FORM_Story of design(... Kato Takashi weblog)

ヘラ・ヨンゲリウス覚書  hella jongerius
B-set

彼女はまず自分をデザイナーである、と定義付けする。そしてクラフトであることがテーマであると。そして彼女にとってのクラフトとはハイ・テクとロー・テクをミックスすることである。
最先端技術と先端素材を使って原初の名残りのあるかたちを創り出す事。
そしてそれがユニークでインダストリアルであること、未来と過去(それは古代アフリカの古典的なかたちの花瓶をハイテク素材であるポリウレタンに置き換えてつくる事であったりする)。
彼女にとって他の時代・異なるカルチャーはその創作においては理解しがたい相容れないものではなく、しばしば彼女の大切なモチーフになったりする。

彼女がデザインしたなんともクラフトの香りがする折りたたみ式の椅子(シープ・チェア)は遠くアフリカはウガンダの古い椅子からインスパイアされたものだ。

そしてこれはポスト・モダンの特徴でもあるのだが歴史的なモチーフやディテールからの引用、もしくは骨董的な要素のある中古家具にほんの少し手を加えることによってコンテンポラリー・アートに変えてしまう事。

ここ数年彼女の大きなプロジェクトはドイツのVitraやニンフェンブルグ、そしてIKEAやMaharamなど海外のクライアントとの仕事がメインであるが、自ら立ち上げたJongeriusLABでのあくまで個人的な生産のプロセスを経たアヴァンギャルドな仕事と海外のクライアントとの制約の伴った仕事の間にはある種のジレンマが生じたりはしないのだろうか?
しかし彼女にとってはそれは彼女を奮い立たせる材料にはなっても彼女のクラフトには微塵の影響も与えない様である。
しかも彼女のデザインがある伝統的な体制に対して緩やかにだが確実に良い刺激を与えていることは間違いがないようである。

彼女はあえて自分の作品の中に本来完璧なものの中にはありえないはずの作り手の痕跡を残すことに長けているようである。そしてそれが彼女の作品にあっては欠点にはならず時にウイットに富んだチャーム・ポイントになる。

彼女とマッカム社にとってB-setは一つのチャレンジであった。何故なら通常メーカーにとっては欠点を持った商品を製品化する事には大きなリスクが伴うものであるのだから。しかしB-setを正規の生産ラインにのせることは彼女にとっては欠点を楽しむ為のプロセスにすぎない。
そしてこれは現代オランダの優秀なデザイナー達に共通する特徴でもあるのだが、製品の中に未完成さや欠点を潜在的に内包させているよう見えることがある。そしてそれを我々を取り巻く自然環境がくだんに内包しているありのままの姿になぞらえ、それらこそが我々の生活を起伏にとんだ豊かなものにしていないかと問い、物が持つ欠点が愛嬌になりはしないか?もしくは愛しいものになりはしないか?と問う。

彼らの前で我々の価値観が試されているかのようである。
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Jurgen Bey Kokoon
Kokoon

ヨルゲン・ベイはthing<もの>にこだわっているようである。
べイはまるで哲学者のように世界についてそれが何かを問うたりすることを恐れず、しかもその答えが既にこの世界の中に存在していることを知っている。それでも我々はそれを言葉や形にしたくて探求していく不思議。そこから生まれてくる感情を物作りの意欲に転化させること、ヨルゲン・ベイのように新しく作られる物の価値に対する疑問や問いかけからゴミを漁り、それをリサイクルすることによってまったくの新しい価値を創り出す事は一見容易いようにみえてその行為の内にインテリジェンスを持たせることは非常に難しい事だ。
ヨルゲン・ベイは1965年生まれのオランダのプロダクト・デザイナーである。日本ではマッカムから発表された伝統的なスタイルの絵付けの陶器作品で知られている。
2000年にドローグより発表された木の幹のベンチ(Tree Trunk Bench)は木の幹〈丸太!)にブロンズ製のクラシカルな椅子の背を付けただけのベンチだが、それは誰もが一度は腰掛けた記憶のある丸太に(その座り心地はまるで自然と一体化するような心地の良いものだ)背もたれを付けるという誰もが考えそうで誰も考え出さなかった一種の発明品である。ベイはそのTree Trunk Benchにおいて自然の中にある物にほんの少し手を加えることで生まれる親しみの篭った親和力を楽しんでいるようである。それはベイの言うところの自然と文化の素晴らしき相互作用である。
そしてヨルゲン・ベイの現在までの代表作であるKokoon furnitureは骨董趣味の家具を弾力のある合成繊維で包んだ一連のシリーズである。破棄された家具や中古の家具を収縮性のある合成繊維でくるみ(それはまるで皮膚と肉と骨格、生命を持ったものの姿のようである)まったく予想もしていなかった姿に変えてしまう。合成繊維は家具を張り付くように包み皮膜を形成する。ベイにおいて骨董品である家具は新しいスキン(皮膚)を得てまったくの別物になる。クラッシックな調度品が薄い皮膚を一枚纏うだけで刺激的なコンテンポラリー・アートになるのである。それは時を経てきた骨董家具があたかも繭(Kokoon)にくるまれたさなぎの様にある時生まれ変わるのではないかという錯覚を見る者に与える。そしてそれは実際ヨルゲン・ベイの魔法によって生まれ変わるのである。
彼にとっては骨董家具をリサイクルしてまったくの新しいファーニチャーを創り出す事はさして難しいことではない。ベイの手にかかれば年代物の単なる骨董家具もおばあちゃん子のシド・ヴィシャスのように育つというものだ。
Kokoon furniturに至ってヨルゲン・ベイはデザイナーたるものもはや自ら家具をデザインする事なくデザイナーたりうる事を証明した。
ヨルゲン・ベイが手掛けた2004年に行われたJ.P.ゴルチエのサマーコレクションのキャット・ウオークとその舞台装置はまさしくベイのKokoon furnitureの仕事から派生したものだ。、巨大な空間の壁面に備え付けられたシャンデリアやバロック調の調度品までもがベイの<覆う>というコンセプトの元に繭に包まれ生まれ変わる日を待つさなぎのように荘厳で静謐な空間を演出する。
哲学者ヴィトゲンシュタインの言葉に忠実に従うならば言葉で語りえぬ事柄については沈黙しなければならないが、語りうるその事実において我々には世界について語るべき事柄がまだまだ多く残されているようである。我々はヨルゲン・ベイの仕事を今より少しでも多く見る事が出来るのなら、この世界について語りえる言葉をその分だけ得ることになるのだが。
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VIVID ROTTERDAM
vivid

