FORM_Story of design(... Kato Takashi weblog)

物語ソウル

 

10月後半、9年ぶりに訪れたソウルは中上健次・荒木経惟の『物語ソウル』さながら、かわらずパワーにあふれていた。地上には、LEDスクリーンによるデジタルビルボードが氾濫する高層ビルがいささか悪目立ちし、通りを行き交う人がマスク姿になりつつも、至るところで出くわすハングル文字の看板が掲げられた素朴な街並みはそのままだった。きらびやかなサイネージで彩られた華やかな高層ビルと商店が並ぶ薄暗い地下街、坂道と階段、家々の間からのぞく教会の尖塔、行く先を見通すことができないいりくんだ路地、つぎはぎのトタン屋根。それらが混在する都市の猥雑な感じが居心地がいい。経済の話によれば、日本と韓国は前回訪れた9年前に横並びになり、その後逆転したという。上空からみると市内中心部を南山がボイドのように空白を穿ち、たった今も急速に郊外へと拡張し続ける、生きもののようなソウル。そして帰国後数日してふいに届いた、滞在中すぐそばまで足を運んだ梨泰院の事故の報道に驚いた。いまも苦しんでいる方々の心が癒える日が訪れることを願うことしかできない。

 

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どこに滞在したのか。

 

先日の佐世保では湾に面した古ビルをリノベーションした、一棟客室3室、全室サウナ付きのホテルRE SORTに宿泊した。

窓からみえる運河の向こうはアメリカ。夕方と早朝にアメリカ国歌と君が代が聴こえてくる。

屋上には専用サウナとキンキンに冷えた水風呂。各部屋には佐世保の海や造船所、街並みを写した写真も展示されている。

客室はベッドメイク、アメニティ、インテリアと、どこまでも清潔で、無理のない気の利いたしつらえで、快適なひとときを過ごすことができた。

ホテルとして利用されている3室以外の部屋にはこのビルの元々の住民の方もお住まいで、一つ屋根の下、地元の方と共生している感覚も面白い。

万津6区として、ほどよくひらけつつある立地、チェックインは宿から徒歩1分の場所にあるカフェ、RE PORTで。

少し遅めのランチは白井晟一建築からもほど近い、地元の百貨店玉屋にあるラビアンローズのサンドウィッチをテイクアウトする。夜は割烹艪櫂で海の幸を静かに楽しんだ。ホテル前ではプロ向けの朝市が午前3時から開かれ、午前8時には店じまいをしていた。地元で採れた旬の苺を一パック購入。

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佐世保の白井晟一建築

 

タイミングよく訪れることができた佐世保の白井晟一建築。

アーケードの商店街には春休みの高校生が行ったり来たり、何度もすれ違い、写真を撮る僕を珍しそうにみていた。

銀行の前のベンチではお年寄りたちがなにやら楽しそうに談笑中だった。

15分くらいうろちょろしている間に、買い物中の二人の方に話しかけられた。

どこから来たのか、昔この銀行で働いていた、食堂があそこにある、セキュリティがしっかりしていた、等々。

そこで交わした言葉から、決して親しげではないその独特な姿とはうらはらに、地元で親しまれている建築なんだなあとしみじみ思った。

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写真における手さばきについて

 

扉の横に人が立っている写真を見ているとき、人は何を見ているのか?被写体を見ているのか、その扉を見ているのか、扉のドアノブを見ているか、扉の色を見ているのか、その扉の向こう側にあるものを見ているのか、あるいはその写真が印刷されている紙を見ているのか。

写真集を見るということは、さらにそこにいくつかの別の見るという行為が積層する。ページをめくることで知覚や認識の中で前見た写真とその次に見た写真が連続している。時に「一枚飛ばし」で写真を見る誤読が起きても、写真単体には大きな変化はない。続いて写真をめくることで、また次の写真が現れてくることには、作品集全体から見れば、大きな差異は生まれない。ただひとつ確実なのは、作品集で写真を見ることには、手の動きに写真というものがもつ時間が規定されるこことと、その写真自体と、その写真がもつ存在が混交すること、そして紙をめくる手が次のページに続く作品を予感させることであろう。

