秋田道夫さんの「方丈」展トークはなごやかな雰囲気のなか無事行うことが出来ました。足もとのわるいなか遠くまで足を運んでくださった皆さま、どうもありがとうございました。楽しんでいただけましたでしょうか。
「方丈」展はライフスタイルデザイナーである秋田道夫さんの"リアルデザイン"の現場を展示した展示会です。
自らデザインした愛用の机とキャビネット、椅子、Macintosh、鍵置きトレイ、自身のデザインによるハイアールの冷蔵庫の上に置かれた珈琲の缶など。秋田さんの部屋にあってここにないものはといえば使い込まれて味のでた「畳」の床ぐらいだろうか。
今回のトークはプロダクトデザイナーである秋田道夫さんが、なぜ日頃6畳一間の空間でデザイン活動をしているのか、そんな疑問とも当然ともいえるところからスタートした。
すみかはそこで日常を営むあるじにとって、当たり前な日常であると同時に、当の本人の考えとは関係のないところで別の誰かにとって、その部屋の主のアイデンティティのあらわれでもあるということも出来る。
僕は秋田道夫さんがなぜデザイナーでありながら、ご本人がいうところのプロダクトデザイナーらしからぬ見かけの部屋でデザインという日常の仕事をしているのか、最初あまり良く分からなかった(あまり考えたこともありませんでした)。
ちいさなアパートの一室でデザインという仕事をすること。僕はそのこと自体はそれはそれで決して珍しくも、奇異なものでもなく、当たりまえなことのひとつだと思う。だけど、世の「デザイン」を取り巻く状況が、デザインとは関係のないところで「洗練」を「良き」デザインの建前にしていることに僕個人は秋田さん同様、違和感をちょっとだけ感じていたから、秋田道夫さんのデザインにたいするふるまい方には興味をもっている。
僕はどのような点においても、どんな状況で、何をどうしていようが、本人の心がけ一つで自身が置かれた状況、あるいはまわりの環境はいかようにも変わる可能性をもっている、そのように思っている。
だから秋田道夫さんも今回自らの創作の現場を披露ようとしながら、別段ご自身の身の回りの空間が、ある面においては他のデザイナーの仕事部屋と特別変わったものではないことをしっかり意識しているのではないかと思う。
日常が非日常に、あたりまえの道具がデザインに、現代においてことさらデザインといわずとも、楽しく暮らすためのアイデアはそこかしこに見つけ出すことができる。
現にそれは、あの畳敷の六畳間のあるアパートにひっそりと置かれていたはずの「普通」のキャビネットが、ギャラリー空間然とした天童木工の空間に置かれたとたん、俄然「デザイン」しているように見える、その見えの変化の現われの体験に全てが現われているように僕は思うのだ。
それは、なんの変哲もない「焼き物」が、それが瀬戸物屋の店先に並ぶことで道具にも器にもなり、その同じ焼き物がギャラリーの白いホワイトキューブに置かれると、とたんに作品になるのと似ているように気がする。
今回の「方丈」展では僕も写真というかたちで参加させていただきました。秋田道夫さんのデザインが生まれる場所を、僕なりの視点でさまざまな角度から撮影した写真です。秋田道夫さんのデザインと、デザインが生まれる空間、そしてそれを写したとった静かな写真を会場でぜひ楽しんでください。
※一番上の写真は当日来場いただいた
lablogさんからお借りました。