FORM_Story of design(... Kato Takashi weblog)

師走感


2015年もお世話になりました。来年もよろしくお願い申し上げます。
FORM Story of design.  

最近はこちらでもDiaryを書いています。よろしくお願いします。
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NO NUKES CONCERT
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‎1979年3月のアメリカペンシルベニア州にあるスリーマイル島原始力発電所事故は、原発事故を扱ったアメリカ映画「チャイナシンドローム」公開の12日後に起こった、象徴的な世界発の原始力発電所での重大事故として、当時を生きた一部の人々の記憶に今も刻まれている。
その事故からさかのぼること2年前、1977年にジョン・ホール、グラハム・ナッシュ、ジャクソン・ブラウン、ボニー・レイットといった数名のアメリカの有名ミュージシャンらによって結成されたのが、MUSE - Musicians United for Safe Energy(安全エネルギーのためのミュージシャン連合)だ。

1979年9月、スリーマイル島原始力発電所事故が起こった半年後、MUSEの呼びかけにより、ブルース・スプリングスティーン&ザ・Eストリートバンド、トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズ、カーリー・サイモン、ライ・クーダー、ジュームズ・テイラー、ドゥービーブラザーズ、ポール・サイモンら、当時アメリカを中心に世界的に活動する、多くのミュージシャンらが参加した反原発コンサートが、NYのマジソンスクエアガーデンで5日間にわたり行なわれた。
それが、その後のベネフィットコンサートのはしりのひとつといわれる「ノーニュークス」コンサートだ。

当時日本では、お茶の間でロックのPVがやっと観ることができるようになった頃で、僕も数多くの有名ミュージシャンが一堂に会するロックのコンサートとして、この「ノー・ニュークス」コンサートの映像を観た記憶がある。

写真は本日16時頃、首相官邸前で行なわれた集会で、その「ノー・ニュークス」コンサートを収めた3枚組のレコードジャケットを反原発のメッセージを込めて胸に掲げていた人。

僕は仕事があったので、デモ開始の数時間前、16時から17時の間しかいられなかったけど、初夏の陽射しを遮るもののない炎天下のもと、最初こそ50名程度の集団が、17時前には数百名の集まりになっていた。

僕が驚いたのが、この「ノー・ニュークス」のプラカードを持った人もそうだが、多くの人が自らの姿を写真に収めて、そこに掲げたメッセージとともに、多くの人に拡散して欲しいと願っていたように思えたこと。デモに参加のおのおのが各自の責任で自らのメッセージを発していた。それはもの言わず、ただその場所に集まった人々も一緒の思いだったのだろう。

「ノー・ニュークス」はMUSEが主催した30年以上前に行なわれた、反核運動のためのロックコンサートだが、安全なエネルギーを求める気持ちは今の僕らも同じだろう。そしてMUSEは30年以上経った今もほぼ同じメンバーで、今も新たな賛同者を得て活動を続けている。
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巡礼の地
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「AKIRA」などの漫画でお馴染みの大友克洋氏の原画だけを展示した、大友克洋GENGA展が先日終了した。3331という、僕にとって比較的身近なスペースでの開催ということもそうだったが、その空気を感じたいがために、チケットもないのに、会期中、ついつい何度も3331に足を運んでしまった。

会場となった3331の、アニメの聖地のひとつである秋葉原に近いことと、元中学校舎とその前の公園という、公立の学校には良くあるのびのびとして立地条件がそうさせるのか、展覧会場と前庭とが一体となったこの場所を、さながら大友克洋ワールドの神聖な「巡礼の地」のような場所と感じたのは僕だけではないだろう。この場所をある思いをもってひとときでも共有すると、それが肌身に感じられる。そのことが今も本展の余韻として残っている。
あらためて思えば、アニメの聖地でもある秋葉原の周縁に、3331という現代美術のギャラリーの集合体があることも、ある意味象徴的な話だ。なぜなら、原画がGENGAと見慣れない英語の文字で綴られることで、それが「教室」のようなギャラリースペースで展示されること、漫画がそれが依拠する物語から離れ、一点物の作品に解体されることとあいまって、あくまで個人的なうがった一面的な見方だけど、アニメから美術へ、その意味の変換を連想させるからだ。

