FORM_Story of design(... Kato Takashi weblog)

サポーズデザインオフィス エキシビション Suppose design office Exhibition
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建築家、谷尻誠さんの建築設計事務所サポーズデザインオフィスの展覧会を見に名古屋に出かけてきた。
場所は市内東方にある閑静な住宅街、本山にあるflorist・gallery N 。今年の1月にオープンハウスを迎えたばかり個人邸の1階に構えるこのギャラリーは、名前の通りアートを見せるためのギャラリースペースであるとともに、フラワーショップとしての顔をもつ。

記念すべきギャラリーのオープニングイベントとして選ばれたのは、この家の設計を手がけた、建築家の谷尻誠さんが主宰するサポーズデザインオフィスの7年間の活動の軌跡をまとめた展覧会だ。
名古屋といえばまず食が豊か。濃い目の味つけの八丁味噌をきかせた味噌カツや味噌煮込みうどん、ひつまぶしや手羽先、味わい深いだしの利いたきしめんなどが有名だ。その個性ある食文化は、この土地のなりわいに深く結びついて独自の進化をとげてきたものだろう。
市内中心に位置するいくつかの昔ながらの商店街、そしてそこでの人々の生活を支えてきた人と人との心のつながりが、時代の流れとともに希薄になりつつある現実をふまえ、それこそがこの街の昔からある文化を下支えするべきもので、決して失ってはならないものだと思う。

建築における未来も、それが建てられる土地とそこに暮すであろう人の生活に深く結びついており、同時代の政治や経済、さまざまなカルチャーに連携をもちながら、住まうことの本来の意味に直面し、問い直しをおこないつつその都度軌道修正をしながら進んでいく有機的なものだ。

四季折々の異なる景色、湿気の多い自然環境、山々の連なりや川の流れなど起伏豊かなこの国の地において、決して平坦ではないそこに住まう人間の暮らしは、その住宅事情を含め自然環境とのたたかいのうえに成り立ってきた。
生活のための食物を育てるための田畑をとってみても、たとえれば猫の額のように狭い土地に、はいつくばるような急な山の斜面や、わずかな土地に人々の努力によって築かれてきたという経緯をもつものも少なくない。

土地を壊し、またはすでにそこにあった建物を破壊することの上にこそ成り立つ建築という行為は、ある意味人類のフロンティアスピリットを凝縮し具現化した姿だろうし、別の観点からみれば極めて傲慢で利己的な行いなのかもしれない。
しかし、建築に人が思いみるはかない夢や憧れ、そして建築を見て人が思い描く畏怖や感動は、自然を見たときに感じるその同じ畏怖につながり、それはこの地球と人間にとってきっと無駄なものではない。

自身の設計した建築で、しかも開設されたばかりのギャラリーのこけら落としとして選ばれた、谷尻誠さんとサポーズデザインオフィスの7年間の仕事の集大成は、お施主さんと建築家との新しいコラボレートの始まりを予感させる。建てることで終わらずに建てたことから始まる新しい関係性。
起伏のある傾斜した、ほかに同じ表情のない個性のある土地に、木々やフィギュアとともに配置された谷尻さんが手がけた建築の模型のある風景は、図らずもそのことを物語っていて、人間同士の心の繋がりの大切さや、たゆまなく積み重ねられていく人間の叡智の深さを実感させた。

現実の土地に直面して構想される建築がつむぐ夢は、人の暮らしの夢につながり、かけがえのない人生をともに歩む良き伴侶とならなければならない。
その意味でも建築を絵や写真ではなく立体模型でその敷地とともに表現するという、この展覧会の、建築というはかなくて美しいものを目で見て味わうという幸福は、そんなお施主さんと建築家との心と心という目に見えない深い絆のうえにこそ成り立つ理想的な建築だと思った。


SUPPOSE DESIGN OFFICE EXHIBITiON
2008.01.13(SUN)〜03.01(SAT)
12:00-20:00(最終日-17:00)
florist・gallery N
名古屋市千種区鏡池通3丁目5-1
定休日14日・日曜・祝日

