FORM_Story of design(... Kato Takashi weblog)

コネクトオークションと中国現代アートオークション事情
コネクト

家具専門のオークション、コネクトオークションが26日に開催された。
第一回目開催ということもあり、前告知もさほどなかったので、来場者数こそいまいちであったが、オークション独特の緊張感がみなぎる良い会場であった。前日まで会場を埋め尽くしていた出品作品も整理され、オークションのために整理されたクエストホールには、来場者のための座席や、電話や当日同時に行われる海外からの入札者のイーベイ・ライブオークションのための電話やパソコンが設置されている。

一段高くなった壇上にはオークショニアのためのカウンターが据えられ、そのうしろの壁には出品作品を映し出すスクリーンが設置された。
最初のハンマープライスはチャールズ&レイ・イームズのCTM、かなりのレアものだ。コンディションも良い。15万円で相場と比べても安い。以降も結構値ごろ感のあるプライスでのハンマープライスが続く。そして今回のオークションの目玉商品のひとつ、アルキズームのサファリ・ソファ。60年年代の気分全開のこのソファが140万円で落札。そのほかにもざっと上げると、ジョージ・ネルソンのヴィンテージボールクロックが3万円、マーク・ニューソンのエンブリオ・チェアが35万円、アアルトのペンダント・ランプが11万円、フィン・ユールのイージチェアが20万円。これだけのミュージアム・ピースにしては安すぎるくらいのプライスで落札された。
これだけを見ても今後入札に参加してみたくなるのは必須だろう。しかし、それはものの値段だけではない。このオークションに参加する楽しみは、物が目の前で売れていくその高揚感にある。それはまた物を買うこと、そして売ることの新しい感覚をよびさます、エンターテイメントのひとつにもなるだろう。

物が公正な価格で取引されることは、売り手、そして買い手にとっても重要なメリットとなるに違いない。
家具専門のオークションがわが国において前例がないだけに、今回のオークションが一概に成功か不成功かを問うことは出来ない。ただ、会場で聞かれた賛否両論の意見をとっても、この試みが少なくとも保守的になりがちな家具というものの物流においての、新たな流れを生み出す可能性に満ちていることは疑いの余地がないだろう。一様に聞かれたのはこの始まったばかりのコネクトオークションへの、愛溢れる期待の言葉ばかりであったことを付け加えておきたい。

そんな感慨にひたっていた矢先、空前の好景気にわく中国の、コンテンポラリーアートの現状をレポートしていたテレビのニュース番組に釘付けになった。その番組のなかでは、中国の都市部から車で数時間離れた田舎町に、若手芸術家たちのコミュニティーが出来ている風景と、そこで暮らす芸術家たちの姿が映し出された。
そこで作品制作にに打ち込む若者たちは、そんな田舎町に住む理由を口々に、都市部と比べて格安な賃料で広いアトリエが借りられるという現実的なメリットをあげていた。

現在勢いのある中国の現代アートシーンの中心地といえば、北京の北東部郊外にある旧国営工場跡地一帯の「798廠」が有名だ。
中国都市部のアートオークション市場では、空前のアートバブルの中で、自国の若手作家の作品にも数千万円の値がついて取引される。あるギャラリーではコンテンポラリーアートだけで一晩の売上総額が48億円にも達したという。その反面一攫千金を夢見る若者の作品が初めてオークションに出品され、買い手がつかず、僅か5秒でパスされるという厳しい現実も浮き彫りにしていく。
しかしその空前のアート作品の高騰の理由も、その目的が作品の美的価値に基づくものではなく、将来の作品の値上がりを目当てにした、蓄財や投機目的だというから、そのような状況は20年前の日本のバブル期の状況とまるで同じである。
また空前のアートバブルの状況にあいまって、そんな田舎町にも土地の投機目的な業者の手が伸び、昔ながらの古い住居は立ち退きを余儀なくされ、裕福でない芸術家たちのコミュニティーも崩壊寸前、作品制作と暮らしの場所を追われるというリアルな風景もあった。

家具や物の取引がただ単に儲けや投機に終わらず、真に新しい物の流通と、新しいデザインの創造に生かされ、そのための家具やデザインを対象にするオークションそのものが一過性のブームに終わらないことを願うばかりだ。
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...Konstantin Grcic...Odin.


ODIN
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...SHINWA ART AUCTION...


