心情さえをも映し出す鏡と、貯金箱という倹約と節度というある種のエゴを象徴し、未来のビジョンを映し出すもの。
それは鎖国という国の状況を憂い、自らの未来を担保にして国の未来に賭けた一人の侍の生き方とも重なる。

しかしそのいずれもが過剰なくらいに大きい。
その過剰さは現代の消費の象徴である一部のデザインに対する自らの身をていしての批評であり、そんなプロダクトデザインとしてのありかたの潔さも、清水氏のデザインにおける姿勢、その出自に翻弄された井伊直弼の生き方に重ね合わせてみたくなる。

井伊直弼は幕末の激動の時代に生きた士であったが、ひとかどの男性でもあった。そこにある生物学的に何ものをも生み出しえない男性であることのせつなさ。ピカピカに磨かれた白い石垣のうえにちょこんとのせられた髷(=男根?)をみていると、なによりもそんな生物として子孫を生み出しえないせつなさが伝わってこないだろうか?
デザインとしての井伊直弼はそんな人類の起源である、アダムとイブ、もしくは聖母マリアであり、デザインのはじまりに微笑しながら触れる、デザインの起源でもある。
余談になるが、それを建築に置き換え、その石垣の白いキューブを、二十世紀の建築におけるコルビュジェのモダニズムの象徴とみるならば、その上に鎮座する黒髪の髷は、その僕の一方的な論に引き寄せるならばポストモダンのスタルクのフラムドールだ。

このエキシビションの会期の終了と同時に井伊直弼が、志半ばで斬りつけれたと同様に、真っ白な中空でもあるホワイトキューブの石垣の上に鎮座する、井伊直弼の髷を清水氏が静かに床に下ろすとき、そこから新たなデザインのストーリーは始まるのではないだろうか?


DEROLL Commissions Series 2 「日本史」

2008年10月28日〜11月2日 スペース・インタート 東京都港区北青山2-9-15
http://www.deroll.com/

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DESIGNTIDE TOKYO 2008 開幕


布の建築の連なりが、閉じられた大きな空間に、ちいさな町の風景をつくり上げる。そこにあるのはちっぽけな夢でも希望でもなく、だれもが知っているリアルな日常だろう。



かってどこかにあったような、谷と川と緑と人がいる集落。人と人と建築と建築、植物と風景からなる街の連なり。それらが織りなす時間と記憶。
そんな抽象的だが具体的な生命の実感のようなものを、生まれ変わったDESIGNTIDE TOKYOのすべてから僕は感じた。この空間を作り上げる労力と維持する努力と気配り配慮、そして多くの共感。それらはやすやすと生み出すことはできない稀有ななにかだ。。
僕はその場に身を置きながら、そこにあるすべてに対して敬意をいだき、そこにあるデザインという心意気が有機的に生み出す、人と物とのうねりにめまいがしそうだった。
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PROTOTYPE EXHIBITION 02






表層的な操作によって生まれる多くのもの(デザイン)は消費の対象になり、それ以外のデザインは人間の直感や感覚をともないながら、より本質的なものにゆるやかにシフトしている。
構造は形を必然性のある方向に導き、かたちはエンジニアリングを味方につけ、より自由な形態を獲得していく。


PROTOTYPE EXHIBITION 02
-3rd November 2008
11:00-19:00
ゴタンダソニック
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食べることいきること  Marije Vogelzang


先日の夜、アクシスギャラリーで開催中のMarije Vogelzangのeating+design展のレセプションへ行った。以前にもこのblogで書いたことがあるが、マライエは食をテーマにデザイン活動をするオランダの女性デザイナー。彼女に興味をもったきっかけは、ドローグ、アイントフォーフェン、ヘラ・ヨンゲリウスという3つのキーワード。ドローグは彼女のクライアントのひとつであり、アイントフォーフェンはマライエが通っていたオランダのデザインアカデミー、ヘラ・ヨンゲリウスは彼女の師匠である。