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さよならアフタークラフト
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青山のafter craft / アフタークラフトがクローズした。
アフタークラフトの前身は、現在目黒通りで営業するカフェレストラン『concrete craft / コンクリートクラフト』のオーナーu氏が切り盛りしていた、2000年前後に北欧陶器で名を知られていた『craft / クラフト』。

クラフトは北欧、アメリカン、イタリアの国々のモダニズムデザインからはじまって、そんないつの時代も最先端を走っていたであろう、ラディカルなデザイン思想を感じさせるクラフトを扱うショップだった。
アフタークラフトは、そんなクラフトから基本概念を引き継ぎつつ、クラフトを超えるクラフトとしての『ポスト・クラフト』、現代のクラフツマンシップを感じさせる、鮮烈な印象をもったデザイナー / アーティストのユニークピースを中心に、after t氏が世界中を旅して集めてきた優れたデザインを紹介するショップとして2005年にリ・オープンしたお店だった。

毎年開催される世界中のファニチャーフェアのあとにこの店を訪れれば、必ずそんな新鮮なネタが満載の濃い話が出来たし、いつ訪れても開いているとは限らない、その敷居の高さがすごく好きなショップだった。
思い返せば、after t氏との出会いはこのFORMブログの「このコメント欄」でしたっけ。

有終の記念に、と思い数日前に訪れたアフタークラフト。当日はあいにクローズしていたが、こんなクリーンでクールな佇まいをもったショップは、おそらく後にも先にもこのクラフトだけだろう。

現在では目黒通りにあるコンクリートクラフトが、いつ訪れても現在のデザインのあるべき方向をしめしていて、これからの行く先を示してくれている。
アフタークラフトもこれが終わりではなく、これから新たな深化を果たして、近代文明の過ち、そしてあるべきクラフトの未来を見据えた、本当の意味でのポスト・クラフトを探究してくれることと思う。ひとまず、ありがとうクラフト、そしてアフタークラフト。


アフタークラフト→こちらです
コンクリートクラフト ←
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florist・gallery N
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florist・gallery N
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赤いピカルディ
赤

大量生産されることを前提として、生産者にとっても消費者にとっても機能的にデザインされ、工業製品としては真っ当な価格で販売されている。コンパクトさを求められる都会暮らしの収納に便利なようにスタッキングを前提に生まれたかたちは、世界中のどこの国、どんな生活のシーンにも適応する普遍性を備えている。

酒好きブログ『酒とデザイン』でデュラレックスのグラス、ピカルディの赤があることを知って、早速cc氏にメールをしてみた。某インテリア雑貨ショップに取り扱いがあることを教えていただき、早速出かけてみることに。ブログにもあったように、赤の他にも濃紺、そして白があった。濃紺は黒に近い色で、光に透かして見るとわずかに藍色が滲んで見えた。白はいわゆるぼってとした白ではなく、おなじみのカルピスの色に近い乳白色。これも悪くない。
さて赤はというと、この3色のなかではガラス本来の透明感が感じられて一番美しかった。

色づけはcc氏の考察にもあったように、定番色のクリアを製品染めしたものと思われ、スタッキング状態で展示販売されているものを手にとってみると、重なった部分のところどころ、こすれキズのようなものが目立つものが散見されたのが気になった。
スタッキングによるコンパクトな収納、割れにくく耐久性に優れ、煩雑に使用しても気にならないという、本来のデュラレックのイメージからすると、美しいカラーヴァリエーションを長く楽しむには繊細な扱いが必要そうだ。

デュラレックスは1939年フランスの300年以上のガラス製造の歴史をもつ国営企業サンゴヴァン社によって、世界で始めて開発された強化ガラス製のタンブラーで知られるブランド。ガラス食器作りとしては100年の歴史を誇るという。第2次大戦後の1946年にDURALEXブランドとなり、機能的なグラスウェアとして世界中で人気を博するようになる。
1988年にイタリア、ボルミオリ社の傘下に入り、品番によっては若干のディテールの変更を経て現在に至っている。
耐熱、食器洗浄器、電子レンジにも使用可能というスペックは現代生活においてなんの問題もなく、これから数十年と変わらず愛されていく定番のデザインに違いない。

