FORM_Story of design(... Kato Takashi weblog)

山口誠さんの本棚 


architecturephoto.netに連載の「BEYOND ARCHITECTURE」で山口誠さんの記事がUPされています。
山口さんは9月4日から東京六本木で開催される国内初の大規模な写真によるアートフェア、
「東京フォト」のデザインディレクターを担当されています。
PHOTO AMERICAも同時開催とのことで、写真好きにはたまらないイベントになりそうです。こちらも楽しみです。


BEYOND ARCHITECTURE | permalink | comments(2) | -
京都にて…


architecturephotoにて連載の「BEYOND ARCHITECTURE」の記事が更新されています。
以下は、その序文になります。
タイトルは「構造家、満田衛資インタヴュー、構造の力と倫理」です。

二年前の建築基準法の一部改正以来、建築設計の現場ではいまだ混乱が続いていると聞く。法改正のきっかけにもなった一連の耐震建築偽装問題発覚以降、誰もが当たり前に約束されていると思っていた、建物の安全性が足元から揺らぎ、暮らしのなかで漠然とした不安を感じることも少なくない。

そのような現状の中、昨今建築専門誌あるいは一般誌など一部メディアにおいて、構造家の存在がクローズアップされているように思う。そこにはそれらの問題を具体的に解決する存在としての構造家への、社会からの期待があるのではないだろうか。

一方、それを報道するメディアに目を転じてみると、建築基準法改正と、その発端になった耐震建築偽装事件発覚当時の、芸能人のスキャンダルを報じるかのごとく過熱した報道とは裏腹に、建築基準法実施以降から現在まで続く、実際の建築設計の現場における混乱の現状は、ほとんど報道してこなかった。それは分からないことにはだんまりを決め込むという、僕も含め一部メディアのあり方の悪習に依るところが大きいのではないだろうか。

建築の裏方としての構造家の存在のクローズアップという現状が意味するものは、おおまかに分けて、意匠デザイナー、構造デザイナー、という建築設計における二者の存在の背後に潜む、大文字の「建築」というものの「設計者とは誰か」という、究極的な問いかけにも繋がるだろう。

僕が初めて構造家、満田衛資さんに出会ったのは昨年の晩夏の広島だった。夜風の心地よい平和記念公園にほど近い川辺のカフェで行われた「若手建築家のアジェンダ」というイベントにコメンテーターとして参加されていた満田衛資さんは、過熱しながら情熱のままにいささか拡散していく若い建築家たちの議論に対し、構造家の立場から骨格を与えていくような、短く丁寧に言葉を選びながら話す、その冷静な語り口が印象に残っている。あれから半年後、春間近い穏やかな日和のなか、満田衛資さんの設計事務所がある京都に出かけ、ゆっくりとお話を伺うことができた。


BEYOND ARCHITECTURE

満田さん、岡田さんどうもありがとうございました。



BEYOND ARCHITECTURE | permalink | comments(0) | -
BEYOND ARCHITECTURE


建築・デザイン・アートの総合情報サイト「architecturephoto.net」に記事を寄稿させていただくことになりました。まずは上の画像をクリックしてみてください。

情報を伝える方法は様々です。視覚にうったえるもの、聴覚にうったえるもの、その素材も紙だったり電波であったり、光であったり闇の中であったり。送られる情報がもつ意味も多種多様です。
ものを書く僕に身近な問題でいえば、ウェブを中心にさまざまな情報をほぼ無料で瞬時に簡単に手に入れることができるようになった昨今、有料で物としてスペースをとるスローな紙媒体の存在意義が、現在の社会状況の中でのそのあり方そのものの意味や、批評性を中心に問われるようになってきています。

僕は紙媒体には他には変え難い意義や意味、紙でしか表現できない固有の良さがあり、その紙媒体がもつ批評や情報発信の意義や意味は、今でも十分に機能していると思う立場です。
ではなぜ発信する側も、その情報を受け取る側もその双方に物足りなさを感じているのでしょうか。僕はそこには昨今の人々の個人主義や、価値観の多様化が影響しているとは思いません。
僕は人間は本質的な点でそれほど多きな差異はなく、同じように人間らしい感受性をもち、善い情報、悪い情報を個人にとって都合のよいやり方で瞬時に的確に判断できる能力をもっていると思っています。
ウェブで出来る事、紙でできること、そこには区別も差異もなく、もしそこに足りないものがあるとしたら、双方にとって有意義な問題意識の共有可能性をもちながら、それを互いが無視して見ないようにしているようにみえることだと思います。

僕はarchitecturephoto.netは、建築やデザインに対する深い愛情が感じられるサイトだと思っています。それはただ一人の運営者によって運営管理され、そこに掲載される情報が収集されることで、その行為に嘘や偽りが入る余地のないことと関係しているのかもしれません。
architecturephoto.netでは、彼と同じように僕も深い愛情をもってまじめに、建築やデザイン、そしてアートを考えていきたいと思います。
BEYOND ARCHITECTURE | permalink | comments(0) | -