FORM_Story of design(... Kato Takashi weblog)

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明日に架ける橋


周知のように平和大橋歩道橋デザイン提案競技の1次審査通過者による公開プレゼンテーションが、平和公園内にある国際会議場で行われ、内藤廣氏が選考委員長をとつとめる選考委員会による審査の結果、最優秀案は大日本コンサルタント中国支店(広島市中区)による「時空の扉(ゲート)」が選ばれた。「時空の扉」は1951年にイサムノグチがデザインした「平和大橋」と「西平和大橋」の二つの橋にこめた平和への思いを21世紀に継承することをふまえデザインされ、既設の平和大橋を静かに包み込むような主張のすくない、控えめな橋になっている。

公開プレゼンテーションが開催されると聞きつけ、3月4日13時の公開プレゼンテーション開催にあわせて広島に出かけてきた。
プレゼン会場は丹下健三が設計したピースセンターの原爆ドームに向かって左翼にあたる、かって広島市公会堂、新広島ホテルがあった建物だ。現在は国際会議場として多目的に使用される会議場が複数入る市が管理する公共施設になっている。12時半開場となるプレゼンテーション会場には12時半過ぎには関係者や報道陣らが中心に集まり、静かな賑わいをみせていた。すこし気になったのが一般市民と思われる人の姿が見受けられないこと。

13時丁度に始まった公開プレゼンテーションの冒頭に市の職員による今回のデザイン提案競技の趣旨と、これから行われる公開プレゼンテーションのタイムスケジュール、会場からの質問は受付けないこと、プレゼンテーション中のフラッシュを使った写真撮影の禁止、すべての1次審査通過者のプレゼンテーション終了ののち、別室にて審査委員会による審査後、テレビ等のメディアを通じて本日中に最優秀案を発表、後日広島市のホームページであらためて発表されることなどが述べられた。
続いて今回2次審査に進んだ6組の応募者が、それぞれパワーポイントを使用した10分のプレゼンテーションと、15分の選考委員による質疑とそれに対する応答の計25分と、入れ替え時間の5分を含み各30分の正味3時間の公開プレゼンテーションが終了したのが16時過ぎ。



それぞれの10分間という持ち時間をつかって、それまで書面によるデザインの提案と、橋にこめた思いを文章で発表するだけであった応募者による、はじめての言葉による思いを伝える唯一の機会とあって、橋にかける熱い思いが聴けるものとおもっていたのだが、一部の応募者をのぞいて橋という公共物の構造的で技術的な側面が語られることが中心で、それぞれの応募者の肝心の橋と都市への思いがあまり聞く事ができず肩透かしをくったような印象をもったのは僕だけだろうか。それにしても最初で最後の言葉によるプレゼンが10分間というのはすこし短かいという印象をもった。

しかもプレゼンの1.5倍の時間15分をとって行われた選考委員による質疑応答も肝心の質問がなかなかなされず、審査委員の内藤氏による投げかけによりかろうじてどの応募者にも同じような質問が述べられると言う状況で、しかもその質問のほとんどが、応募者がこの橋へこめた思いよりも、すでに事前資料に十分記載されているはずの橋の技術面や構造面と、歩行者、自転車の分離、橋の勾配による自転車走行の困難といったなんとなくどうでもよいような質問に終始し、会場からは失笑も聞こえた。また選考委員による主役となる平和大橋、そしてイサムノグチが橋へこめた思いへの言及、それを応募者に問う場面がまったくなかったのが残念であった。
冒頭で述べられたように公開の場では当選案の発表も、選考委員による印象や講評もなく、会場に集まったこちらのヒートアップした気持ちがおいてきぼりになるような感じで公開プレゼンテーションはほぼ時間内に終了した。

そしてテレビのニュースで発表された(実際に確認していないのだが広島市長より直々に発表がなされた模様)のがその約2時間後の18時過ぎ。公開プレゼンを聴講したのは初めてなのでほかのコンペとくらべることは出来ないのだが、公開プレゼンの顛末とはこのようなものなのか、という印象をもった。

実際に広島市民の一人に聞いたところでは、2月上旬の応募全作品の公開パネル展示がおこなわれたのは、土日をのぞいた平日の市役所の営業時間内の正味4日間、そして今回の最終審査となる公開プレゼンが行われたのが平日水曜日の昼下がり、ということで普通に勤めている市民が参加することはほとんど考慮されていない、という意見であった。
そして公開プレゼンの日取りが一般に発表されたのも当の公開プレゼン開催の2日前、実際にプレゼン会場内を見渡しても一般市民らしき姿はほとんどいない。
これほど市民にとって歴史的な意味のある橋のコンペにしては市民の関心が低いというよりは知らされていない、というような印象をもたざるをえない状況であった。印象では今回の公開プレゼンの開催を知っていたのは、応募者のまわりのごくわずかの関係者しかいないのではないか。
ちなみに身近な同様のケースとして昨年末に同じく公開プレゼンが開催され最優秀作品が発表された僕の地元である浅草の「浅草文化観光センター」の設計案コンペのときは、恥ずかしながら僕もその開催日時を把握していなかったのだが、その時は開催日が区民も参加しやすい日曜日の午後に設定されていた。



個人的な見解に過ぎないのだが、実際今回の歩道橋デザインの感性的な指針にもなっているイサムノグチの橋が、どれだけ当時の人々の民意を反映したものかはわからないが、それでも単にひとりの絶対的な感性の超越者がその絶対的な立場から被爆により亡くなった市民と、傷を背負った市民、加えてこれからここで暮らしていく人々のための未来にむけてあの橋をデザインしたわけではないことくらいはわかる。

平和大橋がその設計者にイサムノグチを選ぶというまさに先見の明といえる建築家丹下健三のゆるぎない意志と、アメリカ人の父と日本人の母をもつノグチが平和への願いと思いを彫刻的で意味のあるかたちに結晶させたデザイン、それを議会の反対を押し切り自らの責任をもって実現させた当時の広島市長の勇気ある決断は、経緯はどうあれ現在において讃えられることだと思う。
それは建造から50数年を経て平和大橋が文化的ストックとして認められている事実を考えると、その決断が間違いではなかったことは周知の事実だ。

そのようにあらゆるチャレンジのうえに現在まで美しい姿を私たちに見せてくれている平和大橋がもつ被爆者の魂の鎮魂と、人類の未来永劫の平和への意思を継ぎ、架けられる私たちのあたらしい時代の平和大橋歩道橋のなりわいに、それと同等のストーリーがあるものかどうか。それを知りたいと思うし、それは今後発表されるであろう選考委員による選考評を楽しみに待ちたい。

結果生まれることになる平和の願いをこめたあたらしい橋が市民に末永く愛され、世界にむけた平和都市広島を表象する橋となることだけを、広島を愛する一人の人間として切に願うばかりだ。
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