会場についてまず目を引いたのは、ギャラリー空間を対角線に仕切る,何やら白い囲いだ。それはマライエを知る者なら察しがつくであろう、「シェアリングディナー」と題されたインスタレーション空間だ。
ご存知でない人のために念のため説明すると、ベンチが置いてあるのが見える細長いダイニングテーブルには、天井から吊るされた白いテーブルクロスがかかっている。
その白い布にはベンチに座ると、ちょうど顔と両手を差し込むことが出来る高さにスリット状の切り込みが入れられている。それに顔と両手を入れると目のまえのテーブルの上にディナーセットがあるという仕掛けだ。
だから、その白い布のなかに入ると周囲の一切の関係から切り離されることになる。目に見えるのは白い布のなかでともに食事をする、同じ状況のなかで食事を楽しむ人だけだ。実際に、友人2人とこのなかに入ってフードのインスタレーションを体験中に、すぐ後ろでマライエのレクチャーが始まったのだが、このなかにいると外の状況がまったくわからない。ここに入ることによって周囲の環境や出来事とある程度関係を断ちながら、純粋に食事と、ゲストとの会話を楽しめるという仕組みだ。
資料を読むと、実際にこのインスタレーションはそのような、周囲と関係を断ちながらも、ある程度外部とのゆるやかな関係を保持しつつ、食事をするということがテーマになっていると書いてあった。

マライエがロッテルダムの歴史博物館でおこなった、ある食にまつわる実験のエピソードを読んだ。それは実際に第二次世界大戦に参戦した兵士を対象にした、当時のメニューの再現というものだ。それを食べた戦争の当事者は、用意された料理を食べることで、当時の感情的な日々が蘇って来たという。
僕個人の体験からいえば、揚げパンやクリームシチューを食べると、義務教育時代食べた給食を思い出すように、そのように食べるということや味覚というものは、さまざまな記憶を含んでいる。「すいとん」を食べると、戦後の貧しい時代を思い出すなど、「食」は食材の歴史と、国民の固有の記憶や実際の歴史、そんなそれを食べる人の歴程をやすやすと連想させる力をもっている。
マライエがデザインするアートのインスタレーションのような、実際の食に不可欠なおいしそうとか、そそる感じから離れた、かわいいという即物的な印象は、実はそんな「食べるという行為」がはらむ人間の実存に結びついているのかもしれない。

この展示を見て、そんな歴史的背景を知ることはさておき、食はおいしく食べれなければ本当の意味での食ではないのではないか?なんて、そんな疑問をもつこともあるかもしれない。でも、食はつねに楽しみを提供するばかりではなく、さまざまな局面につきものであることをマライエは僕に思い出させてくれた。
肥満児が食べるダイエットメニューや、糖尿病をもつ人の食べ物はあまり美味しくないかもしれないし、プライベートのつらい状況下での一人寂しく食べる食事もある。人との別れの場にも食事はあるし、そんな思い出をたちきるための食事もあるだろう。けれどマライエが本展で見せてくれた「肥満児のためのコンセプト」という食のプロジェクトでは、「エネルギー」「友情」「信頼」など、食材を前向きなイメージをもつカラフルな明るい色に結びつけていて好感をもつことができた。それが実際に食欲をそそるレベルにあるのかどうかはさておき、楽しく食べることができ、かつバランスの良いダイエットメニューとしてうまく提案されていると僕は思った(実際にD'ont Touchとなっているにも関わらず,僕はあやまって手を出しそうになった)。

僕が勘違いしていたマライエのフードデザイナーという肩書きも、今回の展示をみて「イーティングデザイナー」として再認識することができた。
食べることは人間にとって日々の切実な問題だ。総中流化が達成され一見豊かな現代社会を実現した日本では、食べることに興味を持てない、そんな子供がいるなんて話を聞いたことがある。
そんな話を聞くと、人はそもそもなんのために、どんな目的を持って食べるのか?そんなことにも敏感になってくる。そんな現代社会において楽しく食べるためにデザインをしつづけるマライエは、食のアプローチから日常の問題解決を模索する、希有なデザイナーであることには間違いがない。


eating+design: デザインにできること2展 by Marije Vogelzang
2008年10月24日〜11月9日 AXIS GALLERY



笑ってます(笑)
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DEROLL Commissions Series 2 : 日本史