およそ20年くらい前、このピカルディはまさにパリ、という感じで、これで飲むもの全てがカフェオレに見えたものだ。
この色付きのピカルディがどのような経緯で生まれ、今後も定番商品として生産され続けるのかは定かではない。しかし、たとえデリケートな扱いを強いられることになるとしても、使用することによってガラス表面に刻まれる傷が味になり、そしてそれが生活の友になるかけがえのない愛着を生むようになるかもしれない。
そうすればそんな傷も穿きこまれたジーンズの皺や、麻の生地の皺と同じような味わいになり、ものに込められたストーリーをつむぎ始めるようになるかもしれない。
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谷尻誠さんの建築...3-2.
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 「建築」という空間の広がりのなかで、それがいかに日本的な都市の風景を背景に機能するのか?それはもはやそこに暮らすものにも分からなくなるほどに多様化し、それを語るための言語もひとつの共通言語によってではなく、それぞれの呟きにも似た曖昧なものになりがちだ。
 建物は造られることによってしか存在しえない具体的なものである。しかし建築とはそれを思うことの上にも成り立つ空想的な未来に向けたヴィジョンにもなる、という点においてますます多様化するべきものだし、そのあり方は一様である必要はない

先日の来広のおりに、昨年の秋ほぼ同時期に竣工した東広島の西条にある2つの個人邸に、建築家、谷尻誠さん自らにご案内していただくという、なんともうれしい経験をさせていただいた。
その特徴的な外観から、黒い家と白い家と呼ばれている2つの西条の家。それは広島市の中心部からハイウエイを通って、いくつも山を越えた田畑の広がるのどかな田園地帯にある。
最初に連れていっていただいた黒い家は、カーサブルータスの2月号に竪穴式住居と紹介されているように、穴を掘りその底を床面にし、天に向かって柱を建てた個性的な外観の住宅だ。
そのピラミッドのような奇天烈な外観とは裏腹に、内部は生活のための設備が効率よく配置されている。

建物を支え基礎となる、緻密な構造計算の上に成り立っている建築だと思った。
構造は建築のなかでもっとも美しいもののひとつで、たとえば建物の基礎をつくる鉄骨の組み合わせはそれだけで美しい彫刻作品のように見える。

私の母のお好み焼き屋での飲みの席で、谷尻さんに実演していただいた割り箸を使ったちょっとした遊びは、建築を愉しく知るための示唆に富んでいた。それは3本の割り箸をトライアングル状に組み合わせることで、並々とビールが注がれたグラスを支えることが出来るだけの強度を持たせることができるというもの。建築とは学問のように難しく考えることも可能だが、身近にあるものごとに対応する極めて当たり前のことであったりする。

この西条の家01に結果的に導き出された竪穴式という古典的なキーワードと、その屋根がもつ、傾斜という極めて土着的なものが、元来あるはずの普遍的な建物の形状を個性的な方向に突き詰め、突き抜けさせている。掘り下げた平らな底面を家の床にすることで見た目にも安定感を生み出し、ローコストに結びつけている。

それがこの建物の周辺にある、現代日本における一般的な住宅という、ありふれたアーキタイプの集合のなかにあって、それさえもかけがえのない日常のなかの愛おしい風景にかえてしまうような不思議な力に満ちている。
見れば見るほど一見異質なその造形も、この風景のなかで際立ってこの国の風土を反映しているように見えてくる。

脆弱な土地のそれが安定する固い地盤まで掘ることによって、深く鉄骨を埋める必要性を回避し、柱そのものが基礎の役目を果たす。
それは同じ広島の地に建つ、世界遺産宮島の海に基礎を持たずにそびえる大鳥居を想起させる。



谷尻さんが主宰する『Suppose Design Office』の展覧会が、名古屋で開催中です。

SUPPOSE DESIGN OFFICE EXHIBITON
2008.01.13(SUN)〜03.01(SAT)
12:00-20:00(最終日-17:00)
Florist・Gallery N
名古屋市千種区鏡池通3丁目5-1
定休日14日・日曜・祝日


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谷尻 誠さんの建築. 3-1. Makoto Tanijiri...
竪穴1