本テキストの主題である本は写真家トヤマタクロウの新刊『DEVENIR』である。

この本は「CAMERA OBSCURA」、「ERROR」、「PORTRAIT」、「OBJECT」、「[[     ]]」、「2020」、「MY FUTURE」という、7つの章で構成されている。それはあたかも建築が敷地との関係の上に、敷地、基礎、柱、壁、屋根、そしてある種の破片や断面などで構成されているのをなぞるかのようである。6章目の「2020」にはその紙をめくるという行為と写真を見るという行為が連続しているようなグラフィック的ともいえるレイアウトになっている。

紙をめくる行為が次の作品に繋がり、重なりあつまた写真と写真との狭間に、実際の作品にはない新たな別のイメージが立ち上がる。一枚の写真を仔細に見ることもできるし、一本のロールフィルムに刻まれた一連の写真がそうであるように、写真家が切り取り連続した時間の連なりとして写真を見ることもできる。

そのように見るということとページをめくるという行為が渾然一体となっている。これは写真を撮ったトヤマとこの作品集をデザインした米山菜津子による鑑賞者がこれを見るという行為に対する、煽動でありひとつの仕掛けである。

無作為に、あるいは恣意的に並び順を選ばれた写真から、一見どんな関連性も見出せない。2020という章立てから推測されるようにそこにはその年に撮影されたのだろうということは推測できる。だが、この数字が年号ではなく、単なる数字の連続だとしたら?2021年のこの夏、東京の街には場違いともいえる2020という数字が氾濫していたことは記憶に新しい。その風景は意図的に捻じ曲げられた強い意志によって生み出されたものであったのだが、私たちはそれを無思慮に受け入れていたことを知っている。そしてトヤマの2020もそれが本当に2020年の風景なのか、これを見る者には知る由もない。だが確かなのはこの97ページに及ぶ日常のsnapは、相反するふたつの感覚、ある種の暴力的さとなにげなさを纏い、ページとページの連なりの間合いを疾走する。

作品集という全体と写真というディテールは、ここではそのどちらもの概念に揺さぶりをかけられ、その実どちらの立ち位置をもさらに強固なものにしている。

単体では決して情報量の多くはないトヤマの写真が、このようにひとつのページに積層されることで混沌さを帯びるが、ページの上下の余白により、過剰ともいえる情報量が破綻のない絶妙なバランスでコントロールされている。

そして、読者はこの写真の氾濫にもし疲れたら、ERRORといった別刷りの冊子や、[[     ]] 、CAMERA OBSCURAといった章に自らの自由意志で戻ればいい。

トヤマの『DEVENIR』は断片的とも捉えられかねないもので構成されていながら、決して一つひとつの密度や、構成に破綻を及ぼすことはない。むしろこの大きな総和によってしかなしえない写真の集合で、写真の歴史を原初から辿ったり、振り返ったりあるいはその先の未来を見据えながら、写真を遠くにスローイングしている。しかもそれをあくまでなにげない静かな手さばきで。

 

トヤマタクロウ 『DEVENIR』 

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TOKYO AND ME

 

連載中のOIL MAGAZINE by CLASKA《TOKYO AND ME》 の最新記事はミュージシャンの坂本慎太郎さんです。

写真は全てホンマタカシさん。

 

https://www.oil-magazine.com/tokyoandme/66849/

 

" 今この時代に音楽をやることの意味、ですか? 僕の普段の生活と音楽を切り離して考えることは出来ないんですけど、今は歌詞のある音楽をつくるのは難しいなと思っています。世の中的に少しセンチメンタルなムードになっている気がするけど、元気が出るような楽しいことを歌っていればいいのかというと、それはちょっと違う気がするし。

