FORM_Story of design(... Kato Takashi weblog)

デザインって何?
style

スウェーデンのグラフィックデザイナー、オーレ・エクセルの特集記事が掲載された北欧スタイルが発売になったので、記事の場外編としてオーレ・エクセルが活動した国、スウェーデンについて少し書こうと思う。
本特集の記事に携わっているときに、しばしば思い当たり、つき当たった問題が、スウェーデンは社会主義国か?という問題。今回の特集ではそこまで政治的に踏み込むべきではない、という配慮からその問題には触れなかっのだが、デザインといえども時の政治の動向にはけっして無縁ではないだろう。

なぜそのことを考えたかという、オーレ・エクセルはチョコレート会社であるマゼッティ社のトレードマークデザインや菓子のパッケージ、製品広告のデザイン、そして社内用紙のデザインなどの、社内外で目にするもののほとんどのデザインを会社に望まれデザインし、それが経営的にもそれなりの成功を収め、社会的にもオーレのデザインが受け入れられたにも関わらず、2年間というわずかの期間ののちに改革を推し進めた広告部長が解任、それにともないオーレ自身も会社との関係を解消するにいたるという事実につき当たったからだ。

オーレがマゼッティ社のトータルデザインを手がけた背景には、アメリカでのグラフィックデザインが果たす社会的に重要な役割の認識をふまえ本人の強い希望もあったと思うが、スウェーデンという国の産業界にあって、国内外の競合企業との競争、そしてポール・ランドやレイモンド・ローウィらが企業で成し遂げた大きな成功への憧憬もあったと思う。

そこでスウェーデンは社会主義の思想を持つ国か?ということだが、社会主義という提議は国の政治体制にあてはまるのか、それとも社会思想に当てはまるのか、それが微妙であるだけに、知識不足の身にはなんとも定義しかねるところである。
資料によれば、19世紀かのマルクスは『資本主義が成熟した後に社会主義が実現しうる』といったそうだ。
現在では社会主義という定義以外にも社会民主主義なんていう考え方もある。

知られているようにスウェーデンは高社会保障制度が確立した国であり、20世紀の二つの世界大戦にも参加せず中立の立場を保ったことによる、産業革命以降、戦後復興による爆発的な経済の成長はなかったものの、30年ほど前まで、ゆるやかに継続的に経済成長を成し遂げてきた世界的にみて稀有な国であった。
しかし高額の税金や、現在でも徴兵制度があるなど、自由な恋愛感などのおおらかなモラトリアムの国、というイメージもいまだにあるし、それは一面では事実だろう。

また企業の国有化も社会主義の特徴のひとつといえるのなら、現在民営化が進む日本の社会はかって社会主義の考えをもった国であったといわれていることもうなずけたりする。スウェーデンにおいて労働者の公務員比率はとても高いという。『高福祉という社会主義的側面と、自由経済という資本主義的側面の共存がスウェーデンという国の独自のかたちを作ってきた。http://tanakanews.com/981002sweden.htm
オーレ・エクセルが活動したスウェーデンという国にはそんな二つの面があり、それが社会全体の中心の考え方としてあった。本文にもあるが、急速な改革は企業にとっても脅威になったのかもしれない。当時もそれ以降もスウェーデンはグラフィックデザインやプロダクトデザインの分野において、世界中を魅了する製品を提供していることは周知のとおりである。

個人的に今回の特集を書き進めるうちにオーレ・エクセルの仕事として魅力的にうつったのは、60年代に企画した「家庭のパッケージデザイン」という展覧会だった。それまでのスウェーデンにおける一般的な具象的で装飾的なパッケージデザインと、オーレ・エクセルが提案する明快でシンプルなパッケージデザイン。
そこにはのちのすがすがしいスウェーデンのグラフィックデザインの原点があった。
詳しくは誌面、そして30日から代官山のスピーク・フォーで開催される「オーレ・エクセル展ーデザインって何?」を見ていただきたい。
いまでは当たり前になり、ある部分では新たな段階へ、そしてある部分では廃れた感のある企業のCIという考え方への取り組みは、しかし、環境問題やエネルギー問題が深刻化する現在こそ有効な手段であると思う。
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Baroque Concert
anthem

cafe & bar anthem
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今日のお買い物
フィン

今日は神戸に行ってきた。そこで出会ったフィンランド・バーチで作られた名刺入れ。カウンターにディスプレイしされているのをみて、おっ、これは?と思ったら、前日お会いしたKさんがお持ちのものでした。出会ったのはtooloという、元町でd'antan、haus、という3軒のお店を運営するDEF COMPANYというレーベルが運営するお店のひとつ。

