FORM_Story of design(... Kato Takashi weblog)

ゆく年くる年


今年もご覧になっていただきましてどうもありがとうございました。2005年に始めたこのblogも来年で5年目になります。今年はTwitterブームもあり、blogのあり方に変化があった年のような気がします。ハードとしてのiPhoneの浸透もあり、携帯、PCを問わず手軽に140ワードで更新できるTwitterは、情報交換のツールとして便利だし、なによりTwitterが生み出し繋ぐ、有名、無名のコミュニケーションはある種の祭りのような高揚感を生み出しました。
でも僕はblogで紡ぐ言葉とかりそめの思考の蓄積は、Twitterとは違う価値と情報伝達の力を今でももっていると信じています。
けれどTwitterを経験してしまった身としては必然、blogとの関わり方も変化してしまうのはしようがないことです。だからあえて僕は翌2010年を僕のblog元年と名付けて、書くことの原点に立ち返りたいと思っています。
あと数時間で迎える2010年、そして2010年代の幕開けに僕はそんなことを意識しています。
2010年にやるべきことの多くをすでに予定しています。それを僕は考え粛々と実現しながら、自分や、自分の親しい人たちのため、まだ出会っていない多くの誰かのために「言葉」とそれにともなう「行動」で何かしていきたいと思っています。
2010年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。
parole | permalink | comments(0) | -
谷尻誠さんと二本のトークライブ


今月の22日と23日の二日間にわたって、建築家の谷尻誠さん二本のトークをさせていただきます。谷尻さんと公の場でトークをするのは昨年の11月以来二度目になります。
二人にとって「二」づくしの今回の機会を、一スピーカーの立場から思いっきり楽しみたいと思います。
parole | permalink | comments(0) | -
今日のジャーナリズム 勝手メディアの可能性 2


下劣、高尚、低俗、緻密、短絡、詳細、僕はいかなる勝手メディアにも同時代にたいするそれなりの批評性があると思っている立場だ。とくに現在ではウェブのなかにある「良識的な」ブログのなかにしばしばみられる、実名をもって表明された問題意識の数々は、現代社会の諸問題に対し同時代的で正当な批評になるし、仮に視点が偏ったり間違ったようにみえる批評であったとしても、それはそれ以外の正当さに目を向けさせるための批評になるだろう。
新しいジュウ年代の真摯な批評の一部は、そんなウエブのなかの勝手メディアのなかにあるが、社会に対し正当な批評性をもって語られる、それらメディアがもつ可能性を、仮にもメディアに関わっている人間であればいまや見過ごすことはできないはずだ。
ブログや2ちゃんねるなどで情報をむさぼり、あるいはたれながし、それを毎日毎夜それぞれの個室で見る世代にとっては、それがかっての新聞や雑誌と同じような意味をもち社会に関わるための情報源となっているはずだから。すくなくとも僕はそんな自負をもちながらこれらを書いている者だ。

最近お会いした建築ジャーナリストぽむ企画の桂さんが、ご自身のブログで勝手メディアについてお話されている。このときの建築家藤村龍至/TEAM ROUNDABOUT JOURNALとの議論で初めて勝手メディアなる言葉を知ったのだが、確かに僕がここでやっていることも勝手メディアだな、と思って、その示すところがすっと入ってきた。と同時に日々このブログを書くことに対して感じている責任感も実感として切実に身にしみて感じた。
「無数の解釈の群れ」たる茫漠とした広大なウェブ空間のなかで、単なる個人的な解釈に陥らない批評たること。しかしウェブのなかにある現実が、その同じ現実に対する大まかな粗筋でしかない以上、批評は単なる解釈をこえて、現実を真実味をもって現実以上にリアルに演出することも可能なのではないか?それは主観が見据える客観性をあらためて客観的な思考の俎上にのせて自己批判的に語ることにほかならない。
個人的には不特定多数の人々が異なる場所で、共同でひとつのコンテンツを作成するコラボレーションメディアや、桂さんが書かれていたニコニコ動画のような「非生産的」だが「楽しめて参加できる」メディアの可能性も探ってみたいとも思う。

