FORM_Story of design(... Kato Takashi weblog)

あるカフェの話
cafe

昔、キラー通りにチョコメルというカフェがあった。
コンクリートの崖を背に立つ古い一軒屋には1階に小さなカフェ、2階にはスロット・カーレースの出来るバーが入っていた。
当時付近に勤めていた私は仕事が終わり、そこらで軽く晩御飯を食べては亥の刻辺りになると一人でふらりとそのカフェに立ち寄ることがささやかな,だが楽しみな日課になっていた。チョコメルという御伽噺の主人公の名前のようなその店の名はオランダではポピュラーなチョコレートドリンクの名前に由来する。チョコメルという濃厚なココアのような甘いドリンクが文字通りお店の看板メニューとなっており、私はいつもお茶やチョコメルを一杯おかわりしては粘りそんな私を若いオーナーはいつも笑顔で迎えてくれた。I氏は当時おそらく二十代半ばといったところだろうか?一見風変わりでいてナイーヴな風貌で、無口、言葉使いも今時気取っていて見かけはどちらかというと女性的であるのに兄貴風な言葉使いをする若者であった。私達は程なく親しく言葉を交わす友人同士になった。
今思うとかなり先見的な内装であった。真っ白な何も架っていない壁、大きなスター・ウォーズのピンボール機、古いBOSEのスピーカーシステムにサーリネンのコーヒーテーブル、赤いカサリノ・チャア、ベルトイアの椅子、白くペイントされた自動車整備工場の棚、その中にはありとあらゆるお馬鹿な雑貨達。トイレもぬかりがなかった。オランダのトイレット・ペーパーが綺麗に積まれた棚、白く塗られた床や壁にはI氏愛用のブーツやコートが掛けられ、本棚には希少な洋書類が綺麗に並べられている。
狭い店内では初めて顔を合わせるお客同士も気安く言葉を交わせるような健全な雰囲気があった。ドアが開くたびに中にいるお客もこれから入ってくるお客もそれぞれに一通り目配せをし、大人が座るにはいかにも小ぶりな椅子に窮屈そうに着席するのであった。当時チョコメルは青山界隈で夜遊びをする大人たちの夜の中継地点的なおもむきがあり、さまざまな雰囲気を持った大人たちが入れ替わり立ち代り出入りしていた。所謂中心から離れアクセスも悪いので来ようにもタクシーくらいしか手段がなくキラー通りの店の前にはタクシーが頻繁に止まっては立ち去った。
I氏はあくまでオランダかぶれで、私の誕生日にもオランダのレシートなどをくれるような突拍子のない人物であり、しばしばかの地で手に入れた使い方の全く判らないようなこまごまとしたものなどを熱心に見せられた。いつでも彼との会話の中には何かの拍子に必ずと言っていいくらいアムスの話題が上った。私にはアムスといっても運河やそこに架る美しい形の橋や、ゴンドラくらいしか想起できず、彼の口からでるアムスの風景は自由闊達な楽園といった趣で、世界中から自由を求めて大人なアーティスト達が集まる桃源郷のような場所だ。
その後何年店が存続したのかは記憶が定かではない。I氏が単身アムスに旅立った、と人づてに聞いたのが4年ほど前。その彼が昨年日本に帰国したと知ったのは、私の妻が渋谷の街中で偶然彼らしい人物を見かけた、と聞いたときだった。その後連絡を取り千駄ヶ谷のカフェで再会した彼は昔のままの彼であった。彼の隣の席にはアムスで出会った素敵な女性が座っている。お互い結婚し今はとりあえず二人共幸せに暮らしている。心の中に小さな火種はまだ灯したままである。
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アー・ユー・ハングリー?
cup noodle

