FORM_Story of design(... Kato Takashi weblog)

Gaetano Pesce...
Gaetano Pesce......


ガエターノ・ペッシェの作品の中に映し出される不気味な様相をしたもの達は、決してこの時代が生み出した、同時代にあって特異な何かではなく、私達の中に普遍的に根を下ろ続けていた(それは無意識と言い換えてもいいのだが)、意識下に抑圧され押さえ込まれていたものであり、同時代を生きるものすべてが根源的に共有する不安のような目に見えない、かたちのないものであり、ペッシェにあってだけ特殊な何ものかではない。

ペッシェの仕事は実に多岐に亘っている。時はイタリアが近代化に向かって打開策を模索していた60年代初頭、大学で建築とインダストリアル・デザインを学び、建築とそれにまつわる都市計画、演劇の舞台装置、プロダクトデザイン、ガラス製品のデザイン、ドーローイング、彫刻作品、などその作風が表すところのものは奇才と言われる所以である。
ペッシェのテーゼとは、常に変化し続けるものの事であり、それはペッシェ自身の言葉で表現するならば、『同じ経験を繰り返す事ほど愚かな事はない』となる。
その言葉に従うかのように、ペッシェはその重要な60年代後半から70年代の全般にかけて、文字通り世界を経めぐりながら,前例のない自らの価値観を突き壊すかのような妥協のない前衛的な創作活動を繰り返す。
柔軟な発想力は師であるデュシャン譲りであるが、その創作には時代という時間軸が介入してくる以上、先行きの不透明な、政治的に混沌とし時代の空気感が、その作品にも暗い影の様なものを落とす事になる。
芸術家とはその資質の中にパラノア的、もしくは分裂的な要素を必然的に含むものと前提して言うのなら、ペッシェは親(デュシャン)譲りのパラノイド・タイプなのであろうか。

NYにアトリエを構え、イタリアはヴェネチアに学習の為の工房を持ち、世界中の若い作家達の自由な発想の創作活動の手助けをしている。
作品作りにとってそのディテールと共に創作者の興味をそそるものに、素材、というテーマがあるが、ペッシェが80年代に入って開発した硬質発泡ポリウレタンによるブロックは、強度、熱効率、柔軟性に優れ、軽量な素材と呼ばれ、コンクリート・ブロックを凌ぐ、とまで言われていた。ペッシェは80年代当時硬質発泡ポリウレタン製のブロックを使用した実験的な建築の実践を既に行っている。

ペッシェの有機的なものつくりの思想は建築物そのものにも及び、軽量のコンクリートの壁材にファイバーグラス製の植木鉢を埋め込み、垂直の庭を持つ80年代の日本に於ける建築物は、官庁から正式な庭園として助成を受けている。
2002年のNYワールドトレード・センターのツインタワーの再建案では、ナカシマと同じような摩天楼に聳えるツインタワーを配し、美しい真紅のハート型のモチーフのオブジェで双方のタワーを繫ぐという、草案を提出して見せた。実現こそしなかったものの、それは摩天楼に失われた風景を蘇らせる事で未来に希望をつなぐという、人類の平和と希望への激しいまでの希求を、美しくも優しい姿で強く逞しく表現したものといえるのではないか。
italiano | permalink | comments(4) | trackbacks(0)
Gaetano Pesce...the period of the great contaminations.
Gaetano Pesce.....

従来のコードに逆らう事で、新しいマテリアルによる一見斬新に見える作品作りの方程式は、有機的で官能的、男性的であるより女性的、それは両性具有の、未来に於けるヘルマフロディトス(アンドロギュノス)のようである。
60年代後半から、70年代初頭にかけての、革命の色の濃い、血の色の赤が印象深い作品群。80年代に入って、時はポスト・モダンの流れの中からは、一つ距離を置き、独自の美学の世界に一人探求していくその後姿に勇気を与えられた者も多いと聞くが、その時代の一見無機質なプロダクト群はガエターノ・ペッシェのアートよりの姿勢を端的に示したものともいえる。
そのデザイン姿勢は人間の造形に常に敏感になり、人間を角度調節の抑制の利いたまなざしで眺める事によって見えてくる、ありえもしなかった肢体の傾斜や、その角度をアート作品やプロダクトに落としこむ事であったり、有機的なフォルムを人体に対比して見せる事で得られる、より親密な物との関係性であったりする。

ドローイングに於いては、血の色をした海に横たわる裸婦と自らの作品である椅子をシュールレアリスト達の手法を使って描いたり、1972年にMOMAで行なわれた Italy : New Domestic landscape 展の為のスケッチでは、閉塞感に充たされた未来都市の住空間のイメージを、ブラック・ペンシルの硬質なタッチで表現してみせたりする。
ペッシェの有機的なひとかたのモチーフの作品群はグロテスクでプリミティヴ、時にエロチックと、人間の本性をさらけ出すかのような粗暴なタッチである。

変容し続ける作家としてのペッシェの作品に於けるイメージは、彼が敬愛する作家、シュールレアリストであり、生涯前衛芸術家であり続けたマルセル・デュシャンが、その創作のプロセスにおいて、パラノイア的にまで注意深く微細に、作品作りに於いて繰り返さない事をモットーに創作していた事と、比較して論じる事が可能なのではないか?
italiano | permalink | comments(0) | trackbacks(1)
andreabranzi...domestic animals
andreabranzi.1


アンドレア・ブランジが引き合いに出すところの現代的な生活様式とは、我々が居心地の良いソファで過ごす時間の長さに比例して、余りに人間的な幸せが失われている事に対する危惧であり、「neoprimitive style」と題された一連のdomestic animalsの家具シリーズはそういった現代的な幸福に対するアンチ・テーゼを投げかける事である。
それは華々しい戦後イタリア・デザインの歴史の中においてブランジが一貫して唱えてきた考え方であり、それは建築の理論家としての彼の論理によるところが大きい。それは彼の脱工業化社会の論理に由来する。それは彼がマテリアルに定めるところの材料の選択から始まり、それを配置するところの記号論的要素を、もの自体から引き出す行為である。

アジア的な「竹」をモチーフにしたものや、枝を断たれただけの自然の状態の木の幹を背もたれにもつ椅子、それらはポスト・モダン然としていて、原初的でプリミティヴ、挑発的なスタイルをしているが、大量消費、モダニズムの思想の否定であったり、アナーキズムをその表現に含んでいる。
アンドレア・ブランジにとってDomestic Animalsは一つの概念であり、今を生きる我々も、共に共有し得る重要な思想である。
italiano | permalink | comments(2) | trackbacks(0)