特定のアーキテクチャを使用し、フリーで作成されるウェブ上のメディアとして信憑性を獲得し、信頼されている百科事典プロジェクトであるウイキペディアは、その内部における社会的モラルに基づいた自浄力が働いていることは周知のとおりだが、ウェブのなかで新聞や書籍と同じようにメディアとしての地位を確立しているブログやサイトには、その書き手の社会的地位に基づくモラルに委ねられるところが大きいゆえに 僕はそんな勝手メディアが自らのモラル以上のセキュリティの承認をえて、社会にひらいた批評性を持つときこそ、勝手メディアが社会に対し勝手メディアたる地位を得るのだと思う。


※写真は先日訪れた京都四条通り中之町辺りです
parole | permalink | comments(0) | -
ファンシーちゃん、もしくはハードコア
1

友人のブログに、先ごろ行われた日本史展会場での井伊直弼(大)の鏡の中に写る僕の姿がたまたま掲載されていた。はじめ、自分の姿は髷の黒と鏡のなかに映るギャラリーの白い壁に同化していて、その鏡のなかに自分がいることにまるで気づかなかった。

彼がこの画像をブログに使用したことは、批評のようなものがその背景にあるのではないかと深読みしてみる。
鏡に映る自分の姿を客観的に見てみること。空虚という虚に不必要な意味を与えてはいないか?そんな言葉が、写真に写った鏡の中から、そら耳のように聴こえてくる。
髷を結った井伊直弼(大)を以って、日本史のなかでぼんやりとした輪郭があっても、その実中身が掴めない、井伊直弼という存在のそんな謎めいた人物像にリアルな自分を結びつけてみたり。

「日本史」を謎のままその神秘のセカイに置き去りにすることは容易いことだし、その姿勢もわからないでもない。
けれどもしそこに本当に意味がないとしても、僕はその謎を引き出す対象に「意味」を結びつけて、なんとかその意味をリアルな世界のなかで見つけ出したいと思う。
意味を見いだすことを一時保留してしまう前に、いま現実に目の前にあるものに対し、とるべき姿勢は他にもあるのではないか?と僕は思うからだ。
たから今思うのは、議論を引き起こすためだけのデザインなんてある訳がないということだ。デザインはリアルな日常の普遍的な問題に深く関わっていると思うし、それがアートだとしたらなおさら、議論や物議のまえに私性という集団的無意識に深く結びついている。
まして「日本史」の二つの作品はファンシーなミニチュアオブジェにはなりうるが、そのデザインのあり方はファンシーじゃないし、むしろハードコア(ヘビメタ?)だと僕は思っている。ファンシーが80年代中盤以降に日本において顕著な潮流ならば、ハードコアは80年代以前の日本でありヨーロッパだ。だから世代の問題でもありより個人的に身近に共感するのだ。

この写真を見ていたら鏡のなかに映った僕の方がなにやらフィクションのなかのファンシーなキャラクターで、井伊直弼の鏡自体がハードコア(もしくはファンキー{モンキー})なリアルなキャラクターに見えてきた。この髷ってもしかして、幕末版リーゼントか?キャロル、横浜銀蝿=Johnny・・・。
話は変わるが、ファンシーは文化だって言っている人がいた。別にファンシーを擁護するつもりはないが、僕は結構好きですよ。
parole | permalink | comments(0) | -
TOKYO BEYOND HIROSHIMA. vol.1


今月末に広島で友人たちと第一回目となるトークイベントを開催することになりました。
広島の方も、東京の方も、いろいろな方にお会いしたいと思っています。会場はゆったりとくつろぐことのできるカフェのようなラウンジスペースになっています。ぜひご来場ください。皆さまとお会いできることをたのしみにしています。

■SYMPOSIUM■
TOKYO BEYOND HIROSHIMA.
-都市の再考、そして地域性を越えて-
at Namiki Lounge.