普段は現代美術などが展示されるギャラリーを使用して行われた本展は、普段よく知っている細長く入り組んだこの場所の、全ての白い壁や柱の面という面を塗りつぶしていくように大友氏の原画が覆い尽くしていた。それはあたかも本展の展示作品の核心ともなっていた「AKIRA」の漫画の世界で、超能力をもった鉄男少年の自己抑制が効かなくなった自我がぶくぶくと肥大化し、自らを丸のみして空間を埋め尽くしていく様を連想してしまった。

本展でAKIRAの単行本6巻分の全原画2300枚以上を収めるために作られたという、オープンAが設計したモダニズム建築のような鉄とガラスのケースも、大友ワールドのクールさを体現したようでかっこ良かった。そして、そこにストーリーとは無縁にランダムに収められた「GENGA」のボリュームに、一編の漫画を構成する仕事量の膨大さに圧倒された。この仕事量に対し、今さらながら、ストーリーを夢中で追いながら、一息飛ばしに先に先にと、一気に読み進んでしまうことへの罪悪感めいたものを感じてしまう。

会期は二ヶ月弱、観覧は完全予約制ということもあり、見逃した方もいると思うので、写真がたっぷり掲載されたこちらのレポート記事が本展の追体験となれば幸いです。


exciteism


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何に着目すべきか?
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いよいよ明日土曜日15時から(開場14時30分です)開催のトークセッション「何に着目すべきか?」(〜21時まで予定。入場無料)。当日は来場者のみなさんに「何に着目すべきか?」のアイコンのひとつである「コースター」の無料配布や、代々木上原のお弁当屋さん「Chioben」さんの「何に着目すべきか?」限定の麺料理も楽しめます。


アサヒ・アートスクエアで行うイベントとしては第2回目となる今回の「何に着目すべきか?」は、『LOST & FOUND 価値の再発見』をテーマに、既存の物事にあらたな視点からの光を照射する試みをされているゲストの皆さんをお招きし、それぞれの活動のご紹介を編集的な視点を交えてうかがいます。

前回の「何に着目すべきか?」と同様、今回も舞台と客席、ゲストとホストの垣根を越えた、教室とキッチンとライブラリーの中間のような、真剣な議論のなかにも、少し笑いのある、クリティカルな場を皆さんと一緒につくることができればと思っています。

今回もコアメンバーである橋詰宗くん、古賀稔章くん、木村稔将くん、加藤孝司の4名に加え、飯田将平くん、川瀬英嗣くんに前回に引き続きお手伝いいただきます。それと今回は僕がいまお手伝いさせていただいている早稲田大学渡辺仁史研究室の「時間本」でもご一緒している、早稲田大学大学院の小池太輔くんにも参加いただいています。
前回会場で無料配布した『天婦羅屋トーク』の冊子ですが、今回は飯田くん、川瀬くん、小池くんの3名がチームで今回のために、事前に浅草をフィールドワークして作成した冊子を配布する予定です。こちらもどうぞご期待下さい。

以下は当日ご出演いただくゲストの皆さんのご紹介を兼ねて、事前にいただいたテキストを僕なりの解釈で再構成、あるいはプロフィールを引用させていただいたテクストになります。

あらためまして、明日4月21日土曜日は、浅草の対岸、隅田川のほとりにあるアサヒ・アートスクエア4Fにぜひお越し下さい。


第1部は主に編集的な視点から「LOST & FOUND」、「再発見」にまつわる活動のあるゲストの皆さんにお話を伺います。:15:00-17:30(予定)

