FORM_Story of design(... Kato Takashi weblog)

...food they dream...Marije Vogelzang...3-1
maraj

料理は人間の生活を豊かにするための最前列に位置するもっとも重要な要素である。私たちは人生のなかの重要な楽しみのいくつかを食に委ねているといって過言ではない。
もし食べ物が楽しみに彩られた美しいオブジェでなかったら?それはいくらか味気のない人生とはいえやしないだろうか。
2004年にロッテルダムにオープンしたProefはあらゆる意味で衝撃的なレストランである。そのコンセプトとなるアイデアは気鋭のフードデザイナーが手がけたレストランであるという以上に、私たちの食文化、そして食に対する概念を根底から覆してしまいかねない驚きにみちていたからだ。
マライエは危険を冒すことを恐れず新しい道を進んでいる、と同じオランダのデザイナー、ヘラ・ヨンゲリウスは彼女を評価する。
ヘラ・ヨンゲリウスの元で一年間デザイナーとして働いた経歴を持つマライエはProefプルーフというコンセプチュアルな食文化に対する新鮮なアプローチで、今や世界中が注目するフードデザイナーである。
1978年生まれというから今年29歳になるマライエ・フォーフェルサングは、2000年にオランダのデザインアカデミーアイントフォーフェンを卒業。アカデミーに在籍当時から新しいデザインに対するアプローチを模索していたという彼女は、人間にとって日常もっともみじかなもののひとつで、みじかであるがゆえにおざなりになりがちな食に対する正当なアプローチを試みる。
彼女の問いかけはこうだ。人は家具をデザインし洋服をデザインする。車をデザインし人が住まうための家をデザインする。そんなにも人のためのデザインをしているのになぜ食をデザインする人はいないのか?

食を完璧にコントロールすることは、言い換えれば人間の実存の領域に踏み込むことだ。それはデザインするという人の営みがいまだ到達していない、ある意味では不可侵な領域に踏み込むことでもある。
伝統と格式は時に文化をがんじがらめに縛るしがらみを生み、文化の健全な育成を阻むものになるときがある。食は西と東、時と場所を選ばず至るところに遍在する人間の根本概念のことである。

http://www.proefrotterdam.nl/
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...food they dream...Marije Vogelzang...


http://www.proefrotterdam.nl/
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...Jasper Morrison...sometimes ideas come slowly...
thecrate
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...Jaime Hayon...Intuition drawing...2
jh

2本のつのを持ったラビットベースや、高鼻をもったピノキオベース、それらはセラミックで出来た一点もののスタジオ作品だ。丸い鼻をもったクラウンベースは文字通り鼻に丸いつけ物をした道化を抽象的に象っている。まさに道化をかたどったシルエットのクラウンランプなるフロアランプも存在している。それはあたかもピエロがおどけて、ひさしにでも腰掛けているようなデザインになっており、実用的にみても利に適っているようにみえる。
アヨンのそうした造形のユニークな卓越したセンスは、彼が作ったフィギアの造形と、そこに施す退廃的なモチーフの絵柄を見てもわかる。

Qee(キューイー)はフィギア好きならだれもが一度は目にし手にしたことのある香港のTOY2Rがクリエイトするキャラクター・トイだ。今や有名なデザイナーがトイを手がけることは珍しいことではなく、またトイデザインを経てアートの世界に躍り出るデザイナーも少なくないと聞く。ハイメ・アヨンが手がけたQeeやOnioシリーズなどのソフビはフィギアコレクターの間ではコレクターズアイテムのひとつである。
昨今ではアヨンのクリエーション豊かなプロダクト作品やアートピースから入ったデザインマニアの間でもひそかに話題になっている。

アヨンが手がけるドローイング作品はモノトーンで描かれたものが多い。
それらの作風は今に至っても彼がストリートでウオールペインティングをしていたストリートアーティストであったことを如実に物語っている。
なぜなら彼が好んでキャンバスに選ぶのは、ワシントンやロッテルダムといったギャラリーの壁であり、そこに備え付けられたプレートや動物といった、ストリートのフリーなスペースと同様な場所である。壁とそこに備え付けられたオブジェクトたちのあいだにはその作品の全体の構成において場所と物と時とが関連付けられ、一見互いが何の関係も持たないもの同士を結びつける霊的な啓示に従ったコラージュの手法が用いられる。
アヨンが生き生きと描くそれらのドローイング作品はマーカーを使ってひと思いに描かれ、その線にはいささかの迷いもみられない。そしてそこにしばしば描かれる鼻の高い人物の横顔は、現代の権威主義におどらされた拝金主義者たちをイメージさせる。それを道化として描くことで彼らを震いあがらせるだけの現代的なアイロニーを表現しているようにもみえるのだ。

