FORM_Story of design(... Kato Takashi weblog)

都市住宅という批評
都市と建築

最近、お二人の建築家の方とお会いする機会があった。そこで思ったこと。建築・デザインに関わらず批評の大切さ。ものごとをよく観察して冷静に見て判断する目。社会性をもつこと。そして今しか言えないことは今言葉にして言うこと。

先日、我が家の本棚の一部をなにげなく写してみた。中央に'60'〜70年代の建築誌「都市住宅」。これはエクスナレッジ社から発行された「デザインアディクト2」のお仕事に関わったときに、担当のK戸さんからおすすめしていただき、はまって一気に集めたもの。'70年代の、義父がいまも住む広島基町アパートメントの号は以前からもっていたのだが、あらためていまその中身を見てみると写真のレイアウトといいテーマの掲げ方といい、その編集方針の斬新さは目を引く。
時間をかけて足でかせいだ綿密なリサーチのなかから生まれてくる詳細なレポート。
そして植田実さんを中心にした濃密な批評空間。

その横に並んでいる書籍のタイトルはデザイン誌「AXIS」。いつか寄稿してみたいなあ。
その横にあるのは初めて原稿を書かせていただいた歴史あるカルチャー誌「STUDIO VOICE」。
偶然の並びなんだけど、なんか今の気分を反映していて、そして、なにやら必然のつながりを感じる。
ん〜ン。
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NAUT + anonima studio
NAUT

名古屋の家具レーベル、NAUTの展示会が蔵前にある出版社アノニマスタジオの1階ガレージで始まった。
台東区蔵前の裏道にある昭和の面影の残る雑居ビル。このあたりは浅草生まれの私にはなじみの深い場所だ。通りをひとつこえればことあるごとに川面をながめた、そのむかし大川とよばれた隅田川が流れ、大通りをこえれば観光客にぎわう浅草の町にもほど近い。

アノニマスタジオが入るビルの1階の外観と内装デザインはNAUTの手によるもの。
今回の展覧会はNAUTによる空間に、frameという新作家具シリーズが並べられたコンパクトな展示になった。
NAUTの家具の上には、その空間を濁すものは何一つと見当たらない。NAUTの家具の他にはなにも置かれていない空間。この潔い展示スタイルも余分なものがなにもない、一見デザインさえも排除したようなNAUTの家具の本質をついている。
木の持ち味を最大限に引き出したかたちは木がもともとなりたかったかたちを想像させる。
木材との真摯な関わりから生まれてきた手作りの家具は、1点1点オーダ−を受けてから木工作家の手により生み出される。関東では初となるNAUTの家具展。会期は3日間だけ。ぜひお見逃しのないように。

NAUT Exhitibition / 道具としての家具展
アノニマ・スタジオ1階「ガレージ」
〜8月24日(日) 
11時〜18時 (最終日17時終了)
東京都台東区蔵前2-14-14
HP:http://www.anonima-studio.com/
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クラシコとエフスタイルのこと
クラシコ

今日、いつものように谷中辺りを自転車で散策していた。谷中の止まり木のようになっているクラシコというお店に立ち寄るのが習わしになっているのだが、今日はあいにくクラシコの定休日である火曜日。それでもついつい足が向いてしまうから不思議だ。
お店の前を通るとなにやらなかに人影が。磨りガラスからやわらかく灯りも洩れている。
手をふるとなかから高橋さんが笑顔でとびらを開けてくれる。

植木と金魚の面倒のために休日でもお店にでてきているのだという。
いつものように近頃の出来事や、お互いのこと、そんなとりとめのない話をしていると、高橋さんが一冊の本をみせてくれた。
つい最近アノニマスタジオより出版されたばかりの、新潟のおんなのこ二人組のエフスタイルの活動をつづったコンセプトブックだった。エフスタイルは地場産業と関わりをもちながら、地方ならではの利点をいかした丁寧なもの作りで知られるデザインユニット。今年の春、銀座松屋の出張販売で出会ったお二人は、素朴ななかにも芯の強さを感じる素敵な女性たちだった。個人的には彼女たちがつくる靴下が大好きで、ふくらはぎを締め付けず緩すぎず、シャキッとしたその履き心地はまったくもって新感覚なものであった。
エフスタイルの本は、古くからある伝統的なもの作りの現場と密接に関わりながら製品開発をする彼女たちの姿をつぶさに記録したという感じの硬派な内容で、けっして昨今の工芸ブームの波にのっただけの表面的なものではない。
テキストもエフスタイルの二人が書いている。その描き出し方も、地方におけるもの作りの現場と個人的なデザインにおける思考がシンクロしていて、内容が濃い。
工芸の表層のうわずみをすくうようにそれをビジネスにむすびつけるやりかたはいずれデザインそのものを衰退させる時代のあがきにすぎない。
まだ本を読んでいないのになにかを語るのはおこがましいことだが、エフスタイルの活動からはデザインがすることができる一側面が語られていて、本を買って読んでみたい衝動にかられた。

