FORM_Story of design(... Kato Takashi weblog)

<< DESIGNTIDE TOKYO 2008 開幕 | TOP | カフェ in アサクサ >>
デザインとして井伊直弼


DEROLL Commissions Series 2 日本史を見た。昨年のDEROLL Commissions Series 1 boxが、その秋に行われた展示の中でもひときわ鮮烈な印象を残し、一部のデザインジャーナリズムのなかで、この年の最高の作品と評されたことも記憶に新しい。僕は今回もこのDEROLL Commissionsを、デザインタイドメイン会場の空間デザインとあわせて本年度の一番に推す。

井伊直弼の2つの髷を題材にした清水久和氏のプロダクトは、それぞれ鏡と貯金箱という機能というか使用目的をもっている。物の姿を映し出し、時にその時々の心情さえをも映し出す鏡と、貯金箱という倹約と節度というある種のエゴを象徴し、未来のビジョンを映し出すもの。
それは鎖国という国の状況を憂い、自らの未来を担保にして国の未来に賭けた一人の侍の生き方とも重なる。

しかしそのいずれもが過剰なくらいに大きい。
その過剰さは現代の消費の象徴である一部のデザインに対する自らの身をていしての批評であり、そんなプロダクトデザインとしてのありかたの潔さも、清水氏のデザインにおける姿勢、その出自に翻弄された井伊直弼の生き方に重ね合わせてみたくなる。

井伊直弼は幕末の激動の時代に生きた士であったが、ひとかどの男性でもあった。そこにある生物学的に何ものをも生み出しえない男性であることのせつなさ。ピカピカに磨かれた白い石垣のうえにちょこんとのせられた髷(=男根?)をみていると、なによりもそんな生物として子孫を生み出しえないせつなさが伝わってこないだろうか?
デザインとしての井伊直弼はそんな人類の起源である、アダムとイブ、もしくは聖母マリアであり、デザインのはじまりに微笑しながら触れる、デザインの起源でもある。
余談になるが、それを建築に置き換え、その石垣の白いキューブを、二十世紀の建築におけるコルビュジェのモダニズムの象徴とみるならば、その上に鎮座する黒髪の髷は、その僕の一方的な論に引き寄せるならばポストモダンのスタルクのフラムドールだ。

このエキシビションの会期の終了と同時に井伊直弼が、志半ばで斬りつけれたと同様に、真っ白な中空でもあるホワイトキューブの石垣の上に鎮座する、井伊直弼の髷を清水氏が静かに床に下ろすとき、そこから新たなデザインのストーリーは始まるのではないだろうか?


DEROLL Commissions Series 2 「日本史」

2008年10月28日〜11月2日 スペース・インタート 東京都港区北青山2-9-15
http://www.deroll.com/

- | permalink | comments(0) | -
comment