11月28日(金)

谷尻 誠(建築家)
加藤 孝司(ライター)
古本 浩(foo 店員) 

3人3様の異なる視点から

もう一度捉えなおす

東京、そして広島

17:30〜 OPEN
18:30〜 SYMPOSIUM
20:30〜 AFTER PARTY [+500円でフィンガーフ−ド&1ドリンク付き]

■Namiki Lounge.■
広島市中区新天地5-18 4F(並木通り)
082-246-7666

□TICKET INFORMATION□ 
お一人¥1,000- [限定35]
aruco@ms13.megaegg.ne.jp
もしくはfoo 082-224-2540 furumotoまで

トークのテーマは、広島と東京に生まれた3人3様の広島観、東京観、
そしてそこから浮かび上がってくる地域性について、です。

まず、それぞれ10分程度のトーク、
その後座談会形式のトーク、を考えています。

僕の場合ですと、今考えているのは
なぜ東京に生まれながら、これほどまでに(笑)広島にこだわるのか?
もしかして僕は広島人の生まれ変わり?
そんな広島への個人的な思いから始めて、
多くの人が共有できるような
普遍的な問題に広がっていければいいと思っています。

イベント全体のイメージは、
自分たちの今までとこれからの暮らしに
いまより少し問題意識をもちながら、
いろいろなことに積極的に関与していけるような、
深い問題は深く、けれどスタイルはカジュアルに
来てくださる皆さんと思いや、願いを共有できるような
そんな近しい感じでやりたいと思っています。

※会場となるNamiki Loungeはこんな空間です

イベントの内容は、メンバーそれぞれのblogにてUPしています。
parole | permalink | comments(0) | -
多様さのむこう側にあるもの


いつの頃からか東京の景色もすっかり変わってしまった。子供の頃から馴れ親しんだ佃島にタワー型のマンションが幾つも建ったときは時代の変化を感じたが、現在では20年前には思いもしなかったような早さで東京の風景は変わっている。
先日の夜9時頃、湾岸線をバイクで走っていたら遠くのほうの湾沿いにたつ幾つもの高層マンションのシルエットが見えてきた。速度を上げ走るたびに近くの景色は変わっていくのに、遠くに見えるタワーだけはそこにとどまりあまり動かない。ゆるやかにうねるカーブをゆっくりとまわると、遠くに見えていたタワーマンションの窓の明かりがランダムに、規則性なく灯っていることに気がついた。

そしてその夜景を見て、以前にこのブログでも書いた青木淳さんがデザインしたランダムに窓が穿たれたオフィスビルを思い出した。
夜のタワーマンションの外壁を規則性なく彩るランダムに灯る窓灯りは、現代社会におけるライフスタイルの多様性をあからさまに示しており、極めて現代を象徴するような東京の風景だと僕は思った。

そして青木淳さんのタワーにおけるランダムで自由な窓の穿ちかたは、夜のタワーマンションそのものだと思った。
タワーマンションは夜になるとそれぞれの窓に灯りがともるが、皆が在宅しているわけでないから全部が全部点くわけじゃない。むしろ全部の部屋に灯りがついていたら気味が悪い。
そのランダムに灯りが灯っているさまが象徴するのは、現代においては9時から5時まで的な労働のサイクルはもはや自明のものではなく、モダニズム以降のポストモダン社会においては生活サイクルもかってないほどに多様化しているということだ。夜半過ぎに目を覚まし、夜明けまで仕事をする人もいれば、日の出とともに起床し、夕方前には仕事を終える人もいる。
遠くからでも易々と見分けることのできる在宅と不在を示すタワーマンションの窓の明かりは、ポストモダン社会の多様性を体現していると思った。

でも果たしてそんな新興住宅地としての湾岸地域を見て、それを現在の東京を象徴する風景だと思ってしまう自分も短絡的ではないか?と自問をしてみることも必要だろう。これら東京の湾岸地域に建つタワーマンションをひとつの街としてみてみると、それはかっての郊外型の新興住宅街と同様のコンセプトをもつ「作られた街」としての存在感が大きい。機能別に区分けされ土地、ゴミ捨て場、コンビニ、住居区画、公園。これら新街区においてはそれらが極めて機能的に清潔にすべてが等価に扱われている印象をもつ。シチュエーションこそ異なれど郊外にみられるようなニュータウンがのっぺりと、猥雑な都市の周縁の風景にとりついたかのようだ。多様さをうけいれたはずの社会は、多様な人びとのニーズに応えるためにむしろ画一化していく。ポストモダン社会では多様さを装うほどに個別性は失われていくのだろうか?
僕は以前、青木淳さんのタワーオフィスをみてモダニズム建築の呪縛から逃れることができたのではないかと嬉々として書いたが、それはモダニズムを越えたのではなく、ポストモダン社会の多様性を示しているのだと、夜の湾岸に自然のなかの林のように林立するタワー型マンションのシルエットを見てあらためて思った。
続きを読む >>
parole | permalink | comments(6) | -
戦前の恩地孝四郎
恩地