近況報告をひとつ。クラシコのHPが出来あがった。ウェブデザインはグラフィックデザイナーの岸くん。最近では彫刻家の古賀充さんのウェブデザインも彼の仕事だ。クラシコのホームページはオーナーの高橋さんの人柄がにじみ出る、優しさの感じられるデザインになっている。
あわせてclassico blogもオープンしたので、丁寧な生活のためのすべに長けた高橋さんの言葉にぜひふれてみていただきたいとおもう。

classico / クラシコ
http://www.classico-life.com/

「エフスタイルの仕事」 発行:アノニマスタジオ
http://www.fstyle-web.net/info.html
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日常のなかから生まれてくるデザイン SyuRo
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デザインは日常から生まれてくるものだ。それはかたちや色、音や香りをともなってわたしたちの日常からたちあらわれてくる。それは奇を衒ったものではなく、当たり前に、時に人を喜びとともの少しばかり驚かせようとわたしたちの日常に姿をあらわす。
時代はデザイン流行、あらゆるものにわたしたちはクリエーションという名前のもとにデザインを排出し続ける。かたちのデザイン、生活のデザイン、ことばのデザイン、心のデザイン。
最近近所にできたお店”SyuRo”は、昔ながらの家の土間のたたきのような空間が心地よい日常のデザインショップだと思う。

デザインはきっとかっこ良いものでも気取ったものでもなく、日々のちょっとした出来事にもの語りをもってふれる、そんな出来事のことだと思う。
それはかたちをともない、ことばをともない、色を音をともない、日常生活のなかで具体的なかたちをもってたちあらわれてくる。
誰か大切なひとのためになにかをしたいと思うことがデザインだとおもう。それはきっと一番力強いデザインだ。ご飯をつくること、お皿をあらうこと、洗濯をすること、誰かを自転車の後ろに乗せていくこともデザインだし愛だ。
なにかをいまより少し良くしたいとおもうこと、いまとはなにもかわらないこと、デザインをおもうこと。
以上のすべては近所にできたお店"SyuRo"に送ることばだ。

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SyuRo
東京都台東区鳥越1-15-7
03-3861-0675
http://www.syuro.info/
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敬虔に沈黙を守っていたまえ
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まさか今このタイミングで澄さんの作品に出会えるとは思わなかった。プッシュ・ミー・プル・ユーは結局訪れることのなかったお店だったけれどイメージは鮮烈に残っていた。

目黒通りのクラスカのショップ&ギャラリー"ドー"で開催中の澄さんの展示会は、昨年暮れ出版された1x1=2と題された澄さんと松澤紀美子さんの書籍の表紙にもなっていた鳩時計がタイトルに冠された。
白い空間にクラフトを強く感じさせるオブジェが空間にたいしていささか控えめにセットバックして配置された。
その空間をいかすものはそのオブジェのみ。天井には鳩時計が空間と空間をやんわりとつなぐようにつるされている。
時計といってもその四角い木の箱に時を記す文字の配列は見当たらない。それはこの箱がただ単に時を告げる機能に特化した道具であることを、はなからその実存から除外していて、無用のオブジェのみがもつ存在の激しさとしとやかさをその実存の内部に併せ持っていることの証のような気がした。

