まさか今このタイミングで澄さんの作品に出会えるとは思わなかった。プッシュ・ミー・プル・ユーは結局訪れることのなかったお店だったけれどイメージは鮮烈に残っていた。
目黒通りのクラスカのショップ&ギャラリー"ドー"で開催中の澄さんの展示会は、昨年暮れ出版された1x1=2と題された澄さんと松澤紀美子さんの書籍の表紙にもなっていた鳩時計がタイトルに冠された。
白い空間にクラフトを強く感じさせるオブジェが空間にたいしていささか控えめにセットバックして配置された。
その空間をいかすものはそのオブジェのみ。天井には鳩時計が空間と空間をやんわりとつなぐようにつるされている。
時計といってもその四角い木の箱に時を記す文字の配列は見当たらない。それはこの箱がただ単に時を告げる機能に特化した道具であることを、はなからその実存から除外していて、無用のオブジェのみがもつ存在の激しさとしとやかさをその実存の内部に併せ持っていることの証のような気がした。
かってあった池尻大橋のそのお店は、インテリア雑誌などでその存在は知っていたものの、当時近所に住んでいたにも関わらず、いつもの行き当たりばったりの行動パターンの悪癖がたたり、この辺りとあたりをつけて出かけていたので結局いつもお店を発見出来ずじまい。そのうち閉店の知らせをうけたりして後悔しきりなのであった。
澄さんが営んでらしたそのブッシュ・ミー・プル・ユーというお店は、今では自分のなかでは青山にあったクラフトとイデーと同じくらい伝説になっている。
そのうち早稲田の裏道に澄さんがカフェを開かれたという噂を聞きつけ、今まで何度となく訪れたが、古木や道具が軒先に散らばるその店らしき物件はあるのだがさしたる確証もなく店のあるあたりをのんびりと自転車で通りすがるばかりだった。
(現在カフェの営業は休止中)
知人に聞いた話しだと、その軒先に座り込み板きれと戯れているのが澄さんだとあとから知った。
一軒ギャラリーなどはあるもののおおよそカフェを営むなど誰も考えないような印刷所などの町工場が密集するエリア。池尻大橋の、前を通っても注意深くしていないと見過ごしてしまいそうなお店を前衛的に運営していた澄さんらしいシチュエーションだと感動する。
1x1=2を読み返していたら山口信博さんによる解説文に「解剖台の上のミシンと洋傘の偶然の出会い」というロートレアモンの詩の一節が引用されていた。ならばとロートレアモンのマルドロールの歌から、このblogの表題に引用したのがタイトルの一説だ。「敬虔に沈黙を守っていたまえ」。
澄さんの鳩時計のまえではまさに時が時計の文字盤の上から消失し沈黙こそがそこにあり、定刻になると顔をだす鳩のいななきだけが敬虔にわたしたちに時を告げるよすがになることを知るだろう。
「澄 敬一の仕事」展
2008.8.7(木)→9.7(日)
CLASKA 2F Gallery & Shop "DO"