青木淳さんとぺーター・メルクリさんの「建築がうまれるとき」展を見に行ってきた。建築展のことを書く前に私が強く影響を受けた芸術家、恩地孝四郎について書こうと思う。なぜ恩地孝四郎について書こうと思ったかというと、建築展のチケットで見れる美術館収蔵作品展「近代日本の美術」が同時開催されており、そこでひさしぶりに恩地孝四郎の版画に再会したからだ。確か展示作品は1915年の木版「矜情・あかるい時」だった。

恩地孝四郎については大正昭和の時代に活動した版画家としてよく知られている。竹久夢二に指事し、師とは異なる道を版画でしめした。数多くの文学書の装丁や挿絵を手がけたことでも知られる。萩原朔太郎の詩集「月に吠える」での版画がつとにに有名だ。
1914年に田中恭吉、藤森静雄らと同人誌「月映」を創刊。フォトモンタージュなどの写真作品や詩も残しているが、個人的には1920年代を中心にした版画作家としての活動のイメージが強い。
カンディンスキー、ロシア構成主義に影響をうけた幾何学的な直線で構成された抽象的な作品、立体物を想起させるうごめくような色。版画というざらついた質感の紙にすくい取られた色の構成が時代の空気感を感じさせる。

恩地孝四郎は当時はまっていた1920年代の文脈のなかで出会い発見したのだが、戦前社会的にはあまり認められることがなく、今から見ればもっとも充実した作品を創作していたこの頃の版画のオリジナルは極めて現存数がすくない。ゆえに自刷となるオリジナル版画を見ることは稀だ。その作品は戦後日本より早く評価の高かまったアメリカへと海を渡ってしまっている。
版画と絵画を区別して、その立ち位置を示そうとした戦前の版画家たちは、自ら描き、自ら彫り、自ら刷ることをよしとした。

当時の画壇では版画は絵画より低く見られていた節があり、恩地孝四郎も版画家としてよりも、書籍の装釘や挿絵画家として日銭を稼ぐ他になかった時代が長くつづいたという。
同時代の挿絵家としては当時は怪奇小説と評されていた、江戸川乱歩の小説の挿絵を描いていた竹中英太郎も印象に残っている。

恩地孝四郎の挿絵や版画は抽象画の文脈で語られるべきで、決して大衆的な世俗的なものばかりではないだろう。時代は第一次世界大戦と二つ目の世界大戦のはざま。混沌、モダン、暴力。世界中で同時多発的にさまざまな文化運動が勃発した。どこか未来への不穏な空気と、先行きの不透明感を内在しているかのように見えるこの時代の文学と芸術。また医学がいまの時代ほど発達していなかったこの頃、病も文学の背景には悲劇的なばかりではない影響を残している。
今の時代、創作の原動力になるものは何なのだろうか?文学や芸術の背景にあるものとは?

parole | permalink | comments(0) | -
メイド・イン・チャイナ


どんなに中国製品に問題があっても、決してそれはこの世からなくなることはない。もの作りにおいて優れたシステムとそれに対するバイタリティーをもった国力は、今やきっと中国を中心としたアジアの、それもかなりの貧しい生活を強いられた人々の手の中にあるのだろう。
それはそれが自分の生活のために生み出される切実な道具や食物であるより、それがマネーを生み出す道具である以上、そこにはいずれのモラルよりも効率が、経済が優先することはもはや自明のことだ。

かって私たちの国、日本も同じ道を通り、同じことをして、同じことをいわれてきた。
'60年代に生まれた公害やオイル問題、そして自然破壊の問題は、それらかって自明に守ってきたはずの私たちの祖先がもっていた社会的通念や、モラルをないがしろにしてきた経済至上主義の時代に生まれてきた。
その上に積み重ねられてきた発展。