11月17日丸ビル7階にある丸ビルホールで開催された、シンワアートオークションが主催する、コンテンポラリーアートオークションに参加した。
日本の現代美術の巨匠と呼ばれる大御所から、近年注目を集める若手作家の作品259点が集まった。
今回オークションにかけられたおもな作品をあげると、アンディ・ウォホール、リキテンシュタインのスクリーン・プリント、LEE U-FANの油彩、戦後の日本の前衛アートの時代を築いた草間弥生の「T.Q.X. Infinity Net」といった世界的に評価の高い作品や、村上隆、奈良美智、会田誠らの絵画、杉本博司、森山大道、荒木経惟、蜷川実花の写真や、1994年に始まった国内の新人アーティストの発掘を目的としたVOCA展で評価された若手の最前線の作家たち。まさに今が旬ともいえる現代日本のアートシーンを牽引する勢いのある若手作家の作品などなど。
現在世界中で話題になっているアートバブルと呼ばれる時代の中で、その中心で互角に渡り合える実力と人気をもった日本のアーティストの作品が、オークションというかたちで売買、取引された。

シンワアートオークションは平成元年に設立された美術を専門に扱うオークションハウス。取り扱い品目は、国内外の近代美術、近代陶芸、ジュエリー&ウオッチ、コンテンポラリーアートなど。
これまでも黒田清輝や横山大観などの明治期からの近代美術の大家の作品や、美人画を描いた竹久夢二、伊東深水、東山魁夷や棟方志功らの戦後美術まで、シンワアートが取り扱う日本の近代美術作品は高く評価されてきた。
今回開催された日本の戦後のアヴァンギャルド、そして現在活躍中の若手作家たちの作品を集めたコンテンポラリーアートオークションには、まさに今という時代の要請によって生まれたものであるだろう。
オークションは美術品やそれに類する価値あるものを、その作品の評価をけがすことなく、一般に公開しながら公正に評価するとともに、コレクターのもとに眠ってしまいがちな、美術品としての価値がある貴重な芸術作品を、一般に公開するという二重の価値と意味を持つものだ。

今回のオークションでもアンディ・ウォホールのスクリーンプリント『moonwalk』が1,300万円、森山大道のポラロイドに50万円、草間弥生の作品に760万円など、軒並みエスティメートを超えた金額で落札された。
また出品作品の殆どが落札されるという活況の様子であった。落札総額も約4億6千万円、落札率も出品数260の内97%、前回の約1億8000万円、出品数121の、それぞれ倍以上に伸びている。
数字だけを見てもわが国のオークションの分野において、コンテンポラリーのしめる位置が大きくなりつつあることがわかる。

オークションはオークショニアによる駆け引きの妙と、その口上で場の雰囲気が決まる臨場感溢れるものだ。10万、50万単位で競り落とされていく『せり』そのものの魅力と、入札者のパワーを見ていると、世界で美術品の取引として極めて一般的なオークションという方法に、物の取引に関する未来の可能性のようなものを感じた。
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..Connect Auction...


いよいよ来週22日からプレヴューが始まる、20世紀に作られた家具を中心に扱うオークション『コネクト・オークション』。翌週26日にはオークショニア(競売人)によるハンマープライスも行われ、会場となる原宿クエストホールではもちろん、FAXによる不在入札、そして世界最大のネットオークションe-bayでも同時に入札が行われる。

このおそらくわが国初となるコンテポラリーファニチャーを中心に扱う『コネクト・オークション』には、サザビーズ、クリスティーズ、フィリップスなどの世界大手のオークションハウスのように、世界規模での入札が見込まれる。
今回カタログを送っていただいたので早速中身を拝見した。見ているだけでうっとりとしてしまう品揃えの多彩さは、世界的規模のオークションとして申し分がないと思う。
コネクト・オークションの特色のひとつに、世界に誇るジャパニーズ・デザインが地の利を生かして多く集まることがあげられるだろう。第一回目となる今回も、伝説のデザイナー倉俣史朗や剣持勇らのレアな作品が集まった。

日本ではオークションと言えばインターネット・オークションが一般的だ。
しかし、現状のネット・オークションでは苦労して手に入れたお宝も、そして世界でどんなに価値があるものでも、全てがこの小さな国日本での価値基準によって判断され、不当に低い価格で売買されることが殆どだ。その問題点は、世界標準である物の価値が、狭く小さなこの国の価値判断できまってしまうところにあるように思う。

