機械は古ければ古いほどよい。そんな既成概念をもっている人も多いことだろう。バイク、オーディオ、時計、そしてカメラ。それらの趣味の対象はことなれど、それぞれにもつこだわりは人知れず大きい。
使っていたコンパクトデジタルカメラが最近こわれた。こわれたら買い換えるのがもっとも手っ取り早い。それはきわめて現代的なモノとの付き合い方だ。それでもいつからだろうか?モノはこわれるものだし、それは直せば済むことだ。しかし、直すことはあたらしくつくることより困難であったり、お金がかかる。時間もかかる。いったい現代の機械製品を一生もの、と思って購入する人がいるのだろうか?多彩な機能、新しいスペック。
そんな動機こそ怪しいものになってしまった。
一生もののつもりでモノを選び、買う。
しかし、それはモノを買う自分に対してのまやかしというごまかしにすぎない。
むしろモノを消費するだけのためならば、いっそ使い捨てと割り切って購入してしまったほうがいさぎよい。
今回買ったデジタルカメラは(もはやカメラといえばデジタルで銀塩カメラは過去のものになってしまったようだ)日本シグマのコンパクトデジタルカメラ、シグマGP1。
コンパクトカメラながら比べるなら大型の一眼レフカメラというから、それだけでも、そのポテンシャルの高さがうかがえる。
通常一眼レフカメラに使用される見たとおりの映像をとらえるための、コンパクトカメラの7〜12倍程度の大きさのイメージセンサー搭載されているというDP1。レンズを通った光をそのままとらえ、それは解像度の高い階調ゆたかな画像を生み出すという。
見たものを見たとおりに記録して残す、そんな欲望が記憶装置としてのカメラの進歩につながり、無理のない形態を生む。しかし、技術の進歩とともにおき去ってきた古い機能は、それをそのままあたらしいスペックにあてはめることは、それ自体現代にあっていささかの不釣合い感はいなめない。
昔のふるきよき時代の機械をおもいださせる外観、それは物欲を刺激するデザインという意匠をまとった巧妙な産業製品のことでもある。