FORM_Story of design(... Kato Takashi weblog)

言葉は燃えているか?
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茅場町の雄、森岡書店で写真家・鈴木理策さんの写真展が開催中です。
鈴木さんの写真展を森岡書店で開催することは、少し前にうかがっていて楽しみにしていたのですが、昨日丸の内を中心に開催していた建築展UIAの帰りにフラリと茅場町まで足を伸ばしたところ、開催中の鈴木理策さんの写真展をみることができました。
会場にはちょうど鈴木さんも在廊されていて、鈴木さんの写真の魅力について、そして震災における写真家の考え方について少しお話をうかがう機会を得ました。

今回の作品展は銀座の現代アートギャラリー「ギャラリー小柳」の協力のもと実現したとのこと。森岡書店のような小さなギャラリーで鈴木さんの写真を間近にみるなど、めったにない機会です。オーナーの森岡さんに感謝です。

展示されている作品は、緑や花、水辺の景色など、夏も終わりかけの、今の季節にぴったりな風景写真でした。とくに印象的だったのは、湿地帯のちいさな水たまりに植物が自生している様を写し取った作品。あたりの静けさが緑や自然の豊かさとともに伝わってくるような写真でした。
風景をどこか独特な視点から写し取る鈴木さんの写真は、自然をめでる日本人ならではの心と、古今東西の現代アート作品と同等な、作品としての強さが同居しています。単なる風景写真にはない、空間のなかに充満している物質を写し出した写真だからでしょうか。

展示作品は、「言葉は燃えていた」という、ロシアの詩人アルセーニイ・タルコフスキーの詩編と、その息子で映像作家であったアンドレイ・タルコフスキー(「ノスタルジア」や「サクリファイス」などの作品で有名)の作品に導かれて撮られてそうですが、写し出されたものの背景にある濃密さは、そんな言葉と映像の強さに由来していたのかと思うとなんとなく腑に落ちるところがありました。

森岡書店では一般発売に先がけて、鈴木理策さんの写真がおさめられたアルセーニイ・タルコフスキーの詩集「白い、白い日」(Ecrit)も入手することができます。
会期はあさって10月1日まで。僕ももう一度訪れてみてみたいと思っています。ぜひ多くの人にみていただきたい写真です。


鈴木理策展 「言葉は燃えていた」
アルセーニイ・タルコフスキーについて

〜2011年10月1日(土)13時〜20時

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in PATINA、FUKUOKA
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現代写真の優れたもののいくつかは、'90年代よりファッション、カルチャー、音楽などと結びつき、ギャラリーやミュージアムを飛び越えて、雑誌やウェブ、ZINEなど表現媒体を横断し、近年現代アートと接続しはじめた。
そのころ、海の向こうがわのロンドンでは、ヴォルフガング・ティルマンスやホンマタカシ氏が、モードとカルチャーを写真というメディアをつかって軽やかに表現していた。ティルマンスとホンマ氏はそのコンセプチュアルな手法から、今や写真という枠をこえて、現代アートと評されているのは周知の通りだ。
その時代僕たちの身のまわりには、消費中心のカタログ写真や表象的なだけのファッション写真とは違うそんな写真たちが、「オリーブ」や「流行通信」、「H」、「スタジオボイス」、「リラックス」などの雑誌のページのなかに、等身大のモードやインテリア、ライフスタイルのひとつとして確かにあった。
今回、個人的に現代アートやカルチャーと接続する現代写真のキーワードとして選んだのは、「写真とポストモダン」、「ファッション、カルチャー、マガジン」、「「決定的瞬間とニューカラー」、「コンテンポラリーアートとしての写真」など。
くつろいだ雰囲気のなかでスライドを見ながら、対話形式で行なうトークイベントです。「オリーブ」、「流行通信」、「ホンマタカシ」、「スタジオボイス」、「リラックス」といったキーワードにピンとくる方であれば楽しめるイベントになると思います。みなさんと一緒に現代写真と僕たちが好きなカルチャーについて考えてみたいと思います。