中国製品にたとえ重大な欠点があっても、それはそれを求めている消費者がいる限り決してなくなることはないだろう。
求めるとは、受動的であれ能動的であれ、経済の論理の前ではあまり関係がない。
今、中国製品がこの日本からなくなったとしたら、多くの企業が倒産するかもしれない。そうしたら私たちの食卓から食べ物の、おそらく5割がたのものが消えてなくるだろう。
人々は健康のために2000円のキャベツを喜んで買うだろうか?家庭を守る妻は、そして母は。
暮らすため、生活のための道具も少なからず消えてなくなるだろう。

それらとうまく共存していかなけらばならない。
それは社会のシステムがあるものを必要としているのなら、それがたとえ悪であったとしても、それがなくなることがないのと一緒だ。
日本に訪れる中国の人やその周辺諸国の人たちは、高いお金を出してまで決して自国の製品を買おうとはしない。その高い安いは外貨の問題であって、それが流通する国の文化の問題ではない。
かって日本人にとっても海外旅行が珍しく、高嶺の花であった時代があった。その時代、生活費のなかから毎月いくらかの積み立て金をしつつ、慎ましやかに海外旅行の資金を捻出していた時代には、夢にまでみて訪れたヨーロッパの国々やハワイなどで日本製の土産ものをみることがしばしばあった。その頃には日本人は節約を重ね、せっかく苦労して海外に来てまで日本製の土産ものをしか買うことが出来ない現実に、大きな失望を抱いたはずだ。
しかし思い返せば、その当時日本は世界にとって最大のもの作りの国であり、その頃までかろうじて保持していたもの作りの豊かな文化は、きっと世界に誇る素晴らしいこの国の文化であったのだろう。

今や中国や韓国、そして台湾からの旅行者は同じような失望感をしばしば味わっている。
きっと彼らも今、かっての私たちと同じような失望をあじわいながら、自国の優れた技術力やもの作りの文化に気づくことなく、一度失ってしまったら再び手にするには困難な、そんな大切なものを失いつつある過程にあるのだろう。
parole | permalink | comments(0) | -
建築家のプロポーション
88

友人であるnordicmanさんのブログを読んで、自分が日ごろ考えていたことや興味に近いものを感じたので、そこから得たインスピレーションを少しつれづれに語ろうと思う。nordicmanさんのブログはこのブログと同じで、決して読みやすいブログではないもの。しかしとても興味深く、示唆に富んでいておもしろい。

中山英之さんのファンタジーあふれた建築ドローイングや、石上純也さんの植物を描くときの繊細な細い線や、折れそうなほどの繊細な人体のイメージ、そして空気を乳白色のもやで包み覆い隠そうという建築的な意図、谷尻誠さんの落ちたりんごを拾うような優しさにみちた建築の作法、それらに巨大な論理や全体性には還元しえない、個人の奥深い物語性と、全体性への憧れにも似た切実な希求を感じずにはいられない。

現代では象徴は、個人的で主観的なものに還元され、もはやそれはただひとつだけのものを指し示す、シンボルの意味を失っている。個人的な記憶や夢、希望に結びつき、他人からみればただのっぺりとした、感情的に起伏のない、フラットなもの。しかし、そこにあるのは個性という面において突出した、それ以外には再現不可能な内面性に根ざしたきわめて強固な意志による思考だ。
だから自然や、それが根をはる土地や、その物語性を強く覚醒させる、根元的な問いを多く含んでいることは確かだ。
一見して曖昧でいかにも植物的弱さをもった彼らの建築は、それだからそのはかなさ、かけがえのなさという点において、モダニズムが一元的に威厳的に保とうとしてきた、強さよりも強い物語を語りはじめる。
それは全体より強い個を印象づけるものになるのだ。

彼らが象徴的にもちいる植物のイメージにしてもそれは決して完成されたものではなく、いつまでたっても生成途中という、なにか不気味な曖昧ささえ感じさせる、比べるもののないたとえようのない強い力だ。それがたとえ枯れて、生成を中止したとしても、そのドローイングに描かれた植物たちは、この環境的には悪になってしまった世界において、生きて変化することよりも永遠にそこにとどまること、影のようにそこにあってないものを感じさせ、この地球の裏側、そして深い個人の精神世界を感じさせる。