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アレン・ギンズバーグ覚書...2


詩を愛した繊細な若者は決まってパリに、フランスに憧れをいだく。ギンズバーグも例外ではなく、「吠える」で大成功を収めたのちの1958年から1959年にかけて、恋人のピーター・オロブフスキーを連れだってパリで生活している。パリでギンズバーグはジャズとタバコ、そして男色の生活の中で、「ミラボー橋のしたセーヌは流れる」で有名な吟遊詩人アボリネールの墓に自らの詩集「吠える」を供える。パリへの旅は青春時代の憧憬に別れを告げる旅でもあった。それだからパリで書かれた詩にはビート詩人としてのヒップな印象よりロマンチックな風貌が強く備わっているようにみえることは偶然ではない。
ビート詩人たちはむやみやたらに社会を批判したり麻薬で現実から逃避しているのではない。社会の通念にがんじからめになった生活からの離脱という、人間性の回復を標傍した。それはあらゆる意味においてひとつところにおさまらず、放浪することにも繋がる。
しかし注目すべきはそこではなく、ギンズバーグは常に愛の詩人であったことだろう。度重なる精神病の発作の果てに亡くなった最愛の母親ナオミに捧げられた名作「カディッシ」はいうに及ばず、あのビート詩の金字塔「吠える」も友人である詩人カール・ソロモンに捧げられたものであることを忘れてはならない。冒頭「僕は見た 狂気によって破壊された僕の世代の最良の精神たち」とはカール・ソロモンをさすものであり、この詩の中で語られるヒップな若者たちはジャック・ケルアックの「路上」の若者たちとも結びつくだろう。
放浪は時に逃避というマイナスイメージでとらえられることもあるマイノリティなものだが、ギンズバーグがユダヤ系アメリカ人であったことから、ビートの特徴のひとつであるこの放浪というイメージを「周縁性」に結びつけて考えるのが一般的になっている。そこでの周縁とは人種的な意味での周縁のことであり、アメリカの白人社会におけるユダヤ系アメリカ人、そしてスラブ民族という周縁に属しつつ、アメリカ国内においては白人であることによって主流で有り得たという一見矛盾した自己の存在がギンズバーグをして放浪に走らせたのではないか?家庭では最愛の母親ナオミの精神的錯乱の中でえもいわれぬ精神的な痛手を被り、ユダヤ人であることで社会とは同化されえぬ疎外感を味わう。その苦しみがビート文学にあって特徴的な人間探求、真理の追求に繋がり放浪することと結びつく。戦後フランスで生まれた実存主義の哲学の「行動の中以外に現実はない」という言葉が思いだされる。
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アレン・ギンズバーグ覚書...1
agins

アレン・ギンズバーグは1926年ニュージャージー州ニューアーク生まれのアメリカの詩人だ。学校の教師で詩人でもある父親ルイス・ギンズバーグはユダヤ系の血をひくアメリカ人。母親ナオミは幼い頃ロシアから移民してきた女性。アレン・ギンズバーグはそんな二人のあいだに2番目に生まれた男の子だ。
私がギンズバーグの詩に出会ったのは、20年ほど前、アメリカのロマン派の詩人の一人としてだった。当時すでにあの有名な「吠える-Howl-」や「カディッシ-Kaddish-」は上梓されていたので、私はあのビート詩人としてではなく、ロマンチックなアメリカ詩人の一人としてギンズバーグを認識していたということになる。

アレン・ギンズバーグはヒッピーの代表、もしくは代弁者のようにもみられる。それはギンズバーグがベトナムなどの反戦運動に参加し、時に詩の朗読をしたり、恋人と共にインドに渡り隠遁生活を送ったことに由来するものだ。インドから帰ったギンズバーグはニューヨークでは賢者のように迎えられたという。そして自らを仏教的ユダヤ人と自称したりした。
ヒッピーの語源はビート詩人たちがいうヒップな人びとに由来する(ギンズバーグは詩集「吠える」の冒頭彼らを讃えヒップスターと表現している)

