FORM_Story of design(... Kato Takashi weblog)

TERUHIRO YANAGIHARA


architecturephoto.netに加藤孝司 BEYOND ARCHITECTURE"柳原照弘/TERUHIRO YANAGIHARA インタヴュー"が掲載されています。
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エットレ・ソットサスがデザインした日常品
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銀座松屋で開催中のエットレ・ソットサス展を見に行ってきた。会場となった七階デザインギャラリー1953は、コンパクトなスペースながら、たびたび興味深い企画展を開催することで知られるギャラリーだ。
ソットサス展ということで集められた品は、ポストモダンを思わせるド派手なイメージを連想するかも知れない。あるいは涅槃に近づいたかのようなサイケでポップなイメージを。
しかし、今回はタイトルにもあるように、ソットサスがデザインした日常品展である。日用品ではなく、日常品。そこには良いデザインは日常に使うべき、という意味がこめられているようで、ソットサスの意図に反して、それらが日用に使用されることはなかったことを暗に示唆しているようにもみえた。
アレッシィのキッチンウェアや、ジネーヴラ、マルトミのセネペとミルト、60年代のオリベッティでの代表的なデザインであるタイプライターと計算機まで。時代は駆け足に過ぎていく。

今回の展示担当はプロダクトデザイナーの深澤直人氏。日常のなかからデザインの奥義を見つけだす、卓越した才能をもつ日本を代表するプロダクトデザイナーだ。そのことはギャラリーに隣接する深澤直人氏も顧問に名を連ねる、日本デザインコミッティーが選定するデザインショップに並べられた、深澤氏のデザインプロダクトを見れば明らかになることだ。

イタリアの正統派、そしてアバンギャルド。そんな区別を無効にしてしまうくらい、ソットサスのデザインにはイタリア人らしい色気があふれている。日常よりも非日常、ありふれた日常ほどソットサスのデザインからはほど遠い、と思っていた。
見ることでわかるものがある。
ソットサスのデザインの中にある日常性は、頭でっかちになった頭で考えるのではなく、ソットサスがデザインしたものを見ることによって見つかるし、分かるのではないか?展示品をみながらそんな問いかけを、そばで深澤氏からされているような気がした。
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...Patricia Urquiola...Antibodi Blossom...past time.
昨年の秋にギャラリー・ル・ベインで開催されたジョアンナ・グラウンダーとパトリシア・ウルキオラ展を最近思いだす。パトリシア・ウルキオラは1961年生まれのスペインのデザイナー。近年もはやスペインという括りでは納まらない世界的なスケールで活躍する女性デザイナーである。ル・ベインの展示ではAntibodi Blossom、というテーマーで花びらのようなソファのプロトタイプを展示していたように思う。

ミラノ工科大学では終生彼女の師となるアキッレ・カスティリオーニに師事する。最近カーサの記事で読んだのだが、彼女とカスティリオーニとの心の繋がりは深く、師の没後5年経って、よりその絆は確かなものになっているようだ。おもにイタリアのデザイン界で経験を積み、ヴィコ・マジストレッティとともに仕事をした経歴をもつ。現在では2001年に構えた自身のスタジオで世界中のクライアントとの仕事を精力的にこなしている。ウルキオラのプロダクトはイタリアデザインの華やかさと、自然にモチーフを得たかのように見える有機的なフォルムが際立っている。それはウルキオラが女性という性を授けられたことに少なからず由来していると思うのだが、それはどこかそれだけではない何か生命の躍動のようなものを感じさせる。

ウルキオラのキャリアのスタートは決して早すぎたわけではなく、むしろ遅かったといえる。しかし彼女は自分が何をすべきか最初から知っていたし、それは彼女が生まれたスペインの田舎町からマドリッドに出るときに既に決まっていたのだ。
ウルキオラが手掛けたラタンを素材にしたいくつかの椅子はエスニックでありながら美的な観点からのデザインが施されている。

先のAntibodi Blossomは、モローゾから発表されたAntibodi ソファの成立するまでのプロセスを展示していた。ファニチャーの制作プロセスを展示するとは何か未完成さを拭えないものだが、ウルキオラのこの展示方法は彼女が創出したAntibodi が、ものとは何なのかを饒舌に語っていてとても新鮮だった気がした。それはクラフトという手仕事の確かさに裏打ちされた、彼女の創作のプロセスに他ならない。
天井から赤い紐で吊るされたそれらプロトタイプはそれだけで当世のデコラティヴの風潮を感じさせたし、ある種の夢を表出させていたように思えたものだ。

