FORM_Story of design(... Kato Takashi weblog)

...isamu noguchi+ kenmochi...
nk
bamboo chair.

hurry up!
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...man made stone objects..
man made stone objects

mitsuru koga



man made stone objects,playmountain MAISONETTE.23(FRI)JUNE〜
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失われる建築...80年代東京と今をつなぐもの
どう

バブル前夜の1980年代前半。東京の街は劇的に様変わりしつつある予兆をはらみ、ダイナミックな転換の時期を迎えていた。その頃まだ街には昭和の香りのするものがそこここに取り残されていた。1980年代も中頃に入るとバブルのおとずれとともに、それらは取り壊され新しいものが勃興した。

純粋階段、無用門、無用庇などの赤瀬川原平氏たちが作り出した造語は当時私をわくわくさせたものだ。古いものが取り壊されるときそこにはそれに連なる街並みや用途は切断されて残る。現代では土地や建物は個人や企業に属するため、街は一連の連なりの中で語られることはなく、それぞれが断絶した個人の持ち物として完結している。
それぞれはお互いに関連つけられ再構築されることはない。

それは都市論、建築論として語られるまでにそれぞれの時代をつくる契機になる。
1980年代中期以降のバブルの訪れとともにそれらの都市の異物たちはまたたく間に、首都東京からはその姿を消していく。著書の中にも触れられているが、それはその当時すでに発掘したときに写真に記録、検証していかないとすぐ失われてしまう都市のはかない姿に他ならなかった。

東京では地上げという懐かしい響きの言葉とともに、幼い頃の近所付き合いや幼なじみは、それを記憶する人間ななかにしか存在しないものになっていった。
当時土地をもち暮らしていた都市部のかなりの数の家族が、つかの間の土地の高騰のあおりと利益を目当てに周辺の町や、当時林立しつつあった都市部の高層マンションなどに引っ越していった。それは都市部にまだ残っていた濃密な人間関係と町と人との繋がりの喪失を意味し、都市の生成とその周辺地域を様変わりさせ、郊外という言葉を生み、そこに住まう人間の心理を変容させ、心理的な目に見えないダメージを人間に与えた。
犯罪は密室化し、個人の心理をうつしながら陰湿化していく。
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デザインーデコラティブ講談
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20世紀デザインは19世紀なかばにおこったアーツ&クラフツ運動の正統的な後継であるアールヌーヴォーからはじまりました。アールヌーヴォーは流麗な曲線で知られる装飾的なデザイン運動です。

それが機械文明の成熟によって20世紀最大の美的理念でもあるモダニズムの思想にとってかわります。コルビュジエの住むための機械をみるまでもなく、それらは一見装飾を排除しているようにもみえますが、モダニズムも前時代から続くデコラティブ=装飾的なもののその時代なりの解釈であるということもできると思います。
同じころ日本では機械文明への反発から工芸を見直す運動である民芸運動がおこります。それらは時代のなかで繰り返すモダニズム、ボストモダニズムの相克の一部分でしかありません。

装飾=デコラティブについて

人間は必要のために道具を造りましたが、もし必要のためだけにそれを生み出したのであれば、その道具に装飾を施す必要はなかった。それは未分化な土器のような素朴な道具のままでよかった。しかし知られるように縄文式土器の初期には早くも縄で柄絵が施されはじめます。それが1万年以上も前の出来事です。
装飾を施すことは人間のブリミティブな欲求であったとはいえないでしょうか。そしてそれはまぎれもなく根源的な人間の美しいものへの欲求にほかならないと思います。
今デコラティブデザインに注目が集まっているのは、そのような時代的な流れを受けてのことだと思います。一見必要から離れているようにみえるデザインにも人間の創意と工夫があふれています。装飾は1万年以上も続いてきた人間の営みにほかならないと思います。

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活版再生 第二章 PAPIER LABO.
papier

