FORM_Story of design(... Kato Takashi weblog)

SIGMA DP1
sigma

機械は古ければ古いほどよい。そんな既成概念をもっている人も多いことだろう。バイク、オーディオ、時計、そしてカメラ。それらの趣味の対象はことなれど、それぞれにもつこだわりは人知れず大きい。
使っていたコンパクトデジタルカメラが最近こわれた。こわれたら買い換えるのがもっとも手っ取り早い。それはきわめて現代的なモノとの付き合い方だ。それでもいつからだろうか?モノはこわれるものだし、それは直せば済むことだ。しかし、直すことはあたらしくつくることより困難であったり、お金がかかる。時間もかかる。いったい現代の機械製品を一生もの、と思って購入する人がいるのだろうか?多彩な機能、新しいスペック。
そんな動機こそ怪しいものになってしまった。
一生もののつもりでモノを選び、買う。
しかし、それはモノを買う自分に対してのまやかしというごまかしにすぎない。
むしろモノを消費するだけのためならば、いっそ使い捨てと割り切って購入してしまったほうがいさぎよい。
今回買ったデジタルカメラは(もはやカメラといえばデジタルで銀塩カメラは過去のものになってしまったようだ)日本シグマのコンパクトデジタルカメラ、シグマGP1。
コンパクトカメラながら比べるなら大型の一眼レフカメラというから、それだけでも、そのポテンシャルの高さがうかがえる。
通常一眼レフカメラに使用される見たとおりの映像をとらえるための、コンパクトカメラの7〜12倍程度の大きさのイメージセンサー搭載されているというDP1。レンズを通った光をそのままとらえ、それは解像度の高い階調ゆたかな画像を生み出すという。
見たものを見たとおりに記録して残す、そんな欲望が記憶装置としてのカメラの進歩につながり、無理のない形態を生む。しかし、技術の進歩とともにおき去ってきた古い機能は、それをそのままあたらしいスペックにあてはめることは、それ自体現代にあっていささかの不釣合い感はいなめない。
昔のふるきよき時代の機械をおもいださせる外観、それは物欲を刺激するデザインという意匠をまとった巧妙な産業製品のことでもある。
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デザインが生まれてくるところ
グルチッチ

どこかのウェブサイトで「グルチッチインスピレーションズ」と名づけられた写真を発見した。
グルチッチとは、ドイツ出身のインダストリアルデザイナー、コンスタンティン・グルチッチのこと。自身のデザインスタジオKGIDを主宰する世界的なデザイナーだ。
デイビッド・ボウイのアルバムジャケットや、マッチ棒の束、片方だけの黒い革靴や'80sのものと思われるキッチュなイラストなどなど。イラストは'70年代を象徴するカルチャーのひとつで、雑誌などのメディアを中心にこの時代の文化を創ったといっても過言ではない。
グルチッチは1965年生まれで、実際に僕と同じ年齢。まさしく'70〜'80年代にもろに影響を受けてきたタイプであることは容易に察しがつく。

音楽でいえば、トーキング・へッズやトンプソンツインズなどのニューウエイヴ、そしておどろおどろしいイラストのジャケが目をひく重いサウンドのヘビーメタル。'70年代は憧れで、レッド・ツェッペリンやボウイにクイーンなどブリティッシュムーブメントまっさかりだった。'60年代になるともう夢のまた夢。
へんなパーマのヘアスタイルや、肩パットの入ったジャケット、今では時代遅れの変速機付きのサイクリング車が憧れで。メガネはいわゆるアラレちゃんタイプの大きな黒縁めがね。
それを今でも変らず引きずるっているのがグルチッチだと思う。

グルチッチのアトリエには朝グルチッチが出勤すると同時にCDプレーヤーにinされる'80sミュージックが流れ、所員たちは否応もなくそれを聞きながら仕事をすることになるという。
さまざまな自身の試作品といったプロトタイプのデザイン。そしてリスペクトするカスティリオーニやイームズやデュシャンらの日常的なオブジェ。それらは共通して日常というものの活動に根ざしたレディ・メイドのオブジェたちだ。

グルチッチのプロダクトもよくよく見ると、思春期の頃に流行ったプラモデルや超合金の玩具のように見えなくもない。それらがイメージの中で反芻され、咀嚼され、新しい時代のシンプリシティーを作り出している。

イタリアデザインの象徴でもあったアキッレ・カスティリオーニの自転車のシートを使用したスツール「メッサ」や、トラクターのシートを利用した「メッツアードロ」など、一見してシュールなオブジェは、実は日常何げに気にもかけないような、極めて当たり前の座るという「機能」に着目して作り出した優秀なインダストリアルデザインだった。
奇しくもカスティリオーニは晩年、ドイツ生まれのグルチッチを自身の精神的な後継者に名指ししていたという。

グルチッチのまったく機能を果たすことのないソファ、「カオス」や「オブロン」も実は座るという事の根源に触れる、新しい時代の新しい機能をもった優れたインダストリアルデザインに違いない。
イタリアとドイツ、敗戦から立ち上がってきたデザインの大国はいずれもが素晴らしいデザインやデザイナーを生んだ。さて、こちら日本は?
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二俣公一さんの4FB
4FB

21世紀の今、デザインに求められているものは、それが置かれる空間全体を見据えた配慮の感じられるデザインだろう。それはそれが置かれる環境全体と言い換えてもいいのだが、その空気を乱さず、よごさずに改善しうるもの。
デザインが行うべき現代の問題解決の対象は、人びとの生活一般というよりも、環境全体に良い影響を及ぼすこと、そのためのプロダクトデザインだろう。それは経済優先ではなく「理想」に近い理念のはずだ。

いよいよ、日本のファニチャーメーカーE&Yより二俣公一さんのコートハンガー、『4FB』が発売になる。空間デザイナーである二俣さんとは、昨年の11月デザインタイドの会場でお会いすることができた。4FBを前にその創作の過程を伺ったこともあり、このプロダクトには個人的にもとても思い入れがある。

二俣さんは空間デザイナーとしての仕事のほかにも、1998年に発表されたキューブ型のコンセントタップなどのプロダクトデザインも手がけており、空間的な広がりが感じられるそのデザインにはかねてより定評がある。

まずこのプロダクトが持つミニマムなたたずまいには、禅の思想にも通じるような静けさがある。それは華やかさとは対極的な「わび」の感覚に近いものでもある。

4FBはアルミという素材を通して感じられる、硬質な冷たさとは異なる温かさを感じさせる。また無駄のないフォルムはコートを掛ける、という用途を離れても十分に機能しており、その機能のあり方は優れたプロダクトが共通して持つ、それに触れてみたい衝動をおこさせる。

アルミの支柱に施されたアルマイトの塗装は、この鉱物でできた素材の冷たさを消失させることに一役担っている。
まるで木材のような温かみを備えた、まったく新しいアルミの質感は、この4FBのひとつの特徴でもある。それはこの素材感を生かすデザインを生み出した、二俣さんのデザイナーとしての考え抜くことによる才能によるものだ。
4本のアルミのバーが卍型に組まれ、それが上と下で、天と地に向かって開かれるさまは、それまで留められていたものの完全な力の放出をあらわしているという。

空間的広がりとは、そのプロダクト自体がその存在だけで完結するのではなく、それ自体が積極的に空間との関わりを持ちながら、新たな空間のあり方を示すようなもののことだ。
未来のプロダクトデザインはミニマムに環境全体のあり方を見据えた、自然のあり方に近いものになるだろう。でなければそれが生き残る道はどこにもない。
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