白井宏昌さん(建築家)オランダの設計事務所、レム・コールハース率いる OMAに2001年より5年間勤務。現在、東京、台北、北京のアジアの3都市に拠点を置くH2Rアーキテクツとして活動。社会科学に特化した研究・教育機関「ロンドン・スクール・オブ・エコノミスクス」にも在籍し、オリンピック都市の研究家としても知られる。近作についてや、オリンピック都市の遺産、OMA(=レム・コールハース)での「編集的」なアプローチなどのお話もうかがいます。

NOMAZONさん(仮想ブックショップ) Amazonのリストにはない本をウェブ上に収集、ロングテールのさらに先をいく仮想ブックショップ。ZINE、自費出版本、フリーペーパー、カタログ、スペシャル・エディション、電子書籍などオールジャンルから、良質かつインディペンデントな本を中心にセレクトしている。書物との新しい出会いの場を創出している。

柴田隆寛さん(編集者) 『HUGE』をはじめとする雑誌や書籍、webやカタログ、イベント制作など幅広く編集に携わる柴田さん。主な編著書に『TooLs』『TooLs 2012』(講談社)、『BEAMS EYE ON OKINAWA ビームスの沖縄』(ビームス)、『リサ・ラーソン作品集』など。また、ストックホルムのデザインユニット、こどものためのアートブックレーベル“TREE FRUITS PRESS”のメンバーとしても活動しています。今回は衣食住を創造する日用の道具としての「TooLs」での試みから、「道具」の再発見についてお話をうかがいます。

室賀清徳さん(アイデア編集長)1999年より誠文堂新光社勤務。『アイデア』はじめデザイン,タイポグラフィ関連書の編集に関わる室賀さんには、アイデア編集長としての視点から、アイデア誌の膨大な過去のアーカイブの中からベスト・オブ・アイデアについてうかがう予定です。

ミヤギフトシさん(アーティスト)沖縄生まれ。主な個展に「The Cocktail Party」「Brief Procedures」ダニエル・ライヒ(ニューヨーク)、「A Cup Of Tea」ヒロミヨシイ(東京)。主なグループ展としてパース インスティチュート オブ コンテンポラリー アート(オーストラリア)、ボルドー現代美術館(フランス)など。同人誌「OSSU」を友人たちと共同主宰している。世界中の見知らぬ人とのビデオチャット越しのシーンを撮影した作品など、人と人の関係性に問いを投げかけ、それを写真作品と結実させるミヤギさん。自身の出身地である沖縄と向き合いながらの作品も制作。「日本とアメリカのホモソーシャルな関係。そこに入りきれない沖縄という女性化された存在。女性化された沖縄のなかで抹消されるセクシャルマイノリティの存在。」とは「American Boyfriend」と題して連載中のweblogのなかの言葉。 http://fmiyagi.tumblr.com/ 2012年7月には東京で個展も開催予定です。



第2部はデザイナー・アーティストの方々に批評家の方を交え、時間軸を横断した活動を実践をされている方々のお話をうかがいながら進行いたします。
18:00-20:30(予定)

奥村雄樹さん(アーティスト)2012年東京藝術大学大学院美術研究科、博士後期課程修了。身体が孕む密室構造において不確定的に重ね合わされた複数の可能性のひとつを外界に出力することで、客観的な事実とは異なる超常的な現実が現れるさまを、主に映像を用いて捉える。近年は翻訳や吹き替えにおける一人称の作用に着目し、落語家や通訳家をフィーチャーしたプロジェクトを展開している。自身も翻訳家として活動するほか、実名あるいは山辺冷名義で執筆も手がける。子どもを対象としたワークショップ「くうそうかいぼうがく」を各地で実施している。2012年は東京国立近代美術館、東京都現代美術館、愛知県美術館などで映像作品やパフォーマンスを発表予定。