日清カップヌードル。
私が一番好きなパッケージ・ロゴ・デザインである。
そして私が一番好きなカップ麺でもある。
発売開始はあの大阪万博の翌年である1971年、そして世界初のカップ入り麺である。開発はその13年前に「チキン・ラーメン」として世界で初めて即席めんの量産化に成功した日清食品創業者安藤百福。
カップ・ヌードルは当時即席めんの国際化というコンセプトのもとに開発されている。その為には箸ではなくフォークを使って食することが必要とされ、パッケージの形状から素材に至るまでその事を念頭に開発されたようである。
我々日本人はカップ・ヌードルの出現によって、フォークを使って麺を食する、という事により異文化を身近に体感する事になる。この出来事は高度成長期の日本人にとって忘れられない楽しい一つのエピソードになるのである。そしてそれは前年に開催された大阪万博EXPO’70によって国民あげての国際化に成功した日本人に於ける第二の新世界との実質的なコミュニケーションとなったのである。
カップ・ヌードルのパッケージ・ロゴ・デザインは日本人、1970年の大阪万博のアート・ディレクターにして万博のシンボルマークをデザインしたことでも知られる大高猛。そのロゴ・デザインとパッケージデザインは当時の日本人がイメージする麺というものが持っているところの先入観を180度転換させ、そのカップ・ヌードルという食べ物が単に食品ではなく世界との架け橋になることを予見させるに十分なインパクトを持っていた。中東風な赤い書体に麺を表すところの縞模様が施され、当時の新素材である発泡スチロールの白が潔い。
カップ・ヌードルは発売当初からそのTVコマーシャルに於いても世界をイメージしていた。海外ロケによるコマーシャルは土地土地の若者やお年寄り、子供達を使って撮影されており、その中で世界の子供達が手に手に笑顔で食べているのは日本のカップ・ヌードルであり、その事によって大高猛デザインによるカップ・ヌードルのロゴマークは否応なく当時の日本人に最早日本が世界の先進国の一員であることを喚起させる事に成功したのである。
その時日本人は、二人の生粋のモダニストの偉大なる仕事によって食文化に於いても世界との共通言語を獲得したのである。
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岡尾美代子さんの本   もののみかた



manufactures=製品・製作物といった意味だろうか?
一般的にかわいい・おしゃれと言われている岡尾さんにしては素っ気ないタイトルである。
岡尾さん御本人が実際に自宅で使用している様々な愛用品が52点。
私ももしこの様な本を出版出来るような機会があったのなら52点もの愛用品を実際に目の前に並べる事は可能か?もしかしたらその数はそれ以上かもしれないし、それ以下かもしれない。この様な場合、数が問題なのではなく質が重要なのは充分承知しているがそれでも、である。もしかしたら岡尾さんのファンの方にはこの本で選ばれた品々はさして珍しいものたちではないのかもしれない。それでも男の目から見ても岡尾さんが普段の生活で使用されているものたちは充分に美しいストーリーにみちているように思える。だがそれはなぜか?
岡尾さんはものをかわいいとかおしゃれという自己の価値判断では選ばないと言う、もののもつ背景(それはどうにも変わりようのない絶対的なものだ)やそのものの持つストーリーに導かれるようにそのもの自体に強く惹かれるのだと言う。それはかわいいやおしゃれという言葉の持つ主観的な価値判断とはまったく異なるものだ。わたしがいいと思うからこれはいいのだ、という価値基準は一見するとその判断をする個人にとっては揺るぎようのない絶対的な事実にみえる。しかし人の心はうつろいやすい。それは誰もが冷静になって自らの心に問うてみれば分かることだ。だがそのもの本来のすがたに着眼しその揺るぎようのないもの本来と向き合うことは決してたやすい事ではないし、それに気づかずにいることの方が多い。何故ならそこには容易く主観というものが頭をもたげて来るのだから。もの本来とは言い換えれば一個人の主観や判断や選択を許さない絶対的な<物自体>のことである。<物自体>と向き合うことはそのものが語るところのものに耳を澄まし耳を傾け静聴することである。
ものを選ぶ、ということは<物自体>と掛値なしに正面から向き合うことだ。
だからこそ私はこの本にかわいいやおしゃれではなく<哲学>を垣間見るのだ。

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ヘラ・ヨンゲリウスのビーカー Hella Jongerius
hj beaker