それは現状で考えてみればいたしかたないことでもあるのだが、だからこそどんなに貴重で価値があるものでも、市場に流通することがなく、ある人にとって不要なまま個人のコレクションとして埋没し、あるいは不要なものとして処分される運命にあることに問題がある。
それは建築にしてもそうなのだが、どんなに見識のある人たちが、ある特定の価値を持つ建築物を残そうと努力しても、それを理解する一部の人以外にとっては、それが建てられた土地の価値をもつものでしかなく、その上に建てられた建物は人びとの前からそれが築き上げてきた人びとの記憶もろとも永遠に消え去っていく運命にある。

ネットオークションとの違いは、臨場感溢れるオークショニアによる煽りにも似た口上がある。それがどのように展開されるのかも、コネクト・オークションの楽しみの一つになるに違いがない。

それらを踏まえ、コネクト・オークションはそんな不当にも忘れ去られてしまう運命にあるかもしれない、希少で価値を有した本物の財産を後世に伝えるための、ひとつのきっかけになるかもしれない。
それはまた新しい価値の創出にもつながり、それがひいては大量生産・大量消費の悪しき生産の流れを食い止め、最新のテクノロジーを駆使した野心的なデザインを試し、大切に物を作り、それをゆっくり消費する、新しいものに対する価値観を生み出すかもしれない。
本当に欲しいものを苦労して手に入れたときの喜びは、本来かけがえのないもののはずだ。それは人ともの、そしてものが取り持つ人と人との縁に結びつき、今一度そのことを思い出すためのオークションという試みが、そんなひとつのきっかけになればいいと願わずにはいられない。


コネクト・オークション http://www.connect-auction.com/

Preview November 22-25 2007 Tokyo
Auction November 26 2007


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...auction Connect...
connect

コネクト オークション http://www.connect-auction.com/

11/22(thu)Preview Start
11/26(mon)Auction Start
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...No Windmills, Cheese or Tulips...
nt
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...Sarah van Gameren...Big Dipper...


オートメーションはモダニズムが生み出した産業効率化の手段である。そこでは人のかたちや影は排除され、機械だけが馬鹿でかい音を出し、うなりを上げながら規格化された無個性な製品を作り出している。
「ビック・ディッパー」はそんなオートメーションのシステムの中から生み出されたひとつのあだばなだと思う。
Sarah van Gamerenサラ・ファン・ハメレンはオランダのデザイン・アカデミーで学んだのち渡英、ロイヤル・カルッジ・オブ・アートのデザイン・プロダクト科で学んだ。
ビック・ディッパーとは字義通りに言えば、北斗七星とか大きなものを液体に浸す、という意味だろうか。シャンデリアそのものをキャンドルに見立て、支柱もろとも液状の蝋に漬け、真っ白いシャンデリアの形をしたキャンドルを作りあげる。

キャンドルもシャンデリアもともに明かりを燈すものであると同時に、癒しの効果をもった神秘的なものである。
今年の夏にRCAの卒業制作として発表されたビッグ・ディッパーは、その後10月にロンドンのデザイン・ミュージアム開催のデザイナーズ・イン・レジデンスを巡回、その後シャンデリアのみが日本にやってきた。

ビック・ディッパーを作るための装置は時計技師とともに開発されたもので、機械仕掛けで24時間で正確に24個制作されるという。正しくは12時間で12個制作が可能だという。
その装置がまるで精密な機械式時計の内部構造を思わせる、機械が芸術家たちにさまざまなインスピレーションを与えた時代の、オブジェのような美しさをもっているのだ。
円形の大掛かりな装置には12個の鉄の生のシャンデリアが吊るされ、それが正確に液状の蝋の入ったドラム缶の上で上下し、蝋に浸される。すると鉄の骨子に蝋が年輪のように付着し擬古してゆき、12時間をかけて1つの製品が出来上がるというものだ。

「ビック・ディッパー」の優れたところは、製品制作のプロセスがひとつの立派なインスタレーションとして成立していることだ。
現に制作の過程を記録した美しい映像のムービーも制作されていて、先のデザインタイドの会場でもエンドレスで上映されていた。
サラ・ファン・ハメレンのプロダクトデザイン、もしくはコンセプチュアルな活動は火を点す、ということに着目した物や事柄が多い。このビッグ・ディッパーにしても、RCAプラットフォームで発表した、家具に可燃性のペンキで装飾を施し点火、あえて残った燃えカスをも装飾に見立てたパフォーマンス「Burn,Burn,Burn」にしても、マッチをドミノ倒しの要領で並べたパフォーマンス「Chain Reaction」にしても、火を点すことに何かしらの意味を与えているように思えるのだ。
それをありきたりな女性的な激しいエモーションに結び付けて考えてたとしても、あながち間違えではないと思うのだが。

big2
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...nordic mordernism. design&crafts...
nordic

