未来とIBM、そしてAppleへ。ThinkからThink different.へ。
先日の新聞広告に、「この100年を、次の100年へ」とキャッチコピーのつけられたIBMの広告が掲載されていた。IBM社は今年で創立100年の世界的なコンピューター・カンパニー。
'80年代もなかば、世間が好景気に湧き、まだAppleがメジャーではないころ、僕らの未来はIBMのコンピューター・テクノロジーとともにあった。
'60年代のアポロ11号の月面着陸に先立ち、人類の宇宙探査にむけた研究をはじめ、その実現の際には、システム開発を手がけたIBM。
科学と共同し、生活のサービス向上をはかり、経済発展に寄与し、「THINK=考える」をスローガンにかかげ、未来のよりよい暮らしについて思考した。
僕たちの日常のちょっとした情報や、都市のインフラ、健康状態まで、それらはコンピューターの発達によって、効率的かつ、機能的に管理され、暮らしは日進月歩、便利になっていくものだと考えられていた。
情報はコンピュータの端末により、一極集中に極めて合理的に管理され、それによって、ミスやトラブルは未然に防ぐことができる。
テクノロジーとともに、そんな未来が来ることを誰もが疑うことがなかった、人類の「ゴールデンエイジ」とともにIBMは確かに、あのころ、あったのだ。
そして、「クレイジーな人たちへ」。
1997年、アップルコンピューターはそんなマニフェストをかかげ、均質化、画一化、硬直化した世の中の価値観を、デザインもコンセプトも、さらに精鋭化させたパーソナル・コンピューターによって、「クレイジー」な人びとの、個人的な思考でもって、柔軟に解きほぐしていった。
アルバート・アインシュタイン、パブロ・ピカソ、ボブ・ディラン、ジョン・レノン、バックミンスター・フラー、マーティン・ルーサー・キング。
ある意味、異端で、発明家で、天才で、しなやかでクレイジーな人々。
彼らを大胆に起用した広告戦略は、アップルを単に消費の対象としてのコンピューターを販売する企業でなく、背景をもって未来の暮らしを提案する企業であることを印象づけた。
本当の意味でのクレイジーな人びとが、この世界を変える。
いまこそ、その意味を、考えてみたい。
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2011年6月20日の投稿より再投しました。このときはIBMへのノスタルジーとして書いたのだけど、いまはAppleへのレクイエムにも読めなくもない。その衝撃的な追放劇から、1997年に経営危機をむかえていたAppleに復帰したジョブスは、起死回生の一手としてこのThink different.キャンペーンを展開したという。iMac、iPod、iPhone、iPadとその後のApple社の快進撃はいうまでもない。
この本を手にしたのは発売されてすぐだから、10数年がたつ。本の表紙も背表紙も色あせているけど、このなかにおさめられた短いいくつかの詩は、色あせることなく、今なおますます輝き続けている。
ThinkからThink different.へ。自発的にこの世のなかを変えていくという姿勢がここにはある。
人間中心のテクノロジーのあり方の遺伝子は、IBMからAppleへと脈々と受け継がれてきた。これから僕らは全体としてどこに進むのだろうか。