FORM_Story of design(... Kato Takashi weblog)

furniture renaissance..Maarten Baas..2-1.


まず金属を骨格として家具の基本のかたちが作られる。その上に工業製品である特殊な粘土ーインダストリアル・クレイをぬり重ねて成型していくのだが、それはバース自らの手でまるで彫刻作品を創るかのような過程を経て製作されていくという。(Clay furniture.)

2004年に彼が通っていたオランダにあるアイントフォーフェン・デザイン・アカデミーの卒業制作の為に用意されたシンプルだが構造的な作品『SMOKE』は、既成の骨董家具を燃やしただけの野心的な作品だ。マーティン・バースはその一作だけで世界中のアヴァンギャルドで先鋭的なフリーキーな人々の注目を集めた。
バースはその『SMOKE』に至る道のりの過程で様々な突飛ともいえる家具に対する執着的な実験を行なっている。その一つは、町で拾ってきたバロック趣味の家具を自室の窓から投げ落とし、その破壊の具合がもたらすありえもしない家具の肢体を、自身の作品に転化出来やしないかっといったていの、まったくもってアナーキーな発想であった。
その『SMOKE』の試作段階では、ほんの僅か目を放した隙に作品を灰にしてしまったこともあったという。
そのような訳で彼のアパートの裏には無残にも破壊された骨董家具がうず高く積まれる事になる。

バースがクライアントからの要望で歴史的な世界の名作家具を燃やす事になった時、彼は燃やす事によって理解される名作が名作である由縁を知る事もあったという。そしてあまりに象徴的な出来事はその装飾が過多であるが故にすっかり流行から外れたバロック趣味の骨董家具を燃やす事の中から、焼け落ちて何%かの装飾が失われた家具を見て思い至る、燃やす前と燃やした後とでは何れかが美しいか、と謂う哲学的な問いを発するに至る。
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.furniture renaissance..Maarten Baas
burnt furniture















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Delfts blue jug...hella jongerius.
Delf
















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...about a sublime...2.

例えば、ペッシェの芸術に具体的にサブライムの概念が関連付けされていないとしても、明らかにそこに死の影や自然の不思議が含まれていると言う点において、ペッシェに於いても他の芸術家たちと同じようにサブライムの概念を持ち出す事は可能なのだ。
その様なサブライム的なるものは、日常、常に意識されてあるものではなく、元来抑圧されたものとして意識下に追いやられている。
それらは繰り返し意識上に持ち出されては、苦悩の種を撒く芽にもなるが、それは痛んだ虫歯を度々舌の先で触っては、快感にも似た痛みを繰り返してしまう行為に似て、決して苦痛と苦悩のみを人に与えるというものではないから如何にも厄介である。

そもそもサブライムの概念は、18世紀頃、盛んに美というものと対比されて論じられてきたという経緯がある。
美が女性的なものと結び付けられて論じられる事が多いの対して、サブライムは男性的なもの、巨大なもの、自然というものと結び付けられて論じられてきた。
ロマン派の詩人や画家が自然と対比させて人間を描く事に終始したのにはそのような思想的な背景がある。
現代に於いてもサブライムは重要な美の概念として機能し得るだけの力と影響力を秘めて偏在している。

自然の摂理が引き起こすものや、自然の摂理の中に取り込まれる事柄は、日常のシステムの中に取り込まれることによって、あたかも日々の生活とは無縁のものとして切り離されてあるが、私たちはそれをただ無縁のものとして意識下に追いやっているに過ぎず、決してそれらが消えてなくなってしまったのではない事に自覚的になる必要がある。
それらはまた、人間が主観=思考に於いて考え出した事柄に過ぎないとしても、あくまでそれを自らの外に客観的事実として扱うところに根本的な事実のすり替えがある。
そうやって我々は日常を事も無げに遣り過ごす術を身につけてしまったとしても、いつの日か崇高なるものの庇護のもとにある自分の存在に気づく時が来るのだ。

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...about a sublime...1
Philipp Otto Runge: Der Morgen

先日来、ペッシェの事を考えていた時から、美というものと、死=タナトスについて関連付けて考えるようになり、その様な考察から、必然的にサブライムの概念について考えるようになった。サブライムとは、『崇高なるもの』、の意であり、哲学者カントの言葉に従うのならば、サブライムはタナトスと関連付けて考える事が必然であるようである。