またギンズバーグを語る時避けられない言葉のひとつがビート詩人たちがヒップと対峙してつかう、「スクェア」という言葉だ。スクェアとは文字の意味合いでは四角を表わす。ヒップな人びとがスクェアというとき、それは社会の規範にしたがい抑圧されている人をさす。それは彼等に言わせてみれば好んで抑圧されている人びとのことなのであろう。
ギンズバーグのメディアにおけるイメージは髭を長く生やした、頭髪の薄いヒッピーのようなイメージではないだろうか?代表作「吠える」を上梓したのが1955年。その頃のギンズバーグは豊かな髪をポマードで横分けにした極めて身なりの良い若者といった風情だ。そもそもビート詩人たちは50年代のいわゆるフィフティーズの時代に生まれたことを忘れてはならない。
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...ALLEN GINSBERG...number twenty three...
ag



.....Who Will Take Over the Universe?



(taken from PLANET NEWS 1961-1967)
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...diary of a hiroshima...
hi

asakusanittki...
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...Jaime hayon...1
sketch five

 ハイメ・アヨンは1974年にスペイン・マドリード生まれ。今年33歳になる若手デザイナーだ。現在オランダのロッテルダムにあるギャラリーVIVIDで「jaimehayon,stage in holland」が開催されている。
 個展が開催中のVIVIDの壁面には、アヨンが即興で描いたドローイングがそのまま作品として展示され、その制作風景はyoutube上でパフォーマンスとしてみることが出来る。そこに描かれたドローイングはシュールリアリスティッックなおもむきに満ちており、そのモチーフはアヨン独自のものであると同時に、われわれの内面にひそむあやふやなものをも写しとっていて、この世のエッジを表現しているようにも見える。この世のエッジとは換言すればあの世に片足を踏み込んでいることでもあり、人間存在の根源を見透かしたようなまなざしが実に鋭い感性を反映している。アヨンが画くドローイングはシュルレアリスティックである点においてオートマティスム(自動記述)の様相を呈しており、目や頭ではなくまるで手が書いているように見えるのはまったくの偶然ではない。
 アヨンの作るファーニチャーに顕著なのは動物をモチーフにしたような繊細なレッグを持ったキャビネットやデスクであろうか?それはグラフィティの要素からかけ離れているように見えて、アヨンのドローイング作品に見られる繊細な曲線がモチーフになっているようにみえる。それはまたジャン・コクトーのドローイングとも近しい。

 同じスペインのデザイナーであるマルティ・ギセの例を見るまでもなく、アヨンの作品にはストリートで鍛えた感受性の豊かさがその作品に反映されていることは明確だ。
 アヨンはマドリードでのグラフィティアーティストとしての活動の後に、スケートボードメーカーの誘いでアメリカ西海岸サンディエゴに招かれ数年過ごしている。そこでは主にスケーターたちのためにデッキにグラフィックを提供したり、Tシャツの絵柄のモチーフを描いたりストリートに落書きをしていたという。
 そこで培われた自由な感性は、現在のアヨンのプロダクト作品にも反映され、彼の精神的な基礎となっているようだ。

 1997年から2004年の7年間勤めたベネトンが主宰するコミュニケーション・リサーチ・センター「ファブリカ」では、オリビエロ・トスカーニ片腕として23歳の若さで主任デザイナーに任命される。その間にも小さなアトリエを構え自身の作品作りを続け、ヨーロッパ各地のギャラリーで高い評価を得る。2004年には独立、スペインバルセロナにアヨンスタジオを設立する。

 われわれ日本人ならばアヨンの作るスカルプチャー作品に見られるサボテンのモチーフは、金むくの仏像や般若の面に見えないこともない。アヨンの人体をかたどったように見える磁器のスカルプチャーは、頭部に角のような特徴的な突起を持ち、それがアヨンの作品に独自性を与えている。
 バスルームメーカーArtquitect社の為にデザインしたエレガントでデリケートなバスルームおよびバスタブはアヨンに名声をもたらした。またカンペールのためのショップデザインは、白と赤とベビーピンクを基調としたアヨン独自の世界観を反映させていて、ショップ全体が1個のアヨンミュージアムのようだ。複雑なレッグをもったディスプレイテーブルや、特徴的なペンダントランプは、まるで精神的に確立された自立したオブジェのようでもある。


sketch five
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...jaime Hayon...VIVID Rotterdam.
Jaime Hayon, VIVID Rotterdam

vivid rotterdam


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