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...Jasper Morrison...sometimes ideas come slowly...
thecrate
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...Jaime Hayon...Intuition drawing...2
jh

2本のつのを持ったラビットベースや、高鼻をもったピノキオベース、それらはセラミックで出来た一点もののスタジオ作品だ。丸い鼻をもったクラウンベースは文字通り鼻に丸いつけ物をした道化を抽象的に象っている。まさに道化をかたどったシルエットのクラウンランプなるフロアランプも存在している。それはあたかもピエロがおどけて、ひさしにでも腰掛けているようなデザインになっており、実用的にみても利に適っているようにみえる。
アヨンのそうした造形のユニークな卓越したセンスは、彼が作ったフィギアの造形と、そこに施す退廃的なモチーフの絵柄を見てもわかる。

Qee(キューイー)はフィギア好きならだれもが一度は目にし手にしたことのある香港のTOY2Rがクリエイトするキャラクター・トイだ。今や有名なデザイナーがトイを手がけることは珍しいことではなく、またトイデザインを経てアートの世界に躍り出るデザイナーも少なくないと聞く。ハイメ・アヨンが手がけたQeeやOnioシリーズなどのソフビはフィギアコレクターの間ではコレクターズアイテムのひとつである。
昨今ではアヨンのクリエーション豊かなプロダクト作品やアートピースから入ったデザインマニアの間でもひそかに話題になっている。

アヨンが手がけるドローイング作品はモノトーンで描かれたものが多い。
それらの作風は今に至っても彼がストリートでウオールペインティングをしていたストリートアーティストであったことを如実に物語っている。
なぜなら彼が好んでキャンバスに選ぶのは、ワシントンやロッテルダムといったギャラリーの壁であり、そこに備え付けられたプレートや動物といった、ストリートのフリーなスペースと同様な場所である。壁とそこに備え付けられたオブジェクトたちのあいだにはその作品の全体の構成において場所と物と時とが関連付けられ、一見互いが何の関係も持たないもの同士を結びつける霊的な啓示に従ったコラージュの手法が用いられる。
アヨンが生き生きと描くそれらのドローイング作品はマーカーを使ってひと思いに描かれ、その線にはいささかの迷いもみられない。そしてそこにしばしば描かれる鼻の高い人物の横顔は、現代の権威主義におどらされた拝金主義者たちをイメージさせる。それを道化として描くことで彼らを震いあがらせるだけの現代的なアイロニーを表現しているようにもみえるのだ。

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...Jaime hayon...1
sketch five

 ハイメ・アヨンは1974年にスペイン・マドリード生まれ。今年33歳になる若手デザイナーだ。現在オランダのロッテルダムにあるギャラリーVIVIDで「jaimehayon,stage in holland」が開催されている。
 個展が開催中のVIVIDの壁面には、アヨンが即興で描いたドローイングがそのまま作品として展示され、その制作風景はyoutube上でパフォーマンスとしてみることが出来る。そこに描かれたドローイングはシュールリアリスティッックなおもむきに満ちており、そのモチーフはアヨン独自のものであると同時に、われわれの内面にひそむあやふやなものをも写しとっていて、この世のエッジを表現しているようにも見える。この世のエッジとは換言すればあの世に片足を踏み込んでいることでもあり、人間存在の根源を見透かしたようなまなざしが実に鋭い感性を反映している。アヨンが画くドローイングはシュルレアリスティックである点においてオートマティスム(自動記述)の様相を呈しており、目や頭ではなくまるで手が書いているように見えるのはまったくの偶然ではない。
 アヨンの作るファーニチャーに顕著なのは動物をモチーフにしたような繊細なレッグを持ったキャビネットやデスクであろうか?それはグラフィティの要素からかけ離れているように見えて、アヨンのドローイング作品に見られる繊細な曲線がモチーフになっているようにみえる。それはまたジャン・コクトーのドローイングとも近しい。