いよいよ東京に巡回してきた北欧の大展覧会『北欧モダン デザイン&クラフト』を見に行ってきた。
長崎、京都、宇都宮と巡回した今回の北欧展は知人が多く携わっていることもあり、企画の段階からとても楽しみにしていた。
同時に発行された図録も写真が多く、テキストも読みごたえがあり、会場を訪れる前から期待が高まっていった。

北欧展といっても、今回展示されているもののほとんどが40年から50年ほど前のもので、今ではその評価がおうよそ定まったものばかり。だからこそ歴史的名品を見る、ということを主眼においてみることになる。

セクションごとに掲げられたテキストは内容も深く読みごたえがあり、知る楽しみをあとに残す印象的なものだった。
メーカーやデザイナーの個別の説明文は展示と関連のない場所にあるものもあったりでもったいない印象。
21世紀という時代を歩んできた北欧の国々のデザインが、当時の主流であった機能中心、経済優先の流れとはわずかに異なる道を選んで進んできたことが展示作品を見ていると解る。それは端的にはドイツのバウハウスが築いてきたものとも、アメリカ型の表層を装おったような、潔癖症的なものとも明らかに異なるものであった。
それは何かしら伝統や、代々営まれてきた暮らしの歴史や、しきたりといった民族的なものを色濃く反映させることに長けた、世界的にみて極めて特殊なデザインであったのではないか。

前半のゆったりとした空間構成は、天井から降り注ぐ陽の光りと相まって素敵だったが、後半のいかにも駆け足で見せるような展示は、空間の窮屈さ、そして天井の低さもあって、このコーナーの展示にこの時代の重要なセラミック作品が多かっただけに残念であった。

会場には若い女性がほとんどで、今の北欧人気が、彼女たち若い世代に支えられていることが良く分かった。
展示されているものは日常のための道具や、芸術の目的をもって作られたもの、また工業生産品とさまざまだが、それがおしなべて北欧という地域性を踏まえて語ることに、今回の展覧会の主眼がおかれていることが、冒頭に置かれたカヌーやパネルに使われていた北欧の美しい風景写真、そしてカタログにも引用されているウィリアム・ブレイクの詩からうかがい知ることができる。
個人的には、これら日常の豊かな暮らしのために生まれてきたと言われている道具たちには、日常からはかけ離れた芸術性が深く備わり、日本人のメンタリティとは極北の美があるのだなあという感想をもった。
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...CLEAR GALLERY...Liberated Zone...
c

昨日、友人とMOT東京都現代美術館に「SPACE FOR YOUR FUTURE-アートとデザインの遺伝子を組み替える」を見てきた。東京都現代美術館のある東京木場の辺りは、埋立地特有のだだっ広い道が碁盤の目のように走る、人が歩くためではなく、車が走るのに都合がよい車のための道路が多い地域だ。
その帰りしな神保町に寄って古書店を散策していると、同行していた友人が、青山の裏手にギャラリーがオープンしたので行ってみたいと言う。そのギャラリーとはつい先日「箱展」を主宰した岡田さんから確かうかがっていたギャラリーだな、と思い当たり友人とともに出かけみることにした。

閑静な住宅が数多く建つ青山の裏手にひっそりと佇む、ひときわ大きなウインドウが目印のギャラリー。CLEAR GALLERYは以前E&Yのショールームがあった場所にオープンしたギャラリーだ。
今月に入ってオープンしたばかりのこのギャラリーの第1回目の展示は「Liberated Zone」。倉俣史朗は今や伝説のデザイナーである。
倉俣のプロダクトはなんでも今でも生産可能なものが多く、入手もそれほど困難ではないという。しかし、当時百数十万円の値が付いていたものが、今では数百万、一千万するものも少なくないと聞く。それは当時でも相当手の込んだ丁寧な作りをしていたものが、その当時と比べても幾分かは工業技術の進化した今にあってもその生産が困難を極めることを象徴しているように思う。
それは当初から倉俣の作るものが、端的にハイテクノロジーに拠る、というよりも、人間による手仕事の技術に拠っていたことは想像に難くはないからだ。展示されていたアクリル製のキャビネットにしても、そのアクリルの色の切り替わり目のぎこちのなさのない流れるような自然な美しさは、手仕事の丁寧さと技術の高さを知らしめるのに十分な迫力をもっている。いまではクラフトの技術の駆使は値が張るものだ。