加藤賢策さん(デザイナー)株式会社東京ピストル 取締役/アートディレクター/グラフィックデザイナー。『日常/場違い』展『泉太郎/こねる』展『日常/ワケあり』展(神奈川県民ホールギャラリー)、『リフレクション/映像が見せる“もうひとつの世界”』『大友良英/アンサンブルズ2010-共振』展(水戸芸術館現代美術センター)、『再考現学』(国際芸術センター青森)等の展覧会のアートディレクション、グラフィックデザインの他、サイン計画やウェブデザインなど幅広い活動を行っている。武蔵野美術大学、女子美術大学非常勤講師。最新作は浅草文化観光センター(台東区。設計:隈研吾建築設計事務所)のサイン計画。

森大志郎さん(デザイナー)美術展や映画祭カタログ等のエディトリアル・デザインを主に手がける。主な仕事に、東京国立近代美術館Gallery4展覧会シリーズ、『ヴィデオを待ちながら――映像、60年代から 今日へ』(東京国立近代美術館)、『清方ノスタルジア』(サントリー美術館)、『トレース・エレメンツ』(東京オペラシティアートギャラリー)、『蔡国強』(広島市現代美術館)、『「出版物=印刷された問題 (printedmatter)」:ロバート・スミッソンの眺望』(上崎千との共作『アイデア』320、誠文堂新光社)。近作は小林和人さんの「あたらしい日用品」。書籍やポスターなどのエディトリアルデザインの工程で発生する多くの版やデザインのアーカイブの可能性についてなど、お話をうかがいます。

上崎千さん(批評家)芸術学・批評・アーカイヴ理論。2007年より慶應義塾大学附属の研究アート・センターにて、戦後日本の芸術に関するアーカイヴの授業をしながら設計、実践的な構築に従事している。同大学非常勤講師もつとめる。主な論文に「岡崎乾二郎のディプティック」『SAP Journal』10号(セゾンアートプログラム)、「アーカイヴと表現(A Whole List of Things)」『ARTLET』28号(慶應義塾大学アート・センター)など。アーカイブと地質学の類似についての論考などがある。

富井大裕さん(アーティスト)新潟県生まれ。1999年武蔵野美術大学大学院造形研究科彫刻コース修了。2011年より日本大学芸術学部助教。最初は石膏による小さな人型の作品を発表していたが、既製品を台座に使用した人型のシリーズを経て、現在は既製品のみを組み合わせた作品を制作。その素材にはビニルテープやストロー、ポストイット、画鋲、キッチン用スポンジ、カーペットにハンマーなど様々な日用品や生活用品を用い、それらを並べる、重ねる、束ねる、折り曲げるなど非常に簡単な手法で組み合わせて造形作品とする。既製品を元来の機能や意味から解放し、色やかたちにまで還元し組み合わせることで彫刻を実践している。「MOTアニュアル2011 Nearest Faraway|世界の深さのはかり方」(東京都現代美術館)、 「横浜トリエンナーレ2011 世界はどこまで知ることができるか?」(横浜美術館)などに作品を出品している。

下道基行さん(アーティスト)1978年岡山生まれ。武蔵野美術大学造形学部油絵科卒。2005年、『戦争のかたち』(リトルモア刊)を発表。トーチカ=砲台跡などの戦争遺跡を撮影した写真作品でしられる下道さん。3.11以後はバイクで日本国内を旅し、そこで出会った風景を撮影し、ファクシミリでギャラリーに送信するというフィールドワークによるプロジェクトを行なっている。今和次郎が提唱した「考現学」をキーワードに日常と芸術の関係を探るグループ展「再考現学展」(2012年)にも参加。考現学を再考し、遺跡という現代の異物を、フラットな視点で写真として切りとる下道さんの現在と過去を横断する思考をうかがいます。

水野大二郎さん(批評家)慶応義塾大学環境情報学部専任講師(有期)。2008年英国王立ロイヤルカレッジオブアートファッションデザイン博士課程後期修了。芸術博士(ファッションデザイン)現在デザインプロジェクト・DESIGNEAST実行委員、ファッション批評誌・Fashionista編集委員、Inclusive Design Now実行委員、FabLab Japanメンバーとしたも活動。ファッション、デザイン、都市や社会など。個人的なものと社会的なものをつなぐ、立場の異なった人同士をつなげる「インクルーシブ」な視野にたった実践的な活動についてうかがいます。
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ThinkからThink different.へ
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未来とIBM、そしてAppleへ。ThinkからThink different.へ。

