現代アートはつねに興味の対象だ。もしデザインや環境問題、そして今自分がいる時代をその背景から知りたければ、現代アートを知り、それを読みとくことは、それを知るためのひとつの手段になるからだ。
その意味で現代アートがほかのメディアと異なり優れた点は、自分たちが生きる同時代のもっとも感性の優れ社会や同時代的な事象を芸術性をもって表現することに長けた表現者によって、社会的事象の裏に潜む感覚的なものが、具体的に目に見えるかたちで表現されているということにつきると思う。
けれど現代アートを購入していないのは私も同様だ。買わなければ何も表現できないのだろうか?いや、そうではないと思う。よく見ることで見えてくる表現の本質があると思う。
現代アートはある意味古典作品より感情移入しやすいものが多く、純粋に美しいと思い、良いと思う作品も多い。
そして現代という同時代に生きているアーティストたちに最大のリスペクトを込めてその作品を見たりしている。
現代アートとはそんなに難しいものだろうか? むしろ同時代にいることによってその作品から見えてくるものを掴むことは、後世の人よりは長けているはずだ。だから現代アートに時代性や意味という理解しやすい文脈をつけるのは現代人の後世にたいするつとめでもある。
しかし、現代アートを見えにくくしている状況もたしかにあるにはある。
その閉塞的にみえる流通システムや、ギャラリーというものの敷居の高さといったあり方の問題、価格の不透明性。しかしそれらは私たちの無知からくるものにほかならない。見ようとしないことからくる無知。
だから、現代アートが難しいというまえに、ニュースやゴシップ誌をみるようにときに興味本位で現代アートを見てみるべきだ。
時に現代アートには人間の露骨な欲望や潜在意識が意識せずとも表出しているときがある。
批評性をもって現代アートをみてみよう。