 

そんなことを含めて、「全部超越したもの」がかっこいいと思っています。でも、最近も曲をずっと考えているけど自分のハードルを超えるものはまだつくれていないかな。“パカッ”と突き抜けた音楽をつくることができたらいいなと思っています。"

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ZAMPA CHAIR/JASPER MORRISON/Mattiazzi

 

ZAMPA CHAIR ザンパチェアはジャスパー・モリソンがイタリアの家具メーカー「Mattiazziマティアツィ」のためにデザインした同名のスツールから派生したもの。自由な曲線で描かれた2本の前脚は座面にダイレクトに接続され、同じく湾曲した2本の後ろ脚は背もたれの頂上まで延び、木ダボで背板とストンと接続されている。

その後ろ脚は座面から申し訳程度にのびた接合部により連結している。控えめなこの最小限の接点だけでこの椅子全体のバランスを保っているところが、この椅子の最大の見どころだと思う。

それに比べると全体のバランス的には少し大きめな両端が張り出した笠木(背もたれ)は、ゆったりと背中を包みこむような形。これはジャスパーのほかのいくつかの椅子のアイコニックな笠木のデザインとの相似形が見られる。

そうやって見ると座面の下からのぞくフリーハンドですっと描いたような4本の脚のうち、後脚2本はジャスパーの初期の名作「Ply-Chaiir」や、maruniの名作「Light wood chair」の後ろ脚を彷彿とさせる。あるいはトーネットの椅子たちの。また、フラットな円形の座面ももつこの椅子は座面裏のシンプルだが複雑な二重構成により、表向き見た目はフラットな板座でありながら、想像以上にやわらかな座り心地を実現している。

そうして100年以上前に生まれたベントウッドチェアやアーコールチェアにも共通する、小ぶりな椅子でありながら、体に触れ、座り心地を決める背もたれと座面が比較的ゆったりと取られているからカジュアル使いに快適さをもたらしてくれる。

Mattiazziはネヴィオ&ファビーノ・マティアッツィにより北イタリアの街に1979年に創業した木工家具工房。近年ではジャスパー・モリソンの他にサム・ヘクトやロナン&エルワン・ブルレック、コンスタンティン・グルチッチなどのデザイナーとタッグを組み、トップクオリティの木製家具でスモールカンパニーでありながら世界的な評価を獲得している。

この椅子の原型となるスツールはジャスパーが田舎町でみた4本の湾曲した脚に丸い座面が乗っただけのシンプルな家具、ジャスパーがいうところの「カントリースツール」からインスピレーションを得たという。

ただ、ジャスパーはMattiazziからザンパのファミリーとしてこの椅子のデザインを依頼されるまで、このファミリーに椅子を加えることを想定していなかったという。

個人的にはジャスパーがこの椅子の原型を「カントリー」という言葉で表現したことが気にかかる。カントリーチェアやカントリー家具とは、巷では木でできた素朴な家具の総称。ミニマルなザンパチェアがどこか素朴で牧歌的な印象を感じさせるとしたら、それはこの出自に依拠するのかもしれない(ちなみにzampaとはイタリア語で動物の「足」を意味するのだとか)。

そしてそこにはもちろん技術とデザインのマッチングが思考されていることは言うまでもない。そして単純にミニマルでクラシカルなデザインをジャスパーがするはずもない。

ザンパチェアはのちにスーパーノーマルとして宣言するようにジャスパーが工業的でシステマティックな資質とともに、「Ribbed Table」や「One-Legged Table」(1988)にあらわれているようにそのフォルムにはデビュー当時から備えていたシュールレアリストたちが持っていたような、ヨーロッパ的なもののアヴァンギャルド精神がふつふつとにじみ出ている椅子だと思う。

もしそうするのであれば、カントリー家具に着想を得る必要がそもそもない。そのアヴァンギャルド精神がジャスパーのプロダクトに惹きつけられる重要な要素であることは疑いようがない。