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写真とは何か?ホンマタカシ氏をめぐる考察. 四
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「Seeing Itself」は見せ物小屋のような凝った仕掛けで写真をみるための特別な装置。写真を見る行為はこの世の実像を虚像にして間接的にこの世界をみることに他ならない。
写真創世記における写真をめぐる記録として残されているオブジェクトにはかの有名な「カメラ・オブスキュラ」と名付けられた光学装置がある。この現在のわれわれのカメラという概念がからは程遠い小さなな穴が開けられた家型をした現実の世界の複写機=写真機は、画家のスケッチの補助的な役割をになうものとして開発されたものである。


暗闇のなかに星屑のように光るスクリーンに、双眼鏡のピントを合わせると、マッターホルンやアイガー、モンテ・ローザ、メンヒ、モンブランといったアルプス山脈の山々がみえてくる。雪をいただいた複数の峰々は、ときに雲に隠れており、よく見るとムービーも一部含まれ、耳を澄ますとアルプホルンによると思われるスイスの民族音楽も静かに流れている。
写真を肉眼ではなく、あらためて双眼鏡という道具を使ってみることは、写真を鑑賞する姿勢としては新しい体験をもたらす。普通に写真を観るという行為より見る者はいっそうアクティブになる必要があるのだ。ある一定の倍率の固定された双眼鏡を使って、ブラックボックス内の小さな写真をみることは思いのほか集中力を必要とする行為。
それはあたかも写真創世記の「カメラ・オブスキュラ」や、「ダゲレオタイプ」を追体験することに似ている。その露光時間の長大な写真機での撮影には、被写体となる人々は特別な装置で首や頭を固定され、不自由を強いられたという。
「Seeing Itself」における揺らぐ視点の先に目の前に見えるものをなかなか捉えることのできないもどかしい体験は、写真では容易にみることができても、容易には到達することのできない険しい山々でのリアルな体験に接続させているかのようだ。

続いての展示は、展示室と展示室を結ぶ通路に仮設されたブースのなかに展示された「re-construction」。タイトルの通り、これまでのホンマ氏のマガジンワークを一冊のZINEのような形式で再構成した作品だ。ホンマ氏は出版社と広告制作会社での仕事を経て、'90年代初頭イギリスに渡り、英カルチャー紙「i-D」で写真家として活動した。帰国後、数多くの雑誌や広告でのファッション・フォトや、ミュージシャンやアーティストとのコラボレーション作品などを手がける。そこでの仕事はバブル以降の経済的にも気分的にも閉塞感ある日本のカルチャーシーンのなかで、単なる当時の風俗を反映したものばかりでなく、ドライにクールに淡々と時代を写し取りながら、カラー写真で鮮やかに同世代の深層に迫っていた。
本展示室の作品の見せ方は、20年近くにわたる雑誌や広告の分野での活動をすべて等価にみせるためか、一冊の雑誌のようなかたちでまとめられている。運搬用のパレットの上に積まれたダンボール、そしてその上にまさに今、書店に雑誌が到着したかのように、梱包から解かれたばかりの「雑誌」が無造作に積まれる。作品集のページを能動的にめくるという行為は、雑誌などを見る行為としては当たり前なことだが、美術館でとなるとなかなかに珍しい。
くわえて話題なのがこれらが展示されている空間だ。内側が白く塗装された繭のような仮設のブースは、金沢21世紀美術館を手がけ、ホンマ氏とは建築写真を通じて長年の親交がある建築家SANAAの手によるもの。SANAAが手がけたミュージアムでの展示ということもあり、今回のコラボレーションが実現した。


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「Tokyo and My Daughter」はここ10年間ほどホンマ氏が撮影し続け、同名の作品集にも纏められた一人の少女の成長の記録写真。そこには少女の写真とともに、東京、首都高速、空撮、六本木ヒルズなどとともに、ホンマ氏本人やホンマ氏本人の母と思われる人の姿も写し出されている。「子供」とともに「東京」も、ホンマ氏が継続的に作品の主題として撮り続けているモチーフのひとつだ。だが、ここでもホンマ氏は写真を見るわれわれに対して写真がもつ「真を、写す」ということの意味に対して問題提議をしてみせる。
実はここに映し出されている少女は、ホンマ氏の愛娘ではない。「Tokyo and My Daughter」というタイトル、そしてホンマ氏と少女のツーショット写真。それを見せられた途端、見る者はこの二人が父子の関係であるとなんの疑いもなく信じ込んでしまう。
コンピュータ技術の発達にともない、CGや合成は当たり前になった。映画や写真においてもそこに写された映像がリアルや真実だけではないことはいまや誰もが知っている。それでもわれわれは写真に記録されたことを容易く真実と思い込んでしまう。
だが、東京の都市としての姿や、写真家自身もそのフィクションの物語りのなかに登場させながら、ファミリーアルバムの形式をつかって綴られる「ある家族」の肖像が確かにここにはある。「子供」と「東京」が交互に展示される本コーナーは、ホンマ氏のパブリックイメージにもっとも近いものといえるだろう。やがて日々変わりゆく都市の景色と、成長していく少女の姿は「東京」を舞台にした立体像に見えてくる。