ロッテルダムは首都アムステルダムに次いでオランダの第2の都市である。オランダの都市の中でも近代都市のイメージの強い街であり、それは第二次世界大戦に於いてドイツ軍の爆撃に合い旧市街が壊滅的な被害を受けたために、一から都市計画が進められたせいである。また一般的には世界最大の貿易港ユーロポートを有する工業都市というイメージが強い。芸術都市としては首都アムステルダムに一歩遅れた形のロッテルダムは街を上げての法的な芸術家優遇措置策を大胆に取り入れ近年芸術都市としての街作りを進めている。ドイツ人の建築家ピート・ブロムによって設計された通称キューブ・ハウスは奇怪な建物だ。1984年に竣工されたロッテルダムの名所でもあるこの集合住宅は文字通りキューブを重ね合わせて造られておりそのキューブがあえて均衡を崩すかのように積み重ねられ奇妙な圧迫感をすら孕んでいる。〈住みにくいらしい・・・)
ロッテルダムという街はアーティストに対して補助制度が確立しており市がアーティストを補助する代わりにアーティストをある意味管理しており市民とアーティストを橋渡しするCBK(ロッテルダム・アート・センター)なるものまである。
またアート・ショップやギャラリーがアート・スクールの学生とコミュニュケーションを図ることにより若手アーティストの発掘にも積極的であり無名の新人にも才能さえ伴えば発表の場が提供されるという事も、この国のアート・シーンをより活気のあるものにしている要因である。
ヨーロッパの他の国々の例に漏れずオランダの人々も一度必要があって購入したものは大切にするし、それ程新しい物を手に入れることに意欲的ではない。オランダという国にはデザインの良いベビーグッズやKIDファニチャーが多く、日常品からしてデザインのセンスが良いからおのずと目がこえる。子供が初めて目にするキャラクターがブルーナのミッフィーちゃんだったりするとデザインが身についた子供に育つのだと思う。そういえばアンネ・フランクの日記帳も美しい装丁のものであった。
またファッションの分野でも独自の進化をみせ、安価な賃金で大量生産されるアジアからの日常品とは一線を画すアーティスティックな側面がより強調されたヴィクター&ロルフ、アレキサンダーヴァンスローブらに代表されるデザイナーを輩出している。

VIVIDはこのような街にあるアート・ギャラリー&SHOPである。
もともとオランダという国はレンブラントやヴィンセント・ヴァン・ゴッホ、バウハウスの芸術的側面に於ける先駆け的なデ・スティルという活動を生み、リートフェルトはてはディック・ブリューナのミッフィーちゃんなどアートに縁深いお国柄である。
未だ訪れたことはないが、VIVIDのHPを見ているだけで芸術都市ロッテルダムの人々の熱気が直に伝わってくるようで実に刺激的である。ヘラ・ヨンゲリウスやヨルゲン・ベイ、リチャード・ハッテン、Studio Jobなど今や世界に活躍の場を広げている自国のアーティストから、斬新なBurned Furniture(燃やして黒焦げになったもの!)=SMOKEで一躍話題のマーティン・バースなどの若手アーティストまで精力的にエキシヴィジョンを開催している。POPであるがアーティスティックな精神に充ちウイットに富んでいて合理的、オランダのデザインは伝統を踏まえ近年世界に類を見ないほどの多様性に富みかつ質の高いデザイナーと作品を輩出している。

