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今日のジャーナリズム 勝手メディアの可能性 2


下劣、高尚、低俗、緻密、短絡、詳細、僕はいかなる勝手メディアにも同時代にたいするそれなりの批評性があると思っている立場だ。とくに現在ではウェブのなかにある「良識的な」ブログのなかにしばしばみられる、実名をもって表明された問題意識の数々は、現代社会の諸問題に対し同時代的で正当な批評になるし、仮に視点が偏ったり間違ったようにみえる批評であったとしても、それはそれ以外の正当さに目を向けさせるための批評になるだろう。
新しいジュウ年代の真摯な批評の一部は、そんなウエブのなかの勝手メディアのなかにあるが、社会に対し正当な批評性をもって語られる、それらメディアがもつ可能性を、仮にもメディアに関わっている人間であればいまや見過ごすことはできないはずだ。
ブログや2ちゃんねるなどで情報をむさぼり、あるいはたれながし、それを毎日毎夜それぞれの個室で見る世代にとっては、それがかっての新聞や雑誌と同じような意味をもち社会に関わるための情報源となっているはずだから。すくなくとも僕はそんな自負をもちながらこれらを書いている者だ。

最近お会いした建築ジャーナリストぽむ企画の桂さんが、ご自身のブログで勝手メディアについてお話されている。このときの建築家藤村龍至/TEAM ROUNDABOUT JOURNALとの議論で初めて勝手メディアなる言葉を知ったのだが、確かに僕がここでやっていることも勝手メディアだな、と思って、その示すところがすっと入ってきた。と同時に日々このブログを書くことに対して感じている責任感も実感として切実に身にしみて感じた。
「無数の解釈の群れ」たる茫漠とした広大なウェブ空間のなかで、単なる個人的な解釈に陥らない批評たること。しかしウェブのなかにある現実が、その同じ現実に対する大まかな粗筋でしかない以上、批評は単なる解釈をこえて、現実を真実味をもって現実以上にリアルに演出することも可能なのではないか?それは主観が見据える客観性をあらためて客観的な思考の俎上にのせて自己批判的に語ることにほかならない。
個人的には不特定多数の人々が異なる場所で、共同でひとつのコンテンツを作成するコラボレーションメディアや、桂さんが書かれていたニコニコ動画のような「非生産的」だが「楽しめて参加できる」メディアの可能性も探ってみたいとも思う。

特定のアーキテクチャを使用し、フリーで作成されるウェブ上のメディアとして信憑性を獲得し、信頼されている百科事典プロジェクトであるウイキペディアは、その内部における社会的モラルに基づいた自浄力が働いていることは周知のとおりだが、ウェブのなかで新聞や書籍と同じようにメディアとしての地位を確立しているブログやサイトには、その書き手の社会的地位に基づくモラルに委ねられるところが大きいゆえに 僕はそんな勝手メディアが自らのモラル以上のセキュリティの承認をえて、社会にひらいた批評性を持つときこそ、勝手メディアが社会に対し勝手メディアたる地位を得るのだと思う。


※写真は先日訪れた京都四条通り中之町辺りです
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