FORM_Story of design(... Kato Takashi weblog)

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固定概念と現代建築、セミナーはしご


今夜は意外に暖かかった。銀座と京橋、気になるふたつのセミナーがあったので、どちらも途中からになってしまうが聴講させていただいた。
まず銀座のアップルストアでは友人のmetabolismさんのセミナーが開催。近著「DESIGN=SOCIAL」の発刊記念トークイベントということで、テキストと豊富なヴィジュアルでデザインの社会との関係をあらわしたその著書を下敷きに、そのベースになった考えを語るというもの。「デザイン」と「社会」の関わりは、彼がこれまで一貫して考え続けてきたもので、巷でコレクターと評されているその一連の趣味的で広範な収集も、デザインが社会の成り立ちのプロセスにどのように関係しているのかを考察する手段であって、それ自体が目的となっていないところが普通と違うところだと思う。
肝心のセミナーは後半10分しか聞くことができなかったが、ところどこれで彼らしい言い回し(たとえば、おばちゃん、など)があり、それが言葉の抑揚に面白いアクセントになって聞いていて楽しかった。トーク後の質疑応答では、通り一遍なコレクションについての質問が集中するなか、最後のかたのデザインと人との感性的な繋がりについて考えたりしますか、という問いとそれに対する応答を聞く限り、1時間という短い時間の講演会ではあったが、デザインから社会、そして人へと繋がるそんな内容であったのかな、と想像した。スライドは最後の市場の場面を映し出したものしか見ることができなかったが、自分で作ったものを自分の手で売るということをしている彼の、ものを作ること、売ること、しいては社会と関わることのリアルがそこにあると読んだ。

アップルをあとに歩いて京橋まで移動し、INAX銀座での定例建築家フォーラム講演会にこれも途中からお邪魔する。こちらは建築家西沢大良さんの講演会。お題も以前から気にしていた西沢さんの建築論、「現代建築」について。その現代建築については僕なりの理解で話すと、現在の日本の建築は従来の近代建築では語ることはできないし、作ることもできないというものだったと思う。近代建築とは言うまでもなくモダニズム建築のことで、西沢さんはそのモダニズム建築の代表としてグロピウスらのバウハウスを例にしばしば語る。
現代、とくに'80年代以降、世の中には建物の内、外の区別なく物が溢れている。例えばパーキングにはさまざまな種類のいろとりどりのマイカーが並び、渋谷の街にはさまざまな意匠に凝らしたファッションで身を飾る若いギャルが溢れている。その種類も目的も異なる多様な物が溢れている風景を、西沢さんは美しくないものと一蹴する。そして美しくない理由も、立体としての物が溢れていること、それも個別の種類の物ではなく、物の種類が増えたことを理由に語るところが西沢さんの気づきであると思う。

西沢さんは単に世の中に物が増えることを問題視しているわけではない。単一の種類の物が大量にならぶ風景、たとえばバウハウスのデッサウ校舎の教室にパイプ椅子が並べられる風景のように、同じ物が大量に集まることによって成立する整然とした美しい風景はモダニズムによる方法論で得意としたところだ。では、現代の日本の住宅に見られるような、用途もデザインも異なる大量の製品が、ただ利便性と贅沢という目的のために並べられる風景が顕著な日本のドメスティックな風景に対して、建築はいかに向き合うのか?
いわゆる近代建築の手法でのその不可能性をときながら、西沢さんはそれに現代建築という手法で立ち向かう。
こちらも残念ながら実際の講義はまったく聴くことができなかったので、今回の講演会の内容に照らし合わせて考えることはできないが、帰りの電車の中で講演会に参加されていた浅石さんにうかがった話によれば、その現状に対し西沢さんによる現代建築が乗り越えるべき方法はまだ未解決のままであるという。

建築デザインと(プロダクト)デザインとの違いは、プロダクトがそれ単体のちいさな規模で世界中にうすく広く広がっていく可能性をもつものであるのに対し、建築デザインは街や風景にあたえる影響はいうに及ばず、土地に固着した思想的な存在として、地域性や個別のエリアを限定せずに、おおきな世界に対し、ちいさな影響を与えうる可能性をもったものであるということか。その広い可能性もちいさな可能性も社会に与える影響は大きい。
西沢さんが言う「ドメスティックランドスケープ」にしても、日本の風景に固執していながら、それが日本人の営みという局所的な意味あいをもった途端、昨今の経済状況とおなじように普遍的にひろがっていく可能性を持っているように思えてくる。それはmetabolismさんが言っていた、デザインが感性に、そしてより原初的なプリミティヴな方法に向かっている、という考えに繋がるのかなとも思った。
期せずしてデザインと建築を結びつけ、私たちがいまいる同じ社会について考えるきっかけになった一夜。お二人の活動にこころより感謝したい。
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