千駄ヶ谷の裏道に紙をめぐる小さなお店がオープンした。
白いカウンターと白い棚の設けられたこのショップはパピエ・ラボといい、紙好きの若手クリエーター3人が中心となって運営されている。
紙の質感が冴えた古い書籍や、ここでのみ展開されるオリジナルのポストカード。今はあまり使われなくなった原稿用紙など、ここではそれらが生き生きと展示され人の手に渡るときを待っている。

紙というものは不思議なものだ。
書くことはもちろん、巻いたり折ったりたたんだり、そこに刻まれるしわや傷が、そこに記される文字以上に意味を持ったりする。

先日行われたオープニングパーティでは、都内のすでに廃業してしまった活版印刷工場から譲る受けたという小型の活版印刷機による印刷のデモンストレーションも行われていた。
このようにこの場所と人を起点に印刷の、とくに活版印刷における新しい試みが始動した。

まずそれらに対する深い興味があり、憧憬ともいえる感情と、それらにまつわる知識とを持つかれらには、それらを展開していくにはあまりある愛情があふれているように見えた。

だからこそ人と人との繋がりのなかで築いていく、印刷をめぐる新しい事柄における展開が期待できて頼もしささえ感じられる。

今後パピエ・ラボでは紙を通してさまざまな実験的活動をしていくという。
それは紙が生まれた長い歴史の果ての21世紀なりの新しい解釈にもとづく、紙との関わりの新しい道を開示することになるのだろうか?
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Corbusier,Perrand,Prouve,Mouille...SIGN...MOVE.
sign

ル・コルビュジエ、シャルロット・ペリアン、ジャン・プルーヴェ。彼らは同時代にあって異質な存在同士だったのだろうか。
彼らが共同で、もしくは個別に作り出した建築やその室内装飾を見るとき、 われわれはその素材やかたちのバラエティの豊かさに驚かされる。彼らが創り出したモダニズムの歴史はたとえようもなく豊かな時代を築いた。

彼らが用いた鉄やコンクリートといったマテリアルは当時の先端素材であり、それを加工するすべは設計やデザインのなかから生まれてきた時代である。
薄い鉄板を曲げ強度を保ち、木材の強度を精緻な構造で作り上げる。それら構造がむき出しになったさまは無骨で、ものそのものの美しさを強調しているようにも見える。
プラスティックやコンクリートは色づけされており鮮やか、鉄のパイプは錬金術師のような手法で曲げられ、美しいひだをを与えられる。それもこれもすべてコストであったり強度といった実用の要請にもとづいている。

先日移転オープンしたサインはそんな鉄や木が夢を持って語られていた時代の、美しさをもった家具を扱うショップだ。
それらは使うためにそこに運ばれ、そして人手に渡っていく。それは単に美的価値だけのために扱われることの多いそれらの時代の家具を、本来の目的にそって再生させる作業であるともいえる。
家具を投機目的に買う人びとがいる。その一方でそれらの時代に憧憬と愛着をもって救い出そうとする人びともいる。彼らはおしなべて日常生活者としての使命をまっとうしている人びとだ。先達たちが共働した時代は建築と室内装飾品が同じ人間の手で同じ価値観をもって作られた最後の時代だ。

それらが作られた往時をしのばせる4階建てのモダニズム建築の1階と2階を新しい店舗にしたサイン。1階右手にはプルーヴェのステップのような鉄と木の階段があり、2階の壁にはガラスブロックがはめられている。それがまさに古きよきモダンの佇まいを醸し出していて、そこに置かれているオブジェのイメージと見事に重なる空間構成の重要な要素になっている。
プルーヴェ、ぺリアンそれぞれもしくは共働の家具や、ル・コルビュジエの建築のための家具は言うに及ばず、フランスの謎めいた陶芸家ジョルジュ・ジューヴやセルジュ・ムイユのオリジナルのランプなど見どころも盛りだくさんのショップだ。

SIGN 3-2-13 Hiroo,Shibuya-ku,Tokyo
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