ヘラ・ヨンゲリウスはオランダのインダストリアル・デザイナーである。
このビーカーは彼女の作品B-setシリーズの中のアイテムである。B-setとは不完全な工業製品を表わすB品のBに由来する。しかしそれは製品として不完全で未熟なものの意ではなく、卓越したクラフツマンシップに裏打ちされた、手の痕跡の残るものの意味なのである。一見してシンプルなデザインはその背後に深い知性を宿している。そのかたちには天然のゆらぎ、と言えるようなものがあり、素朴であるが故の美しさを備えている。まるで実験器具のような潔い乳白色の色とフォルムに、透明の釉薬(上薬)が施され、手に持つと分かるのだが、うつわそのものが持つ体温が手の平に直に伝わってくるようで実に心地よい。
ヨンゲリウスのビーカーだが現在のマッカム社からB-setとして販売される以前に同じくオランダのドローグ・デザインより同じB-setとして発表されている。ドーローグのビーカーは未だ作品然としており〈現行のマッカム社の製品と比べるとその質感はマットな印象である)エッジの厚みも一層不揃いで、そのフォルムの歪みも顕著であり、アーティスティックとも呼べるフォルムが美しい。
サイズは至って小振りで、コーヒーカップでいえばドゥミ・カップといったところか?シリーズ中のビーカーにはSサイズとMサイズがあり、私見ではSサイズのもののほうが際立って美しい。用途としてはお茶を飲むための小振りなカップとして使っても良いし、ドレッシングなどを注ぎ調味料入れとして食卓で使っても良い。
ヘラ・ヨンゲリウスのような作家がもっと日本でも認知されるようになれば良いと思う。
彼女の初期の作品はおもにドローグより発表されているが、近年は自らJongeriuslabを立ち上げそこから作品をディストリビューションしている。彼女にとってデザイナーであることとメーカーであることとは矛盾しない。それは彼女の言葉で言うところの手と頭でピンポンをするようなものなのである。
それだからこそ彼女のプロダクトに我々が感じるところの手の温もりは、例えそれが最先端技術によって創られたマテリアルであっても損なわれることがないのだ。何故なら彼女は最先端を行くハイセンスなデザイナーであると同時に、クラフツマン(クラフツウーマン?)シップを忘れない女性であるのだから。
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ウィルヘルム・ワゲンフェルドのガラス容器  Wilhelm Wagenfeld KUBUS
kubus