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M
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ホンマタカシ氏の「M」の連作シリーズ。Mという、そのアルファベットひと文字から連想さるように、その作品のモチーフとなっているのは誰もが知っているファストフード店、マクドナルドである。
そこに写し出されているマクドナルドは、そのほとんどが郊外に立地しているようにみえる。マクドナルドと同じように郊外の風景も、ホンマタカシ氏の写真のなかで繰り返しもちいられてきた重要なモチーフだ。
ホンマ氏の美術館での初の個展で展示された「M」は、金沢21世紀美術館の8号展示室の床面にのっぺりと展示された。
それはあたかも世界中に広がり増殖していくMという記号と同じように、建売り住宅やマンションがフラットに建ち並ぶ郊外の風景のようにみえてきた。

HOMMA TAKASHI「M」 

金沢21世紀美術館 石川県金沢市広坂1-2-1
〜2010年3月21日(月)

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Point of view.
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写真家、清水謙さんの仕事を紹介する「Point of view.」がHiroshima 2020 Design Charretteではじまりました。わたしたちの2010年6月6日を振り返りつつ、そこでおこったさまざまな風景をさまざまな角度からお伝えします。


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SHIMIZU KEN PHOTOGRAPHER


HODCのオフィシャルフォトグラファーとして、建築写真家のSHIMIZU KENさんに参加して頂くことになりました。
清水さんの写真は建築と都市をテーマにしながら、その対象とその外側にあるものを同時に写し撮り、人間の目に見えるもの以上のものを、カメラアイによってとらえ私たちの前に提示します。
建築という特別なものと、都市というありふれたもの、そしてそこを取り巻く空気を写真と呼ばれるものに定着することで、そこにある真実は私たちの面前にまざまざと露呈されるようだ。



以下、SHIMIZU KEN オフィシャルサイトより抜粋。

1981年横浜生まれ。2008年より東京 浅草に拠点を移す。

2001年よりオーストラリアのメルボルンへ渡り、写真と出会う。
RMIT University写真学科卒業後、2007年に帰国。個人の作品制作やアシスタントを経て、
2008年にフリーランスフォトグラファーとして活動を開始する。
ひとを取り囲む建築、都市、環境、そしてデザインを対象としたコンセプトをもとに写真活動を展開中。

SHIMIZU KEN PHOTOGRAPHER
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Leica M3


写真blog、Journal[Form_story of design]でも紹介しましたが、デジタルMに続いて50年以上も前に製造された銀塩のライカM3を入手しました。レンズも50年以上前に作られたライツのエルマー50mmをセット。スタンダードなフィルム写真の魅力にハマりそうです。

一眼レフカメラとはことなるレンジファインダーのカメラ、ライカMシリーズを手にした人が口を揃えて言うのがファインダーの宙に浮いたかのようなクリアさ、明るさだ。
昨今の一眼レフカメラでは、ファインダー内に見えるもの全てが写る「視野率100%」のファインダーや、ペンタプリズムなどの光学系を持たず液晶画面でピント確認などを行う、LVFライヴビューファインダー、EVF電ビュー子ファインダーなど、見やすさ撮り易さに技巧を凝らしたファインダーを持った新機種も少なくない。
しかし、レンジファインダー(距離計)付きカメラは今から約一世紀近く前に初めて登場したにも関わらず、カメラのファインダーとして当初から完成されていたということが驚きに値する。しかもライカ通の間では1954年のフォトキナで発表と同時に発売された、M型ライカの初号機であるM3型のファインダーこそが、その見えのクリアさ、ペンタプリズムのクォリティとも最高峰であるというのは衆目一致の事実なのである。
ライカについてはいずれまた詳しく書きます。
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