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かってあった池尻大橋のそのお店は、インテリア雑誌などでその存在は知っていたものの、当時近所に住んでいたにも関わらず、いつもの行き当たりばったりの行動パターンの悪癖がたたり、この辺りとあたりをつけて出かけていたので結局いつもお店を発見出来ずじまい。そのうち閉店の知らせをうけたりして後悔しきりなのであった。
澄さんが営んでらしたそのブッシュ・ミー・プル・ユーというお店は、今では自分のなかでは青山にあったクラフトとイデーと同じくらい伝説になっている。
そのうち早稲田の裏道に澄さんがカフェを開かれたという噂を聞きつけ、今まで何度となく訪れたが、古木や道具が軒先に散らばるその店らしき物件はあるのだがさしたる確証もなく店のあるあたりをのんびりと自転車で通りすがるばかりだった。
(現在カフェの営業は休止中)



知人に聞いた話しだと、その軒先に座り込み板きれと戯れているのが澄さんだとあとから知った。
一軒ギャラリーなどはあるもののおおよそカフェを営むなど誰も考えないような印刷所などの町工場が密集するエリア。池尻大橋の、前を通っても注意深くしていないと見過ごしてしまいそうなお店を前衛的に運営していた澄さんらしいシチュエーションだと感動する。

1x1=2を読み返していたら山口信博さんによる解説文に「解剖台の上のミシンと洋傘の偶然の出会い」というロートレアモンの詩の一節が引用されていた。ならばとロートレアモンのマルドロールの歌から、このblogの表題に引用したのがタイトルの一説だ。「敬虔に沈黙を守っていたまえ」。
澄さんの鳩時計のまえではまさに時が時計の文字盤の上から消失し沈黙こそがそこにあり、定刻になると顔をだす鳩のいななきだけが敬虔にわたしたちに時を告げるよすがになることを知るだろう。

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「澄 敬一の仕事」展
2008.8.7(木)→9.7(日)
CLASKA 2F Gallery & Shop "DO"

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京橋、PM4:28
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右の白い建物はニューミュージアム?いえいえ違います。
ここ数日、激しい雷雨が続いている。昨日は傘を持たずに外出していたのですっかり降られてしまった。今日も朝から雷鳴が響き、雲は空を覆ったままだった。銀座線京橋駅に着いた頃は西の空は黒く不気味にごっていた。通りを出てINAXブックギャラリーに向かうことにする。本を選びながらしばらくしたら、ついに大粒の雨が雷鳴とともに落ちてきた。

ウインドウ越しに見える銀座通りを歩く人の姿もまばらで、携帯を片手にした営業マンがびしょ濡れになりながら店に飛び込んでくる。建築とは雨傘を持たない人の雨宿りのための道具になる。それは野原のなかでの幹を大きく広げた大きな木の下と同じ役目を果たし、木々のこずえとこずえとのあいだと同じような癒しの空間にもなる。木々の下で雨宿りや陽をよけるように、家々の軒先で休んでも良いのではないだろうか?そんなあたりまえなことを考えたりした。
少し雨も小降りになってきた。
ブックギャラリーと同じビルにあるギャラリーの告知をみてみると、丁度7Fクリエイティヴスペースで、この場所から程近いこの春竣工した銀座デビアスビルを設計した光井純さんの展覧会『心を解放する仕掛け』が開催中だった。東京を歩いていれば誰もが目にした事がある建物を建築している方。変化し続けていく東京という巨大なスケールの街のなかで、風景やそれをつくる建築をそれが人間の心に直接作用するものと意識して建築づくり、しいては街づくりをしている方なのかなあと自作のある街の風景を等身大のそこに集う人の姿とともに映したパネルの、その展示風景をみて思った。そこにはマッシヴな建築の圧倒的な風景というよりかは、ヒューマンスケールの街と建築、そして施工者を含んだ身の丈の人間の生き様が風景として表現されていた。

外にでてみると遠くの空は少し明るくなっていた。銀座の目抜き通りと首都高の高架が交差する通りを見ていたら、雑多な東京という風景は悪趣味に満ちていて、そこにこそ描いていた未来はすでに描かれていて、それこそが高度経済成長真っ只中に生まれた自分にとっての建築(街)の原風景なのかな、と思った。
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同潤会アパートメント
どう