フィンランド・バーチの柔らかい素材感と、きめの細かい木肌が小さなプロダクトデザインのなかに見事に生かされている。
中央の黒いポイントがデザイン上のアクセントと、ふたがずれないためのストッパーの機能をはたす。

デザイナー等の詳細は不明だが、フィンランド製、同店で販売する北欧らしいナチュラルでさわやかなテキスタイルのデザインを手がける、フィンランドのテキスタイルデザイナー、ヨハンナ・グリクセンが関わっているとの話。ヨハンナのデザインするテキスタイルは、アアルトに連なるフィンランドらしい自然の風景をイメージさせるもの。
情報収集不足でいままで東京では見かけなかったが、神戸に行かれる予定のあるかたはぜひtooloにおとずれ実際に手にとってみていただきたい。

写真を撮影した場所は同じ神戸元町にあるカフェ&バー・アンセム。写真の背景に映っているのは実際に店内で使用されている、ウルム造形大学初代学長であるマックス・ビルがデザインしたちいさなスツール。これもまた極限まで装飾をそぎおとした、機能そのものが装飾になったようなデザイン。

名刺入れとウルム・スツール。こうして並べてみるとデザインという思想がかたちになり、そして機能になることにはあまりかわりはない。

名刺の
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それぞれのバウハウス
bb1

今回この展覧会のために実寸で再現されたこの建築の設計士であり、この部屋のあるじであるグロピウスのための校長室は象徴的だ。
水平、垂直といった直線で構成された、いまの時代からみてもモダンでいささか質素なこの部屋には、皮肉にも現在の大量生産型のモデルハウスにとっての理想のようなものをみることができるだろう。

またそこにしつらえられたソファのクッションの厚みやフォルムにさえ、モダンファニチャーの原点、ベリアンとコルブのLC2をみることも可能だし、そこには椅子というものの座り心地やステイタス性を追求すれば必ずやこのカタチ、そしてこのクッションの厚みに行き着くというデザインというもののアイコンがあった。

実際には、いまの時代からみればけっして機能的で使い勝手がよいものばかりが作られたわけではない。しかしデザインのありかたが当時の主流であった機械的な「改良」から、人間主体の「改善」に向かった大きなターニングポイントとしてバウハウスの存在は絶大だ。

写真はそのバウハウスに源流をもつ、ドイツはカンデム社が製造を手がけたデスクランプ。この展覧会にも展示されていたものと同タイプのものだ。デザインはバウハウスの学生でコラージュ写真でも知られる、のちに金属工房のマイスターとなったマリアンネ・ブラント、そして同じく同校学生のヒン・ブレンデンディーク。

個人的にはデッサウ以前、オランダのデ・スティルの首謀者であるテオ・ファン・ドゥースブルフが、当時の表現主流、ややもすれば神秘主義的なバウハウスの方向性にたいし、かのリートフェルトさえ受け入れを拒絶したデ・スティルゆかりのガチガチの合理主義をやや強引に持ち込んだあたりが刺激的で面白いが、バウハウスのデザインの成熟という観点にたてば、デッサウ時代のバウハウスにその頂点をみるべきなのだろう。

バウハウスがいまの時代までその影響力をもち、語られ続ける背景には、その活動が単なる芸術運動ではなく、経済と連携をとりながら、外部の企業と手を結び実際に製品開発を手がけ、産業界と結びついていたその点にあるのだろう。
それはデッサウ以降のバウハウスが国の機関であることを離れ一企業となったことと無縁ではない。
そこで産み出された製品の多くは現在の製品の原型となり、機能と美的な観点からみても高い完成度を誇っていた。そこには工業生産と結びついたマイスターと呼ばれた職人たちの手仕事のわざがあることを忘れてはならない。いうなればそれは人間の手と頭が産業に結びついた成熟した仕事であった。

バウハウスが存続中つねに抱えていた政治的な時代背景は、いつの時代にも通じる普遍的なものでもある。
人間の存在そのものがはらむ、文化をおびやかすあやうさがあるかぎり、バウハウスの理念は切実に私たちの隣人であることには間違いがない。
創設から90年が経ち、その活動を冷静に振り返り、あらてめて俯瞰的にみることも可能になった。ひとつの大きな波もそれがおこっているときには、利害や感情の相克などに邪魔されて物事の確信は見えづらく捉えがたくなっているものだ。
いまこそ、人それぞれのバウハウスの解釈がなされることによって、新しい時代に必要な、よりよいものつくりの原点が考えられるべきときなのかもしれない。
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それぞれのバウハウス, 2-1
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現在、上野で開催中の「バウハウス・デッサウ展」を見に行ってきた。実際に訪れたのは先月の末。ゴールデンウィークの谷間、谷中の谷をまたいだ近隣の、根津の町がつつじ祭りで賑わっているころだ。
バウハウスはモダンデザインの原点であり、それまでのデザインの価値体系そのものを一度、ゼロ地点にご破算し、アーティスト、建築家、技能者、そして美術、建築、日用品、その形態と価値を等価にみなしながら、それを人間本来の活動のもとに系統的に集約しようとした新しい試みだったのだろう。