ここで引き合いに出されている、SANAAのお二人や隈研吾さん、80年代に入っても変わり続ける伊東豊雄さんを第一世代とする建築家たちに対して、第三世代といわれる彼ら建築家たちにあって、建築空間はもはや派手な身体性には結びつかず、空間と一体になり、表も裏もない、自然と建築、構造とデザインが溶け合ったまったく新しい建築になっている。
それはnordicmanさんが指摘しているように、「工学部系の発明志向と美術学部系の主題志向が互いに接近しつつ」ある現在の建築界の逸材たちの存在と無縁ではないだろう。
parole | permalink | comments(0) | -
...souvenir from Design/Miami...
moss

デザインマイアミ土産に公式カタログやチラシをいただいた。今年のデザイン・マイアミは日本の吉岡徳仁氏がデザイナー・オブ・ザ・イヤーを受賞。記念のインスタレーションは大いに盛り上がったようだ。吉岡徳仁氏といえば日本でも、鋭い感性が冴える、アート性の高いプロダクトで知られる。イタリアのドリアデから発表されたチェアや、発売される前にMOMAのパーマネントコレクションにもなったauデザインプロジェクトの携帯電話機のデザインなど、世界中で近年評価が高い。
今年も目立っていたのが、スターデザイナーを起用したリミテッド・エディションの家具を発表した、モスやクレオといったトレンドに敏感なニューヨークとパリのデザインギャラリーだ。

近年勢いのあるアート市場の勢いに乗って、家具といったどちらかといえば日常的な工業製品を、あたかもアール・ヌーボーやアール・デコの時代のように芸術的な手法で解釈することを発見した手腕は見事というほかない。
美的な観点から見れば、日常使いの家具ほど日頃目に触れるものはないわけで、それを美しく表現したいといった欲求は、生活の豊かさには欠かせないものだ。
しかし、今回モスで発表された、スタジオ・ジョブの作品にしてもそれが家具か、と言われれば少し違うと言わざるを得ないだろう。
ジョブの表現は個人的にはひかれるものがあり好きなのだが、あのような表現が一部のデザイン好きを喜ばせる役目を担うことには大賛成なのだが、一般のデザインや家具好きの目から見れば、滑稽なものに写りかねないのも事実だと思う。
というかあれは紛れもなく家具ではないのだが。

プロダクトが生まれる背景に在るデザイナーと職人という関係。それはアートがデザイナー自らの手で生み出す純粋芸術であるのに対して、デザインとはそれを作らないという点において、デザイナー自らが己が作品に対してある一定の距離を置いているように見えるせいかもしれない。しかし周知のようにアートも既成の事物に働きかけるための、アジテーションのようなものになりつつある。それは良くも悪くも私たちが大好きなポップアートが生み出した功罪でもあるのだが。

アートとは異なりデザインがある特定のジャンルに留まらず、あらゆるものに適用可能であることは、デザインのあるべき姿を表していて興味深い。デザインは人の思考と、物のありかたを根源から結びつける抽象的なものだ。だからこそそれは人間の在り方に拠り所を求める。言い換えれば人間の実存そのものに結びついてこそあるべきものだ。
アートをデザインに結びつけるなら、いっそうのこと、潔くアートと呼んでしまったほうがいいのではないだろうか?人が意図的に生み出すデザインというものは、根源的な美的な感性を刺激しながら、もはや既にデザインはアートに繋がっている。

しかし、現在のプロダクトデザイナーたちは、自らのことをアーティストといわないからなおしたたかだ。
産業革命以降、アートは一部の特権階級のためのものだけではなく、より自由なものになった。20世紀に入って興ったいくつもの芸術運動、ロシアアヴァンギャルドやキュビズム、シュールレアリズムやデ・スティルの動きなど、それらはいちいの名もない自称芸術家たちをも巻き込みながら、自らを淘汰し新しい潮流をつくりだしてきた。
おそらく、現在のアート/デザインの流れも十数年後、遅くとも数十年後にはデザイン・アートという名で語られる芸術運動のひとつに数えられようになるだろう。

追記:建築もデザイン同様、アートに近づいている。アーキテクチャー/アートも今もっとも熱いテーマの一つに違いない。
parole | permalink | comments(0) | -