 同じスペインのデザイナーであるマルティ・ギセの例を見るまでもなく、アヨンの作品にはストリートで鍛えた感受性の豊かさがその作品に反映されていることは明確だ。
 アヨンはマドリードでのグラフィティアーティストとしての活動の後に、スケートボードメーカーの誘いでアメリカ西海岸サンディエゴに招かれ数年過ごしている。そこでは主にスケーターたちのためにデッキにグラフィックを提供したり、Tシャツの絵柄のモチーフを描いたりストリートに落書きをしていたという。
 そこで培われた自由な感性は、現在のアヨンのプロダクト作品にも反映され、彼の精神的な基礎となっているようだ。

 1997年から2004年の7年間勤めたベネトンが主宰するコミュニケーション・リサーチ・センター「ファブリカ」では、オリビエロ・トスカーニ片腕として23歳の若さで主任デザイナーに任命される。その間にも小さなアトリエを構え自身の作品作りを続け、ヨーロッパ各地のギャラリーで高い評価を得る。2004年には独立、スペインバルセロナにアヨンスタジオを設立する。

 われわれ日本人ならばアヨンの作るスカルプチャー作品に見られるサボテンのモチーフは、金むくの仏像や般若の面に見えないこともない。アヨンの人体をかたどったように見える磁器のスカルプチャーは、頭部に角のような特徴的な突起を持ち、それがアヨンの作品に独自性を与えている。
 バスルームメーカーArtquitect社の為にデザインしたエレガントでデリケートなバスルームおよびバスタブはアヨンに名声をもたらした。またカンペールのためのショップデザインは、白と赤とベビーピンクを基調としたアヨン独自の世界観を反映させていて、ショップ全体が1個のアヨンミュージアムのようだ。複雑なレッグをもったディスプレイテーブルや、特徴的なペンダントランプは、まるで精神的に確立された自立したオブジェのようでもある。


sketch five
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...MARTI GUIXE...ex designer...2-2.
mg2

ベルリンとバルセロナを行き来し、その場所ではなく心というイメージのうちに内省的なデザインの為のヴィジュアルを確立する。
ギセはボヘミアンのような暮らしの中に、ものの価値に根ざしたシステム作りの為のプロセスを模索する。情報は最早リアルにそこに居なくても、インターネットやマス・メディアを通して今ここに居る自分が必要としているだけ手に入れる事は可能だ。

マルティ・ギセはFOODのプロジェクトの中で、食べ物は消費されるものの代名詞である事を再定義する。食べ物は食べるという行為のうちに完結される物としてのストーリーを宿している。食べ物を消費される物として理解しない人はいない。それは言い換えれば消化されるものの事でもある。食べ物は消化され活動する為のエネルギーに転化する。

2005年マルティ・ギセがディレクションを担当し、アムステルダムの芸術学館の一階に開設したレストランはFood Facilityと呼ばれ、そこには厨房がなく、お客は市内にあるレストランのテイク・アウト用メニューを渡され、レストランのフード・アドバイザーが食品についての綿密な知識と配達時間を指示し、フードDJが配達、フード・アドバイザーによって給仕された。
その風変わりなレストランはGoogleのロボット型検索エンジンに着想を得ており、コンピューターが世界中のウエブで公開されている情報の中からキーワードに沿った必要な情報を得るように(Googleがインターネット上にある他の情報源から検索エンジンによって必要な情報を得る事から着想を得ており、)ギセのレストランは必要な情報をお客に提供するウエブサイトになる事によって、他のレストランからの料理の提供を受けてレストランとしての体裁を保っている。

1997年にスタートした食べ物に関するリサーチをまとめた「GuixéCookbook」という著作もあり、スペインという食の宝庫である国に生まれ、豊かな食文化の中で育まれたギセの感性は食についての膨大なリサーチの中から新たな消費の概念を見出す為のリサーチに余念が無い。

http://www.bytrico.com/onlineshop/category_label_html/marti.html
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...Marti Guixe.....life is ordinary...
...Martie Guixe.....life is ordinary...