時代は2つの大戦のあいだ、未来派やロシアアヴァンギャルド、キュビスムやフォビスムといった前衛芸術運動が世界的な規模で拡がりはじめたころ。
前衛芸術という一般の人びとにとってはあくまで非日常な、アートのための芸術運動の盛り上がりと、産業主導型のよくもわるくも消費主義的な大量生産真っ只中の時代にあって、建築を含めた日常品の質の低下に危機感を募らせていた良識的な建築家やデザイナー、職人たちが、まっとうでいて新しい、一部の人びとにとっての嗜好品ではない、配慮のある日常品をつくろうとした。

今回のバウハウス展はデッサウ、となっているところがキモだ。
バウハウスは1919年、時を同じくして成立したヴァイマール共和国の中心の地に、新しい芸術と建築の誕生のこころざし高く、ときの政府の肝いりで産み落とされた。
のちにその政府に目をつけられ、新たな理想郷をもとめ1925年に同じドイツ国内のデッサウの地に同市長のはからいで移動。

バウハウスの組織だった活動は、初代校長のグロピウスが設計を手がけバウハウスの理想を具現化したようなデッサウ校舎として、鉄とガラスの幾何学による建築のモニュメントとなり20世紀デザインの象徴となった。
デッサウの校舎には、今の時代からみれば規模の大きさはそれほどではないが、現在のモダンデザインの原点ともいえるもののほとんどが凝縮している。
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バウハウスデッサウ展
bauhaus

バウハウスデッサウ展に行ってきました。
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来週、大阪に行きます。大阪のみなさん、お会いしましょう。
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拾う建築のデザイン


谷尻誠さんの「拾う建築のデザイン」展が福岡イムズ内アルティウムギャラリーで開催中だ。
アルティウムギャラリーはアート系の展覧会を開催する三菱地所が運営するギャラリー。
今回初めて訪れた博多の街は、地下街が整備された人で賑わう活気のある街だった。東京と同様に1年街を離れると、新たな建物がたち、異なる経営者の異なる形態のお店ができる、めまぐるしく胎動のある生きた街といった印象。
中心地から離れていく電車の車窓から見える景色も、どこまでも無個性な建物がならぶ風景も東京と一緒だ。その光景は、さながら建物の森のなかに迷いこんでしまった都会というものの不可解な迷いを感じる。

谷尻誠さんは広島生まれの建築家。展覧会の案内にしるされていた子供の頃の、押し入れのなかを自分の部屋に見立ていたというエピソードは、何もないところから何かを作り上げるたくましさと、ある種のファンタジーを感じてしまう。
建築は建物とは違うと思う。建築はそれを構想する建築家の物語性と、それを使用するものの物語という価値も用途も異なる個体差を伴った有機的なもので、建物は感情移入もなくただ漠然と眺める風景に近いもの。それはそれを受け止める受けての気分に左右されるあやふやな概念的なものだろう。

幾つかの建築の模型、そこに添えられた建築のエピソードは建物を建築に向かわせる志向性を伴っていて、建築あやふやな刹那的なものから、ある感情をともなった生きものへと拾い上げている。

また展覧会のタイトルにも含まれた「デザイン」という言葉も建築をみせる展覧会としては異質な言葉だ。デザインという言葉にこめられた建築の意味は、特別な何かを新たに作り出すことよりも、今そこにある問題にいかに対処するのか?そんな視点からの建築へのアプローチを感じる。物理的に動きのない建築を、人との関わりのなかから有機的な動きのともなったものにしょうという意志すら感じた。

森のなかにいるような建築とデザインのインスタレーション。落ちた葉っぱのような、本来捨てられるはずの段ボールのチップが敷き詰められた会場のフロア。まるで森で森林浴をするかのように座り込みくつろぐ人びと。そんな「こころの森」を歩き、展覧会会場を見わたすと、生きた建築の未来の可能性を少しばかりの感傷とともに感じることができた。


谷尻誠展 - 拾う建築のデザイン
三菱地所アルティアム
2008.4.25(fri.) 〜 6.8(sun.) 休館日:5.20(tue.)
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MA design


やっとPCが復活しました。
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