それにしてもこうしてデザインを展示するギャラリーが増えることは楽しみの1つになることは間違いがないと思う。
本来デザインとアートにどのような違いがあるのだろうか?そんなことを考えてしまう。暮らしを豊かにすることは人々の、暮らしをいかにより良くするか、というデザインの努力によって成り立っていると思うし、アートはアートで個人的な想念の発露であり、それはまた個人がいかにより良く生きるか、という本質的な問いに結びつく。
そこには大衆と個人という違いこそあれ、本質的には大差がない。

デザインはアートのようにより自由になることを夢見ているし、アートはデザインのように大衆に認められることを夢に見ている。だれにも認められたくないようなアートなど存在しない。
だからこそデザインも今一度人々が今なにを必要としているのかを考えなければならないし、大衆の発想力を喚起するだけのものを生み出さなければならないと思うのだ。



CLEAR GALLERY ※青山骨董通りの裏手にあります
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...Hella Jongerius... Craft and Design reunited...at CIBONE.
hella j

デザインの秋の興味の中心は今年もオランダのデザイナーだった。デザインタイドのSarah van Gamerenサラ・ファン・ハメレンが作る蝋のシャンデリア、日本初上陸で量産が開始したヨーリス・ラーマンのラジエーター、ESPACE 218 / L'eclaireurで開催された「No Windmills, Cheese or Tulips」というダッチデザインによるインスタレーション、そして大本命のシボネでのヘラ・ヨンゲリスの新作発表。
ひとことでオランダのデザインといってもその表現するものは実に奥深い。クラフト、コンセプチュアル、そしてドラマチック。
その中でも近年世界的に高い評価を得ている理由のひとつとしてあげられるのが、高い職人の技術力に裏打ちされたクラフト性豊かなプロダクトだろう。それは言い換えれば高い職人の技術を自身の作品に応用する柔軟な考え方と、そのポテンシャルの高さだろうか。

その中でも特に注目したのは、昨今のオランダデザインブームを作った、といっても過言ではない、シボネから作品を発表したヘラ・ヨンゲリウスだった。

ヘラ・ヨンゲリウスは昨年に引き続き1年ぶりの来日。
日本ではクラフトの女王なんて呼ばれ方をしていて、手芸やキャラクターをモチーフにした作品などもあり、女子のファンも多いと聞く。

今回は発表したのは、日本の工芸のひとつである尾張七宝の技術を使用したもの。
古くて新しいこの伝統ある技術を、ヘラ・ヨンゲリウスは独自のストーリー性豊かな背景を織りまぜながら、まったく新しい解釈のもとに表現してみせた。
先のmetabolismさんのブログにもありましたが、今回のヘラ姉さんの作品は可愛さ炸裂で、たしかにはじけている。女の子モチーフの七宝焼きなんて、このようなアート作品では今までになかったのでは。しかもその七宝の技術の取り入れ方が圧倒的にアヴァンギャルドで、銅のプレートの素地をそのままに見せている。
制作を担当した安藤七宝の120年以上の歴史のなかでもこれは前例のない制法とか。
今までもヘラの作品といえば、オランダの陶器メーカーティヒラー・マッカム社から発表されている陶器のシリーズ「ノンテンポラリー」にしても、半分だけ釉薬を付けずに、マッカム社のあるフリースラントで採取される土の表情を生かした独自のものであった。
そこに見え隠れするのは一見してアヴァンギャルドなプロセスも、実はそれが作られる技法と素材に対する敬意の上に成り立っていることだ。

今回も使用されている動物モチーフにしても、ドイツの老舗陶磁器メーカーであるニンフェンブルグで発表したプレートのシリーズに端緒をもち、そのニンフェンブルグの磁器作品にしても高度の絵付けの技術のプロセスをそのまま作品に取り入れた「ユニーク・プレート」なるものである。
そのどれもが中途半端な遊びに始終しているのではなく、見た目にも完全な芸術作品に昇華させているところがヘラ・ヨンゲリウスの天才といわれる所以だろう。

今回対面したヘラ・ヨンゲリウスは、自分のキャリアの中でも充分代表作になりうる作品を発表出来る手ごたえからか、始終ご機嫌であった。それにしても遠い国での製品制作は、未知のプレッシャーとの闘いでもあると思う。今回七宝制作を手がけた安藤七宝、そしてヘラ・ヨンゲリウス、そしてシボネがタッグを組んだ素晴らしい仕事は讃えられるべきだし、日本の伝統工芸の分野においても確かな足跡を刻んでいると思う。
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