ウィルヘルム・ワゲンフェルドは1923年から3年間バウハウス・デッサウ校に於いてモホリ・ナギのもと金属工房に学ぶ。当時の学長はW・グロピウス。同時期に同工房に於いて学んだ学生の中にはのちに金属工房においてマイスターを務めることになるマリアンネ・ブラントがいる。ブラントは実験的なフォルムのティーポットや灰皿などの作者として知られているが、そのうちのいくつかは現在もイタリアのアレッシイ社に於いて復刻生産されている(ブラントがバウハウスの金属工房に在籍していた当時に弟子のヒン・ブレンダンディークと手掛けた金属製のランプについては後日記す)。
ワゲンフェルドはバウハウスで学んだ後、イエーナ・ガラス(ショット&ゲン)工房に在籍し数々の日常生活に根ざした日用品をデザイン・開発するが、1938年に発表された透明なガラスの四角い明確なフォルムのKUBUSシリーズ(Vereinigte Lausitzer Glaswerke AG.WeiBwasser)はバウハウスの残した遺産の中でも重要な作品のひとつである。
本体と蓋という単純な構造の型成型ガラスながら大きさに七つのヴァリエーションがあり、単品で購入する事ができる上、本体と蓋が別々に購入出来るという当時としてはすべてが画期的な日常収納食器具であった。
その用途は単体で食品保存、ケースのままで料理を食卓にサーブ出来るという実用性と明晰な美しさを兼ね備え、蓋は食卓では取り皿としてと、その用途は一つに納まらない。さらにこのKUBUSシリーズが優れている点は、それぞれ大きさの異なるケースを重ね合わせると一つのアート・ピース(建築物)となる事である。それは正しくバウハウス創設者W・グロピウスのバウハウス宣言の冒頭の言葉、{すべての造形活動の最終目標は建築(バウ)である!}という言葉を体現しているのである。
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詩人マヤコフスキーの革命と恋
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ヴラジーミル・マヤコフスキーはロシアの詩人である。
一般的には革命の詩人、もしくはプロパガンダの詩人として知られているマヤコフスキーであるが、その詩における表現方法はあくまで私的で人間味に溢れ、生命力に満ちたものである。
現在ロシアの文学・哲学は忘れ去られたようにあるが、マヤコフスキーが生きて活躍していた1920年前後のロシアは間違いなく世界の文化を牽引する力を持っていた。
1917年の社会主義革命を「ぼくの革命」と呼んだマヤコフスキーの有名な言葉は、革命以前と革命以後のマヤコフスキーの生き方にどのような科学的作用を及ぼしたのか?
1917年の革命を待たずしてマヤコフスキーは民衆を古い因習から解き放つ為に、街角で自らの詩を朗読し時に自ら道化になり、新しいロシアの為の詩を書き民衆を扇動した。
マヤコフスキーが1917年の社会主義革命をいかに狂信的に信じ自分自身の為の革命として受けとめたかは想像に難くない。いよいよマヤコフスキーは革命のプロパガンダの詩を書き絵画を描き、演劇に手を染め、数千枚のプラカードを書き、匿名の詩を書きはじめる。
しかし革命の使徒としての民衆の為のプロパガンダの詩人という顔と、自己を赤裸々なまでにさらけ出すペシミスティックなまでの表現は決して一人の人間の中に相いれるものではない。
マヤコフスキーの一番美しい詩はパリで出会った恋人タチャーナ・ヤーコヴレワに宛てた手紙として書かれている。
その中で詩人は、首都モスクワの中の一人の民衆としてロシアの大地に立ちながら、ヤーコヴレワと出会った思い出の美しい街、パリ共々ヤーコヴレワを獲得しようと宣言しているのだ。

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哲学者ヴィトゲンシュタインと建築
L.W

二十世紀の哲学界においてヴィトゲンシュタインとは何か?
ヴィトゲンシュタインとは1918年にあの著名な哲学書「論理哲学論考」を著したオーストリアの哲学者である。
彼のその書物は{世界は、論理的空間における事実のすべてである}という神秘的な言葉で始まる。
決して哲学書としては大書ではないが、一から六までの数字をあてはめられ、整然と論じられる我々の日常言語から生まれ出る論理はまるで、美しい散文詩を読むようであり、どの項目、どのページから読んでも我々の日常に一字一句合致する言葉としての力を備えている。
そのヴィトゲンシュタインが建築に没頭していた時期があることはあまりにも有名である。
時は正にオーストリアに於けるデ・スティル、ドイツでのバウハウスの開校と重なる。
さてヴィトゲンシュタインが実の姉の薦めによって設計に関わることになったストンボロウ夫人邸は、ヴィトゲンシュタインが設計した建築物であるという以上に彼の哲学者としての表象の現れであって、正しく論理的な建築であり、建築的に無意味なまでに精緻に数字に拘り、書物「論理哲学論考」を建築で表したものであると評されている。しかもそれ以前の数年間をヴィトゲンシュタインは哲学から遠く離れ、人里離れた山奥で小学校教師としての生活を送っていたというのであるから興味深い。
しかし建築はヴィトゲンシュタインの哲学者としての歴史に於いてただ単に哲学への回帰の足懸かりにすぎないという事もまた事実である。
我々は彼の建築から何を学ぶのか?
世界という論理的空間に於いて我々が出来ることとは何か?
それをヴィトゲンシュタインは教えてくれる、{言葉で語り得ないもの事については沈黙しなければならない}と。
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そこからはじまるもの The one that starts there


美しいデザインと美しいと思えるデザイン。
それを私は私の直感に委ねます。
目に見えるものの中にある目に見えないもの。
見えないものの中にある見えるもの。
それを私は模索していきます。

Beautiful design and design that seems to be beautiful.
I entrust it to my intuition.
The one not seen eyes that exist invisible thing.
The seen one that exists in thing not seen.
I grope for it.
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