岡田さんの「日本史」のDMが届きました。もの凄いイラストに毛筆書き。まさに日本であり、デザイン。展覧会が楽しみです。

DEROLL Commissions Series 2 「日本史」

2008年10月28日〜11月2日 スペース・インタート 東京都港区北青山2-9-15
http://www.deroll.com/

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谷尻誠東京事務所


建築家谷尻誠さんの展覧会、「東京事務所」が青山のプリズミックギャラリーで開催中です。
いよいよ11月9日まで。

来週末からは、谷尻さんがメイン会場の会場構成を担当した「DESIGNTIDE TOKYO 2008」が東京ミッドタウンで開催されます。
ぞれぞれの作品に、壁や仕切りをつくるのではなく、個別の布の建築を配するという新しい展示の試み。
会場全体がひとつの集落のように、目には見えないそこにしかない固有の関係性を持ちながら、互いがゆるやかにやさしくつながるような空間。
それは今という時代において求められる、デザインと社会との関わり方を示しているようにも見える。
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タワーマンションとグローバルシティ 前編


すこし日にちが経ったが、先日聴講した建築夜楽校「タワーマンションとグローバルシティ」がとても良かったので、そこで感じたことを、シンポジウムを振り返りつつ少し書いてみたい。

全体の進行は、建築家の藤村龍至氏がモデレータをつとめるということもあり、先日レポートした広島で開催の「若手建築家のアジェンダ」とほぼ同じ。パネリストによるそれぞれ10分程度のプレゼンテーションに続き、コメンテーターによる講評、そして全員によるディスカッションという流れ。
今回はモデレータに哲学者の南後由和氏、そしてコメンテーターに哲学者の東浩紀氏が加わったこともあり、議論は藤村氏がシンポジウムにさきがけ掲げた、「建築的思考の可能性」の模索とはやや離れ、建築と都市を批判的にどうとらえるかが議論の主流になった。

あらかじめ設定された主題に関連するかたちで、パネリストが組織・ゼネコン系の建築家が中心であったこともあり、議論は建築家における作家論にまでおよんだ。
パネリストの一人、「僕はタワーマンションを設計していない」という言葉でスタートした、湾岸に建つ「ワールドシティタワーズ、「乃村工藝社本社」設計などで知られる日建設計の建築家の山梨和彦氏は、自らタワーマンションに住まい、タワーマンションにおいての付加価値である「素晴らしい眺望」をかけがえのないもの、毎日見ても飽きないものと語る建築家だ。また「建築は作品じゃないよ」というような持論に対し、他のパネリストからでた、それではここに来ている多くの学生たちがつまらないのではないか?というコメントに対し、自身の仕事を「可能性のある素晴らしい仕事ですよ」、というその山梨氏の返答は、組織設計事務所でインスピレーション豊かな建築を手がける氏ならではの言葉として、説得力をもって会場全体に響いていたと思う。少なくとも僕はそう受け取った。

日本におけるタワーマンションが「ヒエラルキーの縮図として存在している(山梨氏)」状況に対し、あるかないかの微妙なその差異を、ある種生存のためのアイデンティティにしている茶番さを揶揄する世間一般の向きに対し、2006年竣工した「虎ノ門タワーズレジデンス」をデザインした、鹿島建設建築設計本部の北典夫氏が主張する「その微妙な差異をわかって欲しいですよね」というような発言は、美を信念にタワーマンションを設計する氏ならではの美意識を感じた。確かに会場に映し出された氏が設計に参加した虎ノ門タワーズの姿はまばゆいばかりに美しい。僕個人としても、実際に窓明かりの灯った夜のタワーマンションの景色はそれだけで十分に美しいと思う。

しかし、その美しさが生み出すとおりいっぺんな階層差異は、のんびりとした東京の下町に暮らす僕にはやるせなさを感じさせるのも事実だ。
その北氏の美の概念は、今回のパネリストとして唯一アトリエ系であり、現在中国を拠点に活動する建築家の迫慶一郎氏が作家として直面する、ステータスとしてのタワーマンションという、中国における行き場のない建築的状況のなかで、デザインにグラフィックの美しさを導入していることにも繋がるのかなとも思った。

