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東京中央郵便局問題


東京丸の内に建つ東京中央郵便局の建て替え問題について、歴史的建築物との見解から、一部を残しての建て替えか、前面保存の方向かでにわかに世間を賑わしている。
いままであまり政府の側からおもてだってこのような建築物の保存が語られたことがなかっただけに、メディアでの報道も多く一躍建築保存の是非が注目度の高い問題として久しぶりにクローズアップされている。
以前にも一連の同潤会アパートの保存の問題がその取り壊しのたびにクローズアップされるということはあったが、こちらは集合住宅ということもあり住民の日々の生活のインフラの不備などの実際的な問題で、保存運動は一部の歴史建築物愛好家によるノスタルジーとして片付けられ社会全体の共通問題意識としてあまり浸透することはなかったのが残念であった。
そこで今回持ち上がった東京中央郵便局の保存問題だが、とうの言いだしっぺが昨今信頼を失墜しつつある政治家から語られるているということや、一政治家の思いつきと思われているところから、なかばこの件についての世評はちゃかしを越えないものも多くない。だがしかし、ここには現代的な問題の捉え方としてなかなか本質的な側面もあり、あながち思いつきですますことが出来ない発想をふくんでいるように思うのは僕だけだろうか。
とかく日本においては建築や町並み保存はノスタルジーの一言で片付けれてしまいがちだが、果たして本当にそうだろうか。

ここは建築を文化とし、あるいは芸術品などと同じように文化的なストックと認めるか、という点に争点がかかっていると思う。
いまの丸の内界隈における既存の建物の外郭だけ残して、新築するタワーに貼り付けるというやりかたは、まさに稀少動物の剥製とおなじではないか。建築のアイデンティティや未来にむけたヴィジョンのない、文化のコピペにしかすぎないのではないか。
近代以降の装飾のない「シンプル」な建築の保存はむずかしい、というが果たしてそのとおりだろうか。
妥協していまの遺跡の薄皮でタワーをくるむような情けないそんな建築の継承が成り立つとして、それはモダニズム時代の建築の一部までであって、モダニズム以降の建築保存の問題がこれからおこったときに、発想の飛躍であることを恐れずにいえば、たとえばせんだいメディアテークのような内部と外部がわかち難く複雑に結びついた有機的な建築の保存問題と向き合ったとき、どのような対処法をとるのだろうか。
それこそそのときこそ、どこそこで誰かが指摘していたようにそろそろ新しい建築保存の方法を考えるべきときなのではないだろうか。
昭和の時代まで歴史的なモダニズム建築の見本市場であった丸の内が平成の時代に入って不必要なまでに建て替え高層化していくなかで、近年の戦前の姿への東京駅舎の修復、そして今回の中央郵便局の問題。歴史と建築、歴史と都市が向き合う方法のひとつとして熟考されてもいい問題のような気がする。


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