先日の新聞広告に、「この100年を、次の100年へ」とキャッチコピーのつけられたIBMの広告が掲載されていた。IBM社は今年で創立100年の世界的なコンピューター・カンパニー。
'80年代もなかば、世間が好景気に湧き、まだAppleがメジャーではないころ、僕らの未来はIBMのコンピューター・テクノロジーとともにあった。

'60年代のアポロ11号の月面着陸に先立ち、人類の宇宙探査にむけた研究をはじめ、その実現の際には、システム開発を手がけたIBM。
科学と共同し、生活のサービス向上をはかり、経済発展に寄与し、「THINK=考える」をスローガンにかかげ、未来のよりよい暮らしについて思考した。

僕たちの日常のちょっとした情報や、都市のインフラ、健康状態まで、それらはコンピューターの発達によって、効率的かつ、機能的に管理され、暮らしは日進月歩、便利になっていくものだと考えられていた。

情報はコンピュータの端末により、一極集中に極めて合理的に管理され、それによって、ミスやトラブルは未然に防ぐことができる。
テクノロジーとともに、そんな未来が来ることを誰もが疑うことがなかった、人類の「ゴールデンエイジ」とともにIBMは確かに、あのころ、あったのだ。

そして、「クレイジーな人たちへ」。
1997年、アップルコンピューターはそんなマニフェストをかかげ、均質化、画一化、硬直化した世の中の価値観を、デザインもコンセプトも、さらに精鋭化させたパーソナル・コンピューターによって、「クレイジー」な人びとの、個人的な思考でもって、柔軟に解きほぐしていった。

アルバート・アインシュタイン、パブロ・ピカソ、ボブ・ディラン、ジョン・レノン、バックミンスター・フラー、マーティン・ルーサー・キング。

ある意味、異端で、発明家で、天才で、しなやかでクレイジーな人々。
彼らを大胆に起用した広告戦略は、アップルを単に消費の対象としてのコンピューターを販売する企業でなく、背景をもって未来の暮らしを提案する企業であることを印象づけた。

本当の意味でのクレイジーな人びとが、この世界を変える。
いまこそ、その意味を、考えてみたい。


**************

2011年6月20日の投稿より再投しました。このときはIBMへのノスタルジーとして書いたのだけど、いまはAppleへのレクイエムにも読めなくもない。その衝撃的な追放劇から、1997年に経営危機をむかえていたAppleに復帰したジョブスは、起死回生の一手としてこのThink different.キャンペーンを展開したという。iMac、iPod、iPhone、iPadとその後のApple社の快進撃はいうまでもない。
この本を手にしたのは発売されてすぐだから、10数年がたつ。本の表紙も背表紙も色あせているけど、このなかにおさめられた短いいくつかの詩は、色あせることなく、今なおますます輝き続けている。
ThinkからThink different.へ。自発的にこの世のなかを変えていくという姿勢がここにはある。
人間中心のテクノロジーのあり方の遺伝子は、IBMからAppleへと脈々と受け継がれてきた。これから僕らは全体としてどこに進むのだろうか。
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未来とIBM、そしてAppleへ。
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先日の新聞広告に、「この100年を、次の100年へ」とキャッ
チコピーのつけられたIBMの広告が掲載されていた。IBM社は今年で創立100年の世界的なコンピューター・カンパニー。
'80年代もなかば、世間が好景気に湧き、まだAppleがメジ
ャーではないころ、僕らの未来はIBMのコンピューター・テクノロジーとともにあった。