スライドで紹介された迫氏の北京モザイク」というタワー型マンションは、北京の経済開発区の、のっぺりとした「どこか居心地が悪い」エリアに、ながらく放置されていたというRC造の躯体からリスタートした計画だという。
その風景に僕は郊外的な風景が生み出す、典型的な不毛さを感じたものだ。それはまた、半世紀前に映画監督ミケランジェロ・アントニオーニが映画のなかで映し出した、イタリア郊外の不毛な風景とそこに暮らす人々の情景にもつながっていた。そんな風景の中に建つグラフィカルなタワーマンションは、建築をデザインとしてみたとき、それが建物の集合体としての風景に、個としてどのように全体に影響をあたえ、その町の一部になるのか?あくまで有機的な建築の集合体の一端として、固有の建築がしめす問題提議足り得ているのか?僕にはそこらへんが疑問に残った。
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多様さのむこう側にあるもの


いつの頃からか東京の景色もすっかり変わってしまった。子供の頃から馴れ親しんだ佃島にタワー型のマンションが幾つも建ったときは時代の変化を感じたが、現在では20年前には思いもしなかったような早さで東京の風景は変わっている。
先日の夜9時頃、湾岸線をバイクで走っていたら遠くのほうの湾沿いにたつ幾つもの高層マンションのシルエットが見えてきた。速度を上げ走るたびに近くの景色は変わっていくのに、遠くに見えるタワーだけはそこにとどまりあまり動かない。ゆるやかにうねるカーブをゆっくりとまわると、遠くに見えていたタワーマンションの窓の明かりがランダムに、規則性なく灯っていることに気がついた。

そしてその夜景を見て、以前にこのブログでも書いた青木淳さんがデザインしたランダムに窓が穿たれたオフィスビルを思い出した。
夜のタワーマンションの外壁を規則性なく彩るランダムに灯る窓灯りは、現代社会におけるライフスタイルの多様性をあからさまに示しており、極めて現代を象徴するような東京の風景だと僕は思った。

そして青木淳さんのタワーにおけるランダムで自由な窓の穿ちかたは、夜のタワーマンションそのものだと思った。
タワーマンションは夜になるとそれぞれの窓に灯りがともるが、皆が在宅しているわけでないから全部が全部点くわけじゃない。むしろ全部の部屋に灯りがついていたら気味が悪い。
そのランダムに灯りが灯っているさまが象徴するのは、現代においては9時から5時まで的な労働のサイクルはもはや自明のものではなく、モダニズム以降のポストモダン社会においては生活サイクルもかってないほどに多様化しているということだ。夜半過ぎに目を覚まし、夜明けまで仕事をする人もいれば、日の出とともに起床し、夕方前には仕事を終える人もいる。
遠くからでも易々と見分けることのできる在宅と不在を示すタワーマンションの窓の明かりは、ポストモダン社会の多様性を体現していると思った。

でも果たしてそんな新興住宅地としての湾岸地域を見て、それを現在の東京を象徴する風景だと思ってしまう自分も短絡的ではないか?と自問をしてみることも必要だろう。これら東京の湾岸地域に建つタワーマンションをひとつの街としてみてみると、それはかっての郊外型の新興住宅街と同様のコンセプトをもつ「作られた街」としての存在感が大きい。機能別に区分けされ土地、ゴミ捨て場、コンビニ、住居区画、公園。これら新街区においてはそれらが極めて機能的に清潔にすべてが等価に扱われている印象をもつ。シチュエーションこそ異なれど郊外にみられるようなニュータウンがのっぺりと、猥雑な都市の周縁の風景にとりついたかのようだ。多様さをうけいれたはずの社会は、多様な人びとのニーズに応えるためにむしろ画一化していく。ポストモダン社会では多様さを装うほどに個別性は失われていくのだろうか?
僕は以前、青木淳さんのタワーオフィスをみてモダニズム建築の呪縛から逃れることができたのではないかと嬉々として書いたが、それはモダニズムを越えたのではなく、ポストモダン社会の多様性を示しているのだと、夜の湾岸に自然のなかの林のように林立するタワー型マンションのシルエットを見てあらためて思った。
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コルビュジェが町にやってきた


現在、僕が住んでいる台東区では上野の森にあるル・コルビュジェの設計の国立西洋美術館の世界遺産登録へむけてのPR活動をしている。区の広報によると国立西洋美術館(1959年竣工)は、今年、フランス政府から世界遺産登録の推薦をうけており、現在審議・登録待ちの状態だとか。
僕の家の前にも写真の旗が通り数百メートルにわたって設置されている。自分の家の前にこのトリコロールカラーのコルビュジェの旗がはためいているのはなんだか誇らしい気分でもある。