おそらくそれは1993年のドローグ(=ハイス・バッカー)の登場に依るところが多いのだが、1999年にユトレヒト・セントラル・ミュージアム(160年の歴史を持つオランダ最古の公立ミュージアム)のリ・ニューアルが重なり(その改装にあたりあのリチャード・ハッテンが一部内装デザインを手掛けたりしている)、ユトレヒト市庁舎の結婚式場をヨルゲン・ベイが大胆に手掛けるなど国を挙げて新しいデザインをバックアップするだけの懐の深さがある。それは現在のヨーロッパに於ける美術館のありかたの礎を築いたグラフィック・デザイナー、ウイリアム・サンドベルグを生んだ国でもあるからであろうか。
ドローグ以降余り日本で紹介されることのないオランダ・デザインではあるが、リアルなオランダ・デザインの今を伝えてくれる<VIVID ROTTERDAM>、いつの日か必ずや訪れてみたいギャラリーである。


VIVID ROTTERDAM http://www.vividvormgeving.nl/
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ルイ・アラゴンとイレーヌ             シュルレアリスムの時代
direne


ルイ・アラゴンはフランスの詩人にして小説家。
シュルレアリズム運動の提唱者アンドレ・ブルトンと並んでシュルレアリズム文学の牽引者である。
シュルレアリズムとは直訳すれば超現実主義であり、夢(空想)と現実の境を行き来する人間の意識の革命であり冒険の運動でもある。それはまた心理学者フロイトの夢の理論(ユングではなく)の芸術的実践でもあり、世界はこのようにあるべきものだという理想主義とは異なり、ある意味場当たり的な出来事であったり、ふいに口をついて出る言葉など、偶然さえも必然であると認めることであったりする。そしてそれは写実的であったり、合理主義、リアリズムであったりとこの世の中にある、そのありようとは異なるところの意味において芸術家のありかたのその直感と主観の上に成り立っている。そしてそれはまた現実の世界を否定した上での空想主義ではなく、世界のありよう、人間のあり方そのものから生じた、現実とは相容れない形での<超現実>なのだ。
「イレーヌ」は1928年「Le con d'irene」というタイトルで(意味は書けないので御自分でお調べ下さい)150部限定作者不明のまま地下出版されており、同じパリの出版社から同年上梓されたフランスの思想家ジョルジュ・バタイユの「眼球譚」(これも当初ロード・オーシェの偽名で出版されている)とその装丁、内容共に対をなすものである。ちなみに挿絵は共にアンドレ・マッソン(1947年発行の改訂版にはドイツの人形作家で画家のハンス・ベルメールの美しい線描画が収められている)。その文体は耽美的で自動記述的であり(オートマティスム)、シュルレアリズム、エロティシスムの境界を自由に往来し(そもそもエロティシスムとシュルレアリスム的要素はフロイトの理論に於いてはまさしく隣人である)、時にアルチュール・ランボーであったりロートレアモンであったり盟友ブルトンであったりと、シュルレアリストたちの偉大なる先駆者達の言説をなぞりつつ、言葉の濁流とでもいえるように展開されていくありえない物語はまさに<超現実>的である。
小説「オートバイ」で高名なマンディアルグはこの本の新装版の序文において作者の謎に触れ、あくまでこの天才的な文体は同じシュルレアリストであるルイ・アラゴンその人であると推測する。その後晩年においてもアラゴン本人はこの超現実小説が自分の作品であることを認めていない。しかし世界の文学界においてはもはやこの書物は作者ルイ・アラゴンでありこの天才以外の人物がこのような書物を著せないであろうことは誰もが知るところとなっている。日本語訳者はフランス文学の名訳者にして詩人の生田耕作、生田もこの本のあとがきで謎の作者について触れており、随筆家の植草甚一が自著「ポルノグラフィー始末記」においてイレーヌの作者について、アラゴンその人でないと述べていることについて、ありえないでっち上げ、と反論しているところが興味深い。そしてこの書が上梓された1928年はフランス文学にとっての素晴らしき一年であり、この同じ年に上梓された書物にはブルトンの美しい書物「ナジャ」がある。そしてシュルレアリズムの活動がダダイズム以降であることも興味深い事実である。ドイツを中心に発生したこの芸術活動は合理主義に反旗をひるがえすところの反芸術活動であり、<ダダ>という言葉が無作為に選ばれた、その活動とは何の繋がりも持たないフランス語の「木馬」を意味するところからもその反逆精神を理解する事ができる。芸術的活動としてのダダはパリを中心に展開され、ピカビア、デュシャン、当時パリに滞在中のマン・レイなどを巻き込みながら拡大していく。実際アラゴンもダダの詩人としてパリの文壇に登場している。ダダは1924年のブルトンによる「シュルレアリズム第一宣言」によってその活動を終結する訳だが、主要人物たちはその後シュルレアリズムの名の下に活動していくことになる。
ダダイズムとシュルレアリズムは一つの系譜上に連なる思想的に同じ運動なのである。
1930年代後半シュルレアリスムの活動はナチスの台頭により終焉をむかえるが、その精神は今なおそれを見るものに新鮮な驚きと創造力を喚起させるだけの力を備えている。
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