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...Joris Laarman....Poetry of concrete...2-2.
jl

ガラス繊維でコーティングされたコンクリートをマテリアルに使用し、内部には通常床暖房に見られるアルミニュウム管が通る。
コンクリートという素朴な素材の表情が、ものとしての存在感を一層強調すると共に、ラールマンが作り出すデコラティヴな要素を支える重要なファクターとなっていることは疑う余地がない。  
『ヒート・ウエイヴ』は歴史的な背景を担ったヨーロッパの伝統的な住環境と、現代的な感性とのマッチングの上にこそ成立する、物本来の姿の探求に於ける極めて冒険的なチャレンジとも言える。

彼にとって作品の構想を生み出すことは容易いことのようである。
近年ラールルマンは作品作りのそのプロセスの方に重きを置き、それが如何にどのような製作会社で、合理的な方法でプロダクトとして生産され得るのかという難問にチャレンジしているという。機能というものを考えそれを徹底的に再構築する事の上に成り立ったラールマンの出世作『ヒート・ウエイヴ』は、環境にとってよりクリーンな温水ヒーターとして今年の暮れにベルギーにあるJaga社により量産化されるという。

Jaga社は、健康的で環境に優しい、という文化的な思考をもって事業を展開する、世界的なラジエーターの専門メーカーである。
また美的な観点からラジエーターを捉え、ヨーロッパの住空間に馴染み深いこの暖房器具を、人間がより良く快適に暮らすための生活と、ステータスの道具にまで高めるインテリジェンスの両面から新たなオブジェとしてのラジエーターを提案している。
現在ヨーロッパはもとより、オーストラリアや中国・日本にまで輸出しているという。

このような世界的な企業とのコラボレートにより、ラールマンの個人的な思索の中から生まれたアーティスティックな気風に満ちたオブジェが、どのような進化の過程を経て世界的なプロダクトへと変貌していくのか、これからが楽しみな作家である。


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...Joris Laarman....Poetry of concrete...2-1.
jr

ラジエーター(放熱機)は効率的に熱を放出する事がその機能に於いて重要であり、一言で放熱を増大するとは、ラジエーター本体が空気に触れる面積を大きくする事である。
暖房器具としてラジエーターに求められる事は、ふく射熱と自然対流を生み出す事で、2003年ドローグよりディストリヴュートされた電力ヒーター、『ヒート・ウエイヴ』はその装飾的なフォルムが、通常のラジエーター・システムにも増して表面積を持つ事から、装飾的なフォルム持ったヒーターは理に適ったオブジェとなる。

ラジエーターは据え置き型ヒーターという性格上、一年を通して必要・不必要に関わらず部屋に設置されている事が普通で、他の暖房器具と比べて目に見えないところにコンパクトに収納する事を前提としてデザインされていない。
それだからこそラジエーター・ヒーターは部屋の重要なインテリアとしての側面も求められる。

ヨーリス・ラールマンは1979年生まれというから今年で27歳の若者である。オランダの中部にある小さな町Borculoで生まれ、18歳でデザイン・アカデミー・アイントフォーフェンでデザインについての専門的な講義を受け始める。2003年にはドローグ・デザインで装飾的な壁付のヒーター「ヒート・ウエーヴ」を発表する。この年にロッテルダムの港湾地区に仲間達と共に自らのアトリエ、ヨーリス・ラールマン・ラボラトリーを立ち上げている。このロフトはレム・コールハースのオフィスや、友人デマーカスファン、クリスティン・メンデルツマ、リチャード・ハッテンらがシェアしており、グラフィック・デザインやプロダクト・デザイン、それらあらゆるクリエーション豊かな才能の持ち主達が自由闊達な活動を展開している。

ラーマンがデザインした豪奢なロココ・モチーフを与えられた壁の為のオブジェは、まさしくオブジェとしての役割を積極的に担い、実用と装飾という我々が生活する上で求める、美的で快適な生活を標榜するプロダクトとしての側面を強調する。

Reinventing Functionality=機能性を徹底的に再構築すること、と名付けられた『ヒート・ウエイヴ』はコンクリートのポエムと呼ばれる事もあり、ヨーリス・ラーマンの創作に於いて現実的であることと、創作的な空想とも言える詩的な風情をプロダクトに内在させる事は、矛盾しない。
過去のプロダクトが抱えている、モダンとポスト・モダンである事に拮抗する事のうちに秘めた迷いは、新世代のダッチ・デザイナーのとってはさして重要な、おもんばかる事柄ではないようである。

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