経緯としては、今年1月には日本政府が国立西洋美術館をユネスコの世界文化遺産に推薦することを正式決定、それを受けて台東区でも8月に区内上野地区を中心に大々的にプロモーションを展開、都内でも最大の観光地でもある浅草でプロモーション活動をすることで、地元住民や旅行客にも理解と後押しを求めていく方針のようだ。

なんでもこの活動はとうのル・コルビュジェのお膝元フランス政府の肝いりで、世界7カ国にある計23件のコルビュジェ建築を一括に世界遺産に登録することを目指しているというから、相当なものだ。
昨年の9月にはユネスコの暫定リストに登録済みで、それに合わせて12月には国の重要文化財に急遽指定されたことは記憶に新しい。

この国立西洋美術館は、バングラディッシュのアメーダーバット、インドのチャンディガールなどとともに、収蔵作品の増加にともない、増築などにより美術館自体が増殖する「無限発展美術館」として構想されているというもの。当初、政府から美術館設計の依頼をうけたコルビュジェは美術館のみではなく,上野公園全域に及ぶプランを提示したという。もし仮にそのプランが実現していたら上野公園はどのようなものになっていたのだろうか?余談だが鎌倉にあるコルビュジェの弟子である坂倉準三設計の神奈川県立美術館(1951年竣工)は、無限発展美術館のコンセプトを引き継いだものだといわれている。1998年に大規模な改修工事を行い、国立西洋美術館は建物を地盤から独立させる免震レトロフィット工事により地震にも強い建物になった。



さてこの旗の効果のほどだが、地元住民にはまったくアピールできていないのが現状だ。一般の住民にはそもそもコルビュジェの存在自体が不明で、旗に描かれた人物が誰なのかまったく分かっていない。実際に我が家でも家のまえに旗がありながら誰もまったく気にも留めていないというのが実情だ。
確か何年も前から、かっぱ橋にある社会福祉センターにもコルビュジェの肖像画が描かれたのぼりがかかっていたし、区ではコルビュジェを、そして西洋美術館を地元の文化の象徴にしようとしていることがうかがえる。
なにはともあれ、台東区民であれば一度はおとずれたことがあるだろう西洋美術館、それをコルビュジェと結びつける必要はないのかもしれないが、優れた価値を持つ建築だけに文化的価値の確立のためにも区民として出来うる限り協力していきたいと思っている。
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浅草郊外
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浅草から自転車でわずか10分ほどのところにも、こんなタワーマンションと集合住宅の郊外的な風景があるんです。そのむかし江戸(東京)の商業、そして娯楽の中心として栄華をきわめた浅草や吉原。隅田川とその支流をさかのぼるように「郊外」が浅草の周辺に形成されていった。

17時過ぎには子供のほとんどいないジャングルジムのある公園。再開発された駅前からマンションに続く道沿いにある大型ショッピングモール。学校帰りの子どもたちが集まる広場にある噴水。いつもきれいに清掃されている公衆トイレ。手入れの行き届いた公共の庭。川が埋め立てられていまはなくなった空き地に立つ閉じたままの水門。
夕暮れ時には赤く染まる空と広場。
かってここら一体は汐入地区と呼ばれ、完了した再開発地区のはずれに今も残るちいさな社を中心にして、迷路のようになった細い路地が入り組む人情味豊かな町の風景が広がっていたあたりだ。

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経済性を優先にした制約条件のなかで「半自動的に設計され」、ちいさな差異を生み出す装置としてのタワーマンション。地域性に関わらずどこにあっても似たような形態をもち、同一のシステムによって生み出されたちいさな欲望の象徴としての風景。それも僕たち人間の日々の営みのなかから生まれてきた愛しい日常の風景にちがいがない。
遠くに見えるタワーマンションにはかってある有名ミュージシャンが住んでいた。もう彼はいないが、竣工から20年ほどたちこの風景のなかには、ここにしかない固有の景色とかけがえのない物語りがうまれているように僕には思えてきた。
当初、人間関係も街としての密度も希薄に思えていた再開発が生み出したこの地域の風景も、時間を重ね暮らしを重ねながら、確実にそこに住まう人びとの原風景を築きはじめているのではないだろうか?
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