'60年代のアポロ11号の月面着陸に先立ち、人類の宇宙探査にむけた研究をはじめ、その実現の際には、システム開発を手がけたIBM。
科学と共同し、生活のサービス向上をはかり、経済発展に寄与し、
「THINK=考える」をスローガンにかかげ、未来のよりよい暮らしについて思考した。

僕たちの日常のちょっとした情報や、都市のインフラ、健康状態ま
で、それらはコンピューターの発達によって、効率的かつ、機能的に管理され、暮らしは日進月歩、便利になっていくものだと考えられていた。

情報はコンピュータの端末により、一極集中に極めて合理的に管理
され、それによって不測の事態の類、ミスやトラブルは未然に防ぐことができる。
テクノロジーとともに、そんな未来が来ることを誰もが疑うことが
なかった、人類の「ゴールデンエイジ」とともにIBMは確かに、あのころ、あったのだ。

そして、「クレイジーな人たちへ」。
1997年、アップルコンピューターはそんなマニフェストをかか
げ、均質化、画一化、硬直化した世の中の価値観を、デザインもコンセプトも、さらに精鋭化させたパーソナル・コンピューターによって、「クレイジー」な人びとの、個人的な思考でもって、柔軟に解きほぐしていった。

アルバート・アインシュタイン、パブロ・ピカソ、ボブ・ディラン
、ジョン・レノン、バックミンスター・フラー、マーティン・ルーサー・キング。

ある意味、異端で、発明家で、天才で、しなやかでクレイジーな人
々。
彼らを大胆に起用した広告戦略は、アップルを単に消費の対象とし
てのコンピューターを販売する企業でなく、背景をもって未来の暮らしを提案する企業であることを印象づけた。

本当の意味でのクレイジーな人びとが、この世界を変える。
いまこそ、その意味を、考えてみたい。


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TOMORROW
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TOKYO at PM.13:09, 18 March 2011. 
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雑文


このブログを書きはじめたきっかけは、オランダのデザイナー、ヘラ・ヨンゲリウスとバウハウスであることは間違いがない。ヨンゲリウスはオランダのデザインがいまほど認知されていないときで、ようやく中目黒の燕子花でそのユニークピースが店頭に並びはじめたころだ。ヨンゲリウスが本国オランダで新進気鋭のアーティストとして登場したのが、'90年代初頭のドローグ登場とほぼ時を同じくしてのころだがら、およそ10年経ってからのことになる。
ヨンゲリウスの作品を実際に初めて見たのは、'90年代後半の千駄ヶ谷のトリコだった。
当時は北欧のデザインも今程認知されておらず、イームズが裏原宿を中心に人気を博していたころ。普通の白いプレートに結構なプライスがついていたことを記憶している。当時僕も裏原宿辺りで働いていたことがあるから、アメリカのミッドセンチュリーの家具は街のヴィンテージウェアのショップの什器としてよく目にしていた。
そう、北欧のデザインといえば、デンマーク生まれのパントンも歴とした北欧デザインだった。


つづく
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雑文
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 なんでも、とりあえずはじめてみることは大切だなあと思う。いま自分がなりわいとしている文章やデザイン批評に関しても、誰もが最初からライターでもジャーナリストでもないわけで、書く場所がないから書かないのではなく、何か伝えたいことがあるからまず書いてみる。それがこのFORMブログで、このブログを僕は5年ほど前にはじめました。

その頃はジャーナリズムというところとはかなり遠いところにいて、自分が好きなデザインには、街のなかにあるデザインショップでしか触れることができなかった。デザイナーという存在はまさに雲のうえの存在で、インタヴューすることはおろか、会うことすら出来ないと思っていた。

このブログを書き続けることで、それを読んでくれる人ができて、ブログを通じていまの仲間にも出会うことができた。ここに書き連ねた文章のようなものを、面白がってくれる人がいて、それをブログとは違うほかのメディアで読んでみたいといってくれた人がいた。そしてメディアでの仕事を通じてデザイナーや建築家といわれる人たちにも出会い、インタヴューすることもできるようになった。

つづく
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金沢
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