FORM_Story of design(... Kato Takashi weblog)

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一枚の写真がひくタイムライン

 

10年以上前にプロダクトデザイナー秋田道夫さんと親しく交流させていただいた時期があって、たまに今みたいにコーヒースタンドがあまりない頃の代々木上原にあった事務所に呼んでもらってお話をしたりしていた。
当時、秋田さんはinformationという人気ブログをされていて、デザイン界隈では多くの読者を獲得していた。そのつながりで出会った人たちもいた。
ある日、秋田さんが展示をするので写真を撮ってくれませんかと相談された。当時ボクはライカのデジタルカメラを手に入れたばかりで、ウェブ取材の際には写真も撮っていた。
そしてその時撮った写真は記憶では当時駒沢にあった天童木工などを扱うインテリアショップでの秋田さんの個展で展示された。

秋田さんはブログもそうだったけど、新旧問わず自作のことを丁寧に言葉にするデザイナーとしても知られていた。ボクにはそのスタンスがとても興味深く思った。作品は触ると指先が切れそうなほどシャープなのに、言葉やそれを語るスタンスはまろやか。ある種スノッブであることがデザイナーと当時は思っていたところがあったので、自作を雄弁に語る秋田さんはいわゆるデザイナーとしては異質な存在に思えた(スノッブとはいろんな意味合いがあると思うけど、ボクには憧れの存在のイメージである)。当時のボクは今もそんなに変わらないけど、デザインライターとしてかけだしのころで、業界の端っこにいるだけのような存在だった。そんな自分に親しく声をかけてくれるベテランデザイナーの秋田さんからは、年長者としての厳格さとともに、時に問を投げかけ対等に扱ってもらえていることを感じていた。

さっきデザイナーはスノッブと書いたけど、秋田さんはいつもGパンにベースボールキャップという普段着姿でありながら上品さを失わない佇まいもそうだけど、軽やかな語り口と親しみやすさ、デザインのエッジが立った感じ、それら相反するものの全部をひっくるめて極めてスノッブという側面も併せもっているデザイナーなのだと思う。

数ヶ月前には想定もしていなかったコロナ禍の中で、昔のパソコンから写真を探していたら、件の個展にあわせて撮影した当時の秋田さんの事務所写真が出てきた。その中の一枚に、今ボクの家にあるのと同じ壁掛け時計がかかっている一枚があった(確かこれはジャスパー・モリソンがデザインした時計だ)。この話にはオチはないけど、10数年の時を超えて同じ時計がかかっている見慣れた風景が今とつながった。そう感じてフッと気持ちが浮き立った。閉塞感のあるこんな時だけどかつて撮影した一枚の写真から未来への希望を描くことができたような気がしている。

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