 

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一枚の写真がひくタイムライン

 

10年以上前にプロダクトデザイナー秋田道夫さんと親しく交流させていただいた時期があって、たまに今みたいにコーヒースタンドがあまりない頃の代々木上原にあった事務所に呼んでもらってお話をしたりしていた。
当時、秋田さんはinformationという人気ブログをされていて、デザイン界隈では多くの読者を獲得していた。そのつながりで出会った人たちもいた。
ある日、秋田さんが展示をするので写真を撮ってくれませんかと相談された。当時ボクはライカのデジタルカメラを手に入れたばかりで、ウェブ取材の際には写真も撮っていた。
そしてその時撮った写真は記憶では当時駒沢にあった天童木工などを扱うインテリアショップでの秋田さんの個展で展示された。

秋田さんはブログもそうだったけど、新旧問わず自作のことを丁寧に言葉にするデザイナーとしても知られていた。ボクにはそのスタンスがとても興味深く思った。作品は触ると指先が切れそうなほどシャープなのに、言葉やそれを語るスタンスはまろやか。ある種スノッブであることがデザイナーと当時は思っていたところがあったので、自作を雄弁に語る秋田さんはいわゆるデザイナーとしては異質な存在に思えた(スノッブとはいろんな意味合いがあると思うけど、ボクには憧れの存在のイメージである)。当時のボクは今もそんなに変わらないけど、デザインライターとしてかけだしのころで、業界の端っこにいるだけのような存在だった。そんな自分に親しく声をかけてくれるベテランデザイナーの秋田さんからは、年長者としての厳格さとともに、時に問を投げかけ対等に扱ってもらえていることを感じていた。

さっきデザイナーはスノッブと書いたけど、秋田さんはいつもGパンにベースボールキャップという普段着姿でありながら上品さを失わない佇まいもそうだけど、軽やかな語り口と親しみやすさ、デザインのエッジが立った感じ、それら相反するものの全部をひっくるめて極めてスノッブという側面も併せもっているデザイナーなのだと思う。

数ヶ月前には想定もしていなかったコロナ禍の中で、昔のパソコンから写真を探していたら、件の個展にあわせて撮影した当時の秋田さんの事務所写真が出てきた。その中の一枚に、今ボクの家にあるのと同じ壁掛け時計がかかっている一枚があった(確かこれはジャスパー・モリソンがデザインした時計だ)。この話にはオチはないけど、10数年の時を超えて同じ時計がかかっている見慣れた風景が今とつながった。そう感じてフッと気持ちが浮き立った。閉塞感のあるこんな時だけどかつて撮影した一枚の写真から未来への希望を描くことができたような気がしている。

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師走感


2015年もお世話になりました。来年もよろしくお願い申し上げます。
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最近はこちらでもDiaryを書いています。よろしくお願いします。
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JASPER
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調べる、知る
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東京藝術大学デザイン科一年生による利根川水系をテーマにした「調べる」というタイトルの展覧会。利根川は東京を含む首都圏の水源であり、河川規模は日本最大級の川であり、東京藝術大学取手校の前を流れている川である。
それぞれ5人の学生がチームを組んだ9つのチームが、「昔を知る」「環境を知る」「産業を知る」「暮らす」「旅する」という5つのテーマに、チーム内の各人がのぞむというもの。それぞれの案が環境、関係、観光、産業など、地域性のある重要な問題提議を含み、カタチやリサーチのプロセスとして作品や、課題評価の対象ともなったというノートも展示していて興味深い作品展でした。本日11月15日(金)15時まで、東京藝術大学上野校総合工房棟3階プレゼンテーションルームで開催中。
それと法政大学大学院デザイン工学研究科の美学意匠論受講者と、東京藝術大学大学院美術研究科デザイン専攻の学生のコラボレーションによるフリーペーパー「DAGODA 5号」も入手しました。これからじっくり拝見します。
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