[・・・建築においても一見不要と思えるような無駄な要素こそが、そのもののかたちとしての美しさを生み、豊かな暮らしを生み出しうるものになることがある・・・]

「楽しい時間はあっという間で、それが過ぎた今となっては、情熱とともにすごした時間は忘却の中にある」。しかし、広島で過ごした濃密な3日間は、忘れがたい温かい気持ちとともに今も心のなかに残っている。

谷尻 誠さんは広島生まれの建築家だ広島平和記念公園からも程近い大田川の川沿いのビルの3階に、自身の建築事務所『Suppose Design Office』を構える。
谷尻さんが設計を手がけられた建物は以前から雑誌等で拝見していて、広島の建築家ということを強烈に意識しながら、そのお仕事ぶりには刮目していた。
個人的に広島という街には、東京生まれ東京育ちにも関わらず強い思い入れがある。その街の生い立ちや成り立ち、それが不本意ながらこうむってきた歴史的経緯を踏まえ、自分なりにそのことを理解することがつとめであるかのように勝手に考え続けていた。
あるものごとは誰かが自主的に理解しようとつとめなければ忘却の彼方に消え去ってしまう。それは学術的な探求心によるものではなく、もっと生活に密着した、人と人との心の繋がりにも似た、人間的な温かさを保持したまま行われることこそが望ましい。

谷尻さんの建築はまず「想像=イメージ」することから始まるように思う。
それは建築が、そこに建てられるはずの土地に対する想像であったり、その家で暮らす人の20年後の暮らしぶりであったり、または具体的な建築にとっての最適な部材への想像であったりすると思う。
それは建築が夢見る、その土地に対する究極的な異化ともいえる、個人と世界との関係性に基く限りなく巨大な妄想とも繋がるものだ。

それはまた既成の価値観や決まりごと、当たり前にそれがそうあるはずだと思われていることへ問いかけや疑いであり、少し異なる角度から物事を見てみることの真っ直ぐな姿勢であったりする。

谷尻さんが落ちたリンゴに例えて語るはなしにしても、谷尻さんの建築への態度を如実にあらわしていて興味深い。
リンゴといえば、木になるきれいな色をしたおいしそうなりんごを人々は大事がるが、地面に落ちたリンゴには人々は目を向けもしない。しかし、落ちてしまったリンゴこそもっとも熟していて、食べごろの美味しいりんごなのではないか?と想像してみることのなかに何か大切なキーが隠されている。
それは環境や天然資源の枯渇といった今日的な社会問題を想像することにも繋がるだろうし、そんな世界の中にぽつねんと建つ、これからの建築の在り方にも切実につながるだろう。



谷尻 誠さんの建築設計事務所
Suppose Design Office
谷尻 誠さんのブログ『サポーズ日和』←こちらです



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デザインが生まれてくるところ
グルチッチ

どこかのウェブサイトで「グルチッチインスピレーションズ」と名づけられた写真を発見した。
グルチッチとは、ドイツ出身のインダストリアルデザイナー、コンスタンティン・グルチッチのこと。自身のデザインスタジオKGIDを主宰する世界的なデザイナーだ。
デイビッド・ボウイのアルバムジャケットや、マッチ棒の束、片方だけの黒い革靴や'80sのものと思われるキッチュなイラストなどなど。イラストは'70年代を象徴するカルチャーのひとつで、雑誌などのメディアを中心にこの時代の文化を創ったといっても過言ではない。
グルチッチは1965年生まれで、実際に僕と同じ年齢。まさしく'70〜'80年代にもろに影響を受けてきたタイプであることは容易に察しがつく。

音楽でいえば、トーキング・へッズやトンプソンツインズなどのニューウエイヴ、そしておどろおどろしいイラストのジャケが目をひく重いサウンドのヘビーメタル。'70年代は憧れで、レッド・ツェッペリンやボウイにクイーンなどブリティッシュムーブメントまっさかりだった。'60年代になるともう夢のまた夢。
へんなパーマのヘアスタイルや、肩パットの入ったジャケット、今では時代遅れの変速機付きのサイクリング車が憧れで。メガネはいわゆるアラレちゃんタイプの大きな黒縁めがね。
それを今でも変らず引きずるっているのがグルチッチだと思う。