上野下(台東区)昭和三年。六四戸。六階建て。RC造アパートメント。同潤会は大正十三年に発足、十八年間に十六カ所のRC造アパートメントを建設、その総戸数は二千八百戸。大正十二年におこった関東大震災で罹災した人々の救済を目的のひとつに建造された。
台東区、墨田区、江東区という東東京地域を中心に建設され、一部は青山や代官山、横浜にも建造された。
私にとって同潤会アパートは江戸川乱歩の小説に結びつく。「陰獣」「D坂」「人間椅子」「二銭同貨」「屋根裏の散歩者」。
これらはすべて東京の下町を舞台に描かれた小説だ。下町といっても谷中あたりは厳密には下町とも山の手とも区別しがたく、丘とも谷とも区別しがたい地形に位置している。いまでもこの谷中の谷から山の稜線をとおり、谷におり、そして丘につづく坂道(D坂)をのぼり、ふたたび丘の頂に辿り着くと、そこには古い洋館が建ち並ぶお屋敷街がひろがっていたりする。
大正も末期、当時の東京は地方からの多くの人々を受け入れ始めていた大都会になりつつある頃で、東京とはそんな地方出身者にとってひとつの大きな檜舞台であると同時に、どうしょうもない精神的な疎外感を生む闇をはらみはじめていた頃だ。そんな東京の都市という状況は今もむかしもそう大差はない。
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かわいい信号
かわいい

薄型LED信号機も近ごろではだいふ見慣れてきたのだが、家からさほど遠くない見馴れた裏道の小さな交差点でこの歩行者用信号機を見たときは、かわいいなぁと正直思った。
信号機製造メーカーには小糸工業、日本信号など大手と呼ばれるメーカーが幾つかあるが、こちらはそのうちの一社、福岡に本社を構える信号電材株式会社のもの。
東京の街中の自分の行動範囲では小糸工業製の信号機がはばをきかせていて、意外とこの信号電材製の薄型歩行者用信号機は見かけなかった。
しかし、昨日京橋まで自転車で移動中、新規で何件か見かけた。写真は台東区小島あたりの交差点、そして例のこわい信号がある秋葉原の歩道の近くでも信号電材の信号機を見つけることができた。

信号電材株式会社のウエブサイトを見ると、「工業デザイナーの秋田道夫氏と提携し、デザイン性の高い信灯器の開発に取り組む」と書かれています。秋田道夫さんといえばプロユースのオーディオ機器のデザイナーとして知られ、近頃ではデザイン家電の分野で内外で高い人気を誇るインダストリアルデザイナーだ。

小島町の裏道で出会った秋田さんデザインの信号機はとにかくチャーミングな印象だった。
他のメーカーの薄型信号機と比べると幾分丸みを帯びていて輪郭がやわらかく、ともするとシャープな印象しか残らない他のメーカーのものと比べると街角にやさしいデザインだ。なんというか信号待ちの退屈な時間に、瞳のかわいいチャーミングなコにばったり出会ってしまったような、そんな得した気分がして信号機の下で微笑んでしまった。

信号機を一日に1度も見ないという人はこの世のなかにいないのではないだろうか?
だからこそそんな街角のデザインこそ人間に近しいデザインであってほしい。その人間への近さはものの善し悪しの判断にはならないかもしれないが、一瞬の出会いのなかできっと日々の暮らしをほんの少しだけやわらかくしてくれるにちがいがないから。
街角で出会ったかわいい信号のそのかわいさの意味は、工業デザインの思想と理想がきっちりと製品に貫かれていながら、そこに一筆書きのようにさらっと描きくわえられたデザイナー本人の茶目っ気が現れているからだろう。


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こわい信号
sinngo

先日、秋葉を自転車で走っているときに発見しました。最近は薄型の信号機が街に立ち始めて、交差点めぐりが楽しくなっていますが、ついつい信号機の裏を見てしまうんですよね。プチ信号マニアです。
この秋葉原駅前の横断歩道は、上に首都高上野線が、下を埼玉方面までのびる昭和通りが走り、とても交通量の多い通りです。運送トラックなんかがグングン走りとても危険な通りでもあります。
さて、写真の信号機ですが、オカルトっぽくないですか?なぜか信号機に有刺鉄線が巻き付けられています。しかも信号機にはなんか変な液がたれています。
おそらく鳩対策でしょう。信号待ちをしていると上から鳩の糞が落ちてくるんでしょうね。
道行く人はあまり信号の裏など見ないし、しかも高架下の信号機はとても暗いのであまり気づきませんが、これはチョット奇妙です。

singo2


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