崇高なるものの力は模造物には宿らず、そもそも人間が意図して創出為うるものではないものの定義である。
サブライムとはただ単純に神々しいものの意ではなく、時に人を畏怖させ、たじろがせるたぐいの、潜在的に内在された人間にとっての恐怖に近い概念を含んでいる。潜在的にその様な様相を含んでいるので、それはまた無意識を引き合に出して語る事も可能となる。ある種の芸術家たちにとってそれらの概念と向き合う事は作品創出のための一つのテーゼとなる。

18世紀、美術の世界では風景を主役に据えて画を描くことは極めて普通のことであり、それは美と関連付けて自然が対置されることによって成り立つ技法であり、人手の及ばないものとしての自然、いわゆるロマン派などによって確立された風景画は、そのように自然をサブライム=崇高なるものとして位置付け、普遍なるものとして扱った。
そのように自然がアイコンとして捉えられるとき、そこには人の手による作為的な意図が生まれてしまう。しかし、この場合、自然と対峙しているものが人間の主観である以上、決して捉えきる事のないものとしての自然が恐怖を与える、ということは頷ける事柄ではあるが。

自然と同じように死も決して人が捕らえきることの出来ない、未知なるものとしてあるからこそ人に恐怖を与える要素を含むのであり、決して捉え切れない、という事を以ってして人間の範疇から離れているものである、とも言えるのだが、そのような意味合いを含みつつ、死生観は、おのずから崇高さを帯びてくる。
またしても、そこには人が決して捉え切れない謎としての恐怖が潜んでいるのだが。
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...about aesthetics...
....about aesthetics...

















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Claudy Jongstra.....working with felt...3-3.
Claudy Stool

ヨングストラは彼女のテキスタイルが如何にハイクオリティであるかを、その生産の為のプロセスがいささかでも人の手を煩わせることなく、速やかに儀式的に執り行われることを前提とせず示したとしても、人が自然の営みと恵みを借りて、身体を働かせて作り出すものに畏敬の念を払う事を失わず、その上で手工芸の素晴らしさに自覚的にいる事を忘れない。

彼女は機械化されたプロセスでそれらのフェルト作品を作るとしても、そこにはただ適量のウールと水と摩擦があるだけである。それだからこそ我々が彼女の作品から感じ取ることの出来るクラフトの要素は、彼女の作品にあって決して損なわれる事のない特性となる。

彼女が紀元前6000年にまでさかのぼる伝統的ではあっても、停滞し画一化していたフェルトの歴史に新たな一石を投じたことは、紛れもない事実として世界のファッション・シーンと室内装飾に於ける現代オランダ・デザインの挑発的な新しいスタイルが証明するところである。
アムステルダムのロイド・ホテルの客室の為のデザイン・プロジェクトを同じオランダのデザイナーたち、例えばヘラ・ヨンゲイリウスやマルセル・ワンダース、リチャード・ハッテンらと共に手掛けていたりもする。

『スター・ウォーズ・ファントムメナス』でのコスチュームの為のフェルト作品の提供のような大きな仕事を経て、現在彼女は自らのアパレル・ブランドでの作品発表、作家同士の感性の響き合う協働作品の企画・製作を活動の中心に据え、2006年のミラノ・サローネでオランダの美術アカデミー・アイントフォーフェンで学んだ経歴を持つ、マーティン・バース自らディストリビュートし発表された、遊び心溢れるカラフルな粘土細工のような刺激的で野心的な新作家具シリーズ、クレイ・ファニチャーへのフェルト作品の提供や、建築家との協働計画が進行中で、ヨングストラの独創的なフェルト作品が壁面装飾をつかさどり、床に敷き詰められる彼女の手によるフェルトの床敷きは、フェルト本来の特性に立ち返り、どのようなかたちにも密度にも作る事が可能で、優れた衝撃の吸収と消音効果を発揮する建築資材となる。
それは彼女が唱えるところのクラフト感に満ちたフェルトというマテリアルが、ハイ・テク素材である事を証明する事にもなるであろう。

2006年後半には伝統あるオランダのテキスタイル・ミュージアムでの回顧展を控え、インスピレーションの源となった十数年前のフェルトとの運命的な出会いで得た直観や、ヨングストラがその創作活動の道程の中に批判的な視線を失わない限り、今後も我々は刺激的な作品を彼女のインテリジェンスが生み出し続ける事を期待出来るというものだ。

Claudy Jongstra

Photo: BAAS.url
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Claudy Jongstra.....working with felt...3-2.
cj

オランダのユトレヒトにあるアート・スクールでファッション・デザインの教育を受け、同時にテキスタイルについての専門的な知識を得た彼女は、優秀な成績で将来を嘱望され、アート・スクールを卒業後、一人の企業家として独立の為に起業するに際して、彼女が他の多くのオランダの芸術家達と同じように、国から作品製作の為の政府補助金を取得することは容易ではなかったという。それは彼女のコンセプチュアルなプレゼンテーションが芸術家にとって寛容なお国柄のこの国にあっても、あまりに難解でアヴァンギャルドであったからだ。