グルチッチのアトリエには朝グルチッチが出勤すると同時にCDプレーヤーにinされる'80sミュージックが流れ、所員たちは否応もなくそれを聞きながら仕事をすることになるという。
さまざまな自身の試作品といったプロトタイプのデザイン。そしてリスペクトするカスティリオーニやイームズやデュシャンらの日常的なオブジェ。それらは共通して日常というものの活動に根ざしたレディ・メイドのオブジェたちだ。

グルチッチのプロダクトもよくよく見ると、思春期の頃に流行ったプラモデルや超合金の玩具のように見えなくもない。それらがイメージの中で反芻され、咀嚼され、新しい時代のシンプリシティーを作り出している。

イタリアデザインの象徴でもあったアキッレ・カスティリオーニの自転車のシートを使用したスツール「メッサ」や、トラクターのシートを利用した「メッツアードロ」など、一見してシュールなオブジェは、実は日常何げに気にもかけないような、極めて当たり前の座るという「機能」に着目して作り出した優秀なインダストリアルデザインだった。
奇しくもカスティリオーニは晩年、ドイツ生まれのグルチッチを自身の精神的な後継者に名指ししていたという。

グルチッチのまったく機能を果たすことのないソファ、「カオス」や「オブロン」も実は座るという事の根源に触れる、新しい時代の新しい機能をもった優れたインダストリアルデザインに違いない。
イタリアとドイツ、敗戦から立ち上がってきたデザインの大国はいずれもが素晴らしいデザインやデザイナーを生んだ。さて、こちら日本は?
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二俣公一さんの4FB
4FB

21世紀の今、デザインに求められているものは、それが置かれる空間全体を見据えた配慮の感じられるデザインだろう。それはそれが置かれる環境全体と言い換えてもいいのだが、その空気を乱さず、よごさずに改善しうるもの。
デザインが行うべき現代の問題解決の対象は、人びとの生活一般というよりも、環境全体に良い影響を及ぼすこと、そのためのプロダクトデザインだろう。それは経済優先ではなく「理想」に近い理念のはずだ。

いよいよ、日本のファニチャーメーカーE&Yより二俣公一さんのコートハンガー、『4FB』が発売になる。空間デザイナーである二俣さんとは、昨年の11月デザインタイドの会場でお会いすることができた。4FBを前にその創作の過程を伺ったこともあり、このプロダクトには個人的にもとても思い入れがある。

二俣さんは空間デザイナーとしての仕事のほかにも、1998年に発表されたキューブ型のコンセントタップなどのプロダクトデザインも手がけており、空間的な広がりが感じられるそのデザインにはかねてより定評がある。

まずこのプロダクトが持つミニマムなたたずまいには、禅の思想にも通じるような静けさがある。それは華やかさとは対極的な「わび」の感覚に近いものでもある。

4FBはアルミという素材を通して感じられる、硬質な冷たさとは異なる温かさを感じさせる。また無駄のないフォルムはコートを掛ける、という用途を離れても十分に機能しており、その機能のあり方は優れたプロダクトが共通して持つ、それに触れてみたい衝動をおこさせる。

アルミの支柱に施されたアルマイトの塗装は、この鉱物でできた素材の冷たさを消失させることに一役担っている。
まるで木材のような温かみを備えた、まったく新しいアルミの質感は、この4FBのひとつの特徴でもある。それはこの素材感を生かすデザインを生み出した、二俣さんのデザイナーとしての考え抜くことによる才能によるものだ。
4本のアルミのバーが卍型に組まれ、それが上と下で、天と地に向かって開かれるさまは、それまで留められていたものの完全な力の放出をあらわしているという。

空間的広がりとは、そのプロダクト自体がその存在だけで完結するのではなく、それ自体が積極的に空間との関わりを持ちながら、新たな空間のあり方を示すようなもののことだ。
未来のプロダクトデザインはミニマムに環境全体のあり方を見据えた、自然のあり方に近いものになるだろう。でなければそれが生き残る道はどこにもない。
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