織物以前のもっとも素朴なテキスタイルであるフェルトは、もっとも自然に近い不織布であり、織物やニットの技術が発達して様々なバリエーションが生み出されていく現代にあって、一人取り残されるようにして孤立していて素朴で、原理的に確立された伝統的な素材でもある。
素材に金属糸を混ぜ合わせたり、他の素材の織物を含み合わせて凝着させる手法がヨングストラにあって独自のものだが、羊毛ばかりではなく、時には駱駝の毛なども使用することがあるという彼女の素材選びには、他ならぬ女性ゆえの嗅覚という直感の鋭さが働いている。ヨングストラのフェルトのイメージは軽妙で、洒脱、おおよそ我々がもっているフェルトのイメージの、厚ぼったくて、冴えない色みに、水分を吸収して重く滴るような素材のイメージとは程遠い、時にゴージャスでいて軽やかなものだ。

それらのテキスタイルが高名なメゾンのコレクションに引き合いに出され、世界中のセレブによっておおよそ日常的なものとは程遠い、インテリジェンスを付与される事は、あらかじめ彼女によって予見され、予定されていた事である様に見える。何故ならヨングストラはその製作の過程の最初期の段階に於いて既に、自身の生み出したテキスタイルは『一等高い席にあることを確信し、ジョン・ガリアーノに見せに』行ったというのだからその自信の程が窺い知れる。それらに付与されたハイ・センスなインテリジェンスは彼女がファッションの分野でも専門の教育を受けた事からも理解出来る。

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...about a sublime...Mary Shelley...
Mary Shelley...
















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Claudy Jongstra.....working with felt...3-1.
moss

フェルト作りの為の素朴な技術に魅せられたクラウディ・ヨングストラは、このもっとも古くプリミティヴなスタイルであるフェルトを、最先端の技術とコンセプトで、まったく新しい魅力溢れるテキスタイルに仕上げる技術を獲得した。
ヨングストラのフェルト生地は、アルパカ、リネン、メリノ、綿とカシミアとの混合、シルクに金属線を織り込んだり、その相貌に彼女が刺激を受けた原初の遊牧民族の生活の為の道具から得たインスピレーションを超越した、私たちのフェルトに対する概念を根幹から突き動かすだけの、刺激的な、まったく新しいスタイルを生み出す事に成功している。

彼女は斬新で良質なフェルトのテキスタイルをもたらす為の専用の羊牧場を、自国オランダの田園地帯に持ち、そこには200頭を越す最も良質の羊毛を持つという、毛足の長い珍しい品種(Drents heidesc haapという土着の品種)の羊たちと、それらを育てる為の専用の羊飼いとフェルト加工を施す為の機械オペレーターを雇っている。

そもそもフェルトとは、織物ではなく、羊毛の縮絨(しゅくじゅう)する性質を利用して水に濡らして圧縮、または摩擦によって組織を緻密にしたものである。それは遊牧の民が寒さをしのぐ為に靴底に毛足の長い羊の毛を敷き詰めたものが、摩擦によって羊毛同士が絡まり、シート状に硬く圧着した偶然の出来事がその起源だと言われている。

そのような伝統的なフェルトという素材を、初めにコンセプチュアルありきで自由に扱う手腕は、職人的であるよりも、コンセプトを重要視するオランダという国の美術アカデミーでの教育方針に沿ったもので有るといえる。
伝統的なフェルトは羊毛のみを使用しているものの事であるが、クラウディ・ヨングストラのフェルトは伝統の則に従いながらももう少し自由で、あたかも羽根が生えたかのように軽やかだ。

フェルトは人の加工の手が入る隙が非常に少い、極めて原初の形態を保ったテキスタイルであるといえる。現代では化学繊維といった合成繊維でのフェルト作りも行なわれてはいるものの、ヨングストラのつくるフェルトには混じりけのない、伝統的なフェルト作りの思想と技術が奇跡的に保たれている。
ヨングストラがフェルト作りを始めた90年代なかば頃とは、フェルトは古めかしく少しばかり滑稽な素材といった扱いが主流であった時代である。しかし、彼女がテキスタイル・ミュージアムで出会った、前時代の、フェルトで作られた遊牧の民の雨風をしのぐ生活の為のテントは、今の時代にはない、素朴さと力強さを兼ね備え、その存在は彼女を圧倒したという。
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